その彼岸花は愛で咲く

「これって、血……!?」


 倒れ込んできた岸花さんが唐突に血を吐いた。あまりに唐突のことだったので、僕は息を荒くして辛そうにしている彼女の体をただただ支えることしかできない。


「手からも血が出て……って、これ……」


 彼女の袖の部分も赤く染まっていることに気づいた僕は、出血しているのかと思って急いでその袖を捲った。しかし……


「……花?」


 そこにあったのは、あの日の放課後に見た彼岸病の『花』。背中だけにあったはずのそれが、なぜか腕にまで広がっていた。しかも以前よりひとつひとつの花が大きくなり、色の濃さも増している。


(なんでこんなに広がってるんだ……!?)


 薬はきちんと飲んでいた。病気は生まれつきと言っていたから、花の広がる速度はあまり速くないはずだ。それなのに、どうして1ヶ月程度でこんなに病気が進んでいるんだ?


「ごめん、なさい。また、私……」

「岸花さん、大丈夫!?」


 そうして僕がうろたえていると、意識を取り戻した岸花さんがこちらに体重をかけながら小さくそう告げる。体温もかなり高いし、まだ息も整っていない。


「大丈夫。こうなるのは、から」

「分かってた、って……こうなる理由なんて何も……」

「……ずっと、隠していたから」


 しかし彼女はこの異常な変化の理由を知っていたようで、今にも消え入りそうな声で僕に隠していた秘密を語り始めた。


「彼岸病は……心を動かすと、どんどん広がっていく病気。嬉しいとか、悲しいとか、楽しいとか、辛いとか……私が飲んでいたのは、それを抑えるための薬だった」

「心を動かすと、花の模様が広がる……?」


 岸花さんがずっと飲んでいた薬は……彼女が基本的に無表情だったのは、それのせいだったのだろうか。『花』を広げないために、何も感じないように。


「だけど、どうしても薬じゃこの気持ちを抑えられなかった。あなたのことを、心から好きになってしまったから」

(じゃあ、この花が広がった理由は……僕?)


 彼女の言葉が本当だとしたら……それはつまり僕がいなければここまで病が速く進むこともなかった、ということになる。


「……だから、隠してた。優しいあなたは、きっと私を傷つけない。本当のことを教えたら、離れていくのは分かってたから」


 僕は彼岸病を、ただ花の模様が広がるだけの病気だと思っていた。でも、もしそうじゃないとしたら。病気が進行するたびに、彼女の体もむしばまれているのだとしたら。


「本当のことって、もしかして……」


 初めて話したあの日に立ちくらみと言って倒れかかってきたのも、薬の量が増えたのも、今日血を吐いたのも、全部納得がいく。


 もしかして、この病は……


彼岸病このはなは、不治の病。全身に模様が広がったら……死んでしまうの」

(岸花さんが、死ぬ?)


 『死』という言葉を聞いてなお、僕はその現実をを受け入れられなかった。もしこの病で岸花さんが本当に死ぬのだとすれば、きっと彼女を殺すのは……


(僕が、殺すのか?)


 そんなこと耐えられない。耐えられるわけがない。そう気づいた瞬間、僕は急いで彼女から距離を取ろうとするが……


「行かないで」

「……岸花さん?」


 しかし、彼女はそれを許さなかった。僕の服の裾を掴んだまま、静かにこちらを見つめている。


「初めてだったの。私の病気はなを、好きって言ってくれた人は」


 僕を引き止めている彼女の手は震えていた。振りほどこうとすれば一瞬で離れてしまうほどに、弱々しい力だった。


「両親も、親戚も、友達も……これを見たらみんな離れていったから、この花が育つのは、悲しい時だけだった」


 僕に語りかける彼女の声は震えていた。外から聞こえてくる風の音にかき消されてしまいそうなほどに、弱々しい声だった。


「だから……あなたには、最後まで見ていてほしい。この病気はなが……あなたが好きだって言ってくれた花が、咲いてしまうまで」


 でも、彼女の目はまっすぐにこちらを見つめていた。それは今にも吸い込まれてしまいそうなほどに強くて────


「────あなたは、私を殺してくれる?」


 それは、受け入れるにも、否定するにも、残酷すぎる『告白』。


「僕、は……」

「……私、待ってるから」


 僕は何も答えられないまま、ただ歩き去って行く彼女の姿を見ることしか出来ない。


 その翌日から、岸花さんは学校に来なくなった。


 

 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜



 それから1週間が経った日の朝のこと。僕は学校にも行かず、家から少し遠い駅に向かって全力で自転車を漕いでいた。


(頼む、間に合ってくれ……!)


 その理由は今日の朝にした岸花さんとのLIME。1週間音信不通の状態だった彼女から突然送られてきた、アメリカ移住の連絡で始まった会話だった。


『私、アメリカに行くことになったの。日本では出来ない手術をさせてもらえることになったから、9時に紫陽花駅まで見送りに来てほしい』

『それって、病気が治るってこと!?』


 最初にそのメッセージを見た時に、僕は彼女の病気を治す方法が見つかったのだと思っていた。


『ううん。そうじゃないの』

『でも、手術するって……』


 しかし彼女から送られてきたのは、そんな都合のいい話ではなかった。


『水が無いと花は咲かない、ってこと』


 一瞬その言葉の意味がわからずに思考が止まり、その直後に彼女が言っていたことを全て思い出す。アメリカ。日本では出来ない手術。病気が進行する条件……


(もしかして────)


 ────感情みずがないと、病気はなは咲かない。もしそういう意味なのだとしたら、彼女が受ける『手術』は……


(……っ、とにかく今は急がないと!)


 僕はそんな最悪な想像をかき消すように、ただひたすら自転車を漕ぐのだった。

 

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