第24話 かつてその傭兵団は
その日の夜は、酒場に足を向けた。
騒がしい場所ではなく、どちらかといえば静かな酒場であり、躰を使う労働者よりもむしろ、デスクワークを中心とした人間が一人で楽しむような場所である。
情報収集ではなく、それでもレーゲンを誘い、カウンターに並んで飲みながらも、お互いに会話はない。
ただ、誰かを待っているのは、レーゲンにはわかった。
一時間、一時間半――たった二杯しか飲まないことに申し訳ないと思うのなら、そのぶんは金払いで解消してやればいい。
二人以外、最後の客が出ていくタイミングで、新しい来客があった。店主が何かを言おうとするが、客はそれを手で制し、かなり大きな帽子をとった。
そして。
「ラムを、ボトルで」
なるほどとレーゲンが思えば、リムリアは小さく苦笑する。
「そんな酒はないがね」
「度数の高いものを一杯」
その女性は、四十歳ほどの風貌であった。
「ぼくも、ジュネバをストレートでと、口にすべきかね?」
「ううん、いい、すぐわかった。――魂が一緒だもの」
彼女は。
生前、つまり以前のリムリアの、同僚だ。
「そちらは?」
「雨天の武術家だ。今はレーゲンと名乗っているがね。さて……きみは今、充実してるかね?」
最初の問いに、彼女は、ゆっくりと肩の力を抜いた。
「うん、息子もいるし、楽しくやってる」
「それは何よりだ。今のぼくはリムリアと名乗っている」
「わたしは変わらず、キリュウのまま」
「そうだろうな。見た限り、きみはかつてと同じだ。察するに、そちらは三人かね?」
「うん。ミリちゃんはわたしと同じで、アキちゃんは違う」
「つまり、アキコが本命かね」
「そうねぇ、守り人みたいなことしてるし」
「どの大陸かね」
「……気付くんだ」
「渡航手段がほぼないとはいえ、ここが蛇の大陸と呼ばれている以上、ほかに大陸が存在すると考えて自然だろう?」
「うん、ほかに狐の大陸と、氷の大陸がある」
「レーゲン」
「狐はいねェよ」
「――そう、狐はいないから、魔王が代わりに存在してる。わたしたちは氷の大陸」
「レーゲン」
また、リムリアは問う。いや、名を呼ぶだけで、レーゲンは応える。
「もう一つあるぜ、名前があるかどうかは知らねェが」
「教会の話は聞いているが、キリュウ、発端は手繰れたかね? つまりは――この世界に穴を空けた発端だが」
「限りなく近くまでは」
グラスに注がれた酒を一口。彼女はリムリアが火を点けた煙草に目を細める。
懐かしさ、それと嬉しさだ。
「中尉殿ともう一人が、この世界にやって来た」
中尉――その階級を傭兵が口にするのならば、一人しかいない。それはかつて、レーゲンとラナイエア、いや、今はラナッサだが、彼と一緒に会話をした時にでてきた名だ。
朝霧芽衣。
そしてもう一人、世界最高峰の魔術師、鷺城鷺花――かつての、レーゲンの娘。
リムリアは目を伏せて。
そしてレーゲンは、肩を揺らすように笑った。
「異世界に来た――おそらくその考えは間違っちゃいねェし、俺にしてみりゃどうだっていい。リムリアにしても疑う余地はねェだろ」
「そうだが、違うのかね?」
「違わねェさ。ただ魔術師としての思考じゃねェよ」
「――ほう、ならば何だ」
「ここが同一世界の可能性だよ、言うまでもねェだろ」
「あるのかね、そんな可能性が。ぼくだけではなく、キリュウも最初はそれを考えただろう?」
「うん、だけど、異世界だと考えた方がしっくり来るし、わたし以外の転移者もいて、その子は違う世界から来てたから」
「否定材料は山ほどあるさ。そこから肯定材料を探ることを忘れてる。ああ、言っておくが俺は専門じゃねェから、鵜呑みにすンなよ? たとえば――人は、過去に戻ることはできない。浸ることはできるけどな」
「あらゆる方法を模索しても、かね?」
「ああ、世界が決めてる、そこに間違いはねェよ」
「そうか、納得しておこう。無理だとは思っているが、調べてはいないのでね」
「だろうよ。だから、――未来の不確定性についての考察が抜ける。条件付きではあるが、人間は未来に飛べるンだぜ」
「その未来とは、どれくらい先の話だ」
「たとえば、一冊の本を読んだとしよう。それから一年後、内容を改めようともう一度読む。その本が世界だ」
「内容は同じなのかね?」
「たとえ話だッて言っただろ? 現実は、多少の誤差が発生するさ。それこそ数百万年とか、そういう規模の話になるのはわかるだろう」
「――そうか。つまりぼくという個人を定義する何かを保存しておいて、ある条件が発生した時に生まれ、そして似たような環境から似たような人生を送ることになる。だが、保存されていたぼくは、何かの影響で、本来とは違う今ここに生まれてしまった」
「しかも、記憶を消されずに、な。俺もこいつには否定的ではあるが、ま、可能性としちゃ存在するわけだ。けど、そいつを確認することは必要だろう? あとは、ついでだ」
「何がだね」
「朝霧と鷺花の話だ。あいつらの事情は知らんが、そういう目的はあっただろうッて推測だよ。ついでに、あれこれ言い合いながらも、楽しんでたンだろうぜ」
「あの二人と知り合いだったのは以前聞いたが、発端だと思うかね?」
「姉ちゃん、あいつらは影響をほとんど残してねェだろ」
「うん、ほとんど痕跡はないし、狐の大陸にいる黒狐が一年くらい教わってたらしい」
「あいつらが欲しいのは、世界の理そのものの情報だ。しかもそれを探るのは鷺花の仕事で、朝霧は――あいつを、鷺花を、独りにしないために一緒にいる」
「……どういう関係だったの?」
「お互いによく知ってるが、それをあえて口に出すことはしない間柄だ。付き合いのある時間そのものは、そう長くはねェが、お互いに深いところまで繋がってる、良い関係だ。残念ながら朝霧は、鷺花を殺せなかったがな」
「――殺す?」
「ま、そこらには事情があるンだよ。もう終わった話だし、俺だってよく覚えちゃいねェよ」
それに。
「俺は魔術師じゃねェよ、ただの武術家だ」
「……そうだったな」
吐息と共に、紫煙を吐き出す。
「まあいい。キリュウ、何かあるかね?」
「――」
傭兵団の団長と共に立ち上げながらも、
「だいじょうぶ、ありがとセンセぇ」
「そうか」
「センセぇたちは、村おこしだっけ?」
「そうだな、これからだ。魔術寄りで生きようと思っていたんだが、どういうわけか、以前と似たようなことになっている。どっかの武術家の鍛錬に付き合っていたら、いつの間にかな」
「あは、それはそうだよねぇ。アキちゃんが農業しながら生きてるのと似てるかも」
「好きに生きていられるなら、それでいい。年齢的に考えて、お前たちが生きているうちに、そちらに行くのは難しいかもしれんな」
「居場所はわかったから、また来る。いつになるかわかんないけど、生きてるうちに」
そこからは、雑談になり、レーゲンも口を挟まなくなる。
今までどうしていたのか、これからどうするのか、そういう話だ。
けれど。
少しだけ間が空いた時に、彼女が口を開く。
「センセぇは……」
「最後の一人が殺され、その報復をしたあとに死んだ」
それは、傭兵団の設立時に、二人で決めたことだ。
リムリアともう一人。
これからきっと家族が増える。それが手から離れた時、土産を墓前に供える意味も込めて、必ず報復をしよう。だから常に、いつでも、余計な恨みを買わないよう、可能な限り筋を通して生きよう――と。
最後の一人になっても、やらない理由はなかった。
「そっか」
だから頷き、彼女は席を立った。
「ありがと、センセぇ」
「いや構わない」
昔のことだ。以前のことだ。
今はもう、傭兵団ヴィクセンは存在しない。
だが。
かつてと同じ道を歩みたくはないと思ってはいるリムリアも、今はまだ、仲間が殺された時、報復などしないと、断言できるだけの根拠を、持ち合わせてはいなかった。
雨の男は再び武術を追い求める 雨天紅雨 @utenkoh_601
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