飛べない鳥は羽を見つける 4

第三章 本当の気持ち

 

 あの日から愛菜はぱったりとお散歩に行かなくなった。看護師はそんな愛菜の様子を心配しつつ、あえて声を掛けずに見守っていた。一日のほとんどをベッドの上で過ごし特に何をするわけでもなく、ぼんやりと過ごしていた。自分がなぜ公園であんなことを言ったのか、愛菜には分からなくなっていた。

「私、なんであんなこと言っちゃったんだろう・・・・・・」

 愛菜は頭の中でそればかり考えていた。

(揚羽ちゃんのことは確かに憎い・・・。でも、今でも憎いのかどうかと言われれば分からない・・・。学さんは救いたいって言っていたけど、どうせまた言葉だけ・・・。姉さんもそうだった・・・。守ってあげるからね!って、言っていたのに結局自分までが見捨てられるのが嫌で私を切り捨てた・・・。でも、じゃあ姉さんのことが憎いかと言えばそれも違うような気がする・・・。じゃあ、憎いのは私をこんな風にした両親?でも、それはそれでまた違う気がする・・・。私は・・・結局誰が一番憎いの?でも、そんなこと、私自身が一番分かっている・・・。私が一番憎いのは、こんな醜い私自身だ・・・・・・。)

 愛菜は頭の中でそう整理すると、ベッドから起き上がり図書室に行くことにした。看護師にそのことを伝えると「心配だから、一緒に行くわ」と言って付いてきた。看護師と図書室に行くと、愛菜は本を選んでいた。その時、ふと学が書いている「海月」の作品の前で止まった。「海月」の作品は十点ほどあった。どの本もタイトルには季語が入っていて、柔らかな色で表紙が飾られていた。愛菜がその前で立ち尽くしていると看護師が声を掛けた。

「あら、瀬川君の本ね」

「知っているんですか・・・?」

 看護師の言葉に愛菜は少し驚いた。

「だって、瀬川君は元々ここに入院していたからね」

「・・・え?」

 看護師の言葉に愛菜は驚きを隠せなかった。すると、看護師が少しだけ学のことを話し始めた。

「瀬川君、当時は酷いいじめに遭っていてね、心をすっかり閉ざしてしまったのよ。私たちが話しかけても何も言ってくれなかったわ。もう誰も信じないっていうぐらいの勢いで周りを憎んでいる感じだった。社会は僕の敵だって言うくらいね。あの時は、どうしたらこの子の心を分かってあげられるのだろうって本気で悩んだのよ。でも、一つの出会いが瀬川君の心を溶かしたの・・・」

 愛菜はそこまで聞いて、学の過去の話を思い出した。それと同時に学にもう一度会いたい衝動にも駆られた。でも、愛菜は自分に問いかけた。

(あんな酷いことをしてしまったからもう会うことなんてできない。私は・・・自分で救われるチャンスを手放してしまったんだ・・・)

 そう考えていたら愛菜の心の中で、「なんて、私は馬鹿なことをしてしまったんだ・・・」という悔しい気持ちが込み上げてきて、涙が零れそうになっていた。学の優しさや、温かさを、自ら断ち切ってしまった愚かさに愛菜は自分自身を恥じた。

(学さんは、優しかった・・・。どうして、私、そのやさしさに答えなかったんだろう。私が欲しかったものはあの時手を振り払わなければ、ようやっと掴めたのに・・・)

 そんな気持ちが愛菜の中で膨れていき、それと同時に失ったものの大きさを改めて感じた。看護師が愛菜の様子を見て、背中をさすっていた。その時だった。

「こんにちは。新しい本、寄贈しに来ました」

 学が突然図書室に現れた。看護師は学に「久しぶりね」と話しかけていた。私が呆然とその様子を見ていると、学が私に向って口を開いた。

「こんにちは、愛菜ちゃん」

 学の言葉に看護師が「知り合いだったの?」と驚いた声を出した。学は愛菜に会った経緯を話しだし、看護師がそれを聞いて納得した様子だった。そして、学は看護師にお願いをした。

「今から、愛菜ちゃんを連れて散歩に行ってきていいですか?もちろん夕飯までには帰します。駄目ですか?」

 看護師は学の言葉に少し考えてから、「いいわよ」と返事をくれた。こうして、愛菜と学は散歩に出かけた。いつもの川沿いの道を歩いていると、天気が良いのもあって風が気持ち良いくらいだった。二人並んで歩いている間、どちらも無言だった。その雰囲気に耐えられなくなってか、愛菜が口を開いた。

「・・・学さん、なんで?何でここまで優しくしてくれるの?私、あんな酷いことしたのに、どうして・・・?」

 愛菜の言葉に学が立ち止まり、優しく言葉を紡いだ。

「あの時は本当にごめんね。傷つける気は本当になかったんだ。何とかしてあげたくて、焦ってしまってあんなことをしてしまった・・・。気遣いが足りなかったって反省しているよ。でも、愛菜ちゃんを救いたいっていう気持ちは今も変わらないよ・・・」

 学の優しさに愛菜は答えたかった。でも、素直にそれが言えなかった。また、裏切られたら・・・その思いが邪魔をしてどうしても答えることができなかった。

 学はそんな愛菜の手を取ってゆっくりと歩きだした。愛菜は黙ったままそれに着いて行った。川沿いを抜けて、公園へ向かっていた時、公園の入り口近くまで来て揚羽たちがいることに気付いた。揚羽の髪が短く切られていてそれが綺麗になっているということは、藤木に切られたのだろうと思い、そして、切られた髪を綺麗にしてもらったんだなということが分かった。そして、藤木の髪がかなり短くなったのはおそらく揚羽の髪を切った罰だろうと思い、苦しい気持ちになった。愛菜は自分の言ったことが改めて酷いことをしてしまったんだというやるせない感情に苛まれた。そして、学にここで待っていて欲しいというと愛菜は揚羽たちの所に向って歩いて行った。

 近くまで来て会話が聞こえてきた。愛理に藤木が「お前が言ったんだろ!」と叫んでいる。愛理は「何のことよ!」と言って食って掛かっていた。愛菜はタイミングを見計らって声を掛けた。

「・・・それは、私よ・・・」

 その声に揚羽たちは一斉に愛菜を見た。そして、言葉を数回ほど交わし、最後に愛菜は言葉を吐いた。

「揚羽ちゃんが憎いわ、多分これからもずっと・・・」

 愛菜はそう言ってその場を離れた。そして、心で叫んでいた。

(違う!違う!あんなことが言いたかったんじゃない!ごめんね、揚羽ちゃん。憎いのは揚羽ちゃんじゃないの。憎いのは私自身なの・・・。ごめんね、酷いことしてごめんね・・・。)

 愛菜は涙が零れそうになるのを堪えながら、学のところに戻っていった。そして、学の顔を見た途端、どこか安心してしまったのか愛菜は泣き出した。

「やっぱり私は醜いよ・・・・・・」

 そう言って、泣きながら愛菜は謝っていた。何度も、何度も・・・。学はその様子を見て愛菜に近寄ると優しく抱き締めた。

「あのね、愛菜ちゃん。愛菜ちゃんに伝えたいことがあるんだ。僕と初めて会った時、ホワイトが愛菜ちゃんに大人しく撫でられていたでしょう?すごく驚いたんだ。ホワイトは今まで黒い心を知らない幼い子にしか懐かなかったから・・・。そのホワイトが愛菜ちゃんに懐いたってことは、愛菜ちゃんは純粋な人ってことなんだよ?僕は、愛菜ちゃんの心はとても綺麗だと思う。暴力振られて痛かったよね?でも、周りに心配を掛けさせたくなくて黙って耐えていたのでしょう?これからは、僕が愛菜ちゃんの支えになるよ。だから、もう泣かないで・・・」

 学の腕の中に包まれながら、愛菜は学の体に手をまわし、抱き返しながら泣いていた。


ずっと欲しかった温もり・・・。

愛菜はようやっとそれを見つけたような安心感に包まれていた。


それから約一か月後・・・。


 外は気持ちがいいくらいの青空が広がっていた。まるで愛菜の退院とこれからの出発を祝ってくれているような、そんな天気だった。

 あれから、愛菜は退院してグループホームに入ることになった。あの日、学に連れられて戻ってきた愛菜に看護師は表情で安心していた。そして、学の提案もあり病院と福祉関係の人が話し合って愛菜をグループホームに入れようということになった。あの後も、学は何度も愛菜のお見舞いに来て、その度に散歩に連れて行った。病院側も、学なら構わないということで許可をしてくれた。そして、学と会うようになり愛菜はみるみると回復していった。そして、このまま入院は本人のためにならないのと、学校に行きたいという愛菜の希望を叶えるためにそういった支援をしているグループホームに入所をすることになったのだった。

 愛菜は荷物をまとめ終わって、病院の入り口で担当の福祉課の人がお迎えが来るのを待っていた。

「一ノ瀬さん、いよいよ今日からね。同じホームの子と仲良くやれることを祈っているわ。頑張ってね!」

 付き添いの看護師にそう励まされて愛菜は力強く返事をした。

「・・・はい!」

 その表情には最初に来た時のような暗さは無く、希望に満ち溢れていた。そんな愛菜の様子見て看護師は安堵していた。そこへ、声がした。

「・・・良かった!間に合った!」

 学が息を切らせてやってきた。

「愛菜ちゃん、退院おめでとう。これ、退院祝いだよ。後、僕の携帯の番号を控えてきたから、いつでも電話してね」

 愛菜は学から退院祝いを受け取ると、とても嬉しそうな顔をした。

「ありがとう!学さん!」

 愛菜はそう言った時だった。福祉課の人がお迎えに来て愛菜は車に乗り込んだ。

 そして、車の窓を開けると満面の笑顔で言った。


「学さん!またね!!」



~エピローグ~

 

 あれから数年が経ち、愛菜は研修としてある場所に訪れていた。

 愛菜は、あの後、福祉関係の学校に進んだ。家の事情と入院で学校に行ってなかったので、ブランクを取り戻すことはかなり大変だったが、愛菜は「自分と同じ子を出したくない」という思いからこの仕事を選んだ。愛理に今日のことを電話で伝えたら「頑張ってね!」というエールをくれた。ただ、その時の言い方がなんだか引っかかった気もしたが、気にしないことにした。そして、今日から就職した施設の研修でこの場所を訪れていた。愛菜は深呼吸をすると施設のドアを開けた。

「おはようございます!今日から研修をさせていただきます、一ノ瀬 愛菜と言います。よろしくお願いします」

 愛菜はそう言って深くお辞儀をした。その時だった。

「・・・愛菜ちゃん?」

 聞き覚えがある声がした。愛菜が恐る恐る顔を上げるとそこには揚羽がいた。

「揚羽ちゃん!え、なんでここに・・・?」

 愛菜の言葉に揚羽は説明してくれた。ここに愛菜が来ることは愛理から聞いていたこと、愛菜もなりたいものは揚羽と一緒だということ・・・。

「・・・じゃあ、姉さん、ここに揚羽ちゃんがいるって知っていたの?」

 揚羽が頷くと、愛菜は愛理のあの時の電話での反応はそういうことだったのか・・・と合点がいき、なごやかに研修が始まった。

 それから、更に年月が過ぎていった。

 今日は愛菜が仕事の後で揚羽のマンションに顔を出すことになっていた。あれから、愛菜は揚羽に「あの時はごめんなさい」と何度も謝った。でも、揚羽は「もう、気にしなくていいよ」と笑顔で言っていた。それから、急速に仲が良くなり仕事仲間でもありプライベートでも会うようになった。そして、今日は揚羽に報告することがあったのでこうしてマンションに訪れたのであった。

 玄関のチャイムを鳴らすと、揚羽が顔を出した。

「いらっしゃい、愛菜ちゃん。上がって?」

 揚羽に促されて愛菜は部屋にお邪魔した。リビングに通されて行くと、揚羽の婚約者である薫がテーブルに紅茶を準備していた。そして、しばらく談笑してから愛菜が勇気を出して口を開いた。

「あの、今日は報告があって・・・。その、学さんにプロポーズされたの!」

 愛菜の言葉に揚羽と薫は一瞬固まってから、笑顔で言った。

「おめでとう!愛菜ちゃん!」

「良かったね、この前紹介してくれた人だよね?すごくいい人だったし、幸せにね!」

 愛菜の門出に揚羽と薫はいろいろ聞いた。いつから一緒に暮らすのかとか、場所はどのへんなのかとか聞いていた。愛菜は恥ずかしそうにその問いに返事した。

「学さんの実家で暮らすことになったの。石川さんもぜひって言ってくれて・・・。その、実はもう一緒に暮らし始めていて仕事もそこから行っているの。それで、実は明日、学さんのご両親が海外から戻ってきて顔合わせすることになっているのよ・・・」

「学さんのご両親って考古学の研究者で世界中を飛び回っているのだよね?でも、いったん戻ってきてくれるんだね!良かったね!大丈夫だよ!愛菜ちゃんなら絶対気に入られるから!」

 揚羽の言葉に愛菜は恥ずかしそうに微笑んだ。

 そして、揚羽の家を後にすると愛菜も学が待つ家に戻っていった。そして、家に着き学が出迎えてくれた。

「おかえり、愛菜ちゃん」

 学はそう言って愛菜を優しく抱き締めた。愛菜は学に抱き締め返すと顔いっぱいに微笑みを浮かべて言った。


「・・・ただいま!!」

 


                                  (完)

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蝶と鳥のワルツ 華ノ月 @hananotuki

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