厄災の預言と恵みの白い雨

こむらさき

神様の言うとおり

「神託じゃ! 神託じゃ! このままではパイデッカ山が噴火するぞーー」


 切り立った崖を顎に見立て、なだらかな丘が続く喉と鎖骨……そこから再び徐々に盛り上がった二つの丸みを帯びたまとめてパイデッカ山と呼び、私たちは崇めていた。

 私、キッツ・マンコウはそんな老人ばかりの村で一族代々巫女を務めている。

 神託を受けたのは現在の巫女である私ではなく、祖母だった。祖母は力が強くて昔は人の怪我も女神の力を借りて治癒していたというけれど、私にはそんな強い力なんてない。命を司る旧い血筋のはずなのに母や祖母みたいになれない私は、毎日パイデッカ山に祈っていた。いつか素敵な王子様が迎えに来ますように、そうでないならこんな村、滅びちゃえばいいのにって。

 だから、朝、祖母が神託を受けたと言ったときに少しだけ罪悪感みたいなものを覚えた。でも、そんなの偶然だって思い直して、村長を呼びに行った。


 この一帯は外界から孤立した僻地だ。

 女神の顎山の先には複雑な海流が広がっているし、パイデッカ山の裾野は平原になっていて女神の腹とも言われているけれど、少し外れれば深い谷に囲まれているから人の往来はほとんどない。

 そのお陰で魔物なんかもここにはこれないらしいけれど。

 なんでも、遙か昔、本当に神や精霊の類いがこの世界にいた時代に女神様が人間のために私たちが今住んでいる大地になったらしい。

 空に伸びた一本の棒が、海の中心まで伸びた穴に勢い良く刺さったことで生命が溢れ、この世界は様々な動物が生まれたという伝説もあるくらいだ。

 その中でも、この大地のもとに生まれた巨大な女神は小さな命が育まれるのを見るのが好きらしく、自分の体を一つの国にして眠りに就いたのだという。

 そんな由緒正しい土地らしいけれど、それよりも、パイデッカ山が噴火するという神託の方が今の私たちにとっては一大事だ。


「女神様のお怒りじゃ! 怒りを鎮めるために分かたれた凹凸を一つの戻せと夢で告げられたのじゃが」


「心当たりはあるのか?」


「わからぬ……。ただ悲しそうな顔をしている女神様の顔とパイデッカ山のテッペンから勢い良くマグマが噴き出すのが見えたのじゃよ」


「マンコウ家の巫女と言えど先々代の巫女の話だ。勘違いということもある」


 老人達は祖母を囲んでああでもないこうでもないと話し合っている。

 私の願いを知らないみんなは、原因らしい原因もないということで悪夢に決まっているという結論を出そうとした。

 その時、両開きの大きな扉が力強く開かれた。


「我こそはダンコーン伯爵家のものである! ここより東の都から参った!」


 女神の土地と言われる場所の外から来るお客様は珍しい。

 扉を開いてきた男は顔もどろだらけだし、後ろに立っている数人の兵士や召使いらしい人たちはすっかり憔悴しきった顔をしている。

 それでも、ダンコーン伯爵家だと声を上げた男性は人並み外れた美しい顔をしているのがわかった。


「我が家の魔法使いが、どうやらこの女神の土地に祀られている宝玉を盗んだらしいのだ」


 豊かな栗色の髪はゆるやかにウェーブを描いてオールバックにまとめられているからか、綺麗に整えられた一本眉と鋭い金色の瞳がよく見える。

 スッと通った鼻梁と控えめな小鼻、厚い唇を開く度に少し鋭い犬歯が覗く。

 村にはいないタイプの小麦色の肌の美丈夫に見とれていると、村長がダンコーン伯爵に歩み寄っていく。


「それは本当か?」


「はい。リクトリスの祠から小さな真珠を盗んだのだと白状して、その魔法使いは息絶えました。身体がまるで潤滑油ローションのようにぬるぬるした液体になり、骨すら残らずに……」


 悲しげな様子でダンコーン伯爵は目を伏せる。彼の長い睫毛が頬に影を落としているのを見て、惨い死に方をした魔法使いを気の毒に思うよりも先に彼を美しいと思ってしまう自分を少し恥じた。


「な、なんと……」


「それだけなら、妙な病かと思えたのだが、その魔法使いと近しいものから徐々に同じような形で死んでいったのだ……。占い師に聞いたところ、これは旧き神の呪いだということだけわかった」


 ダンコーン伯爵は、鈍く光る金色の瞳で真っ直ぐに村長を見つめて、思い詰めた様子で再び口を開く。


「魔法使いが死んで数日後、夢で豊満な肉体を持つ緑髪の美しい女が告げたのだ。呪いを止めたければ宝玉を持ってパイデッカ山へ行けと……。その夢を見て僅かな望みに賭けることにした我々は、二十日ほどかけてようやくこの村に辿り着いたのだ。申し訳ないが……この呪いを解く方法をご存じないだろうか?」


「き、貴様のせいか! 呪いを解く方法など知らん! パイデッカ山が噴火して我らはおしまいじゃあー」


 村長はそういって、ダンコーン伯爵に殴りかかろうとする。

 疲弊した伯爵の家来たちが止めようとする前に、私の母が二人の間に割って入る。


「お、落ち着いてください」


 鼻息を荒くしたまま、伯爵を睨み付けている村長に母は更に言葉を続ける。


「女神様だって私たちを滅ぼしたいわけじゃないから神託をくれたりお告げをしたのではないでしょうか?」


「あの……その、クリじゃないや。ええと……リクトリスの祠に真珠を返すだけではダメなのでしょうか?」


 私も慌てて口を挟む。

 しかし、ダンコーン伯爵は、私の言葉に力なく首を横へ振った。


「ここへ来るまでに祠へ立ち寄ったのだが……」


「……女神様は何を望んでるのでしょうか」


 興奮していた村長も、伯爵を殴ってもどうしようもないことがわかると、一同はしんとしてしまった。

 しばらく、誰もが黙っていた。

 私もどうすることもできずに、ただただ力なく項垂れている伯爵の愁いに満ちた瞳を見ていることしかできずにいた。

 そんなとき、頭の中に祖母が言っていたことが思い浮かんできた。


「確か……分かたれた凹と凸を合わせろ……と祖母は言ってましたよね?」


 私の言葉を聞いた母は、ハッとしたように目を見開いて伯爵を見た。それから、私を見つめてゆっくりと頷いて微笑む。


「ダンコーンとは……古代の言葉で天空へ伸びるたくましい一本の幹という意味だと言われています」


 すぅっと息を吸い込んでから、母は凜と通る声でそう告げた。


「マンコウ家は……全ての生命が生まれた海……その奥深くまで続く地表に穿たれた穴という意味だったよね?」


 そう続けた私に、母は満足そうに頷いた。


「これが意味することは……マンコウ家とダンコーン家の者が手を取り合って何かをするということではないでしょうか」


 母がそう述べた瞬間に、祖母の目がぎょろりと上を向き、白目になる。

 それから長く背中まで伸ばしていた髪がゆらゆらと逆立ち、顔だけが若返り美しい緑色の髪をした女の顔になった。


「パイデッカ山の二つの山頂にそれぞれ左ビーチク寺院と右ビーチク寺院がある。その寺院にある祭壇に等しい大きさに割ったリクトリスの真珠を供えるのじゃ……。カリブト・ダンコーンとキッツ・マンコウがそれを行えば……赤き血は恵みの白き雨に変わるだろう」


 それだけいうと、祖母は糸が切れた操り人形のように力を失って倒れる。

 祖母の神託を聞いて私と、ダンコーン伯爵は顔を見合わせた。

 

「顔だけが若返り、名乗ってもいない僕の名前を知っているとは……。お告げは本物のようですね」


 手を両手で包まれて、腰を屈めてじっとこちらを見つめるカリブト様がとても美しくて、私は深く考えずに頷いてしまった。

 それから、彼は胸元から小さな片手に収まる程度の箱を取りだして開いて見せた。

 中には親指の先ほどはある大きな赤黒い真珠がぽつんと鎮座していた。そっと手を触れてみるとそれは刃物を当ててもいないのにすっと真ん中から二つに割れてしまった。


「……割る手間が省けましたね」


 やや苦笑いをしながら、カリブト様はそういうと私の手を引いて村長の家を出て行く。

 あれよあれよという間に、私は大きくて黒い逞しい馬の背に乗せられてパイデッカ山へ向かっていた。

 二つ聳えるパイデッカ山の麓で、私たちは別れることにした。


「大丈夫です。この地域に魔物はいませんから」


「それでも心配です。別々に登らねばならないとはいえ……」


 少し迷ったように腰に手を添えたカリブト様は、腰にぶら下げていた黒い刃のサーベルを私に手渡した。

「こちらをお持ちください。護身用に持っておけば安心です」


 魔物が出ないのは本当だし、私は巫女だから、いざとなればちょっとした魔法は使えるのだけれど……。

 ずっしりと重く感じるカリブト様の剣を受け取った私は、首に提げている御守を彼に渡すことにした。


「では、私からもこちらを。パイデッカ山をモチーフにした御守アミュレットです」


 二つの並んだ山を模した木彫りの飾りが付いている首飾りをカリブト様に手渡した。

 二つの山の頂点には、守護の魔法が込めてある桃色の小さな宝玉が嵌められている。

 勝手を知っているパイデッカ山なので私は落ちたりしないけれど、初めてきた彼は足を滑らせてしまうかもしれないから。

 御守を返そうとする彼の手を押し返して、私はパイデッカ山へ走り始めた。

 黄金の木々に覆われているパイデッカ山は遠くから見ると本当に美しい。山頂には綺麗な薄桃色の花をつけている大樹がずっと咲き続けている。

 毎年、収穫祭の終わりには、パイデッカ山に登って私たちマンコウ家の女たちが感謝を伝えることになっているけれど……収穫祭以外で山に登るのはなんだか不思議な気持ちがする。

 ふかふかとまるで羊毛の上を歩いているような不思議な感触がする階段を登っていく。

 地面に先端を引きずるくらい豊満な肉体をしている乳牛、ぴょんぴょんと跳びはねているパイデッカウサギは複数の膨らみをゆさゆさと重そうに揺らしながら通り過ぎていった。 

 空には人間の女性の胸部をそのまま切り抜いたような見た目の左右に羽根が生えているかわいらしい見た目のパイデッカ雀が飛んでいる。

 これらの生き物は村の近くにもたまに降りてくるし、見慣れている。外の世界にはいないらしいと聞いたけれど、本当なのかな?

 パイデッカ山に住んでいる生き物は全部女神様の加護を受けているという伝説もあって触ってみればやわらかくて温かいし、狼も狐も人を襲うことはない。外から来た人がたまーにそういう狐や狼や魔物の話をしてきたときは本当に驚いたこともあるくらい。

 もし、カリブト様に求婚をされちゃったら外に行かなければいけないのかな? それとも……なんて色々妄想をしながらのんびりハイキング気分で歩いていたら、すぐに山頂に辿り着いた。

 カリブト様も、山があまりにも穏やかだって驚いているかもしれないなって思いながら私は半分になったリクトリスの祠にあった真珠を右ビーチク寺院の祭壇にそっと置いた。

 しかし、なにも起こらない。

 まだカリブト様が山頂に辿り着いていないのだろうか? 足を滑らせて落ちていたらどうしよう? 

 でも、御守もあるから怪我とかはしていないはず……。

 はらはらして、すぐにでも隣の山へ行きたい気持ちを抑えながらしばらく待っていると、祭壇に捧げられたリクトリスの真珠が、内側から光り始めた。

 赤みを帯びた黒真珠が、中心から徐々に鮮やかな桃色へと変色していく。


 すっかり桃色になってツヤツヤと輝きはじめた真珠はそのまま真上に真っ白な光を放った。

 空間そのものを切り裂くような高音が少し遠くから響いてきたので私は慌てて右ビーチク寺院の外へ出た。

 天に向かってまっすぐと伸びた白い光が、左ビーチク寺院からも伸びている。

 成功した!

 きっと向こうの山でもカリブト様は喜んでいるにちがいない。


「これで村は救われたんですね」


 思わずそう口にした時、足下がぐらぐらと揺れた。


「キッツ……あなたの願いは叶ったかしら」


 空からそんな声が聞こえたかと思うと、背後にある右ビーチク寺院から轟音が聞こえた。


「神の恵みじゃ! 神の恵みじゃ! パイデッカ山から恵みの白い雨が吹きだしたぞーー」


 聞こえないはずの祖母の声がここまで届いた気がした。

 パイデッカ山から吹きだした恵みの白い雨は地上に降り注ぎ、村のみんなは若返り、年寄りばかりだった村は活気を取り戻した。

 そして、私はカリブト様に勇気を褒め称えられて彼の家へお嫁に行くことになった。

 女神の土地から出て大変なこともたくさんあったけれど、私は今日も遥か遠くにあるパイデッカ山とそこに眠る女神様に祈りを捧げている。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

厄災の預言と恵みの白い雨 こむらさき @violetsnake206

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ