No.S―ナンバーズ―「革命前夜」

*「No.S―ナンバーズ―」番外編。時系列は#1以前より。



 かつて、ナンバーズは東京の闇を支配していた。


 その事実は、運や偶然が味方した結果ではなかった。所属した殺し屋の腕が良かったからでも、指導者に圧倒的なカリスマがあったからでもない。

 もちろんそれらの要因も兼ね備えてはいた。だが、他の雑多な殺し屋たちと異なっていたのは、ナンバーズがきちんとした集団として統率されていたからだ。もっといえば、所属する者たちがストレスなく仕事殺しをこなせるだけの、システムが確立していたからである。


 そのシステムを構築し、浸透させ、維持していたのは裏方の人間だ。元は殺し屋でも、彼らは現場に出ることのない業務をしている。そしてこの裏方こそ実は、ナンバーズという集団を真に取り仕切る立場にある。


「ただ殺しを請け負うっていうのは簡単。問題は、それをどう管理するか。ただの使いっぱしりじゃなくて、スペシャリストとして相手から信用を得る。それには、枠組みシステムの確立が一番重要なんだよ」


 ぶっきらぼうで、やや早口な口調。それに対して答えるのは、張りのある大きな声だった。


「だからウチのシステムは、お前自らが手に掛ける必要があるというんだな」

「そういうこと」


 答えながら、早口の彼は資料に埋もれた席から相手を伺うようにちょっとだけ顔を出す。二十代半ばほどの男だ。ぼさぼさの髪、眼の下には黒い隈、服装は長袖Tシャツにジーンズという限りなくラフなものである。

 彼の視線の先には、備え付けのパイプ椅子にどかりと腰を下ろした姿。人の仕事場だというのに、堂々とした態度。ネクタイこそ締めていないものの、襟付きシャツにスラックス、ジャケット。どれも有名ブランドの仕立てで、乱雑であらゆる物に埋もれたこの事務所には似合わない姿。


 ナンバーAエース――狗多山くだやま夜斗ないと。ナンバーズで彼の名を知らない者はいない。幹部のなかでもKキングに重用されており、Qクイーンに続くナンバースリーとして名の知れた男である。ついた異名は、冷酷非道の王の猟犬。Kキングの忠臣であると同時に、他のものには靡かない、孤高の騎士。仲間たちですら、この男の扱いには慎重になる。

 そんな彼は、しかしここでは随分リラックスした様子で、笑みさえ浮かべて会話を楽しんでいる。


「だが、そういった事柄に強いやつなら、他にいくらでもいるだろう。それこそ黄金崎キングが買収した企業の事務方やエンジニアにやらせてもいい。なにも、お前が付きっきりになる必要があるか?」

「そうは言うけど。ただ技術があるだけじゃ意味ないんだよ。殺し屋のことは、同じ殺し屋が良くわかってるんだ。ウチにいる殺し屋で、俺以上に事務もできるエンジニアってなると限られてると思うけど?」

「…………」


 狗多山に反論はできなかった。

 システムの確立には、細かな作業や調整が必須だった。そして裏方の仕事はそれだけで終わらない。システムとはIT構築の話だけでなく、運営事業も含まれる。つまり業務は多岐にわたり、組織としてメンバーの統率から、依頼の受け方、殺しの作法、報酬額の明瞭さ、担当の割り振りエトセトラ。これらの仕組み全てを総括し、デジタルに落とし込み、管理するのだ。

 確かに雑用かもしれない。でも殺し技術が秀でているだけの人間が、片手間でこなせるような業務ではない。


 そして、今それを一手に担っているのがこの部屋の主――コードネーム「ペガサス」こと、十津川とつがわ有羽馬ゆうまだった。

 彼はナンバーズ設立時のうちのひとりでありながらも、ずっと組織の裏方業務に徹している。ナンバーズを一流の組織として確立し、整備し、維持する。彼の手腕はプロだった。それは、幹部たちの顔ぶれどれだけ変わっても、彼がいればナンバーズは安泰と言われるほどに。

 ナンバーズの「ペガサス」といえば知る人ぞ知る重要人物であり、本人が一切表に出ないことで、謎の人物として噂に余計な尾鰭をいくつも付けている。まさかその名ペガサスの由来が、有羽馬実名からきている子供時代のあだ名であるなど、知っているのは狗多山くらいだ。


「これ、次に幹部にあがるやつの資料」


 十津川は画面から顔を離さないまま、狗多山に数枚の紙を放ってよこす。広げてみると、ある人物についての簡易的なプロフィールが記載されている。プロフィールといっても本名や年齢や出身などは載っていない。羅列されているのは得意な獲物と、これまでの仕事の成果だ。


「ほら、この前テンスが抜けただろ。その代打」

「あぁ、次の幹部会に新人がくるというのはそれか」


 狗多山は、先日黄金崎からも同じ話を受けたのを思い出した。


「どんなやつだ?」

「綺麗な……仕事をするやつだよ。殺し屋というより、武道家っぽい」


 それから、ちらりと狗多山を見た。


「ナイトもいい仕事するけどね。それとはまた、方向性が違う」

「仕事ができるなら、それでいい」


 狗多山の返答には、切実な気持ちが乗っていた。その反応に十津川はおや、と顔を上げる。狗多山は気づかずに続けた。


「最近、幹部でも意識が足りないやつが多い。ただ腕っぷしがいいだけで、思慮が足らん。覚悟もな。オレたちはただの乱暴者じゃねえ。殺し屋をプロとしてやってんだ。そこんところ、最近の不良あがりは……おいユウマ、何笑ってんだよ」

「いや。ナイトが先輩面してんのが慣れないなって」


 お前こそ、元々は思慮の足りない乱暴者だったろう……なんていう台詞は、心の中にしまい込む。けれど、十津川の言わんとすることを感じ取ったのだろう。狗多山はバツが悪そうに頭を掻く。

 この二人、幼馴染なのだ。中学が同じだったのである。だが性格も好みもタイプも、正反対なので、この事実を知った人は皆首を傾げる。実際、そんな二人が意気投合するまでには、こんな経緯があった。


 中学生時代。狗多山は、既に町の不良のたまり場に出入りしていた。いわゆる暴走族に所属していて、学校に顔を出すのは最低限だ。

 この頃、十津川の出席率も似たようなものだった。ただし彼の理由は狗多山とは違う。十津川は典型的な引きこもりで、ほとんどを自宅で過ごすことを自ら決めた。周囲に馴染めないだとかそういう、繊細な理由ではない。十津川はただ、退屈していた。毎日登校して授業を受けるとか、そういうことが苦手だった。そして無駄に頭が回るせいで、周囲を見下す節もあった。


 そんなとき、狗多山はある悲劇に見舞われた。

 彼は所属していた暴走族の中で、中枢の地位を獲得していた。だがその暴走族が、ある日突如として壊滅させられた。犯人は、隣接する土地にナワバリを張っていた別チームの暴走族である。彼らは大人の半グレたちと繋がりがあり、狗多山たちのチームよりも年齢は上だった。

 徹底的に潰されたのは、狗多山よりも上にいた幹部たちだ。比較的軽症で済んだ中では、狗多山が一番上の立場だった。


 突如、チームトップの座が回ってきた。他のメンバーも狗多山であればと納得し、重症を負った幹部たちも狗多山ならと意志を託した。

 だが当の狗多山は、迷った。確かに自分はこれまで上手くやってきた。腕っぷしも強いし、仲間も大切にする。しかし、リーダーとしてチームを導くことができるのか。チームの幹部を潰した敵はまだ健在なのだ。自分一人の采配で、彼らに報復が可能なのか。要するに、自信がなかった。主に頭脳戦については、狗多山は門外漢だったのだ。

 その時、現れたのが十津川だった。


「お前を不動のトップにしてやるよ」


 狗多山は十津川を知らなかったが、十津川は狗多山を知っていた。そしてこの時の十津川は、学校に通わないままハッカーの真似事をしていたのである。その際、ある詐欺師集団と揉め事があった。その元締めは都内で幅を利かせてる半グレで、狗多山のチームを潰した奴らのバッグでもあった。

 この揉め事で、十津川は半グレたちに煮え湯を飲まされていた。だから一泡吹かせたい。ちょうどその時に狗多山の件を知った。


 二人は手を組んだ。狗多山のカリスマ性に、十津川の頭脳が加わったのだ。文句なしの最強バディである。二人は見事報復を済ませ、その先はチームで日本統一に乗り出した。


 それから、数年。結局二人の縁は切れることなく続いており、暴走族を卒業した後、同じような流れでナンバーズの設立にも携わるようになったのだった。



 ……そんなことをぼんやりと思い返していると、ふと、狗多山が呟いた。


「ペガサス、お前はそのままでいいのかよ。テンスが空席なら、お前がテンスに戻ればよかったんじゃないか」


 彼が気にしているのは、ナンバーズの殺し屋たちに与えられる番号のことである。十津川は今、ナンバーレス……つまり番号はなく、幹部に数えられていない。そのことを、良しとしていないらしい。


「設立メンバーのひとりだし、貢献度も高い。それなのに、末端に埋没していていいのか」

「俺は裏方を、末端の仕事だとは思ってないよ。実務と同じくらい、重要な仕事だ」


 そう返す十津川も、ずっとナンバーレスだったわけではない。最初の頃は、狗多山と同じように番号付き幹部のひとりだった。その頃の番号は10テンス。今まさに、空席のナンバーだ。

 狗多山は裏方が向いていると言い張るが、殺しのスキルもかなり高い。彼の場合は、自分で直接手を下すタイプではなかった。計算ずくで獲物を追い詰め、最終的には目的を完遂する方法をとっていた。自分とは全く異なるやり方が見事で、狗多山は密かに感心していたのである。だから、彼が前線から退く決まった時はとても残念だったのだ。


 十津川は、そんな狗多山の気持ちもわかっていたが、譲れない信念も持っていた。


「確かに地味な作業だよ。一見、誰にでもできる雑事。でも俺が殺しを十件請け負うよりも、一時間ここで機械を弄ってる方が圧倒的に組織のためになるんだ。ナンバーズが有象無象の集団ではなく、一端の組織として成り立ってる。それは俺の手腕がかなり利いている。……手前味噌ながら、そう自負してんだ」


 それから、ちょっと口元を歪めた。わかりにくいが、十津川なりの笑顔だ。


「ナンバーを得ると動きにくくもある。だから、望んでこの立場にいるんだ。でもありがとう。ナイトの気持ちはわかってるから」

「……ジョーカーだな」


 ぽつりと、狗多山が呟いた。

 脈絡もないその単語に、十津川は眉根を寄せる。狗多山は、平然とした顔で続けた。


「トランプでいうと、お前はジョーカーだ。どこにもいなくて、役目もない。でも何にでもなれるし、いざというときは強い。お前はうちのジョーカーだよ」


 照れもせずにそんな、真顔で。

 十津川は、狗多山のこういうところがイヤだなと思う。あぁ、本当にイヤだ。だって言われたこちらのほうが照れるのだ。でもこういうやつだからこそ、カリスマ性がある。人は、彼を放っておかない。それがどんな場所であっても。


「……光栄な話だけど、褒め過ぎじゃない?」

「いいんだよ。素直に喜んでおけば」


 照れくさくなって視線を反らした十津川に、狗多山はカラリと晴天のような笑みを浮かべる。そして、気合を入れるように、彼は勢いよく立ち上がった。


「さて、仕事の時間だ」



◇◇◇



 振り返ってみれば、ナンバーズの活動期間は、あまり長くはなかった。設立から、およそ三年半。東京の闇に君臨した一大組織は、ある日突然瓦解した。

 端から見れば、さぞかしナンバーズは輝かしいスタートダッシュを決めたように見えただろう。でもその裏では、多くの手による並々ならぬ努力があった。だからこそ、三年半もの間、他の追随を許さずに東京の裏社会へ君臨し続けていれたのだ。


 ただ、崩壊は一瞬。

 それは反撃も許さない、華麗な反逆だった。


 その夜、幹部たちは突如の奇襲により、その半数が命を落とした。どれも一流の殺し屋である。それがこんなに、手も足も出ないなんて。

 残った者も大半が行方不明。人知れず命を落としたのも、そのまま雲隠れしたのもいるだろう。

 その原因はなんだったのか。今から解明する必要は、あまりない。ナンバーズはもう存在しないのだ。その事実だけが、現実だった。


 主に襲撃されたのは、幹部たちの根城。そして、その中には十津川のいる事務所も含まれていた。

十津川は間一髪、難を逃れている。持ち出せたのは、最低限のデータと機材のみ。

 辛うじてナンバーズの重要機密は持ち出したが、キングは既に亡い。ナンバーズ立て直しは絶望的だろう。


「覚えてるかよ、ナイト。お前、俺をジョーカーだと言ったな」


 ひとり、呟き自嘲する。

 首都東京。夜だというのに、輝くネオンが街を飾り立てる。まさに、眠らない街。その片隅の闇深い暗がりに、十津川は一人膝を抱えている。


「伏せられたカードはジョーカーどころか、ただの紙屑だったようだよ。……俺は一人じゃ何もできなかった」


 狗多山の死は、確認できていない。でも、生きていると信じている。どうにかしてコンタクトを取りたいと思うが、敵の追跡を逃れる為に、連絡手段は一度すべてデリートしたのだ。

 さて、どうしたものか。まずは今日の寝床を探す必要がある。考えながら腰を上げた、そのタイミングで。


「さがしたよ、ペガサスくん」


 掛けられた声に、十津川は顔をあげる。そこには、ひとりの青年が立っている。黒ずくめの服装に、ブーツ。ご機嫌な笑みを浮かべた顔には、愛嬌がある。年齢は、十津川よりも低いだろう。その顔に見覚えはない。しかし、声は聞いたことがあるものだった。


「お前、……■■■■■か」


 十津川は、当時の彼の通り名を口にした。それを聞くと青年は、懐かしがるように笑う。


「あーその名前、もう捨てたんだよねー」


 軽い口調で笑い飛ばすと、彼は十津川と視線を合わせるように腰を落とした。彼の瞳はゾッとするほどの、気迫に満ちていた。


「十津川有羽馬。ボクはあんたを引き抜きにきたんだよ。あんたのナンバーズ時代の働きは、評価している。だから、今度はボクの下で働いてよ」


 青年は笑う。十津川は声もなく彼を見つめる。自分に選択肢など存在しないことは、今の一瞬で理解していた。


「あ、まだ名乗ってなかったね」


 凍りつく十津川を気にすることもなく、青年は笑う。彼の背後には大きな満月が、十津川を嘲笑うように浮かぶ。


「ボクのことは、月って呼んでよ」



 東京の闇は、新たな時代を迎えようとしていた。


20230101

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