第3話

「コポコポコポッ」


ケトルから聞こえる音を聞きながら沸騰サインが消えるのを待たずに俺は、ドリップコーヒーをセットしたマグカップへお湯を注いだ。


立ち昇るコーヒーの香りはそれまで無機質だった空間を徐々に飲み込み、机に広がったモノクロ写真たちがまるで、映写機に映し出されたサイレント映画のようにノスタルジックな世界へと変貌させ、俺を錯覚させた。


時刻は午後3時。


今までの雨音を掻き消すように外から話し声が聞こえてくる。


時折聞こえると妙にテンションの高い声。


ドアが開く前に誰が来たのかわかってしまう自分の耳の良さに感心してしまう。


「あっ、お疲れっす」


「おぅ、春海!来てたんだ」


「はい、午後の講義取ってなかったんで構内展示用の写真選ぼうと思って」


経済学部3年の高橋先輩と林先輩だ。


「そーなんだ、お前熱心だなぁ」


特に興味もない俺に愛想程度の会話を振るのは後ろにいる2人に先輩らしい振る舞いを見せるためだろうか。


傘に隠れて顔はよく見えないが、薄いピンク地にあしらわれた白の水玉模様を見ればそれが女であることは一目瞭然だった。


「はじめまして」


ドア先で傘を閉じ、少し緊張したようにモジモジと挨拶する女は、少し背が低く肩まである栗色の毛がフワフワと柔らかそうに揺れながら頬に貼り付いた。


頬に付いた毛を指でそっと耳にかけ恥ずかしそうに微笑むとすっと俺を通り過ぎ、先輩に促されるまま部屋の中へと進んでいった。


俺は何となくその光景の続きが気になりそのまま暫く彼女の背中を追い続けていたが、ふと何かに見られているような視線に気付き振り返った。


視線の先には見覚えのある顔が無表情にこちらをじっと見つめている。


俺は驚きの余り思わず声を出してしまった。


「あっ、」


「はい?」


無表情な女は不審に思ったのか少し怪訝な表情を浮かべると俺の目を真っ直ぐ見つめていた。


" 彼女さくらぎはるか" だ。


先ほどまで食堂で注目を独り占めしていた彼女が何故ここにいるんだ?


まるで鳩が豆鉄砲を喰らったかのような間抜けな顔をする俺を傍目に不審そうな表情を浮かべながら軽く会釈すると彼女もまた先輩に背中を押されながら中へと進んでいった。


唖然と眺める俺をよそに、先輩は彼女らをさも丁寧にもてなすようにパイプ椅子を引き出して着席を促し、両脇を陣取ると飲み物やらスナック菓子を薦めはじめた。


それまでこの空間を情緒的なものへと変じていた写真たちは、無造作に隅へと追いやられ、肩身を狭くさせながら主人を待っているようだった。


ここはホストクラブか?


この既視感のある感じ、、


食堂の悪夢の再来だ。


俺は隅へと追いやられた写真の束を回収しバックパックへ押し込むと急いで外へ出た。


案の定、帰り支度をしても誰も気付きもせず、引き留める人もいない。


おそらく俺はあの場の余分因子だったんだろう。


扉の外で溜息を吐き出す俺の頭上に傘の影が見えた。


キヨだ。



「あれ?帰んの?」


「おぅ、バイトあるし」


「そっか、じゃあ俺はちょっとだけサークル顔出しとくわ」


「えっ、あー、うん。おつかれ。」


「おう!」



そう言うとキヨは扉の奥へと入って行ってしまった。


いや、今はやめておいた方が良い、そう言いかけたが、何故か止める気になれなくて何も知らずに部屋へ入るキヨを無言で見送った。


キヨは地獄のようなあの光景を目の当たりにしてどのように過ごすのだろうか。


俺はキヨの心が折れない事を祈りながら小道を足早にバイトへ向かった。

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あの日、僕は春風のような君に恋をした 辻 粋蘭 @Tsuji-Suiran

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