第10話 華丸

 気がついたら千花の目の前には正方形が並んだ天井板が広がっていた。

 綺麗に並べられた座布団の上に寝転がっている。


「あれ…ここは……?」

「華宵院の中」


 ガバッと起き上がって声の方を見れば、茜が律儀に正座をしたまま手袋をはめている。

 その横で同じく支度をしていた梓月が千花を見るなりにこにこしながら話しかける。


「あ、千花ちゃんおはよ〜」

「あの、ええっと……?」


 千花が最後に覚えている記憶は走り終えて門の前にたどり着いた時。

 そこからプツンと途切れてしまっている。

 千花の頭の上にはてなが浮かぶ。


「お前、門の前でぶっ倒れたんだよ」


 茜がはぁとため息を不機嫌そうに話す。


「そっか、だから途中の記憶がないんだ」

「そっかじゃねぇよ。…ったく誰のおかげで屋敷まで運ぶ羽目になったと思ってんだよ」

「……ごめんなさい」


 顔をしかめたままぶっきらぼうに言う茜に、さすがの千花も恐縮してしまう。


「記憶ないの?大丈夫?」


 いきなり横から声がして反射的にびくりと体を震わす。

 振り向くと澪が眉尻を下げて千花を見つめている。

 いきなりの登場と上着から見え隠れする綺麗な腕に心臓が口から出そうになる。

 千花は慌てて口元を抑えた。


「いいいい一之瀬くん!だ、大丈夫だよ、ありがとう!」


 違う意味で大丈夫そうじゃないが千花が慌ててマッスルポーズをすると澪は顔を緩めた。


「そっか。よかった」

「こいつにはか弱さの欠片もねぇから心配する必要もねぇだろ」

「なんですって?!」

「まぁまぁ、喧嘩はおよしなすって〜」


 千花と茜の口喧嘩が再び始まる前に梓月がゆるゆる止めに入る。


「じゃあ千花ちゃん、俺らそろそろ行ってくるね〜」

「行くって、どこに?」

「任務。お前がすーかー寝てる間に日暮れたんだよ」


 茜の言葉にはっとした千花が開きっぱなしにされた障子の外を見れば、綺麗な薄暮の空が広がっている。


「千花ちゃんも今日の訓練はここまでにして帰りな〜」

「え、でもまだ筋トレとかやらなきゃだし……」

「いやいや、初日から飛ばしすぎちゃったから今日はゆっくり休みな〜」

「それにもう外も暗い」

「女の子一人で帰るにはちょっと危ないよね〜」


 送ってあげたいけどもう俺ら行かないといけないしな〜と頭を抱える梓月に澪が静かに呟く。


「 "華丸" に乗って帰れば」

「おー!それいいね〜!」

「はなまる?」


 千花が初めての言葉に首を傾けるとすかさず梓月が説明を入れる。


「討狼組員が利用できるタクシーみたいなやつのことだよ〜」

「そうなんだ…でも……」


 申し訳なさから語尾が縮こまる千花に茜はすまし顔で話に割り込む。


「安心しろ。ゴリラでも乗れるくらいの広さだ」

「む!広さの心配してるんじゃないし!」

「も〜あかは素直じゃないんだから」


 梓月はため息をつくともう一度千花に話しかける。


「今日たくさん走ったしさ?無理せず送ってもらおうよ〜」


 ね?ときゅるんとした瞳に訴えかけられれば千花などが断れるはずがない。


「じゃ、じゃあ、お言葉に甘えて……」

「よし来た〜!じゃあ千花ちゃん、着替えたら外に出てきて〜」


 荷物は隣の部屋に置いてあるからと梓月は隣の部屋を指さす。


「う、うん。分かった」


 千花は制服に着替えると荷物をまとめて屋敷の外へと出る。

 すると三人の隣に一人、サングラスをしたガタイのいい男が立っていた。


「紹介するね〜。この人は丸さん。華丸の運転手さん」


(どう見ても 丸 って感じしないんだけど)


 "丸"よりもどちらかといえば"角"って感じだと千花は密かに思った。


「丸さん、こっちは今日から組に入った千花ちゃん」

「丸本と申します。よろしくお願いします」


 丸本は外見には似合わないほど綺麗なお辞儀をする。


「こ、こちらこそ」

「早速だけど丸さん、千花ちゃんをお家まで送ってあげて〜」

「かしこまりました」


 お腹に手を当てまるで執事のような礼をした丸本は千花に声をかける。


「千花様、それではこちらへ」

「よ、よろしくお願いします」

「じゃあね、千花ちゃ〜ん」

「また明日」

「華丸壊すなよ」


 丸本に続く千花を見送る三人に向かって千花も大きく返事をする。


「壊さないし!みんなも任務、気をつけてね」


 大きく手を振る梓月に千花は軽く手を振り返す。


 華丸に乗り込むと丸本に自分の家の住所を伝える。

 行きに乗ってきたリムジンよりも少し小ぶりな華丸はゆっくりと発進していく。

 小ぶりと言っても六人ほど乗っても余裕がありそうだ。


 そんな乗り心地抜群な車に揺られてながら千花は今日の出来事を思い返す。

 いろいろなことがありすぎてまだ千花の脳は整理しきれていないが、これから何かが大きく変わりそうな気がした。


 ふと先程の梓月と澪との会話を思い出す。


(帰宅時間のこと気にかけられたの初めてかも)


 壱成と星乃以外の人に心配されたのはいつぶりだろうか。

 些細なことかもしれないが千花の心は少しほっこりとしている。

 そこに触れるように胸に手を置くと思わず口角がほんのり上がってしまう。


 小さな温かさに浸る千花は突然そういえばと茜の憎まれ口を思い出す。


 "…ったく誰のおかげで屋敷まで運ぶ羽目になったと思ってんだよ"


(…ってことは私のこと運んでくれたの、沖田くん……なのかな?)


 意外と優しいかもしれないという考えが一瞬脳を過ぎった千花はぶんぶんと首を振って己の目を覚ます。


(惑わされるな、千花。あいつは腹黒野郎だ!それに比べて……)


 澪は千花を気にかけてくれ、優しい言葉もかけてくれた。

 茜に言われるような腹立たしいことは一切言わない。

 澪に近づくと少しばかり胸の辺りがぎゅっとなるがそれも苦ではない。

 あわせて頬も緩々になってしまう。


(一之瀬くんの役に立つためにも頑張らなきゃ!)


 千花は己の胸の内でそっと誓った。




 ***




 華丸から降り丸本に礼述べてから温かみにあるライトに照らされた玄関へと向かう。


「ただいまぁ」


 千花がローファーを脱いでいるとドタドタという足音がだんだんと大きくなる。


「お姉ちゃん、おかえり」


 足音の主は明るい色味のエプロン姿の弟、壱成だった。

 中学生の男の子には可愛らしい色味だが、切りそろえられた髪にはとても似合っていた。

 片手におたまを持っている壱成は不思議そうに千花を見つめている。


「いつもより早いけどバイトはどうしたの?」

「うーんと……辞めた」

「えっ!」


 千花があっさりと答えると壱成は元々丸形の目をより丸くする。

 千花は自分の発言に少し誤りがあることに気づいた。


「あー辞めたっていうか、もっとお給料のいいところにした。だから心配しなくてもで大丈夫だよ」

「お給料のいいところってそこ大丈夫なの?安全なところ?ブラックじゃない?」

「少なくとも今までのところよりは良さそうかな。それに今までより早く帰れそうだし!」


 安全性のところには触れずにラッキーじゃない?と軽く流した。


「お姉ちゃん、無理しないでね?」


 それでも壱成は不安が拭えないのだろうか、眉尻を下げて千花を見つめている。

 愛くるしいその顔が千花の心を和らげてくれる。


「うん、無理しない。ありがとね、壱成」


 壱成は少し照れたように小さく頷く。


 他の子と比べるとなかなか自由に遊べていない壱成だが、文句一つ言わずいつも千花の帰りを迎えてくれる。

 料理や洗濯をテキパキとこなす様はどこへ婿に嫁いでも難なくやっていけるだろう。

 というか千花が見習いたいくらいだ。


 そんな壱成の顔を見ていたら自然とやる気も元気も出てくる。

 すると壱成は明るい声をあげて嬉しそうに千花に笑いかける。


「あ!今日の晩御飯はお姉ちゃんの好きなオムライスだよ」

「ほんと?!じゃあ手洗ってくるね!」


 千花は靴を並べると洗面所へ足早に向かった。




 ***

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

今宵、月下に咲き誇る。 湊雨 @suu__kajimaru

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ