大帝の深謀

安江俊明

第1話

これまで不倶戴天の敵とされた人間界と三億年の歴史を誇るゴキブリ界は事ある毎に小競り合いを繰り返して来た。ところが、両界が存在する地球を乗っ取ろうとする正体不明の異星人が現れ、両界は地球を防衛するため、争いを一旦中止し、共同戦線を張ることになった。

両界の大きな分岐点はエジプトのピラミッド建設の時代に遡る。太陽神は火星人を地球に送り込み、ピラミッドの建設を手助けした。エジプトの首都・カイロは古代アラビア語でカヒーラと呼ばれ、意味は火星。すなわち星座の運行に示される数学理論を基に、古代の人間はエジプト王ファラオの墓を建造した。

その建造技術は太陽神から人間に贈られたもので、実は太陽を崇拝するゴキブリ界も同じ技術で帝国に歴代国王の墓を建造していた。その時点で両界の技術レベルは同等だったのだが、人間はピラミッド建設で慢心してしまい、折角の技術力はその後低下の一途となる。

ゴキブリはピラミッド建造で得た技術を様々な分野で応用し、ゴキブリの人間化を実現して人間界にスパイを送り込み、人間の製造する殺虫剤のデータを盗んで殺虫剤を無力化するワクチンを製造し、張り巡らされた配送システムで全世界のゴキブリにワクチンを届けるという超技術を完成させている。帝国の戦力は人間の戦力をも凌ぐほどで、人間も地球防衛ではゴキブリと共同戦線を張らずにはいられなかったのだ。

人間に変身したスパイゴキブリのブリ蔵はニューヨーク在住で、ゴーキー大帝から人間界との交渉全権大使として、地球防衛軍に参加していた。ブリ蔵が得た情報では敵対する異星人の仕業で一個の小惑星がボーリング・ボールのように投げられて、まるで地球上に並んだピンを投げ倒すべく超スピードで地球に向かっているという。

火星と木星の間で公転する小惑星は今までに三千個ほどが確認されているが、小惑星と言っても、そのサイズは直径が数百キロというのも決して珍しくない。そんな途轍もない規模のものでなくても、激突すれば、地球に大きな衝撃を与えてしまう。投げられた小惑星は言わばターゲットの地球を動揺させるための小手調べなのだ。

 あれだけ栄えた恐竜が突然滅びたのは地球と激突した小惑星の仕業という説もあるアメリカ・アリゾナ州には、過去に地球に衝突した小惑星による直径数キロの穴がぱっくりと開いている。

隣のニューメキシコ州もそうだが、南西部の州は異星人が発見されたり、その地下基地があって異星人がマインド・コントロールの実験をしたりしているなどという噂が絶えない地域だ。小惑星の衝突が多いのも、何かこの地域に宇宙を引き込む巨大な磁場のようなものがあるのかも知れない。

 時あたかも、異星人の投げた小惑星は地球と衝突する恐れの高い軌道を進んでいた。進路予想でも、もう間もなくアメリカ南西部の砂漠あたりで地球に激突すると見られる辺りまで到達していた。

 異星人、実はこの小惑星に超大型爆弾を仕掛けていた。まるでミサイルの弾頭に核爆弾を積み込んでミサイルもろとも爆破させ、被害を膨大にしようというような悪だくみである。超大型爆弾は果たして核爆弾なのかどうかの解析が超透視技術を駆使して行われ、通常兵器であり核ではないことが判明した。

 地球防衛軍は何とか爆弾を搭載した小惑星の軌道を変えるための算段をしていたが、妙案が浮かばないまま、小惑星はアメリカ南西部の砂漠で地球に激突した。

GRRRRRRRRR! BOOOM! BOOOM!

同時に超大型爆弾がさく裂し、砂漠地帯が吹っ飛んだ。

ZZZZZZZZZBOOOOOOOOOOOM!!

地球防衛軍はこの最初の直接攻撃を受けて、ブリ蔵も参加する最高幹部会でこれまでの待ちの姿勢を見直し、攻勢に出る方針を決めた。ブリ蔵はゴーキー大帝に許可をもらっていたゴキブリ帝国軍の精鋭部隊を出動させることを提案し、了承を得た。

 精鋭部隊は超技術で開発された最新鋭の宇宙戦闘機・SSV(スーパー・スペース・ヴィークル)の五機編成で、異星人部隊に立ち向かうことになった。

 SSV編隊は太平洋の帝国基地から宇宙に向けて飛び立っていった。

 一週間後、SSV編隊は敵の宇宙戦闘機数機と遭遇し、戦闘が繰り広げられた。SSVはミサイル連続発射装置で敵機を圧倒、少なくとも七機を撃墜し、捕虜数人を捕らえた。

 異星人の正体を知るため、捕虜は至急ニューヨークの帝国ホスピタルに護送され、解剖が行われた。執刀に当たったのは、ブリ蔵の人間化オペを担当した同期の超技術医・ブーリーだった。

 ホスピタルには、これまで帝国が遭遇した全ての異星人の特徴などを示す資料が本部から届けられ、特定が行われた。

 その結果、異星人は火星と木星の間を公転している小惑星群の中にあるアステロイド・コンスタンティンに基地を持ち、古代に太陽神から超技術の提供を受けていたコンスタンティン星人と判明した。

 資料によれば、この星人は超技術をその軍事力増強に振り向けて来た過激な星人である。これまでは表面的におとなしく装っていたが、最近新しい好戦的な指導者が就任したことから、その隠された危険な正体を現して来たという。

 これらの情報は直ちに地球防衛軍本部に伝えられ、ゴキブリ帝国の評価をさらに高めることとなった。

 SSVは宇宙空間で一旦休憩し、永久燃料サイクルを補充したあと、さらに敵陣営に接近を試みた。

 これに対し、コンスタンティン星人はさらに攻撃力を高めた宇宙戦闘機を投入し、ミサイルを撃ち込んで来た。SSVは迎撃ミサイルで対抗し、ミサイル連続発射装置を再び使用し、敵機を破壊した。


 互いの攻撃は止まず、宇宙大戦争は一進一退が続き膠着状態に陥っていた。

戦況を見守っていたら、人間化ゴキブリのスパイ・ゴキマーズが飛んで来た。太陽神の宮殿から火星を通じて、対コンスタンティン星人戦略検討の打診に対する返信が届いたという知らせだった。

ブリ蔵は先住民古代ナバホ語と火星語の翻訳をさらにゴキブリ語に翻訳した太陽神からのメッセージを読んだ。

『ゴキブリ帝国・ブリ蔵同志どの

 余は面会の件についての汝の趣旨を理解し、太陽暦○月○日○時に汝と火星の中継所を通じて音声のみの会見を受諾するものである。太陽神より』

さすが神だ。お姿は現さないということだな。

俺は太陽神に心の中で感謝し、ゴキマーズにOKの返信を送ってもらった。

早急にゴーキー大帝にテレビ会議室の画面で面会し、太陽神との会見がOKとなったが、大帝から何か太陽神にメッセージはあるかどうか尋ねた。

「メッセージは親書に致すので、火星を通じて必ず会見前に太陽神に届けておいて欲しい」とのお言葉であった。

「承知しました」

「くれぐれも失礼の無いようにな」

「ご心配には及びません。率直に話し、失礼のないように致します」

 ブリ蔵は人間になってから大帝と向き合うのが段々と不快になっていた。ゴキブリの顔や発達した顎、黒光りする肢体を気味悪く感じ始めていたのだ。それだけブリ蔵自身が人間に染まって来ているせいなのだろう。人間どもからすれば、我々ゴキブリの姿形は、恐ろしく気味悪い存在に見えるのかも知れない。ひっくり返せば、ゴキブリから見た人間の姿も恐ろしく醜いのだ。

大帝の恐ろしい顔のショックを少しでも和らげるように、俺は透明で大帝には見えないサングラスをかけていた。

「ブリ蔵。お前の目元が何だか少し暗いような気がするが目の錯覚なのか」

 一瞬気付かれたかと思ったが、それ以上の問い質しはなかったので安心し、大帝が画面から消えるのを今かと待った。


太陽神との戦略会議が済み、俺はニューヨークの地球防衛軍本部と帝国に太陽神との会見結果を報告した。

それからしばらく事態の進展はなかった。

 しかし、事態の急変はあっという間に訪れる。地球防衛軍総司令部の宇宙モニターがコンスタンティン星人の母船軍団が超高速で地球に接近しているのを確認したのだ。

 母船からは無数の戦闘機が飛び立っている。超透視技術で分析した結果、母船のミサイル発射装置に据えられたミサイルの弾頭には核兵器が搭載され、星人の動きが慌ただしく、発射準備が行われている模様だ。あいつらはいつの間にか核開発に成功していたんだ。

 総司令部はかつてない緊張状態に置かれた。

 突然一基のミサイルが地球に向けて発射された。地球防衛軍の迎撃ミサイルが標的めがけて発射されようとした時、敵のミサイル弾頭の先端からコンスタンティン星人の旗がひょっこり顔を出し、ジュラルミン・ボックスのように輝く物体が投げ落とされたのが確認された。

あれは攻撃じゃない! だったら何だ? 

その物体は危なげなく大気圏を突入し、ロシアの草原地帯で地球防衛軍により回収された。

 物体の中には文書が保管されていた。びっしりと文字らしいもので何かが書かれている。

 地球防衛軍の翻訳部門が直ちに招集され、コンスタンティン語であることがわかったが、専門の翻訳官がおらず、急遽ゴキブリ帝国の火星語に通じたゴキマーズが呼び出された。ゴキマーズの招聘は地球防衛軍の形式上の代表になっているアメリカ大統領からゴキブリ帝国に対する公式要請という形をとっていた。

コンスタンティン語は火星語から派生した言語で、ゴキマーズなら解読可能だというのが大方の見方だったから、依頼が来るのもわからないことはない。

 しかし、言語的に言えば、スウェーデン語がわかる人間が隣同士の言語であるノルウェー語を完全には読みこなせないような微妙なズレがあるものである。

 事は急を要する。そんなことは言っておられない。とにかく書かれている内容を大雑把にでも掴むことがこの際どうしても必要だ。

何故相手が確実に理解できる言語で文書を送ってこないのかと異星人に苛立つ地球防衛軍の幹部をよそに、ゴキマーズが必死で解読したことによれば、それは一種の降伏勧告文書だった。

『二日後のアメリカ東部時間午後八時までに無条件降伏せよ。もし無条件降伏の意志が示されないときには地球を総攻撃し破壊する』

 長々と文字が連ねてある割には、要点はこれだけだった。要するに最後通牒だ。

コンスタンティン語が解読出来なければ、何も伝わらないまま地球は総攻撃を受けて吹っ飛んだかもしれない。それはそれでもかまわないという異星人の冷酷ささえ感じる。

 ゴキマーズはもし翻訳上の読み違いなどがあって地球に損害を出した場合には、責任をとりますという一筆を強要された。

「ゴキブリ帝国に公式にお願いしておきながら、途端に上から目線を持ち出して来る人間という奴は本当に身勝手な連中だ」

 ブリ蔵は腹立たしさを口にしたが、クレームをつけるのはとりあえず事態が収まってからのことである。

 地球防衛軍総司令部はこの異星人の要求にどう対処するか幹部会を開催した。

「異星人の母船団と無数の戦闘機の動きをモニターしていると、ただの脅しではない」

「そうかと言って、このまま無条件降伏というのは絶対あり得ない」

「そうだ。戦力的にはゴキブリ帝国の援軍のお陰で、五分五分だ。われわれとしてはその前にこちらから先制攻撃を仕掛けよう」

「だが、やつらはすでに多数の核を持っている。戦争になったら地球に壊滅的な被害が想定される。慎重な行動が必要だぞ」

「しかし、あと二日しかない」

 会議は踊るだけである。ただ、ブリ蔵は帝国の方の幹部会に出席していたので、この幹部会に欠席していた。それをいいことに、ゴキブリ側の対応に批判が噴出した。

「先日ゴキブリ帝国の守護神だという太陽神にブリ蔵帝国総指揮官が会見し、打開策を探ったようだが、そちらの方は一体どうなってるんだ。一向に動きがない」

「大体、太陽は存在するが、本当に太陽神なるものが存在するのか腑に落ちない。だからブリ蔵総指揮官から詳細な報告がなかったのは、会見自体が極秘で行われたということからしても、どうも中身が信用出来ない。何か重大なことを我々から隠してるんじゃないのか」

「やっぱりゴキブリなんて信用できない!」

「いや、それを言ったらおしまいだぞ」

 会議の様子をゴキマーズが会議室のテーブルの下で全部聞き、ブリ蔵に報告した。ブリ蔵は眉をひそめて言った。

「人間どもは相も変わらず我々を下に見ているのがよくわかる。地球防衛軍に援軍が欲しいだけで頼って来たが、もしも共通の敵がなくなれば、また睨み合うことになるかもね」

 ゴキマーズが首を傾げた。

「それにしてもお天道様が言ったという決着というのはどういう意味なのかな。何も起こらないまま時が過ぎて行っているような気がする。本当にお天道様は何とかしてくれるんだろうか。守護神なのに……」

 ブリ蔵にしても、太陽神の戦略を信頼した以上、地球の危機を確実に取り除いてくれると思ってはいるが、あと猶予は二日しかない今、不安は増す一方だった。

 いずれにしても、太陽神の力を借りることが出来ない場合に備えて、わが帝国軍の攻撃および反撃の準備をし、地球防衛軍とすり合わせておかなくてはならない。

 ブリ蔵は太陽神の動きを探るため、ゴキマーズと一緒に火星に連絡を入れてみた。

 火星からの情報によると、太陽神宮殿に取材したところ、太陽神は最近火星を通じて先住民・ナバホ創世神話の装飾本をニューヨークのブックストアから取り寄せられ、宮殿の執務室に籠って熱心に読まれているという。宮殿の執事に頼んで、太陽神が書斎を離れられた時こっそりデスクに置かれた創世神話の装飾本の様子を見てみると、太陽が女神を孕ませたという部分にずっと赤線が引かれてあるという。

デスクには太陽系の言語なら全て一瞬のうちに翻訳してしまう超自動翻訳タブレットが置かれていた。太陽神はそれを使い、密かに先住民ナバホの創世神話を読んでいるらしい。一体何のためなのか。タブレットの近くにはゴーキー大帝の親書が置かれていたという。

ゴーキー大帝に地球の危機を報告するついでに、太陽神に手渡した親書の内容について尋ねたら大帝からこんな答えが返って来た。

「ナバホ創世神話には太陽が岩の上で眠れる女神のお腹を照らして二人の子供を孕ませたという話が載っている。もしも奥方に知れたなら不倫騒ぎになるのではないかと大そう気にしておられた。それが頭をもたげているので地球の危機をすっかり忘れているに違いない。今聞けば、地球滅亡まであと二日しかないとか。大事の前の小事。吾輩から不倫云々は地球を救ってから善処するのでと伝え、至急火星経由で太陽宮殿に連絡を入れてみよう」

 ゴーキー大帝の連絡を受けて太陽神から直ぐに返事が来た。事態がそんなに差し迫って来ていたとはつゆ知らず、申し訳ないと記され、不倫の件はひとまず置くが、創世神話の内容を触ると「公文書改ざん」の恐れがあるのでいじらないままにするつもりだと書かれてあった。

 何処かの政府が公文書を自分らの都合のいいように改ざんし、国政を危うくしたことに比べ、太陽神は流石に正義を貫く意志をお持ちだとブリ蔵は感心した。

二日という期限が迫り、地球防衛軍は急接近するコンスタンティン星人の母船団をモニターで監視しながら、蜂の巣をつついたような騒ぎになっていた。

 ゴキブリ軍とアメリカの最新戦闘機が共同作戦で母船団に対する威嚇行動を繰り返し、地上では核兵器攻撃に備え、反核迎撃ミサイルが世界中の拠点に配備された。海上ではそれに呼応する格好で、イージス艦が配置に着いた。コンスタンティン軍と地球防衛軍の睨み合いは極限に達していた。

 刻一刻と運命の時が近づく。全世界の映像・音声メディアが全日生中継で地球の危機を伝え、夥しい数の核シェルターが販売されていた。地球上の人間のみならず、生物は運命の日を如何に迎えるかで不安な時間を過ごしていた。

 運命の時間があと二時間余りとなった時だった。

 コンスタンティン星人の住む小惑星アステロイド・コンスタンティンが突然地球防衛軍本部のモニターから消えた。地球に向かっていた母船軍団も同時にモニターから姿を消した。

 それを知って全世界が固唾をのんだ時、ゴキブリ帝国ブリ蔵宛てに火星を通じて太陽神からのメッセージが寄せられた。

『コンスタンティン星人は宇宙の平和を乱したことで、太陽系宇宙憲法違反に問われ告発されたため、太陽神の有する最高の超技術のひとつである瞬間爆裂スーパーマジック弾により死刑に処せられた。なお宇宙の平和を守る三種の神器のうち、これまでコンスタンティン星人が持っていた剣は火星人が引き継ぐこととした。火星は地球とも兄弟の星であり、剣を象徴する超技術の引継先として最もふさわしいと判断したためである。新しく三種の神器を担う人間・ゴキブリ・火星人は三位一体となって今後宇宙平和のため互いに密接に協力し合うことを誓われたし』

 ゴキブリ帝国から連絡を受けた地球防衛軍本部は喝采の渦に巻き込まれた。

 そのビッグニュースは直ちに全世界を駆け巡り、歓喜の渦が地球を覆った。

 

翌日、ブリ蔵は帝国ホスピタルのテレビ会議室でゴーキー大帝と面会することになった。

 またあの醜いご尊顔を拝まなくてはならないのか。彼の心は沈む。約束の時間前にゴキマーズと一緒に重い脚を会議室に運んだ。驚いたことに画面には帝国の関係者が全員顔を揃えていた。 

ブリ蔵が姿を見せると、割れんばかりの拍手が会議室を揺らした。

モニター画面にはまだ大帝の姿はない。ブリ蔵はおもむろにポケットから相手には見えない透明サングラスをかけた。これであの醜い大帝の顔は見ずに済む。時間が来たが、大帝は現れない。一体どうしたのか。

 突然ファンファーレが会議室に響いた。さあ来い! 俺は身構えた。

画面が明るくなり、俺はあっと驚いて思わず透明サングラスをはずした。

ネクタイ・スーツ姿のヨーロッパの男優のようなイケメンが画面中央に登場した。

一体これは?

「お疲れじゃった、ブリ蔵」

 イケメンから発せられた声は紛れもない大帝の声だ。しかし、あの醜い姿がない。えっ、ひょっとしてあのイケメンが?

「そんなにわしは男前かな? わしじゃよ、大帝じゃよ」

「えっ、どういうこと?」

「お前のマネをしてみたくなってな。わしは医者のブーリー君に帝国本部に出張してもらい、人間化の手術を受けたのじゃ」

 ブリ蔵は唖然としたまま、動けなかった。

「どうじゃ、このスーツもよく似合うじゃろ? 今ヨーロッパの人間社会で最も流行しているスーツじゃ」

 大帝は黒光りするスーツを着たまま、モデルのように一周回って見せた。会場からまた割れんばかりの拍手が起こった。

「またどうしてですか?」俺はやっと尋ねた。

「今度のコンスタンティン星人の件で、つくづくこの世は何が起こるか知れないと思いを強くしたんじゃ。そして書斎に籠りじっくり考えてみた。こんな時代を越えて、ゴキブリ三億年の伝統と歴史を次の世代に渡していくのは並大抵のことじゃない。そんな時代にお前やゴキマーズのように人間界に入り込み、人間の女性と結婚してハイブリッドの子供を少しずつ増やしていくことも、長い目で見れば、このゴキブリ帝国が生き延びるために必要なことだと思うに至ったのじゃ。じゃから、わし自ら率先して人間になってみようと考えた。わしも太陽神さまに見習ってこのダンディな顔と姿で不倫のひとつもしてやろうと思う」

 間髪を入れずモニターから女性の大声がこだました。

「あなた! 聞いたわよ! 不倫をされるおつもりですか!」

 画面の背後から突然皇后さまが現れ、大帝を睨みつけていた。

「おいおい、冗談に決まっているじゃろ!」

「いや、今のは冗談に聞こえません。許してあげる代わりに、わたしにも人間手術を受けさせて下さいね。美人女優に変身したいの。いいわね?」

皇后さまが詰め寄った。大帝は汗だくになり、ハンカチで顔を拭っていた。

「太陽神にしても、ゴーキー大帝にしても奥方には頭が上がらないのだな」

ブリ蔵はゴキマーズと顔を見合わせて笑った。


翌日、ゴキマーズの人間妻・華子が男の赤ん坊を産んだ。ブリ蔵は妻子を連れて産院を訪れた。

 部屋ではちょうど華子がベイビーに乳を飲ませていた。

「まあ可愛い! あとでわたしにも抱かせてくださいね」

 ブリ蔵の妻の言葉に華子が微笑んだ。

 これからもこんな風に人間とゴキブリのハイブリッド・ベイビーが増えてゆくだろう。大帝自らが、帝国の長い将来を見据えて、あれほど忌み嫌っていた人間の姿になり、人間との融和というゴキブリの世界では全く新しいイメージを帝国中に広めた影響は計り知れない。人間との最終戦争まで口にしていた大帝の様変わりには驚かされた。

気軽に人間化手術を受ける帝国民が早くも現れており、帝国では人間化手術の専門医・ブーリーをニューヨークから本国に出張させて専門医を増やすための講習が始まっている。

ブリ蔵は大帝に呼ばれ、改めてニューヨーク勤務を命じられた。その役割は、これまでのような人間と対峙する帝国の007ではなく、太陽神が示した人間・火星人・ゴキブリという三種の神器を分配された「平和の三角形」すなわちピース・トライアングルをより完全なものにしてゆくための要員として働くということだ。幸い、地球防衛軍で人間との密接な関係も出来たし、平和のために働くベースも出来た。

しばらくは骨休めがてら家族と交流しよう。ブリ蔵は昨夜久しぶりに妻と合体した。二人目が生まれますようにとの願いを込めて、しっかりと妻を抱いた。果たしてゴキブリの大嫌いな妻は俺の身体に存在するゴキブリ的な要素を微塵でも感じているのであろうか。まさか。腕の中で幸せそうに目を閉じている妻の顔を見れば、その心配は無用だろう。

この平穏がいつまでも続くことをブリ蔵は心の中で願った。

太陽神から、やはり創世神話から「不倫」の話を削除するように計らって欲しいというリクエストがあったのは翌日のことだった。


                                了 

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