改札喫茶

伏見 悠

改札喫茶

 ある街の路地裏に、ひっそりとたたずむ喫茶店。

 その喫茶店には見慣れないものがあるという。

 そしてそれを見た人は皆こう呼ぶらしい、「改札喫茶」とーー。


 ***


 どうやら路地裏に入り込んだらしい。


 ある街に引っ越してきて、初めて周辺の散策に出掛けた行村は疲れていた。

 あてもなく歩き出したはいいものの、地図を見ずに歩いていたのが悪かったのか大通りから外れてしまった。時計を見れば長針が二回りするくらい歩いていたことがわかって、余計に疲労がのしかかる。


 なんとなく地図を見ずに歩いていたが、あまり慣れないことをするものではないのか。浮き立っていた気持ちもとうにしぼんでしまっていた。

 疲れを訴える足を休める場所が見当たらず、諦めて地図を見よう。そのまま未だに住み慣れていない家に帰ろうと思った時だった。


 どこからかベルの音が聞こえてきた。

 辺りを見回すと、建物から人が出てきた所だった。

 近寄ると、壁に書かれていたのは「喫茶 ながれ」の文字。


 一刻も早く休みたくて、どんな店なのか気にすることなくその扉を開いた。

 扉を開けるとふわっとコーヒーの香りがやってきて、あぁ、喫茶店だなと漠然ばくぜんと行村は思った。

 しかし、扉を開けた先にあったのは想像していないものだった。


「いらっしゃいませ」

「えっと……」


 目の前には電車に乗る際に通る自動改札機が1台置かれている。

 1台だけあるのが逆に違和感があるが、その改札機は最新の物ではないのかレトロな色合いをしていて、そのおかげか妙にこの空間と一体化していた。


 喫茶店に思わぬものがあり、戸惑って視線をさまよわせるしかない行村の様子に、店員の男性は気にした様子もなく対応する。


「初めてのご来店ですか?」

「はい……」

「ではこちらから入ってください」


 確かに改札と同じくらいの空間があり、通り抜けられるようになっているらしい。


「2階もありますので、どうぞお好きなお席へおかけください」


 そう言われたがカウンターは落ち着かなさそうで、2階まで行くには元気がなくて、行村は1階の適当な席に座ることにした。


 ソファーに背をあずける。やっと一息つけたことで、周りを見渡す余裕が生まれた。

 少しオレンジがかった証明が店内を優しく照らしており、漂うコーヒーの香りとほっと落ち着く雰囲気で、先ほどまでの疲れもどこか軽減されたように感じた。


 それから脇に置かれたメニューを開いたところで、お水とおしぼりが机に置かれ、顔を上げると店員が立っていた。


「お水とおしぼりをどうぞ」

「ありがとうございます」

「本日のケーキセットは、イチゴショートケーキ、チーズケーキ、シフォンケーキの中からひとつお選びいただけますので、よろしければどうぞ」


 3つの中からひとつか。疲れた体に甘い物もいいかもしれない。


「ご注文はお決まりでしょうか?」

「あ、まだです」

「ではご注文が決まりましたら、お呼びくださいませ」


 一礼して去っていった店員を見送って、再度メニューに目を通す。

 喫茶店というように、飲み物の欄にずらっと並んだコーヒーや紅茶達。一通り目を通してみたが、何がなんだかわからない。そうしてページをめくっていくとその中で目をいたのは、クリームソーダ、パンケーキなどの定番メニューだった。

 真新しさはないものの、それが逆に心惹かれる。

 他にもナポリタンやオムライスといった食事系のメニューを見ていると、昼食を食べたのにお腹がすいてきそうだった。


 注文が決まったところで顔を上げ、店員の姿を探せば先ほどの店員が近づいてきた。


「ご注文はお決まりでしょうか?」

「はい。ブレンドコーヒーと、パンケーキをひとつ」

「ありがとうございます。ご注文を繰り返します。ブレンドコーヒーおひとつ、パンケーキをおひとつ、以上でよろしいでしょうか?」

「はい」

「かしこまりました。少々お待ちくださいませ」


 一礼して去った彼はベストにネクタイというクラシカルな装いをしていた。若そうな外見をしていたが、彼がこの店のマスターなのだろうか。

 喫茶店にあまり馴染みのない行村は、おじいさんがマスターというイメージがあり、カウンターの方を見てみれば、コーヒーを淹れるおじいさんがいた。イメージ通りの人がいたから少しだけ驚いてしまう。


 聞こえてきたドアベルの音。

 その音に導かれるままカウンターから視線をそちらへ向けると、あの改札機に何かを入れて通る人がいた。


「え」


 駅ではごく当たり前の光景であったが、喫茶店の中だと思い出せばやはり違和感の塊のようなものだった。

 それからしばらくして、またある人はレジで会計をすることなく改札に吸い込まれていき、何かを入れて通り過ぎていった。

 切符のような何かを改札機に入れているのだが、行村の頭の中には一体どういった仕組みになっているのかわからなかった。


 ふと、テーブルに広げていたメニューに挟まっていたコーヒーチケットの案内が目に入った。コーヒーチケットは11枚組みで販売されているとのこと。

 コーヒーチケットというものがあるのは聞いたことがあったが、あまり馴染みのない行村には買う勇気も必要性も感じなかった。だが、これであの改札の意味がわかった。この店では、コーヒーチケットを切符のように使えるのか。


 しかし使用用途がわかったとて、なぜ喫茶店に改札があるのかという理由にはなっていないが、初めて来た店で聞くことも気が引けて疑問を残したままとなるのだった。


 今度は店内の様子が気になって行村が観察していると、今居る1階はカウンター以外はソファー席が多くあることに気が付いた。

 木製のテーブルはアンティーク調で、店の家具や内装はホワイト、ブラウン、グレーの3色で揃えられている。これがほっとする一因にもなっているのかもしれない。

 その一方で、カウンターの奥に並べられたカップが遠くから見ても迫力があり圧巻の景色だった。


 店内に控えめに流れるクラシックやジャズと、わずかに聞こえてくる人の声がどこか落ち着かせてくれる。

 忙しなく過ぎていく時間とは違い、この中はゆったりと流れていく。この空間がそうさせるのか、そこで過ごす人もどこかゆったりとしているように見えた。

 年齢層も広く、ひとり客が多い。若い女性が本を読んでいたり、髭をたくわえたおじいさんがコーヒーをちびちびと飲んでいたり。美味しそうにパンケーキを食べる子供もいて、行村はどこか安心していた。


 ひとりやってきた見知らぬ街。

 もちろん知り合いなどいない。これから暮らしていくことに不安がない訳ではなかった。沸き上がる孤独感を見ないふりした。

 だが、ここは自分が居てもいい場所なのだと、そう思えたのだ。

 あの改札さえもこの空間は受け入れているのだから。


「お待たせ致しました。こちらブレンドコーヒーと、パンケーキでございます」


 テーブルの上に置かれたコーヒーの甘く香ばしい香りが鼻をくすぐる。

 見るからに柔らかそうなパンケーキは分厚くて、表面は綺麗に焼き目が付いて食欲をそそられる。惹き付けられて目を離すことができなくなっていた。


「ごゆっくりどうぞ、失礼します」


 まずはコーヒーを一口含む。まろやかな苦みと酸味を感じた気がするが、詳しいことはよくわからない。

 そしてパンケーキにのせられたバターが溶け、染みこんだシロップが視覚を攻撃する。

 堪らず口に運べば、ふわふわの食感とほんのりとした甘さ。胸にじんわりと広がるのは懐かしさだろうか。

 コーヒーを飲むと、パンケーキの甘みとコーヒーの苦みが合わさって口の中に広がった。


 空腹と心が満たされていく。

 この一杯がなくなるまで、ここに居ていいんだ、そう思えた。



 レジに向かえば対応してくれたのはおじいさんで、暖かい微笑みを浮かべているのが特徴的だった。


「ありがとうございました。またお越しくださいませ」


 小さくお辞儀を返した後、改札機の横を通り過ぎながら横目で見る。

 どうしてもこの改札のインパクトが大きすぎて、改札のある喫茶店としていろんな人の記憶に残っていそうで、それは少しだけもったいないような気がした。


 扉を開けて外に出ると、入った時とは全く違った満足感で満たされていた。

 振り返って店をよく見れば、裏路地にあるのもあり隠れ家のような、子供心がくすぐられるのを感じる外観だ。


 またこの喫茶店に来よう。

 ここはいつでも包み込んでくれるはずだから。


 店を出た後に街を歩くと不思議とこの街が少し好きになったような気がした。

 行村は足取り軽く、家へと歩みを進めた。

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改札喫茶 伏見 悠 @sacura02

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