花咲く君に、はなむけの恋を

「岸花さん!!」

「来てくれたんだ」


 駅に着くと、そこにはスーツケースを持った岸花さんがホームの上で1人で立っていた。海外に行くはずだったのにどこにも付き添いの姿は見えない。


「もうちょっとで来ちゃうね」

「……本当に、行くの?」


 まだ現実味がない。岸花さんの言っていること全てが嘘であってほしいと願う自分がいる。それでも、彼女がそれに応えるように見せた悲しげな顔で僕は全てを察してしまった。


「あなたは、私に行ってほしい?」

「僕は……」


 ……行って欲しくない。今すぐにでも彼女の手をとってここから逃げ出したい。でも、どこかで生きていてほしいと願う自分もいる。


「私ね、本当はどっちでもいいの。この病気はながどうなっても……もう、十分幸せだったから。あなたが私を見つけてくれただけで、嬉しかった」

(……なんで、そんな顔で言うんだよ)


 儚い笑みを浮かべる彼女の後ろに、電車が滑り込んでくる。これに乗れば、彼女はもうここに戻ってくることはない。


「でも、そう……最後に、ひとつだけ心残りなのは────」


 スーツケースを引いて、彼女は電車に乗り込んで行く。僕はその後ろ姿を見つめることしかできず動けないままだ。


(……もう、手を伸ばしても届かないな)


 そして扉が閉まる直前、発車のベルにかき消されてしまいそうなほどの声で彼女は……


「────私に、『好きだ』って言って欲しかったかな」


 その言葉を最後に電車の扉が閉まり、電車がホームから離れていく音が僕の耳の中に入り込んでくる。


(これが、僕の答えだ)


 唇を噛み締めながら、僕はそんなことを考える。この選択が正しかったのか、あるいは間違えていたのかわからない。それでも……


「遅くなって……ごめん」

「……本当に、おかしな人」


 電車の揺れが心地いい。ホームがどんどん遠ざかっていく。僕はきっと、この行動を何度でも後悔するだろうけど……今はただ、隣に彼女がいることが嬉しかった。



 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜



「岸花さん……ここ、どこ?」

「知らない。ここで降りたかったから」


 どれだけの間電車に揺られていただろうか。2人で降りたのはかなり遠くの田舎の駅で、全く見たこともない景色が広がっている。


「何かあったの?」

「あそこ」


 彼女が指差した先にあったのは、電車の窓から見えた小さな河川敷。どうしてこんなところがいいのだろうかと思いながら、僕は先を歩く彼女についていく。


「これは……」


 その先にあった景色は川に沿うように咲いたヒガンバナ。たしかに綺麗な景色だけど、それ以上にまるで墓場にいるかのような不気味な雰囲気があたりを包んでいて……


「……綺麗だと、思う?」


 とても寂しげなのに、なぜか彼女は満面の笑みを浮かべている。そんな不思議な光景なのに、なぜか僕はその姿から目を離せなかった。


「知ってる? ヒガンバナって、9月の終わりに1番綺麗に咲くの。私ももう……頭が痛くて、仕方ない」

「……っ、そんなの……!」


 だから、もう彼女が限界を迎えていることもよく分かった。前髪で隠れているものの額にも花の模様が見えて、本当に彼女は咲いてしまう寸前なのだということを嫌でも理解する。


(こんなに、急に……!)


 覚悟は出来ていると勝手に思っていた。それなのにいざこの時を迎えると、どうしても受け入れられない自分がいる。今にも倒れそうな岸花さんを見るのが辛くて、思わず目を逸らしてしまいそうになる。


「見て。私だけを、見ていて」

「……はい?」


 しかし、目の前の彼女は……今にも咲きそうなその花は、僕が逃げることを許さなかった。


「体は、こんなに熱いのに……頭も、こんなに痛いのに……幸せなの。死んでしまうくらい、あなたのことが好きで仕方ない」


 よろけた彼女の体を、僕は気づいたら受け止めていた。息が荒い。熱もある。伝わってくる鼓動も弱々しい。これが、僕らの恋の結末……とても、残酷な結末。


「……僕も、好きだよ。岸花さんのことが、大好きだ」


 だとしても、そう告げずにはいられなかった。抱き締めている彼女のことが愛おしくて仕方ない。白い肌の上に、どんどん赤い花が広がっていく。


「やっと……言って、くれたね」


 それはおぞましいほどに鮮やかで、燃えるように真っ赤な花。こんなにも生き生きとしているのに、岸花さんの体は刻々と終わりへと向かっている。


「もう……咲く、みたい……あなたの……大好きな、花」

「……うん、大好きだよ」


 それでも、その花を心の底から綺麗だと思ってしまった。脳裏から焼き付いて離れないほどに……初めて見たあの日よりも、ずっと。


「そう……なら、良かった……」


 岸花さんは、笑っていた。死ぬ寸前だと言うのに、花が咲くような満面の笑みで……僕は溢れ出しそうになる涙を抑えながら、それに応えるように必死で笑う。


「……ありがとう。私を……殺して、くれて。私に……恋を、させてくれて」

「お礼を言うのは、僕の方だよ」

「お互い様……だね」


 どうか、この恋が彼女への手向たむけに……いや、はなむけになるように。どうか、彼女がこの気持ちのまま咲けるように。


「私……すっごく、幸せ……」

「……………………あぁ────」


 ────とても、綺麗だ。



 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜



(やっぱり、お盆の時期は忙しくなるな)


 店先に置いた花に水をやりながら、僕は店の中を覗き見る。いつもは人がまばらな小さい店なのに、今日は花を買いに来た人でいっぱいだ。


「この店も、そろそろ1周年か……」


 大学を卒業してからバイトして貯めたお金でこの店を始めてからもう1年が過ぎた。商店街の小さな店なのにここまで人が集まってくれるようになったのは、本当に幸運だったのだろう。


「……ねえ、店員さん!」


 そんなことを考えていると、足元で小さな子供の声がする。聞き覚えのない声だから、常連の人というわけではなさそうだけど……と、少し疑問に思いながら僕はその小さなお客様を見ると……


「お花、好きなんでしょ? これ、あげる!」

(……どう、して?)


 その5歳くらいの少女が持っていた花を見て、僕は何も言えなくなってしまった。


「す、すみません! この子、商品を勝手に……もちろんお金は払います! しっかり叱っておきますので……ほら、謝って!」


 それは、単なる偶然だったのか。あるいは、知らないうちに目を向けていたのか。はたまた、ある種の奇跡だったのか……


「店員さん……嫌い、だった?」

「……ううん、全然。ありがとう」


 僕は少し落ち込んでそう聞いてくる少女の白い髪を撫でながら、笑顔でそう返す。


「ほんとに? この花、好き?」

「大好きだよ。僕の……世界で1番、大好きな花なんだ」

「やっぱり! 私も……この花、大好きなんだ!」


 ────満面の笑みでそう告げる彼女の手には、真っ赤なヒガンバナが握られていた。


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花咲く君に、はなむけの恋を。〜『恋をしたら死ぬ』病気の無表情な美少女を看取るまで〜 ゆーやけさん @yuuyake2756

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