幸せのおまじない

チョンマー

第1話

「どうしよう」

 リクの不安げな声は、暗く静かな森の中に響いて、消えていった。

 事の発端は、リクが病気の母親のために、果物を集めようと、この森の中に入ったことだ。

 ――この森の奥には、人を食べる魔女がでるから、絶対に森の奥には入っていけない。

 周りの大人はそう言って、子ども達を森に近づけようとしない。リクもそう言われていた。

 しかし、リクにはどうしても森に入らなくてはならなかった。

 病気の母親にどうしても栄養のある食べ物を食べさせてあげたい。しかし、お金を持っていないリクには、村で売っている果物を買うことが出来ない。となると、お金がなくとも果物を手に入れる方法を考えなくてはならない。

 それで、子どもの頭で思いついたのが、この森になら果物が生っていそうだし、ただでとれるのではないかということだった。

 森の奥に魔女は住んでいるらしい。なら、入ってすぐのところで、果物を取れば大丈夫。そんな、子どもじみた理論で森に入ったリク。辺りに見つからず、もうちょっと奥へ、もうちょっと奥へ。そうしているうちに、周りはだんだん暗くなり、来た道も分からなくなってしまったのだ。それでも、何とかして戻ろうとするも、木の根に足を取られ、足をくじいてしまい、痛みで足が動かせずにいた。

「うぅ、ぐす」

 自分ではどうすることもできず、リクはただぐずるばかり。そんな時だった。

「あら、こんなところでどうしたの?」

 声のする方には少女がいた。顔立ちと背丈からして、リクと同じぐらいの年だろう。ただ、村の女の子と違っているところは、その格好だった。

 黒の三角帽子に、黒いローブ。手には杖らしきものを持っていた。

「ひっ!」

 大人たちの言っていた魔女に出会ってしまい、リクは悲鳴を上げた。

 ぼくはこのまま食べられてしまうんだ。大人の言うことをちゃんと聞いておけばよかった。

 後悔ばかりが頭の中によぎっていた。

「ねえ、迷子?」

「ひっ、食べないで!」

「食べないよ!」

 頭を抱えるリクを見て、少女は思い出したかのように、手を叩いた。

「そっか。そういえば、外の人間はわたしたちのことを、怖がっているんだっけ」

「……ごめんなさい、すぐに出ていきますから、食べないで、ゆるして」

「大丈夫。食べたりなんてしないよ」

 少女は手に持った杖を離し、腕を広げる。敵意がないことを見せるポーズだった。

「ほんと?」

「ほんとよ。わたしたちは魔法が使えるってだけで、それ以外は人間といっしょなんだから。食べ物だっていっしょ」

 そう言ってゆっくりと近づいてきた。

「きみ、もしかして、迷ったの? それに、足も。すごく赤くなってる」

「うん、その、果物が欲しくて、探してたんだけど、見つからなくて、足も怪我して、村にも帰れなくなって……」

「分かった。ちょっと待ってね。ひどいことしないって約束するから、杖を持ってもいい?」

 リクは疑うことなく、少女の頼みに頷いた。頷いたのを見て、少女は杖を拾い、リクの元へやってくる。

 杖をくじいた足の近くにかざし、何やら小さくつぶやくと、杖の先から温かな光が現れた。その光はかざした先の足へと移動し、リクの足を優しく包み込む。

「あれ、痛くない?」

 いつの間にか、リクの足の痛みはひいていた。

「すごい! これが魔法なの?」

「他の人には内緒ね? ママには、森の外の人間に魔法を見せてはいけないって言われているの」

「どうして?」

「昔、魔法を見せてひどい目に合った魔女がいたんだって……もう立てる?」

 リクはゆっくりと立ち上がった。痛みは全くない。

「大丈夫そう、ありがとう!」

「どういたしまして。あと、果物が欲しいんだっけ? それなら、こっちにあるよ。案内したげる」

 リクはこくりと頷き、少女についていく。しばらく歩くとそこに、果物の生る木がいくつもあった。

「わあ、これ、取ってもいいの?」

「森のものは皆のもの。ちょっと待っててね」

 少女は手に持った杖を振る。すると、辺りに温かな風が吹き、二人を取り巻いた後、木々の方へと流れていく。木が少し揺れた後、果物が四つほど地面に落ちていた。

「すごい、これも魔法!?」

「簡単なやつだけどね。これで十分?」

「うん、これならお母さん、きっと元気になってくれる」

 リクは持ってきていたかごの中に果物を詰めた。

「お母さんのためだったの?」

「うん、お母さん病気で。おいしいものを食べさせてあげたかったの」

「そうだったんだ。きみってえらいね」

「えへへ」

 リクは少女に褒められて満更でもなかった。



 そのまま、少女に森の出口まで案内してもらい、ようやく、村の家々が見えるところまで戻ることが出来た。

「ありがとう」

「どういたしまして」

「いい? 魔法のことも、わたしに会ったことも、村の皆には内緒だからね」

「うん。約束する」

 リクが小指を出すと、少女も小指を出してくれた。

 二人で指切りを交わす。

「ごめんね。本当はきみのおかあさんのことも、魔法で治してあげたいんだけど。森の外に出てはいけないって、ママに言われてるの。それに、外の世界で魔法を使うことも」

「……そうだよね」

「大丈夫。その果物を食べたら、きっと元気になるわ」

「おかあさん、元気になってくれるかな」

「なるわよ、きっと」

「うん……」

 不安がるリクを見て、少女はリクの顔を覗き込んだ。

「それなら、ママに教わった、とっておきの魔法をかけてあげる」

「とっておきの魔法?」

「そう、どんな時も元気になれる、幸せになれる魔法よ」

 少女の手がリクの頬に伸ばされる。確かに感じる体温。

リクがその体温にどこか安心感を覚えのもた束の間、少女の顔が近づいてきて――リクのおでこに小さなキスをした。

「えっ、えっ!」

 赤面するリク。対照的に、少女はあっけらかんとしていた。

「ほら、元気出たでしょ?」

 そう言って、少女は笑った。年相応の、可愛らしい笑顔だった。


  *


 大きくなったリクは、しばらく村を離れ、大きな町で働いていた。

 そこでリクは、とある噂を耳にする。

 魔女狩り。それが、自分の村でもあったというのだ。

 休暇をもらい、自分の村へと戻ったリクは、故郷の人々との話も程々にして、皆が寝静まる夜に、森の中へ入っていった。

 リクが少女と会ったのは、あの時、一度きりだった。森に入ったことがばれたリクは周りの大人にひどく叱られ、二度と森に入ってはいけないときつく言われてしまったのだ。それ以来、森には全く近づかなくなってしまった。

 けれど、彼女と出会ったこと。彼女が見せてくれた魔法のことは、これまで一度も忘れてはない。

 森の奥へとひたすらに歩く。もちろん、彼女が住んでいる家なんてものは知らない。そもそも、森の奥にあるのかなんて知らない。無計画だなと、一人自嘲する。

 それでも、いてもたってもいられなかったのだ。彼女が無事がどうか。きちんと知りたかったのだ。

 ずっと歩いているうちに、開けた場所に着いた。

 目の前には木でできた小さな小屋がある。もしかすると、ここが彼女の家なのだろうか。

 リクがそのまま歩を進めようとした時だった。

「誰! こんなところへ何しに来たの!」

 彼のいる位置の右手から声が聞こえた。声のする方を向くと、そこには女性がいた。顔立ちと声からして、成人はしているものの、まだ若いといった感じ。

 そして、村の女性とは大きく違うのが、その格好だった。黒い三角帽子に黒いマント。手には杖を持っていた。

 顔をよく見れば、記憶の彼女の面影がある。きっと、彼女だ。リクはそう確信した。

「動かないで。ママと同じように私を殺しに来たのなら、私が魔女だってことぐらい、分かっているでしょ?」

「待って、落ち着いてくれ。僕は別に、君を殺しに来たわけじゃない」

「じゃあ、何のために」

「……覚えてないか? 君がまだ子供だった頃、母親のために、果物を取りに来た男の子が来たことを」

「……もしかして、君が?」

「魔女狩りがあったと聞いて、会いに来たんだ。君が無事で本当に良かった」

「無事じゃないわよ……ママは、ママは!」

 目の前で崩れ落ちる魔女を、リクはただ抱きしめてやることしかできなかった。



 しばらくして落ち着いた彼女から、事の顛末を聞いた。

 魔女狩りの命令を受けた兵隊が、この森に入ってきたこと。

 彼女の母が犠牲になって、彼女を逃がしてくれたこと。

 ほとぼりが冷め、一人残された彼女が、自分の住んでいた小屋に戻ってきたところに、リクと出会ったこと。

 ゆっくりと、涙ながらに話す彼女の話を、リクは黙って聞いていた。

「ここにいては駄目だ。いつ、また兵隊が魔女狩りをしに、この森にやってくるか分からない」

「そうはいっても、どこに隠れたらいいの? 私は、この森の外の世界の事、全く知らないの!」

 叫び声にも近い、彼女の声を聞いて、リクは考える前に、彼女の手を取っていた。

「僕と一緒に、旅に出よう。君のことを知らない、君を傷つける人のいない。そんな場所を探しに行こう」

「そんな場所、ほんとにあるの?」

「あるさ、いっしょに探してあげる。僕は、そのためにこれまで生きてきたんだ」

 彼女に恩返しをしたい。リクが考えていたのはそれだけだった。

 そのために、村を離れて、一人前の男になったのだ。

 全ては、彼女を外の世界へ連れ出すため。彼女を守れる男になるため。

「不安なら、僕から魔法をかけてあげよう」

「えっ?」

「頑張って、一つだけは魔法を習得したんだ」

 リクは片手を彼女の頬にあてる。女性は不思議な顔をしていた。あの時の自分もこんな顔をしていたのだろうか、とリクは思う。

そのまま、顔を近づけていって、そっと彼女の唇にキスをした。驚いている彼女の耳元で、こう囁く。

「君のことが好きだ。君のことを守らせてほしい」

 耳元から顔を離すと、魔女は真っ赤な顔をしていた。

「どう、僕の魔法は?」

「魔女に、こんな魔法が聞くと思っているのかしら」

 そっぽを向きながら、魔女は言う。あははと頬を掻くリクに、彼女は続けて言った。

「これは、しっかり魔法について、あなたに教えないといけないわね。それこそ、ずっとつきっきりで」

 さし出してきた彼女の手を、リクはもう一度とった。


 ――その代わり、私を幸せにしてみなさいよ。

 ――喜んで、僕の魔女様。

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幸せのおまじない チョンマー @takumimakoto

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