妖精の森物語

シフォン

プロローグ 遠い未来の話


そこには、一人の少女が居た。


ミルクティー色の長い髪。


深い海を切り取ったような瞳。


瞳と同じ色のスカートを風にはためかせながら、口を開く。


「はじめまして。貴方はだあれ?もしかして、旅人さんかしら」


首を横に振り、自分の立場を正直に告げると、少女は納得したような顔をした。


「ああ、この世界を『記録』しに来た方なのね。噂には聞いていたけれど、『外』から来た人に会ったのは初めてよ」


人ではなく魔法使いだ、と拗ねたように返答する。

少女は笑いながら謝った。

花の咲くような、という表現がぴったりの微笑みだった。


「この世界の物語は、ずっと昔に遡るの。何千万年、何億年も前の話。この地球に、まだ人間が住んでいた頃の話」


貴女は人間ではないのか、そう少女に問いかける。


「私は……何と言えばいいのかしらね、少なくとも、人間ではないはずよ。たぶん数万年前は、人間だったのだけれど。私の寿命はね、この地球の寿命と同じなの。人間ならばそんなに長くは生きられないでしょう」


空を見上げながら答える少女の横顔が哀しげだったので、嫌なことを訊いてしまったかと思い、謝った。


「大丈夫。あの頃のことを、少し思い出していただけ。私は幸せ者よ。長い時を生きてきたけれど、ずっと、皆がいてくれたから。私と同じような存在が、他にもいるの。私は一人じゃない」


そこまで言うと、少女は決意したように深く息を吸った。


こちらを見据える深い蒼には、先程まではなかった強い意志が浮かんでいる。


「魔法使いさん。お願い。私の話を聞いて行って。この世界の、『物語』を」


もとよりそのためにここへ来たのだ。覚悟を決めて、力強く頷く。


一瞬、視界が真っ暗になった。





____________________





てを、のばした。

くらいくらいやみのなか、あたたかなひかりが、みえたきがした。

ああ、たどりつけたんだ………

あんしんして、ねむりにつく。

わたしは……しあわせに、なれるのかな。


あめのおとは、きこえなくなった。





くらやみの中で、手をのばした。

雨が降っている。体中がぬれている感じがする。

ひどく寒い。

何もきこえないし、何もみえなかった。

どこか、めざすべきばしょがあったような気がするけれど、それがどこだったかは、覚えていない。

そもそも、ここがどこであるのかもわからない。

もう、いたみは感じない。


たどり着かなければ。

きっと、見つけてもらえるはずだから。

たどり着かなければ。

きっと、この苦しみから救い出してもらえるはずだから。


雨の音がつよくなる。




赤色の中で、必死に手を伸ばした。

前に進もうと藻掻く度に、脚の付け根から血が零れる。

痛い。痛い。痛い。

痛いのはもう、嫌だ。

こんなところにはもう居たくない。

私は、理想郷に辿り着くのだ。

脚を切り落とされた。

腕を失った。

それでも、諦めるつもりはない。

罵声が聞こえる。

荒々しい足音が聞こえる。

人間が、追いかけてくる。

逃げなくては。

あの地獄から、少しでも遠くに!

進まなくては。

理想郷に、少しでも近付くために!

口の中に、血が溢れた。

息ができない。

目の前が暗くなってゆく。

かすかに、雨音が聞こえた。







痛みの中で、必死に走った。

もう限界だ。痛いことをされるのも、苦しいのも、もう、嫌だ!


今までは、どんなことにも従順に従う以外に、生きる術はないと思っていた。


だって私は、妖精だったから。


妖精。当たり前のように道具として扱われ、酷い目に合わされる種族。


動かなくなれば、無惨に捨てられていく仲間たち。いつか自分もああなるのだと、分かっていた。


けれど私は、そうなる前に逃げ出すことを決めたのだ。


きっかけは、理想郷の噂を聞いたこと。


どこか深い森の奥、すべての妖精が守護され、傷付けられることなく生きていける場所がある。


その場所は人間には見つけられない場所にあり、辿り着いたものは幸福に暮らすことができる。


妖精の森__そう呼ばれる場所の存在が、奴隷の妖精たちの間で囁かれていた。


しかし理想郷を目指そうとする者はいない。


「きっと、逃げたらお仕置きされるよね」


「殺されてしまうかも」


失敗したあとのことが、怖いからだ。


そして、皆が諦める。


「きっと作り話だよ。私達が平和に暮らせる場所なんて、あるわけがない」


そんな言い訳で、自分を誤魔化して。


だけど、私は諦めない。



私は、理想郷を目指すのだ。









ある広い屋敷の地下に存在する、牢屋のような部屋。


入口には錆びた鉄格子が嵌められ、掃除の行き届いていないそこに、薄汚れたいくつもの人影があった。


使い古された雑巾と大差ないようなぼろぼろの布切れを身に纏った人影__彼らはその屋敷の奴隷であった__たちが、小声で何か話している。


「あの子、死んじまったんだとさ」


「仕方無いよ。要領も頭も悪い子だったもの。どうせ早死にすると思ってた」


「あんな噂を本気で信じて脱走するなんてどうかしてるわ」


「私達は言われたことに従ってさえいれば、屋根の下で眠れるしご飯ももらえるのに。あの子はどうしてそんなことしたのかしら」


屋敷から一人の奴隷が脱走したらしい。


妖精が幸福に生きられる理想郷、「妖精の森」の噂を信じて。


子供騙しの御伽噺を本気にして。


そして、見つかって、殺されてしまったのだ。


こんなことはごく当然の話だ。奴隷ようせいの分際で、にんげんに逆らったのだから。






理想郷など、存在するわけがない。




____________________





「こんなのは一例にすぎないわ」


「この時代、妖精たちは人間から虐げられていた」


「これは、妖精たちが自由を取り戻す話」


「これは、妖精たちの、そして人間の滅びの話」


「私達の過去が作り出してしまった、哀しい未来の物語」






表紙にも、めくったページにも何も書かれていない、まっさらな本を開く。


一番最初のページを指でなぞると、そこには少女が話した言葉が一字一句違わずに現れた。


その瞬間、本の表紙が蒼く揺らめき、数秒の後、そこには文字が、その物語のタイトルが刻まれていた。


『妖精の森物語』


それが、この物語の名前らしい。


魔法使いは本を閉じ、また少女の話に聞き入った。




「妖精の森」。誰も、本気でその存在を信じてなどいない。

けれど確かにそれは存在する__噂通りの理想郷であるのか、それとも全く別のものであるかはさておいて。


妖精は抗う。虐げられることを当たり前とされてきた、種族の運命に。

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妖精の森物語 シフォン @hatoya4126

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