メドゥーサの首(黒歴史放出祭版)

土岐三郎頼芸(ときさぶろうよりのり)

石化

 それはまだワタクシの髪の毛がフサフサだった昔の話。三〇代前半の頃だ。


 LGBTQに比較的寛容な東南アジア某国。早朝の人気のないロビーでワタクシはそれに遭遇した。


 向こうから、熱帯の国では珍しくピシッとスーツを着こなして髪を七三分けにした四角い顔でガッチリとした肩幅の中年紳士が歩いてきた。


 ワタクシはその紳士とぶつからないように距離を取ろうとした。そのとき事件が起こった。


 紳士はいきなり腕を伸ばしてこのワタクシを強く引き寄せ、そのままワタクシの身体を抱きしめたのだ。


 まさか男のワタクシが痴漢に襲われるとは!


 ワタクシは講習会でコマンドサンボを習ったこともあり、最低限の護身はできる自信があった。


 だが、殺気のない紳士による突然の変態行為には全く反応できなかった。


 生まれて始めて遭遇する痴漢だ。頭の中が真っ白にになり、ワタクシは身体も動かせないで固まってしまった。


 そう、まるでメドゥーサの首を見せられた石化したギリシア神話の怪物ケートスのように。


 変態紳士はワタクシが身体を動かせないのをいいことに、このワタクシの耳朶に唇を近づける。


 くそっ、なにをする気だっ!


 やめろ、頼むからやめてくれ!


 変態紳士は熱い吐息がかかるほどギリギリまで唇を寄せてハスキーな声で囁いた。


 現地のコトバのその意味はしっかりワタクシに伝わった。


「兄ちゃん、社会の窓が開いとるでえ」


 紳士は白く整った歯並びを見せてニカっと微笑むとワタクシの肩をポンポンと叩き、片手を挙げながらどこかへ去っていった。


 ワタクシは時間が止まったようにロビーで石化したまま取り残されていた。


 十数秒ほど経ってようやくワタクシは事態を認識した。 時は再び動き出した。


 石化の呪縛を逃れたワタクシが最初にしたことが、手を動かして社会の窓をそっと閉じたことであることは言うまでもない。


 非常に怖い思いをしたおかげで痴漢にあった女性の気持ちを少しだけ理解できるようになった。


 以上ほぼ実話の黒歴史である。


 笑いたきゃ笑え!


 ホントに怖かったんだってば!

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

メドゥーサの首(黒歴史放出祭版) 土岐三郎頼芸(ときさぶろうよりのり) @TokiYorinori

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画