第6話 レインコート


 突如隣の部屋から現れた包帯男。

 彼は叫びながら登場すると、警戒するように僕らを見回した。

 包帯の隙間から覗くグリーンの瞳がリオを見て、次に僕を睨む。


「キミたち! あれを、あれを持ってないだろうね!!」

「あ、あれ……?」


 僕が首を傾げると、男は腕を掻きむしって僕のバックを指さした。


「パガトの樹液が塗りたくられた雨具をここに持ち込むなぁ!!」

「ぱ、ぱが……何?」

「雨具……。あぁ、これの事かい?」


 男の言葉を理解して、リオが自身のバックから雨具を取り出した。

 すると、包帯男の目がカッと見開かれ、ものすごい勢いでリオから距離を取った。


「そう! それだよそれ! ボクはそれに塗られているパガトの樹液がアレルギーなんだ! それと同じ空間にいるだけでもう痒くて痒くて仕方ないんだ! だから、早くそれを外に!!」

「なるほど、そういう事か……。そいつは失礼したよ。今すぐにでも外へ出そう。ね、ノア」

「はい。すみませんでした」

「あ、あぁ……。分かってくれればそれでいいんだ。こちらこそ大声を出してすまなかったね」


 包帯男が頭を下げたのを見て、僕らは悪臭の放つ雨具を洞窟の入口あたりに置いてきた。

 それから再び包帯男の所へ戻っていく。


「言いつけ通り、置いてきましたよ」

「そうか。キミたちの素直さに免じて雨が止むまでここにいてることを許可するよ。お茶でも飲む?」

「ありがとう。いただくわ」


 包帯男のお誘いに、リオが二つ返事で乗っかった。

 見るからに怪しい男だが、人となりは先程の会話で分かったということだろう。

 リオが机に並べられた椅子に腰をかけたのを見て、僕も同じようにリオの隣の椅子に座った。


 それからしばらくして男が三つのコップを載せたお盆を持ってやってきた。

 余程お茶が熱いのだろうか、手には厚手の手袋を嵌めていた。


「キミたち、名前は?」

「私はリオ。この少年はノア」

「よろしくお願いします」

「リオと、ノアか……。ボクはレインだ。よろしく」


 包帯男──レインは席につくなり、そんな話から始めた。

 それからしばらく他愛もない雑談が続いた。

 しかし、外の天気や外の情勢について聞かれたあたりで、僕もリオも同じ疑問を感じた。


「レインはずっとこの地下室にいるのですか?」

「それは……」

「部屋を見れば大方の見当はつくけどね」


 僕の質問にレインが言葉を濁す。

 するとリオが周囲を見渡してからレインの仕事を言い当てた。


「何かの研究……かな?」

「……リオは頭がいいね」

「それほどでもないよ」

「謙遜はいらない。キミがボクの仕事を言い当てたのは事実だからね。──そう、ボクはここで長いこと研究をしているんだ」

「どんな、研究ですか?」

「…………」


 僕が尋ねると、レインは少し考えるように黙った。

 それから僕らの顔を見回す。


「見苦しいものを見ることになるかもしれない……」

「見苦しいものですか?」

「構わない。けれど……ノア」

「はい?」

「驚くのは仕方ない。しかし、決して相手を不愉快にさせるような態度を表に出してはいけない。人が弱音をさらけ出す時に覚えておかなければならない事だよ」

「……分かりました。レイン、僕にも見せてください」


 リオの忠告に頷くと、僕はレインの方を見つめた。

 彼はリオの言葉に安心したようで、先程までの強ばった表情とは一変していた。

 レインの手が腕に巻かれた包帯へと伸びる。

 何重にも巻かれたその包帯が解かれていく過程は長年封印させれていた呪物を解き放つくらい慎重だった。

 そうして、腕から肩にかけての包帯が解かれた。


 僕は顕になったレインの腕を見て、リオの忠告通り驚き以上のリアクションを顔に出さなかった。


「ありがとう」


 レインが僕らの態度に感謝を述べた。

 そうして彼は再び腕に包帯を巻き始めた。


 結論から言うと、彼の腕は傷だらけだった。ただこれは外傷ではなく、内側から破裂したような、喰われたようなそんな傷だった。


 僕らが彼の状態について考えていると、レイン自らその答えを教えてくれた。


「ボクのこれはアレルギーへの拒否反応なんだよ」

「さっき言ってたヤツですよね。パガトの樹液がっていう……」

「それもあるけど、ボクのこれはパガトの樹液によるものじゃない。あれはただ痒みが出るだけなんだよ」

「じゃあ、それは……?」


 僕が尋ねると、レインは一瞬いたずらっぽい顔を浮かべた。

 そして彼は包帯を巻く手を止めて、傷だらけの指をコップの上にかざした。

 何をする気だろう、と僕が眺める。

 すると、彼は一本の指をお茶の中に突っ込んだ。


「────ッ!!」


 途端、レインが苦しそうな顔をし、直後に引き上げられた指を見て、僕らは絶句した。

 その指はグジュグジュと爛れ、赤色だった所が青紫色に変色していたのだ。

 あまりの衝撃にリオの言いつけを破り、僕は驚き以上の感情を顔に出してしまった。

 それを見て、レインがふっと自嘲する。


「スゴいだろ。これがボクのもうひとつのアレルギー。ボクはね──水アレルギーなんだよ」

「水……それは難儀な」

「あぁ。不便で仕方ないよ。工夫しないと水分を摂取出来ないし、湿気にも注意しないといけない。雨の日なんて外にさえ出られないんだからね」

「水分や湿気は仕方ないしても、雨の日は雨具を着ればいいんじゃないんですか?」


 僕が尋ねると、レインではなくリオがそれを否定した。


「レインはパガトの樹液も駄目なんだ。雨具なんて着られやしないよ」

「あ……。そうでした。すいません」

「いや、いいんだ。むしろいい質問だったよ。ノア」

「いい質問だった?」


 レインの言葉に首を傾げると、彼は不意に立ち上がった。

 それから隣の部屋への入口の前に立った。


「隣は研究室なんだ。続きはそこで話そう」


 そう言って隣の部屋に進むレイン。

 その後をリオがついて行き、最後に僕が扉を閉めた。


 ▼


 研究室は薄暗く、奇妙な緑色のランプが天井に吊るしてあった。

 だが、僕らが入ると通常の白いランプが点灯された。


「今のは?」

「緑の方が研究室っぽくない?」

「あぁ、そういう……」


 レインの遊び心はさておいて、僕は彼の研究室をぐるりと見回した。

 色々な器具がそこいらに散らばっているが、どれが何の用途で使われるのかはさっぱり分からなかった。

 唯一分かったのは、部屋の奥の方に失敗物であろう、バツ印のついた物がたくさん並べられている事だった。


「さっきノアが言った通り、雨がダメなら雨具を着ればいい。実にその通りだ。けれど、ボクはパガトの樹液もアレルギーでそれは出来なかった」

「すいません……」

「いや、いいんだよ。これが大事なんだ」

「……?」

「つまりね、ボクは考えたんだ。パガトの樹液を使わない雨具があればボクは雨の中でも外を歩けるってね!」

「なるほど」


 レインはそれから長年の苦労を長々と語った。

 たまたま訪れた冒険者に薬草の採集を依頼したことや、薬草と薬草を組み合わせたら水が吹き出して死にそうになったりしたことなどなど。

 だが結局、彼の努力も虚しくあと一歩の所で研究は失敗してしまったらしい。


「だが! ボクは諦めなかった。それからも研究を続け、ついに作り出したんだよ! 最強の雨具を!!」


 そう言ってレインはコートのような形の服を取り出した。


「これの名は『レインコート』。海辺に生息するミズヨケナマコの粘液を、水を吸収しやすいローブヘルバに塗ることでボクは撥水性99パーセントの雨具を作り上げることに成功したんだ!!」

「99!?」

「確か、パガトの樹液を使った雨具は40パーセントくらいしか撥水出来なかったはず。それに比べると、すごい所の騒ぎじゃないね」

「そうだろ! それに、こいつはパガトの樹液のように悪臭を放たないんだよ」

「そんなことまで……!?」


 撥水性99パーセントっていうだけでもすごいのに、あの鼻につくような悪臭まで取り除かれているなんて、まるで夢のようなアイテムではないか。

 僕がそう感想を述べようとしたが、その前にレインの表情が少し曇っていることに気がついた。


「……でも、こいつをボクは着れなさった」

「着れなかった? なぜ?」

「残りの1パーセントの水が、ボクの肌が許してくれなかったのさ」


 そういったレインの顔は少し寂しそうであった。

 僕らはレインに何もいえなかった。

 その代わり、レインが気丈に振舞った。


「だからさ、これはキミたちにあげるよ」

「え!? いいんですか?」

「あぁ。ボクの話を聞いてくれたお礼だ。久しぶりに人と話せて楽しかったよ」

「私も、面白かった」

「そりゃ良かった」


 レインはそう言って笑うと、僕らにレインコートを手渡した。


「そろそろ雨が止むだろう。旅人キミたちにとっては出発の時間だろう」

「あぁ。レイン、キミはこれからどうするんだい?」

「ボクは……100パーセントの撥水性を持つ雨具を作るために研究を続けるよ」

「頑張って」

「あぁ」


 リオは最後にそう言うと、僕の肩を叩いて研究室を出た。

 僕も最後にレインに感謝を述べると、リオの後を追った。


 地下室を出ると、洞窟の外は晴れていた。

 僕らはレインに貰ったレインコートを大切にバックに仕舞うと、次の街に向けて旅に出た。


 ▼


 これは余談だが、リオとノアがレインコートを着て旅に出る姿を見た商人が二人にレインの居場所を尋ねた。

 そうして数年後、彼のレインコートは大ヒット。

 レインの姿が新聞で度々目撃された。

 その時の彼は──とても綺麗な肌をしていたという。

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白き魔女と黒き鬼 ハルマサ @harumasa123

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