サンタクロース
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クリスマスの絵
小学校の四年生――十歳前後の子どもには、けっこうなバラつきがある。男の子でいえば、日曜の朝になるとかかさず特撮を見ている子もいれば、見ていることを隠したがる子もいるし、鼻で笑う子どももいる。似たようなことは女の子にもいえる。
この微妙な差異は、教員にとって頭痛の種にもなる。
家によって教育方針も違うし、子供の成長と合致しているか目を光らせる必要がでてくる。もちろん、なかにはいい加減な教員もいるが、大きな差が生まれる時期だからこそ皆が真剣に向き合おうとする。
「――それじゃ、今日からクリスマスにちなんだ絵を描いてみようか」
おそろしく抽象的かつ曖昧だが、指導目標などというものは大抵がそうだ。特に美術に関するものは。だからこそ、この時期の生徒と相対するとき、私は子どもたちの内面の発達具合を測る物差しとなる。
クリスマスと言ったら何を描く?
時節にあわせた単純な問いかけ。回答は自由。子どもたちは概して素直だ。捻くれた子どももいるでしょう、などと哀れみをかけられることもあるが、それこそ大人らしい捻くれた見方だと私は思う。
画用紙の中心に描かれた、装飾もなにもないモミの木らしき絵。
これを見て哀れと思うのが捻くれた大人だ。
「木の絵だね」
そう私が言うと、子どもは元気よく答えた。
「そう! 大きい木を見に行ったことがあって――」
旅行先で目にした飾り付けられる前のモミの木。別の木かもしれないが、十年前後の人生で最も強烈だった記憶。絵には描いた人間の物語がある。決めつけてはいけない。答えるときの声質や、絵の雰囲気、本人の性格――傷つけたりしないように注意を払う必要があるが、概して子どもたちは素直だ。
様々な色が混じった丸がいくつか。人。ごちゃごちゃした雰囲気。
「それは何?」
「ゴミ袋」
少女が
クリスマスのイメージがゴミ袋だなんて! なんて思ったら捻じれはじめだ。
私は腰をかがめて、声を低くした。
「今年は欲しい物がもらえるといいね」
「ウチのサンタは気が利かないから」
つんとした声だった。でも毎年なにかはもらえるし、その不満を描くくらいには期待してもいるらしい。そしてサンタの正体は知っている。
サンタクロースの正体というのは、実はかなり繊細な話題だ。
せめて自分で気づくまではと子どもの夢を守る家もあれば、さっさと真実を教えてしまう家もあるし、そもそもクリスマスを祝わない家庭も少なくない。子ども同士の世界が衝突して、後でクレームがくることも多い。
しかし、私は必ずこの課題を与える。
学校に求められる機能は、けっきょくは価値観の衝突と理解だと考えているし、それが成長につながると信じているからだ。
クリスマスという嫌でも触れざるをえないイベントを想起し、表現することで、子どもたちに自分の世界を理解してもらう。守り方を学ぶ。もちろん私は、他の教員のための子どもの物差しとして機能しながら、子どもたちの世界を守るように努める。
でた。サンタの絵。髭はなし。これはつまり――、
「毎回コスプレするんだよね」
そう言って、男の子は苦笑した。
私は勝手に世界の核心に触れないように注意しながら言う。
「付き合ってあげてるんだ。偉いね」
「本物が来なくなったら困るし」
――危なかった。もう少し突っ込んで話していたら傷つけたかもしれない。簡単そうに見えて神経をすり減らす仕事だ。けれど、誰かがやらなくてはならない仕事でもある。私は気持ちを新たに教室を巡った。
トナカイの絵。七、八――九頭。近くに赤い服の人。クラシックスタイル。こういうときこそ話しかけるのに注意がいる。
「トナカイ見たことあるの?」
私は雑談のつもりで
少女は不思議そうな顔で首を横に振った。
「――じゃあ、何かで見たの?」
絵本に広告、動画サイト、ゲーム、どこから得た情報かも重要だ。
少女は左右を警戒するように目を動かし、小さな声で言った。
「外」
嘘――冗談? それとも作り話? 夢? 色々とある。
私は顔を寄せ、声を低くした。
「旅行に行ったの?」
センシティブな話題だ。旅行に行かない、行けない家庭も多い。
少女は言った。
「家の、外」
――なんだ、夢か。あるいは作り話。よくある話でもある。
私はできるだけ優しく微笑みながら言った。
「トナカイ好き?」
絵は褒めてもけなしてもダメだ。絵の出来に納得していなければ傷つくし、その逆でも同じ。大事なのは、描いたものが好きか嫌いか。物差しとしての仕事である。
少女は眉間に小さな皺を刻み、言った。
「……サンタですけど」
「あ、ごめん」
しくじった。私は天を仰ぎたいところをこらえ、描かれた赤い服の人を指さした。
「このサンタさんは――」
「それお父さんです」
「――ああ、なるほど」
赤い服の人は父。トナカイ。家の外。やはり夢だろうか。
少女の指がするするとトナカイの群れの先頭に動いた。
「サンタさん」
「……ん?」
私は思わず聞き返してしまった。悪手だ。信頼を損ないかねない。
少女は寂しげに言った。
「お父さんはサンタさんに連れてかれちゃって」
「……ああ……なるほど……?」
ほとんど条件反射的に同意していた。サンタに連れて行かれた? お父さんが?
私は先頭のトナカイを指さして尋ねた。
「サンタさん?」
「そうです」
「こっちの赤いのが――」
「はい。お父さんです。サンタさんに噛みつかれて」
「噛みつかれた?」
「はい。それで、ベリって」
私は思わず少女に振り向いていた。危険な徴候だと直感したのだ。
しかし、少女は悲しげな顔ではあったが、おちょくっているような印象は受けなかった。
私は改めて絵を見た。トナカイ九頭立ての雪ソリ。赤い服の人――。
ふと気づいた。
赤い服を着ているらしい父の
疑問が湧いた。
サンタクロースの白髭を描くとき輪郭をなぞるか?
普通は髭が顔からはみだすように描くのでは?
私が、背中に冷たいものを感じながら、白髭を指さすと、
「骨です」
ぞっとした。では、この赤い服は――、
「血?」
「たぶん」
私は耐えきれず喉を鳴らした。ちらと少女の顔を覗いてみたが、瞼を少し落とし気味にしているだけで、演技にしては達者にすぎるように思えた。
「……サンタさんが、お父さんを連れて行っちゃったときの絵?」
「そうです」
「この……先頭の茶色いのが、サンタさん」
「そうです。たぶん」
たぶん。私は胸裏に反芻し、少女に確認した。
「トナカイじゃないの?」
本当ならしてはいけない質問だ。子供の想像力を邪魔してしまう。子どもが作り上げてきた心的世界を否定しかねない。いつもなら絶対にしない問いかけ。私は動揺していたのだろう。
少女は言った。
「先生、トナカイは空を飛んだりしませんよね?」
私は、どう答えればいいのか分からなかった。
少女は言った。
「私、ずっと、サンタさんはお父さんかお母さんだと思ってて」
「うん」
「お父さんには悪いけど、驚かせちゃおうって」
「……うん」
「寝てるフリしてて。でもお父さんも気づいてたみたいで」
少女は手を握り合わせた。
「声がして。お母さんと。サンタの格好をするんだって。私、寝たフリしてて」
「うん」
私は手を伸ばし、少女の震える手に重ねた。そうするより他にどうしたらいいのか分からなかった。
「ドアの音がして。着替えるんだと思って。窓から、見てて」
「……うん」
「サンタさんが来て」
「うん」
「お父さん、びっくりしてて。私もびっくりして」
少女は私の手を強く握り返し、眉を歪めて。
「先頭の、サンタさんが、お父さんに――」
ギッ、と少女の爪が私の手に食い込んだ。
私は痛みに耐えながら少女に顔を寄せ、言った。
「もういいよ。ごめんね。大丈夫だから。変なこと聞いてごめんね」
「私」
「ん?」
「私、悪い子だったから」
「え?」
「嘘ついて、寝たフリしてたから。だから――」
「大丈夫だから」
私はたまらず口にしていた。相当な闇がある。そう思っていた。
「なにか別の絵を書こうか。楽しかった思い出」
「私、知ってたのに、知らないふりして、騙そうとして」
「大丈夫。君のせいじゃないから。ね?」
「お父さん……私が……」
「そうだ、この絵、先生が借りてもいいかな?」
強制的に終わらせる。それしかなかった。
私は少女の描いていた絵を抜き取り、新しい画用紙を渡した。
「クリスマスじゃなくてもいいよ。楽しかった思い出を描いてみて。大丈夫だから」
そういうしかなかった。
授業が終わり、私はすぐに少女の資料を参照した。頭を抱えたくなった。父親が行方不明になっていた。ちょうど一年余り。いなくなったのはクリスマス。蒸発だ。やらかした。私は少女の絵を手元において電話をかけた。
「あ、申し訳ありません!」
第一声から謝った。傷つけるつもりはなかった。本当に申し訳ない。許してくれと言うつもりはない。大切なお子さんに――。
言葉を重ねていった。
しかし、受話器越しに、少女の
「あの子、まだそんなこと言ってましたか」
「え?」
突然、いなくなったのだという。
直前までサンタに扮して戻ってくると言っていたという。
遅すぎるからと外に出ると、夫の姿はなかった。部屋に戻ると娘が泣きながら飛び出してきた。警察に届けた。何もわからないまま一年が過ぎようとしていた。
「夢なんだと思います」
少女の母親は重い息をつきながら言った。
「どこかへ行ってしまうのを見て、そういうふうに思い込んだんだと」
「そう、です、か……」
私は少女の絵を見ていた。
母親が言う。
「ただ……」
「……ただ、なんでしょう」
「ちょっとだけ、調べたんです、私」
「何をですか」
「サンタさん」
「……なにか分かりましたか?」
「いえ、ぜんぜん」
空虚な笑い声が聞こえた。
「――でも」
「でも?」
「少しだけ不思議だなって」
「何がですか?」
「サンタさんはいるじゃないですか」
「え?」
「ああ、いえ……そうじゃなくて。サンタさんは、白髭のお爺さんですよね」
「……ですね。まぁあれは――」
分かっていると言わんばかりに母親は笑った。
「企業広告ですよね。そうじゃなくて。サンタさん。お爺さんでしょ? ただの」
「……えっと?」
「で、工場で玩具を作ってるっていう、小人もいる」
「……えーと、本場だとトムテとかいうんでしたっけ」
「そうですけど、そうじゃなくて」
母親は言いにくそうに声を潜めた。
「小人は本当にいるでしょう?」
「それは――小人症ってことですか?」
「そうです」
「……いますけど……それが何か?」
「……でも、空を飛ぶトナカイはいないじゃないですか」
「……そうですね」
母親は諦めたような声で言った。
「だから、私だけは、あの子の言うことを信じようかなって思ってるんです」
「……ですか」
「はい。……まだ、整理がつかなくて」
母親の声は微かに震えていた。
「だから、あの子には、悪いかもしれないけど」
「……ええと、お母さまは」
「はい。私も悪いところがあったからって、そう言うことにしてて」
「……差し出がましいことを――」
「いえ。いいんです。わざわざ、すいません。ご連絡ありがとうございました」
私は、また少女の絵を見た。
「……あの、思うんですが」
「はい? なんですか、先生? 何か――」
「失礼」
私は咳払いして言い直した。
「私にお手伝いできることがあればいつでもお申し付けください。傷つけてしまったのは事実ですし、お力になれることがあればなんなりと」
「お気遣い、ありがとうございます」
「いえ。それでは、失礼いたします。たいへん、申し訳ございませんでした……」
受話器を置き、私は少女の絵を指でなぞった。先頭のトナカイ。赤い鼻をしたトナカイ――いや、鼻先のすべてが赤く塗られたトナカイ。
十歳の、あんなにたどたどしい話し方をする少女が、こうまで整合性の取れた絵を描けるものだろうか。
肌が剥け、顎と頭頂の骨が見えている男。群れをなすトナカイ。先頭の、口先を真っ赤に濡らしたトナカイ。自分が悪い子だから、父親をソリにのせて運んでいった。
そんな作り話をするのだろうか。
サンタクロース λμ @ramdomyu
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