第17話 散る者、咲く者
老兵は、腰の剣を抜き放つ。
44年間、手入れを怠れることがなかった刀身は、命を吸い取りそうな冷たさで光る。
「国王陛下の命により、これより賊軍を討伐する!
陛下の周囲に円陣を組め! 陛下をお守りしろ!
臣下として役割を果たすのだ!」
その朗々とした命令は、呆然と立ち尽くしていた者達に息を吹き込む。
王太子いや新王の側近達は、主の周囲に集まろうとする。
ヒロインは叫んだ。訳がわからなかった。
「な、なにをしてるのよ!
みんな死んじゃうわ! みんなみんなみんな!」
悪役公爵は叫ぶ。
「時勢の流れすらわからぬ愚か者どもと剣を交わすのも馬鹿馬鹿しい。射殺せ!」
反乱者から一斉に矢が放たれた。
老人の腰から抜き放たれた剣が幾十本かを払いのけたが、矢の数が多すぎて防ぐには足りない。
王子の側近達がその身をもってさらに何本かを防がせられたが、それでも足りない。
老人は、矢を払いのけながら、さりげなくヒロインを押した。
何を優先すべきかは明白だった。
この場にいる誰よりも、新王が優先される。
賊軍を討伐せよ、という王命がなければ彼は平然と自分を犠牲にしただろう。
だが、王命を完遂するまでは死ねない。
そのために、側近達、そして側にいた男爵令嬢を犠牲にするのは理の当然だった。
一番地位が低く取るに足らない男爵令嬢を最後にしたのは、老兵なりの配慮だったのかもしれぬ。
「え。あ」
ヒロインの額に、ぶすり、と矢がささった。
それは速やかに脳髄を破壊し意識を断つ。
彼女は最後の瞬間に思った。
なんでこんなことに。
あの老人さえいなければ――
だが彼女は知らなかった。その原因の一端が自分にあるのを。
『王子の攻略イベントその1』
学園の庭。高位貴族しか入れない筈の区画での出会いイベント。
彼女が素直にそのイベントを起こしていれば、当時警備のひとりであった老兵は、責任を押しつけられて辞めさせられていた筈だったのだ。
ヒロインが倒れ、新王がテーブルの下に飛び込んだのを確認した老兵は、疾風と化す。
ひとりで突っ込んで来る老人に対して、悪役公爵の前で手柄をあげようと山っ気を起こした数人が立ち塞がったが、老兵が繰り出す剣風に切り刻まれた。
舞い散る血しぶきの凄絶さは、金儲けの匂いにつられただけの反乱者達を恐怖させた。
確かに反乱軍は、荒事になれたゴロツキや金のためには不正を厭わぬものどもであった。
だが、彼らとて血で血を洗う実戦の経験はなかった。
大部分は、自分より立場や肉体の弱い相手を嬲って強者を気取る者どもでしかない。
彼らはたちまち腰砕けになり、雪崩を打って老兵の前から逃げ散った。
悪役公爵は目を見開いた。
老兵と彼の間には誰もいない。
「な、な、なななな」
慌てて腰の刀に手を掛けようとした瞬間。
悪役公爵の首は宙を舞っていた。
余りの剣速に、悪役公爵の胴体はしばらく立ったままで腰の刀を抜こうとしていた。
「ぱ、パパ! いや――」
老兵は返す刀で、悪役令嬢の肩から腰にかけて袈裟切りにした。
反乱に加担した一族は族滅と、国法に定められているからだ。
悪役令嬢の体を斜めに切断して、凄まじい血しぶきがあがった。
黒いドレスを真っ赤な鮮血に染めて、体の中央が斜めにずれてくずおれていく。
瞬時に生じた大量の失血と、心臓を含む内臓を破壊された衝撃が意識を断つ。
「わ、わたくし――」
彼女は最後の瞬間に思った。
なんでこんなことに。
この老人さえいなければ――
だが彼女は知らなかった。その原因の一端が自分にあるのを。
悪役令嬢のおねだりをかなえるため、悪役公爵は兵を集めた。
金の匂いにつられた耳ざとい連中が集まった中に、若くチャラい兵がひとりいた。
若い兵は、割のいい仕事のために、当日の任務をさぼることにした。
そこで、代わりの人員として、クビが決まっている老兵に仕事を押しつけたのだ。
ふたりの転生者のどちらかがゲームから外れなければ、老兵はここにいなかったのだ。
老兵は、右手に悪役公爵と悪役令嬢の首の髪をつかみ、高々と掲げた。
悪役公爵は、剣を抜こうと焦っている表情のままだった。
悪役令嬢は、目を見開いて驚愕しているままだった。
対照的に、老兵の表情は平静だった。
彼はただするべき仕事をしただけなのだ。
新王は、テーブルの下から這い出すと、そんな醜態など見せなかったように威儀を正した。
それが国王として当然の態度だからだ。
老兵は、新王の前のテーブルに首を並べる。
「陛下。賊軍の首魁と、その娘の首で御座います。お改めください」
一瞬、新王は口元を押さえ――ぐっと何かを呑み込んだ。
顔色は悪いままだったが、それ以上の動揺は見せなかった。
彼は思う。
私は王だ。王なのだ。
正しき王なのだ。
であるならば正しきふるまいをするのが務めなのだと。
彼は学習したのだ。目の前の老兵から学んだのだ。
この短い時間で、彼は王太子でなく、まだ覚束ない所はあるが王の道を歩き出したのだ。
「……間違いない。
アルヘンシラス元公爵とその娘だ。大儀であった」
新王は顔をあげ、静まりかえった会場を見回した。
「賊軍ども!
反乱の首謀者とその娘は死んだ! お前達の企みは潰えたのだ!
武器を捨てるのだ! ひざまづけ!
武器を捨てたものには、審議の後、慈悲を与えるであろう」
老兵が叫ぶ。
「国王陛下の御前にひざまずくのだ!」
会場を包囲していた反乱軍達は、次々と膝をついていく。
依然として彼らの数は圧倒的だった。
だが、あの老兵の力に抗することが出来るものはいなかった。
その力が王に従っている以上、勝ち目はない。
一斉に襲えば数の暴力で王は倒せるかもしれない。
だが、倒す前に老兵の剣で多量の死者が出るだろう。
死ぬのが自分であるかもしれない以上、志気も気概もない彼らは戦いを挑めない。
それに万が一倒したとしても、反乱の指導者であるパパ侯爵亡き今、その後どうすれば良いか誰も判らないのだから。
全員が膝をついた。
若い王は、鷹揚な態度でそれを確認する。
その内心がどうあろうと、そういう態度を示すのが国王の勤めなのだ。
そして足元に目を遣り側近達の亡骸を見た。
最後に、彼がついさっきまで愛していた男爵令嬢の亡骸に目をとめた。
かがみ込んで見開いた眼を閉じてやった。
哀しかったが、なぜか、涙は出ない。
新王は国法を思い出す。
そこには『王太子王太女並びに王位継承権者は、公爵以上の家格から配偶者を娶るべし』と。
男爵令嬢と王太子。
なぜ、結ばれると考えていたのだろう。
確かに、どこかの高位貴族の養女にすれば身分的には問題ない。
王太子、いや新王もさっきまでそう考えていた。
だが……その家が善意で彼女を養女にするわけがない。
その者が第二の悪役侯爵になろうとする可能性は大だ。
新王の胸にほろにがい思いが浮かぶ。
恋をして、いたのだ。
恋とはこういうものなのだろう。
そして、今になって思えば、急に現れた男爵令嬢に対して、長年の婚約者であった公爵令嬢が不満を抱き妨害をするのも、当然といえば当然であった。
許せ。二人とも。
全て我が王家を始めとする者どもが法を蔑ろにして、思い上がったが原因。
だが謝りたい女達は、ふたりとも死んだ。
もはや謝ることもできぬ自分は、ふたりのことを決して忘れず、立派な王にならねばならない。
それしか償う道はないのだ。
新王は、目の前でかしこまる近衛隊長代理に告げた。
「彼らは身を挺して私を守ってくれた者達だ。
丁重に葬り、遺族には篤く報いるようにせよ」
老兵は応えた。
「それは私に与えられた権限の管轄外で御座います」
新王は笑った。少し苦い笑いだった。
「一時的な処置だったとはいえ、そなたの指揮下で戦った者達だ。
であるなら、権限内と考えても間違いはあるまい」
老兵は応えた。
「正しきご判断で御座います」
※ ※ ※ ※
一ヶ月後、正式に即位した王は、まずライオネル・ゾンダーグの功に賞を与えた。
ライオネル・ゾンダーグは近衛隊長となり、更にアルヘンシラス公爵の領地の三分の一を与えられ、初代ゾンダーグ侯爵となった。
そして孫ほど歳の離れた新妻を娶った。
彼女は、あの卒業パーティに卒業生の姉として出席しており、ひざまずかなかった十数人のうちのひとりだった。
ライオネルは彼女との間に老齢ながら子孫を残し、子孫はライオネルの精神を受け継いで最後まで王家の忠実な臣下だった。
新たな王は、国法をよく守り、決して違えることはなく、信賞必罰に厳正な名君として後世に名を残した。
王は何かを決めるとき常に
「あの男は、これで納得するだろうか」
と言うのが口癖であったという。
おそれながら殿下。それは越権行為で御座いますぞ。 マンムート @NOMINASHI
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