そろそろしてもいい頃

柴田 恭太朗

酔っぱらった友が語るホッパフの真実

「ソレ。キミがムネだと思っているソレ、シリだからー」

 テーブルをはさんで向かいに座った木原きはらが、ソレソレ言いながら割りばしの先っぽでオレの顔を指し示す。


 夜もとっぷりと暮れた狭い居酒屋でのこと。差し向かいに座っているのは同僚の木原。シラフのときは気のいい男なんだが、酔うとちょっとシツコイ。いまもムネとかシリとか言いだしているけどそれは焼き鳥の部位のことではない。今日はどうやら女性の美について語りたいらしいのだ。木原を分類するならまぎれもなく変人側の集合の輪にスッポリとハマって抜けなくなるようなヤツである。しかし変人なだけあって、ときたま面白いことを言ったりする。だからオレはちょっぴり期待しつつヤツの演説を傾聴することにした。


「ボクがねー、指摘したいのはねー、ソレはオシリだってことだァ」

「わかった。わかったから大声だすな、ツバ飛ばすな、箸で人を指すな」

「キミはねー、勘違いしてるんだよォ」

 いつもにまして今日の木原はアツい。チューハイジョッキを軽く二杯空にして、真っ赤な顔でオレをねめつけ、オタク……いや繊細なインドア派らしい甲高いハスキーボイスで持論をまくしたててくる。ふだんは温厚な木原にも触れてはいけない逆鱗センシティブゾーンがあったのか。オレはヤツの気迫に押されつつジョッキに口をつける。


 どうしてこんな事態になってしまったかというと、原因は女性の体を構成するパーツにある。あの女性をフェミニンたらしめている、ボディに決然と二つならんだ独立峰どくりつほう、たおやかなるフタコブ山脈のことだ。木原はそれを尻だと言い張って譲らない。


 話が唐突すぎるって? うん、確かにそうかもしれない。それでは少し時間を戻して事情を説明しよう。


 オレたちの酒が進むうち、話題が最近流行りのAI絵のことになった。「嘆かわしいことに……」とかなんとか言いながらオレはカバンの中からタブレットを取りだして、木原にネットの画面を見せた。有名な画像投稿サイトの画面だ。


「見ろよコレ。AIが描いた絵なんだぜ」

 タブレットのツヤツヤ光る液晶画面には、これまたツヤツヤとピンクになまめく肌色成分あふれる女体の画像がバァンと映しだされている。たまたまオレたちのテーブルを通りかかった女店員ホールスタッフがチラッと横目に見て、あわてて目をそらすと足早に去って行った。


 うん、この際だハッキリ言ってしまおう。画面に表示されているのはアニメ調の女性の裸体画である。申しわけ程度の布地はまとっているが、恥も外聞もなくドーンと突き出したホッパフがすべての衣装による隠蔽努力を水の泡に帰している。想像してみたまえ、薄いサテンの衣装は丸みをおびた柔肌の重みに耐えかね、ちょんと指でつついただけで生地がパァンとはじけてこぼれ落ちそうだ。まろびずるはむろん絵の主たるモチーフであるところのホッパフ。まぎれもなくホッパフ。もう一度言おう、巨大なホッパフそのものである。古来、それはよく果物にたとえられてきた。スイカに比してスイカップなどいう愛称を良くぞ考え出したものよ素晴らしきかな人類の英知と感心するような出来事もあったけれど、それはみな過去のハナシだ。このAI絵に描かれたビッグサイズともなると、もはやそれを表現できるフルーツは地球上のどこにも存在しない。


 近くにホールスタッフの姿がなくなったのを確認したオレは話題を戻し、タブレットの画面を指さした。

「コレってさ、でかすぎない? 異常だと思わない?」

「肩こりそうだァ」

「肩? ああ確かに肩もこるかも知れないが、オレが言いたいのはそういうことじゃなくて。尋常ならざるサイズだって思わない? それにな……」

 オレは画面をスワイプして、画像につけられたタグを拡大してみせる。

「画像サイトを見て回ると、この『巨パフ』ってタグがメチャクチャ多いんだよ」

「巨パフゥ?」

「巨大なホッパフってことだろ。ほれ幼児語でお母さんの胸のことをホッパフって言うじゃん」

「言わないと思うー、あれはオッp……」

 あせったオレは椅子をガタンと鳴らして立ち上がり、テーブル越しにのばした右手で木原の口をふさいだ。伸びかけたヤツのヒゲがジョリジョリと手のひらに当たって気持ち悪かったが危険なワードを口走くちばしられるよりはずっといい。

「ヤメロ、それ以上はヤメロ。フェミに目をつけられる」

「フェミってなんなん?」

 オレは聞こえないフリをした。酔った木原に説明するのが面倒くさいからだ。代わりに問いただすことにした。


「木原の説を聞かせてよ。どうしてホッパフを尻だと思うんだ?」

「聞きたいィ?」

 ニヤァと満面に笑みを浮かべる木原。彼は笑うと水族館にいる笑顔のアシカにそっくりだ。

「聞かせてよぜひ」、前のめりになるオレ。

「キミはねー、勘違いしてるんだよォ、コレどう見たってお尻だろォ」

 彼は指でAI絵の上にクルリと輪を描いた。ちょうどホッパフ渓谷の上空あたりだ。

「んー、オレにはホッパフにしか見えない」

「じゃあこうしたらどうかなァ」

 木原はオレの手からタブレットを取ってテーブルに置いた。そして渓谷の谷間だけを残し、それ以外の部分を指を広げた両手で覆い隠した。すると肌色の谷間を攻めてと盛りあがる丸い双丘が別のものに見えてきた。これはどこからどう見ても……

「お尻だ」

「ボクの言うとおりでしょォ」、ニカッとアシカ笑いする木原。「ムネはオシリなんだよォ」


「なんだ、そんなことか」

 木原のドヤ顔を見ながらオレはちょっと覚めた。目新しい発見ではないからだ。

「えー、ビックリしないのォ?」

「その話はオレも知ってるよ。樹上の猿人が木から降りて直立したとき、男性は女性のお尻が目に入らなくなった。ヤバい、これではピテカントロプス・エレクトスがエレクトしないではないか、このままでは名前負けする。立つ瀬がない。羊頭狗肉、看板に偽りありのそしりを受けてしまうぞと直立猿人はあせった。彼らのプライドに傷がついてしまうことはハンカチを噛みしめ涙をこらえてどうにかこうにか耐えるとしても、息子が直立猿人しないことには息子も娘も生まれないから子孫繁栄が望めない。すわ、これってオレらの『種』存亡の危機じゃねって考えたんだろうな。そこで女性ピテカントロプスは男性ピテカンたちの注意をひくために、ホッパフを豊満なお尻のようにパフンと膨らませることに成功してさらに種の維持に成功したってアレだろ? 成功に成功を重ねて成功に導くってヤツだ。ああこの話、フェミ的に大丈夫だよな。文句があるなら自分の遠い祖先である直立猿人のところへどうぞ、ホモサピエンスとしての進化の歴史に抗議してくださいっつー話だから。そこよろしく」

 一気にしゃべりまくったオレは酸欠になって頭がクラクラした。


「半分だけ合ってるけどォ」

「半分?」、木原の言葉にまた目まいがして、おしぼりで顔をゴシゴシとぬぐう。

「それじゃ絵のタグが巨パフばかりになる理由にならないだろォ」

「うーん、男性はエロワードで簡単に釣られてしまう悲しい生きものだからな」

 オレは手をあげ、ホールスタッフに新しいおしぼりをお願いした。目がしょぼついてたまらんからだ。

「違うなー、人類が危機を感じ取っているんだよー、種が滅びる前に子孫を一人でも多く残そうってねー。そのためにムーブメントが起こってるんだァ」

「人類が滅びる?」

 変人木原の言動に面くらったオレはオウム返しをした。

「滅亡だぞー、人類存亡の危機だァ」

「木原、お前おおげさじゃないの? そりゃここんとこ地球規模の伝染病とか大国が引き起こした戦争とかイヤな事件が連続しているけど」

「わからないかなー、事態はもっと深刻なんだー」

 オレの動揺を確認するように、アシカ笑いを浮かべた木原はジョッキのチューハイを一口あおった。


「どういうことよ、説明してくれないか」

「地球が進化を始めたからなー」

 とうとう木原はうさんくさい予言者みたいなこと言い始めた。それにヤツの瞳全体が真っ黒になっている。瞳孔が開いたとかそんなレベルではない。白目が完全になくなっているのだ。木原は黒いアンコ玉のような眼をオレに向け、滔々とうとうと語りはじめた。


「巨パフ絵をバラまいているのは地球の進化に対する人類の防御反応なんだなァ。でもそんなもんでエロムーブ起こそうとしてもムダムダ、焼け石に水だぞォ。新型コロナで出会いがなくなった若者たちはずっと未婚のままだからなー、子孫を残さなくなるぞー。それにロシアが起こしている侵略戦争も地球の進化のためだァ。戦争のあおりを食って、エネルギー不足となった国が次々と火力発電を再開しているだろー。アレは地味だけど地球温暖化に効くぞー。そして北極南極の氷がミシミシいいながら解けていってザバザバ海面上昇していくー、地上の生きものは生活拠点を失って滅亡していくんだ。愉快だなァ」


「……」

 オレは黙り込んだ。どう見ても木原がまともではないからだ。言っていることがおかしいのではない、ヤツの外見が人間ではなくなっていたからだ。いまの木原は黒く濡れてモフモフした毛が顔と言わず頭と言わずすべてを覆いつくしている。つぶらな瞳はツヤツヤの黒いビー玉。見た目をたとえて言うなら……いやたとえなくともすでに彼は海に棲息する海獣、アシカそのものになっていた。


「驚いたかー」

 アシカ姿の木原は、木原の口調で木原の甲高いハスキー声のまま言った。アシカが人間の言葉を話すのだろうか。きっと話すんだろうな。元は変人の木原だったのだから、変なのが当たり前で問題ない。オレは素直に納得した。

「木原? お前何言っちゃってんの? それにどうしたん? いきなりアシカなんかになって」

「失礼なヤツだなー、それを言うならアシカじゃなくてオットセイだろゥ」

「……」

 オレはアシカとオットセイの区別がつかなかったので顔を赤らめて押し黙った。

「それにねー、ボクにはオットセイじゃなくてオッパセイ人というちゃんとしした呼び名があるから、そこんとこよろしくゥ」

「オッパ星人? 宇宙人か」

 オッパってたしか韓国語かなんかで女性が年上の男性に向かって使う呼び方だったよな。ということは韓国からやって来た宇宙人ってことかなソウルフードはキムチかななどとワケのわからない思考が酔ったオレの頭の中を駆けめぐる。すべてはアルコールのせいと思いたい。


「チッチッチ。オットセイより高等なオッパセイ人だァ……」

 『星人』と『セイ人』の違いを文脈から読み取ったのか、木原は誇らしげに訂正した。

「キミらホモサピエンスが直立猿人の時代から長い時間をかけて尻を胸に移動したようにィ。地球は気が遠くなるほど長い時間をかけて表面を海水で満たしたんだァ」

「何のために? 人が住む土地が減ってしまうじゃないか」

「そりゃもちろん地球という星の意志だァ。太古の昔、地球の主だったボクら海洋生物に主権を戻そうってことだろォ」

「そんなひどい」

「ひどいことなんかあるものかー、ボクらはたっぷり五億年も待ったんだー、そろそろ侵略してもいい頃。そうだろォ?」


「ちょ、ちょっと待って。人類とオッパセイ人が共存する道はないの?」

「あります」

 木原の答えは早かった。まるでオレがそう質問することを待っていたかのように素早くも毅然とした明答であった。


「それはいったい、どのようにしたら……」

 オレはおずおずと尋ねた。

「ボクと契りを結んでオッパセイ人の眷属になればいいのですゥ」

 木原は恥ずかしそうにうつむいた。

「えっと、それはつまりそのBLってこと?」

「わかりませんかー、ボクは女性のオッパセイ人ですよ」

 なんと木原は『ボク女』だったのか。アシカとオットセイの区別すらつかないオレにオッパセイ人の男性女性を見わけるすべはなかった。


 それになによりだ。どうしたわけか、オッパセイ人の木原がたまらないほど魅力的に見えてきているのだ。

「木原、さっきから頭がクラクラするんだけど何か妙なガスを吸わせてないか」

「てへ、バレちゃったー。でもボクのこと好きになったでしょー?」

 とかなんとか平成ギャルのように語尾あがりで言いながら長いヒレで自分の頭をコツンとたたく木原がとても可愛い♡

 たまらん。今夜はオレ史上もっとも長くアツい夜となりそうだ。


 偏見と先入観を捨て海洋生物かれらと交雑すれば、これまでとは異なる系統樹をたどる進化が訪れるだろう。そのとき人類に新しい道が開けるに違いない。


 人類は、そろそろ進化してもいい頃。

 そう思わないか?

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そろそろしてもいい頃 柴田 恭太朗 @sofia_2020

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