成人式

ぶざますぎる

成人式

 'Father, father, where are you going?

  O do not walk so fast!

  Speak, father, speak to your little boy,

  Or else I shall be lost.'

  ――William Blake. " Little Boy Lost "



[1]

 感情は受動の力であり、これは、人間の他の能力を凌駕している。かくして感情は執拗に人間につきまとい、我々の生活から自由を奪い去る。ところが、その我々自身、往々にして自らが自由な存在だと錯覚して、平生を過ごす。過去を振り返れば後悔に塗れるのは、この故ではなかろうか。


[2]

 父とはだいぶ前に死別した。父に対しては、今も昔も、相当に屈折した感情が身の裡にある。父は、しばしば私を打擲した。そのせいかは識らぬが、子どもの時分の私は、いつもオドオドしていた。この性質は、今に至るまで改善されていない。そういう人間は舐められやすい。学校でも職場でも、私は他人から小馬鹿にしたような態度をとられることが多々あり、ひどい時には、いじめやパワハラの対象にされた。

 まあ、他責だ。私は人生の結果の責任を、父に擦り付けようとしている。とは言い条、やはり子ども時分の私は辛く苦しい思いをしたのであり、そういった経験は、人格形成に大きく影響した。少しくらいの自己憐憫は、許してほしい。

 私は、父とぎこちない関係しか築けなかった。公平に言って、父は親としての責任は十分に果たした。併し一方で、私は彼の言動にひどく傷つけられ、今に至るまで、その痛みは消えていないのだ。

 こう書くと、父がひどく粗暴な人間のようだが、平生の生活ではむしろ、温和な人物だった。それが何かのきっかけがあると急変し、私に対して暴力を揮った。彼の父、つまり私にとっての祖父も同じだった。祖父の父、つまり私にとっての曾祖父も、そうだったらしい。とどのつまり、暴力家系なのだった。

 当然私にも、こういった暴力的な要素は受け継がれている。これまで幾度も、パニックに近い怒りを起し、破滅的な転帰を迎えかけた。書き出せば、そうした恥は枚挙にいとまがない。そうして暴力性を発露する度に、私は身の裡に宿る父祖たちの魂を感じてハッとするのだった。


[4]

 私が独立できる年齢となってから、父とは疎遠になった。私は家を飛び出し、実家と何の連絡も取らないまま、数年が経過した。

 ある時、父が癌の診断をされたと、母から連絡があった。癌宣告から3年後、父は死んだ。モルヒネの影響だろう、末期は意識もハッキリしなかったようだ。ある年の私の誕生日に、父からメールが届いた。この一か月後、父は死んだ。


 "" ハッpピーーバスデ。おttたった誕生日おおんめでとうおおおうおめでとうございます ""


[5]

 父は、私の誕生日に対する祝いのメールを、私が家を出た頃から毎年、送ってきた。そしてそのメールを打ったのと同じ手が、子ども時分の私のことを殴っていた。

 今思えばだが、父は不器用なりに愛情を示そうと努力していたし、自身の暴力的な面についても、自覚的だったのだろう。それでも結局は、暴力の衝動を抑えきれなかったのだ。

 私が家を飛び出し、沙汰を寄こさなくなっても、誕生祝いのメールは毎年、送られ続けた。そして、私はそれを無視し続けた。

 夙に述べたことを繰り返すが、公平に言って、父は親としての責任を十分に果たした。私は義務教育以上の教育も受けたし、ひもじい思いをしたことはない。父は、家族サービスにも熱心だった。私が学校でひどい虐めにあった時、父は、学校に乗り込んだりもした。そしてそういった愛情のすべてを、自らの暴力で台無しにしたのである。

 父が暴力だけの完璧なクソ野郎だったのなら、私は何も悩むことがなかった。私は父の愛を知っていた。そして、振り返ってみれば、やはり私は父を愛していたのである。愛と暴力を前に、どうすればいいのか判らなかった。

 私も、だいぶ歳をとった今なら、そうした人間の多面性について鷹揚になれる。だが、往時の私にはそれができなかった。


[6]

 モルヒネの投与を受けながら闘病をしていた父が、ある日に意識を失った。

 私は母から連絡を受け、病院へと向かった。往時、私は先述した父への反発もあり、両親の居住地からは遠く離れた場所に、生活の拠点を築いていた。

 連絡を受けたのは22時頃だったので、私は宵越しの大移動をすることになった。

 その移動のなかで私は、これが今生の別れになるとは想像だにもせず、父もその裡に意識を取り戻し、私は父と2、3の言葉を交わしてから帰るのだと思っていた。

 その時分、私は生活が上手く立ち行かず沈鬱としていたこともあり、父という強力な存在に、精神的に依存したいと思わないでもなかった。そういった勝手な理屈も働いて、父とは微妙な間柄ではあったが、これからは少しずつ関係を修復出来たらいいなと考えていた。

 今思えば、癌患者が昏睡状態になれば、再び目を覚ます望みは少ないということは判り切ったことであるが、往時の私は根拠のない楽天的な気分でいたし、移動の最中も、悲劇的な転帰を迎えることになるとは思いもしなかった。


[7]

 病室に入った時には、朝になっていた。

 私は、ベッドに横臥した父の枯れ木のようにやせ細った体を見て、衝撃を受けた。

 父が癌の診断をされてからも、私は彼に会おうとしなかった。見た目で言えば、もともと父は堂々とした体躯の男だった。私はベッドの父を見るまでは、そうした以前の姿を想像していたのである。

 その段になって、私は決して取り返しのつかない過ちをしたことに気づいたし、医者と看護師が私の到着とともに部屋を退出したこと、同席している母が無言を貫いていたこと、部屋には心電図モニタ音以外、何も響かなかったことの理由を、悟った。そして、もう私と父の間に会話が成立しないことも、理解した。今思い返してみても、あの時の私の感情を正確に表現する言葉は、見つからない。   

 私はベッド脇に立ち、父の手を握った。

「お父さん」私は呼びかけた。

 お父さん、数年ぶりにその言葉を口にした。すると私の呼びかけに対し、父は小さく唸った。それは明らかに、私へ何かを言おうとしていた。

 その瞬間、心拍数がゼロになった。心拍数モニタがアラームを鳴らした。

 父は死んだ。

 私は今でも後悔している。私が余計な呼びかけをしたせいで、父が返事をしようとした。それが父の体に負担を掛けて、結果的に父を殺してしまったのだと。


[8] 

 こうした後悔について、私は叔父に吐露したことがある。

 叔父は私の発言を否定した。モルヒネを投与している末期癌患者が昏睡した場合、意識を取り戻す可能性は極めて低い。かつそうした状態になった時点で、最早、死は遠くない。むしろ、お前からの「お父さん」という呼びかけを聞いて命を終えることができたのは、父親としては決して不幸な結末ではないだろうし、おまえが自責する必要はない、と。

「兄貴も悪かったと思うよ、おれは」叔父は言った「それまでの振舞いを後悔してるって言ってもなぁ、そう振舞わせた原因があったんだろ。なにも原因のすべてが兄貴だったとは言わないけどさ、それなりの要因ではあったわけだよ。ましてや、お前はガキだったんだからさ。まぁ、仕方ねえよ。当時はそれが正しい振舞いだったんだろ。お互いに負うべき十字架ってものがあったんだよ。それが兄貴にとっては死だったし、お前にとっての悔悟なんだよ」

 叔父は続けた。

「まぁ知っての通り、おれらは思春期に両親が離婚したからなぁ。親父と一緒に暮らしてた時も、お互いよくぶん殴られてたし。兄貴も父親としての正しい振舞い方ってのが判らなかったんだろうな。だからといって、手前の責任がゼロになるわけじゃねえよ。世の中には同じ状況でも達者にやってる父親なんぞ、ごまんと居るからな」 

 叔父は昔から私のことを可愛がってくれた。

 この時も、私を気遣って労りの言葉を掛けてくれたのだった。そうした叔父の優しさに対して、私は返報の仕方が分からずに、頓珍漢なことを口走ってしまったのである。

「叔父さんは」私は訊ねた。「父の霊を見たことがありますか」

 およそいい歳をした大人から発せられるような言葉ではなかった。多分、私はどうかしていたのだ。叔父は黙って私を見つめていた。暫時そうして、彼は答えた。

「それは私的な話題だな」叔父は言った「いくらお前が相手でも、これはおれの心中だけの、私的な話題なんでな」

 そう言ってそれ以降、叔父は何も語らなかった。


[9]

 馬鹿げた話だが父の死後、私は暫く幽霊に執着していた。

 心霊スポットめぐりや霊能者への相談を繰り返したのである。そんな自分を、頭の片隅で馬鹿にするもう一人の自分が居た。転帰、私は何の成果も得られなかったし、今に至っても心の安寧は訪れていない。それは、曩の記述からもご理解いただけるだろう。

 ある時、ほとんど詐欺まがいの霊能者にまんまとやれらて、私は自棄になっていた。なにかに縋りたかった。フラフラとした定まりのない頭で過ごす裡に、私は父の墓を訪れていた。

「お父さん」私は墓に向かって呟く。

 墓地は静かだった。私は静寂のなかで天を仰いだ。ポツポツと雨が降り始めた。天気予報など気に留めていなかった。私は傘を持っていなかった。寒かった。

「本当によ、クソみてえだな。クソみてえだよ、全部よ」

 私は大声で喚き散らしながら、父の墓を蹴った。墓地で暴れた。そうした状態でも、よそ様の墓には迷惑をかけないようにと、冷静に頭を働かせている自分がいた。

 その裡に墓地の管理者が、警察を伴ってやって来た。

 オーディエンスができたことで、私の態度は演技めいたものになっていたし、その

ことに私自身も自覚をしていたので、そこからは役に忠実になろうという奇妙な使命感を胸に、周囲の静止に対して罵声を浴びせながら、私は、より一層声を張り上げて暴れた。

「お父さん! お父さん! 」

 叫びながら、いい加減、子どものままではいられないのだと、私も気付いていた。


<了>

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