おいしい話

安江俊明

第1話

年金生活者の栗江俊太郎。通信手段はメールに絞り、FB(フェイスブック)は危険が多いと避けて来たのだが、あることがきっかけで、恐々FBを始めた。


それは、サンフランシスコ在住のメル友が美しい花の写真を次々にFBにアップしていると聞いたので、その写真を見てみたくなって止む無くFBに登録したのだった。


確かにサンフランシスコから届く花々の写真は可憐で盛りが大きく、コロナ騒ぎの世界から離れて癒しを与えてくれる。俊太郎は大学紛争の頃ヒットしたスコット・マッケンジーの『花のサンフランシスコ』を口ずさんだ。自分から慣れない手つきで返信したり、写真をアップしたりして楽しみが増えたと心を弾ませていた。

友達リクエストも時々舞い込んで、俊太郎はメールとはまた違う世界の広がりを感じ始めていた。


リクエストをして来た一人は外国人で、イスラーム世界の男性用の帽子(タギーヤ)を被り、ガラベイヤという衣服を纏った人物のバスト部分を写真に使っている。最初は見ず知らずの人物からのリクエストなので、躊躇っていたが、英語でのコミュニケーションには特に問題はなかったので、ついリクエストを承諾してしまった。すると、送られて来たメッセージが読まれたことを示す表示が相手に伝わり、次のメッセージがやって来た。


その人物はモハメッド・アリーナと名乗り、メッセージにはアラブ首長国連邦ファイナンシャル銀行(AFB)の副頭取というタイトルが付けてあった。中東の知り合いはこれまでいなかったので、どんな話が展開できるのかと、メッセージを読んでみた。そこにはこんなことが書いてあった。


「わたしが大口預金を担当しているアノス・クリエントスという顧客が先日インドネシアのジャワ島で水死しました。彼が亡くなったことを知ったのは、個人的に友人だったからです。ちょうど彼の大口預金の更新時期が過ぎているので、銀行から更新を督促するように指示されています。もしも彼が亡くなったことが銀行に知られてしまったら、その莫大な預金は遺産として処理されることになり、もし遺産相続人がいなければ、それを奇貨としてわたしの上司が着服する恐れがあります。そうなる前に手を打とうというお誘いです。あなたはクリエントスというファミリー・ネームをお持ちです。その名前を使って遺産相続人として名乗りを上げ、正当な手続きを経て、遺産を受け取って頂ければ、わたしと二人だけで遺産を分配することが可能です。あなたに巡り合うことが出来たのは神のお恵みであります」。


ここまで読んで、これは臭いと思うくらいの人並みの感覚は持ち合わせている。俊太郎は思った。大体、俺の苗字は「栗江」だ。水死した大金持ちの苗字は「クリエントス」だから、もしもKRIENTOSというスペルならK(U)RIEという部分は何とか一致している。さらに善意に解釈すれば、俺の名前の俊(SHUN)をTOSHIと読めば、合わせてK(U)RIE +TOSHIで「クリエトス」となり、もっと似通る。だが、そんな頼りないことでは正当な遺産相続人に認定されるはずもないことはわかりきったことだ。


しかし、コロナでオンライン系が株を上げ、代わりに存在価値を減じた印鑑は元々必要ない社会での話である。そうならば、スペルが多少違おうが、それほど大したことじゃない。大体サインなんて読めないものの方が多いくらいだろう。もう一人の自分がつぶやいている。


万が一実現して年金生活の身に大金が転がり込んだら悪くないなあと気持ちが膨らむ。遺産の金額はモハメッドによれば、2670万米ドルである。2020年5月初旬で1ドルは107円前後。ざっと28億5690万円になり、折半しても俺の取り分は14億2845万円にもなる。そんな現金を見たこともないし、手にしたことなど勿論ない。


「これはあなたと私だけのトップ・シークレットです。口外無用であります」。

向こうは盛んに「極秘」を強調する。これは絶対にフェイク・ストーリーだ。引っ掛かってたまるか! そう思う一方でもう一人の自分が誘って来る。こんな申し出は未来永劫ない。これが一生でたった一回のチャンスだ。さあ、話に乗ってみよう。


モハメッドは今後FBをやめ、連絡は個人間のメールに切り替えようと、メールアドレスを送って来た。一層極秘感が強まる気がした。


その前に友人にFBで内容をかいつまんでメッセージし、意見を求めてみた。

「怪しいけど、興味あり」と返って来た。俺だけじゃない。誰の思いも一緒だ。俊太郎は変な安堵感に浸った。


マイ・フェイスブックに電話が何度もかかっている表示が残っていた。モハメッドからだ。何でこんなに急ぐのだろう。


返信で俊太郎は次のように書いた。

「あなたの話はどうも怪しいと思える節がある。それで友人に話してどう思うか尋ねてみた。そしたらもっと詳しい話を聞かせて欲しいということだ」。


あれだけ二人だけのトップ・シークレットと強調していたのに、俊太郎が友人も興味を持ったとメッセージに書いても、約束を破ったとも何ともモハメッドは返して来ない。もう乗りかかった船だ。俊太郎は話を進めることにした。 


FBのメッセージには、「この話が真実であることを証明するために、預金証書やわたしの社員証、亡くなったクリエントスが経営していた法人の登記簿の写しを添付します」とある。そこまで言うのだから嘘はなかろう。


その後は暫く具体的なやりとりが続くことになった。俊太郎は14億円余りを手にした夢を見るようになっていた。実現する日が刻一刻近づいて来ている。


次のメール連絡にはこう書かれていた。

「手続きを進めているが、あなたに代わって遺産を代理で受け取る弁護士が必要になりました。弁護士とメルアドを紹介しますので、あなたから連絡をお取り下さい」。


俊太郎はいささか首を傾げた。弁護士を介在させるのか。われわれ二人だけの極秘事項と言っておきながら、第三者がその事情を知ることになる。そうなれば、当然その弁護士から費用プラスの金が要求されよう。それは誰が支払うのか。それも折半するのだろうか。


少々躊躇いもあったが、俊太郎は紹介を受けた弁護士にメールを送った、内容は、遺産相続人のわたしに代わって、遺産を受け取って欲しいというものだ。

暫くして、その弁護士からOKが来た。その時よほど手数料などの金額を尋ねようと思ったが、まあ大した金額じゃなかろうと高を括り、聞かなかった。

 

次のメールがモハメッドから来た。

「遺産受取の手続きを進めるため、貴殿の振込先銀行名、口座名義、口座番号など手続きに必要な情報をリスト化したので教えて欲しい」。


俊太郎は情報リストを銀行に転送して照会した。数日後、銀行から情報を確認したと連絡があり、弁護士にそれを転送した。

これで夢が実現する。あとは振り込みを待つだけだ。やっぱり話を進めて良かった。ゆっくりとコーヒーを飲み、俊太郎は二階の書斎からいつもの湖の広がる景色を見渡していた。


一点だけ疑問が残っている。一番肝心な点だ。何故俺が遺産山分けの相手に選ばれたのかということである。ファミリー・ネームが似ているだけで、合法的に莫大な遺産の山分けに預かれるものなのだろうか。一度口が開いた疑問は、だんだんと広がって行った。しかし、もうここまで来たんだ。あとは受け取るだけだ。


そう思っていた矢先に、弁護士からメールが来た。これまでにかかった弁護士費用などの請求だった。法外な、しかも前払いの請求を見て驚いた。モハメッドと二人だけなら介在しなくても良い弁護士に何故こんなに多額の必要経費を、しかも前払いで請求されるのか。


俊太郎はメールで弁護士に告げた。

「わたしはこれから遺産の振り込みを受けるので、あなたの請求している必要経費は受取預金総額からの控除にして欲しい」。

これに対して弁護士は、必要経費は前払いでお願いしたいとしつこく要求する。


これは間違いなくあの常套手段だ。俊太郎は確信した。要するに、必要経費の前払いを受け取って、とんずらしようという寸法だ。

結局そこで折り合いはつかず、おいしい話は尻すぼみとなり、何処かに消えてしまった。


俊太郎はモハメッドに対して遺産話を拒絶するメールを送った。続いてモハメッドとのFBメッセージをブロックし、FBに対して不正発見報告をした。

あのモハメッドという輩は、一体何役を演じて来たのか。銀行員も、弁護士も一人三役なのか。あるいは三人のグループなのか。


アラブ首長国連邦ファイナンシャル銀行(AFB)のホームページを見ると、経営陣の中にモハメッドの写真が確かに副頭取として、他の役員とともに掲げられている。

モハメッドを騙る人物はその副頭取になりすましている。副頭取は自分の写真が詐欺に使われていることなど全くご存じなかろう。   


モハメッドはどんな弾みか、ターゲットを俊太郎に絞り、ありもしない遺産話をでっち上げ、国際詐欺を仕組んで前払いの必要経費を詐取する腹積もりだったのだ。


俊太郎はFBを退会することはせず、その後フェイスブックの運用に一層注意深くなった。いや、そのつもりだった。


FBの画面を開くと、画像が送られて来ていた。親しい友人の写真がある。何を送ってくれたんだろうと開けようとしたら、直ぐにその友人からメッセージが入った。「わたしは何も送っていないから、画像は絶対開けないで! わたし今その画像を開いてしまって、えらい目に遭っています。ああぁ!」。


また、なりすましか! 俊太郎は、なおもFBに留まるかどうか、心が揺れている。


                                  了

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