株式会社U〇加工

nkd34

ステキな死後を演出します!

 黒のコートを丁寧に折り畳んで背もたれに掛けた彼女は、白のタートルネックの上に、同じ色のカーディガンを重ね着していた。待ち合わせた男に勧められ、彼女は腰掛け、少し俯いた。頬の膨らみにまだ幼さを湛えた女性だった。

 昼下がりのコーヒーショップには、古い流行歌のインストルメンタルが流れていた。

「早速ですが、ご用件を伺います」

男は口元だけで微笑した。

 彼女の前には、湯気の立つカフェオレと、男の名刺。

『株式会社U〇加工 専務取締役 結城礼司』

何の工夫もない明朝体で書かれた名刺に、陽光が差し込んでいた。

 女性は、意を決して顔を上げると、大きな瞼を開き、澄んだ茶色い瞳で礼司を見つめた。

「アタシの死後、幽霊を出してほしいんです」

彼女の右の頬に、一筋の涙が走った。

 小山康太は、某ファミリーレストランの調理担当だった。彼は、幼い頃からサラダの味に魅了された。既成の味ではもの足らず、独自のドレッシングを調合するほどだった。妹の紗香は、彼の作った味の実験台となり、年中生野菜を食べさせられたものだった。兄一人、妹一人の家族。両親を早くに亡くし、施設で育った二人は、固い絆で結ばれていた。康太は、高校生の頃からアルバイトをしていたファミレスにそのまま就職し、出身地である横浜市郊外の支店に配属された。店長や同僚に恵まれ、客にも喜ばれ、新たに開発したドレッシングが会社に採用されて、全国の支店で供されるようになるなど、順風満帆な社会人生活をスタートした。

「兄は、アタシの誇りでした」

語る紗香の瞳は涙に濡れていた。

 礼司は神妙な顔つきで、頷きながら話を聞いていたが、内心、うんざりだった。

 単純な怨恨だ。康太は自殺した。それ以前に、会社が投資ファンドに売却されるという事件があった。赤字体質の経営から脱却し、収益性を高めるという方針が徹底された。この店では、地産地消のサラダが目玉商品だった。全国の各支店が、それぞれの地域の農家から直接野菜を買い付け、新鮮なうちに提供する。大変な手間がかかったが、他社との差別化に大きく貢献していた。サラダ目当てに来る客も多かった。これを、新しい経営陣は、工場での一括製造とした。店では、盛り付けてドレッシングをかけるだけ。

 康太は納得しなかった。工場から送られてくる、カット済みサラダ。これが、三日経っても変色しないことに、彼は不審を抱いた。彼は工場で塩素系の脱色剤が使用されていることを突き止めた。一応、健康被害はないものだったが、味は落ちる。メニューには、いまだ地産地消を謳っているのだ。にもかかわらず、薬剤塗れのサラダとはこれ如何に。彼は、投資ファンドから派遣された新社長宛にメールを書いた。しかし、社長のアドレスが分からなかったので、新しい店長に送った。

「キミね、」店長は、きつねのように目の細い、痩せた小男だった。「一従業員が、会社の方針に口出しするなよ」

その日のうちに、康太は他県へ転勤となった。

「兄は、あの店を愛していたんです。あのファミレスが、人生だったんです」

紗香は、ハンカチで目を塞いで嗚咽した。店の近くに借りていたアパートで、ロフトから吊るしたロープに首を突っ込んでぶら下がっている康太を発見したのは彼女だった。

 礼司は顎をさすった。

「お話は分かりました。しかし、」紗香は濡れた瞳を上げた。「まず、アナタが死ぬ必要はないでしょう」

紗香は不服げに何か言おうとしたが、礼司はそれを押しとどめ、「化けて出るなら、お兄さんが出ればいい」と言って笑顔を作った。

 紗香は瞼を開いて礼司を見つめた。

「兄はもう、荼毘に付されてるんですけど?」

「おっしゃる通り。葬儀を済まされ、四十九日も済んでらっしゃる。ですが、その恨みまで、焼き尽くされてはいない」

紗香のまつ毛が微かに揺れた。

「まあ、聞いて下さい。ユーレイ化するには、一定の条件があります。細かいところは、我々のホームページに記載がありますから、後ほどご覧いただきたいのですが、肝心な点が一つ。何より、現世に思いを残していること。これが最大の条件です」

「死ねば、アタシの思いが残ります」

「そうとは限らないのです。さて」

礼司は上着の左袖を引いて腕時計を見た。

「まだ間に合うな。早い方がいい。今から参りましょう」


 株式会社U〇加工。『ユーレイカコー』と読む。ホームページを開くと、どこだか分からない神社の鳥居の画像の下に、白地に黒文字で、『ステキな死後を演出します!』と大書されている。一見すると葬儀会社のようだが、実際の業務は、幽霊加工。即ち、死んだ人間の後の姿をブラッシュアップすることだ。

 結城礼司は紗香を車に乗せ、康太の勤めていたファミレスに向かった。すでに午後遅く、店は閑散としていた。

「ええと、日替わりランチでいいですか」

厨房に近いボックス席に掛け、机上のタブレット端末で注文した。

 紗香は礼司の向かいに掛けたが、落ち着かない様子だった。「アタシ、ここには居たくないんですけど」と不満げだ。

「分かります。ですが、アナタのご依頼を成就するには、ここでないと都合が悪いんです」

 配膳ロボットが料理を運んできた。店員の姿はなかった。作業の合理化が進んでいるのだ。ドリンクはセルフサービスで、床清掃もロボット、支払いは無人レジ。客は全く人間と接することなく、店を出ることができた。

「兄は、こういう店にしたくなかったんです」

紗香は俯き、眉根に険を込めた。

「家庭に恵まれなかったアタシたちは、ファミリーレストランにこそ、家庭らしい温もりがある、と思っていたんです」

「分かりますよ」礼司は言った。「まあしかし、時代の流れですからね、経営の合理化は。逆らうのは無理ですよ」

紗香は何か言いたげだったが、礼司はまたそれを押しとどめ、「おーい、」と厨房へ叫んだ。そして、出て来た白衣の男に、「不味いよ、これ」と皿を指して苦情を言った。

 礼司は、流行りのビジネススーツを着た、目元の涼しげな男だった。だが、短髪で体が大きく、瞼に険を込めると強面になった。「お気に召しませんでしたか」と言った調理係の声は、些か怯えていた。目の細い、痩せた男だ。名札に『店長』と記載されていた。

「お気に召すも何も、味、変えただろ?」

「確かに、ハンバーグは製法を変えまして、より柔らかく、ジューシーになりましたが」

「肉じゃねーよ、サラダ」

店長は、ハッと瞼を開いた。

「昔と同じサラダを出せよ」

 店長は謝り、礼司と紗香の皿を取って厨房に下がった。しばらくして、サラダを新しくして戻って来た。礼司はそれを一口食べ、「まだ違うな」と言って店長を睨んだ。

「ドレッシングが違う。昔のに戻せよ」

店長は、言い訳しようと唇を震わせたが、礼司が睨むと、また皿を抱えて厨房に下がった。

 礼司は紗香を見てにやりとした。紗香は、不安げに瞳を曇らせて厨房を見た。

 厨房の中では、店長がパートタイムの調理係に愚痴を言っていた。

「とんだクレーマーだ。サラダなんか添え物なんだから、何でもいいじゃないか」

しかし、戻せと言われても、すでにドレッシングは全て大手メーカーの既製品に入れ替えてある。店長は、塩を足して味を変えようとした。濃くすれば納得するだろうと考えたのだ。だがパート社員は、「ダメですよ」と止めた。「昔の味を知っているってことは、相当舌が肥えてますよ。ごまかせませんよ」

「じゃあ、どうすりゃいいんだ!」

店長はキレて八つ当たりした。

 その時、白衣の男がもう一人、奥の冷蔵庫の陰から現れた。その男は、サラダを新しいものに取り換えると、手にした銀の器から、ドレッシングを一匙掬ってふわりとかけた。

 店長とパート社員は、揃って悲鳴を上げた。


 小山紗香を自宅に送った後、礼司は横浜駅近くの会社へ向けて車を走らせた。ダッシュボードに取り付けたスマホに着信が入った。

『首尾はどうじゃ?』

社長の結城礼子からだ。スマホの画面に、長い黒髪を後ろに束ねた、白い着物姿の妙齢の女性が映し出された。

「五千円」

『何じゃ、それっぽっちか』

「あの程度じゃ、こんなもんだよ」

礼司は言いながら加熱式煙草をくわえた。

 結城礼子は、U〇加工社の社長にして、結城礼司の実の姉だ。三〇近くになって失業し、ブラブラしていた弟を叱咤し、この会社を立ち上げて就業させた。当人は社長を名乗っているが、本業の神主が忙しいので、彼に会社の実務を任せているのだった。

『安く見られたのう。感謝の気持ちがあれば、もっと包むもんじゃ』

礼子は、スマホ画面の中で細い眉を吊り上げた。幽霊加工の料金は、一件五千円から。効果を体験して、満足度に応じて代金を積み増す仕組みだ。神社の初穂料のようなものだ。

 店長が厨房に引っ込んだ後、改めて配膳ロボットが料理を運んできた。今度のサラダは絶品だった。

「これ! これです」

一口食べて、紗香は涙を流した。色とりどりの千切り野菜に絡まる、濃厚なソース。小山康太が苦心して開発したドレッシングだ。なるほど、と結城は感心した。この味なら、サラダだけでも満足できる。ただ惜しむらくは、野菜が味を主張せず、明らかに貫禄負けしていた。康太の苦悩を理解した気がした。

 視線を感じて厨房を振り向くと、白衣の男が顔を出して、にこやかにこちらを見ていた。

「コーちゃん!」

紗香は立ち上がった。男は、にこやかに手を振りながら、静かに消えた。

『死なずに済んだんじゃから、全財産の八割くらいは出してもよさそうなものじゃがのう』

「あの子は、カネがなかったんだよ」

礼司は、がめつい姉に些か呆れた。美人神主と呼ばれて近隣では評判だが、その実、祈祷の依頼に来た参拝客の目の前で祝儀袋を開き、中身を確認するような女だ。

「それより、オレはもう帰るぜ。疲れたよ」

『ダメじゃ』礼子は言った。『次の依頼が来ておる。すぐに、JR程川駅へ向かえ』

「マジかよ。人使い荒いぜ」

通話は挨拶もなく切れた。

 JR程川駅は、横須賀線で横浜駅から一駅の、東海道沿いに位置する小さな駅だ。周辺は古い宿場町だったが、東海道本線が停車せず、横浜や鎌倉などの有名な街に挟まれて集客を奪われていたために、かつては陥没地帯などと呼ばれていた。都心へのアクセスがいいことが見直され、近年再開発が進み、駅に直結したタワーマンションが二棟もできた。

 礼司が駅構内の指定のコーヒーショップに入ると、依頼人の女性はすでに待っていた。挨拶をしながら名刺を出し、「早速ですが、ご用件を伺います」と言って向かいに掛けた。

 透き通りそうな淡い色の肌をした女性だった。年の頃は三〇代半ば。眉を細く書き、目元をぼかした儚げなメイクだったが、濃い前髪を上げて富士額を見せた様子に、意志の強さを感じさせられた。

「夫を、蘇らせて欲しいんです」

女性は身を乗り出して言った。

「あ、いや」思わず顎を引いて礼司は言った。「死人を蘇生させることはできないんです。あくまで、幽霊を加工するだけです」

女性は、澄んだ両方の瞳で結城を見つめた。

 宇都宮綱雄は、市立程川高校の生徒会長だった。高校卒業後に県内の公立大に進学し、大卒後は市役所に勤めた。彼は大学で児童心理を学び、社会福祉士の資格を取っていたので、児童養護施設に配属された。市内在住の恵まれない子供たちに接し、彼はカルチャーショックを受けた。

 自分の名前を漢字で書けない子がいる。じっと座っていられない、人の話を最後まで聞けない、友だちを平気で殴る。この程度は当たり前で、人の物を盗んだり、性的嫌がらせをしたりと、まるで野生状態。

 綱雄は考えた。教育を施さなければならない。彼らは無軌道だがまだ若い。頭の柔らかいうちに、矯正するべきだ。そうすれば彼らは、一人前の大人として生きていくことが出来るはず。

 一〇年、綱雄は勤めた。ひとり親家庭、不登校、発達特性。様々な状況の児童、生徒に寄り添い、彼らが社会で活躍できる方法を考えた。彼の熱意は通じ、多くの子供たちが施設から巣立っていった。やがて施設の責任者になった彼は、ボスと呼ばれて慕われた。

 宇都宮友恵は、市立程川高校の生徒副会長だった。会長の綱雄に恋し、ほどなく交際するようになった。理想を語る彼が好きだった。彼の声、彼の立ち居振る舞い、彼の匂い。全て好きだった。彼の行動を助け、彼の思想に染まる。それが自分の人生。そう考えていた。当然のように彼と同じ大学に進み、就職先も彼と同じ。ただ、配属まで同じというわけには行かず、彼女は程川区役所の戸籍課で、死人の数を数える係になった。綱雄の勤める児童施設は程川区内にあったので、親しく行き来することができた。就職して三年後、彼らは結婚した。

 新居に、当時売り出されていた程川駅近くのタワーマンションの、高層階の一室を買った。駅に近ければ、中層でも下層でも良かったのだが、販売店に巧みに言い包められた。一生かかって返す借金を背負ったが、友恵は幸せだった。ようやく手に入れた二人の巣。ここから、新しい物語が始まる。

 しかし、綱雄は死んだ。当時担当していた少年と些細なことで揉め、腹を刺された。傷は浅かったが、深夜のことで、同僚に気づかれず、発見された時にはすでに事切れていた。関係者は驚いたが、さらに別のことでも驚かされた。犯人の少年も、自室のベッドの上で、腹を刺して死んでいたのだ。

 二人の間にどんな確執があったのかは分からなかった。

「ご主人にお会いになりたいなら、出来ます」

礼司は請け負った。内心、ほくそ笑んだ。こういう依頼が一番やり易い。

 幽霊は、故人の意志で出るものではない。葬式と同じく、残された者のために出るのだ。死んで恨みを晴らしたいと願っても、死んだ時点で恨みも消えるので、ユーレイ化することはない。あくまで生きている人間の都合で出るものなのだ。

 だから、死に別れた夫に会いたいなら、比較的容易に出すことができた。特に今回のような、非業の死を遂げた対象なら確実だ。

 礼司が幽霊を出すわけではない。依頼の詳細を承り、姉の綾子に連絡する。すると礼子が、依頼主の希望に応じて祈祷を行い、故人の霊魂をユーレイ化するのだ。つまり、希望が具体的であればあるほど出し易いのだった。

 礼司は笑みを噛み殺しながら身を乗り出した。だが宇都宮友恵は、視線を落とし、しばらくスカートの表面を指でつまんでいた。

「お好みの場所、お好みの時間で出せます」礼司は言った。「お好みの年齢の容姿を指定することもできます。ただこの場合、割増料金を申し受けておりますが」

「あの、」友恵は顔を上げ、瞼に力を込めて結城を見た。「アタクシ、実は、バージンなんです」

結城はポカンと口を開けた。


 ベッドの中で、少年は目を覚ました。夜明けはまだ遠かった。暗闇の部屋には、同室の少年たちの寝息しか聞こえなかった。二段ベッドの上に一人。隣のベッドに二人。ここは、児童養護施設の一時避難所。家庭生活に難があり、一時的に預けられた児童の宿所だ。少年は、もう一度寝ようと毛布を頭から被った。

 手だ。

 少年は、恐怖に身を強張らせた。蒲団の裾から、何かが差し込まれていた。それは少年の足を撫でていた。手だ。生暖かい手が、足を撫で上げているのだ。少年は、毛布の縁をそっと上げた。暗闇の中に、ボウッと白いものが浮かんでいた。

 少年は目を瞑った。見たら、命を奪われる。見てはいけない。起きていることを、知られてはいけない。ここでは、ボスに逆らってはいけないのだ。頭を毛布の中に沈めた。腰から下は、諦めるしかなかった。何をされても、寝たふりをしていなければならない。ボスに逆らったら、ここを追い出される。ここよりも恐ろしい、父親のところへ帰らなければならなくなる。

「宇都宮」

礼司は、ベッドの脇に屈んでいた宇都宮綱雄の肩を掴んだ。

「奥さんが、呼んでるぜ」

 結城礼司は、程川駅近くのバーガーショップで朝食を摂った。窓に向かう席で、バスロータリーを行き交う人々を眺めながら、コーヒーを啜り、エッグマフィンを頬張った。無料のワイファイにスマホを繋いで音楽を聴いていると、着信が入った。

『首尾はどうじゃ?』

礼子からだ。

「眠いよ」

礼司は、口一杯にエッグマフィンを入れたまま返事した。

 祈祷によって霊を召喚する礼子の幽霊加工術。しかし、宇都宮綱雄の霊は現れなかった。それもそのはず、彼の霊はすでに、彼の元の職場に出没していた。同じ者の霊を別の場所に出すことはできない。礼司は深夜、施設を訪れ、宿直の職員を脅かして児童の宿舎に入り込み、宇都宮の霊を呼び戻したのだった。

 その後、友恵と綱雄がどうなったかは分からない。愛する夫が女性を愛せない男なら、三〇過ぎの夫人がバージンなのも納得だ。友恵は、亡き夫の霊を呼び出して、改めて初夜をしたいと願った。果たして、少年愛好家の幽霊が、未亡人を抱けるかどうか。

 知ったことではない、と礼司はそそくさとタワーマンションから退散した。何しろ早朝なので、代金の支払いも後日改めてということにして、バーガーショップに入った。食べたら帰宅して寝るつもりだ。

『次の依頼が来とるぞ』

「冗談言うなよ」礼司は声を荒げた。「まだ七時だぜ。労基法違反だ。会社を訴えるぞ」

『お前は役員じゃ。労基法は適用されない』

礼子は冷たく言い放った。

『もうそこに来ておる。早速話を聞いてやれ』

エッ、と礼司は客席を振り返った。


 早朝の依頼には訳があった。依頼主は、黒のスーツに身を包んだ小太りな男。八田知宏というその男は、赤い唇を綻ばせて、便所近くのボックス席で手を振っていた。

 八田は、程川界隈を根城にする地場のヤクザ『皆元組』の若頭だ。先代組長皆元為雄の末の息子で、大学の経済学部を出、組の財務や税務を一手に担っているという。名字が異なるのは、彼が為雄の愛人の子で、母の姓を名乗っているためだ。

 為雄は恐喝容疑で逮捕され、獄中で死んだ。彼の正妻の子は娘だったので、組は孫の義雄が継いだ。ただ彼はまだ高校生であり、組の実権は母良子と、その夫の四郎が握っていた。

 ところが先月、義雄が集団暴走行為で事故を起こして急死した。後継者問題勃発だ。

「四十九日の法要が、この後九時からあるんでね。それに、間に合わせたいんだよ」

つぶらな瞳を開き、いささか興奮気味に八田は言った。

「残念ですが、」礼司はあくびをかみ殺しながら答えた。「暴力団の依頼はお受け出来ないんです。一応、株式会社なんで」

「暴力団じゃねえよ、や、く、ざ」

どう違うんだよ、と礼司は思ったが、怒り出すと面倒なので言わなかった。

 法要の席で、義雄の霊を出す。彼に、跡継ぎは八田に、と言わせる。

「婿の四郎に任せるわけには行かないんだ。血統が違うから。良子は女だから論外だ」

「でも、甥から叔父に譲るのは、逆コースですよね? 遺言はないんですか」

「高校生が、そんなもの書くわけないだろ? とにかく、時間がない。今日決めたい。このままずるずる日延べしたら、四郎に皆元組を乗っ取られちまう」

 一番面倒な案件だ。とはいえ、一番依頼の多い件でもあった。遺族が、幽霊に遺言させたいという。しかし、死後に遺言することはあり得ない。法的にも当然認められない。

 幽霊加工の立場からも、それは推奨できなかった。生前に悔いを残したものがユーレイ化する。だから、義雄のような不慮の死者は出し易かった。しかしながら、幽霊イコール本人ではないのだ。幽霊はあくまで生きている者の意向に沿って現れるので、極端な話、生前の意思と異なる発言をさせることもできるのだった。

 遺言書の様式も、遺産分割の配分も、法律で決められている。これを死者の思惑で覆したら、法治国家の根幹を揺るがしかねない。

「頼むよ。オレの、死活問題なんだから」

そう言って八田は、卓上に縁取りの赤い祝儀袋と、黒い香典を無造作に出した。

 礼司はウッと体を硬くした。五万と書いてある。祝儀袋の方だ。香典には五千。八田は赤い方を表に返し、黒い方はスッと引いて懐にしまった。祝儀袋の宛名は『株式会社U〇加工』。

 礼司は、「ちょっと失礼」と断って一旦店外に出、姉に電話した。

『受けるしかないじゃろう』

「でも、義雄が八田を指名するとは限らないじゃないか」

『幽霊は、依頼主の腹の中にあることを言う。八田が強く願えば叶う筈じゃ』

礼司は席に戻った。椅子を引きながら「お受けしましょう」と言い、腰掛けて祝儀袋を手に取った。

「領収書を頼むぜ」

礼司は微笑して、その場で領収書を書いた。

 法要はしめやかに催行された。住職の説教を聞いた後、寺務所の座敷に移り、親族全員で会食となった。出席者は、八田の付き添いで参加した礼司を含めても十人足らず。伝統のある地場のやくざだが、警察の締め付けが厳しく、足を洗う者が多いのだ。

 食事の前に、全員に遺産分割の合意書が配られた。「これに異議がなければ、署名を願います」と上座の皆元四郎が言った。彼は四角い眼鏡をかけた、銀行員風の男だった。彼の隣で、妻の良子が、厚く塗った顔をしきりと扇子であおいでいた。

「異議あり!」

座敷の縁側から声がした。

 その場の誰もが息を呑んだ。ついさっきまで、遺影の中に納まっていた皆元義雄が、白い暴走族の特攻服を着て立っていた。

「オレの話を聞かないで、勝手に決められちゃ困るぜ」

義雄は座敷の中央に進んでドカリと胡坐を掻き、両親と向き合った。

「オレの跡目は、八田のオジキに譲る。遺産は全部オジキのものだ」

八田は礼司を振り返り、にんまり笑った。

「何を言いだすんだ、義雄」

「黙れ、婿養子。オジキときたら、たいしたもんだ。組の上納金を毎月くすねて、今じゃ一千万の貯金がある。おまけに夏や秋の縁日のたびに、的屋から集金したカネを、二割も懐に入れてるんだ。カネのことは、オジキに任せろ。オジキに頼めば、組は安泰だ」

「知宏、テメエ!」

良子が、父親譲りの野太い声で叫び、卓上に足を突いて白いふくらはぎを見せた。

 座が騒然となった隙に、礼司は寺を出た。八田の思惑は外れたが、自業自得だ。義雄の霊は、八田の腹の中の言葉をぶちまけたのだ。

 礼司は車の中で祝儀袋を開いた。「ああ、クソ!」彼は思わず絶叫した。

 ピンの千円札が五枚。あのドケチやくざは、謝礼金までケチったのだ。礼司は頭を抱えた。今から取りに行っても無駄だ。すでにあちらに領収書がある。

 姉ちゃんに、何と言い訳しようか。

(了)

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