第9話 ランニング
「きょ、京極くん。これ、あと、どれだけ、走れば、いいの……?」
ぜぇぜぇと肩で息をする千花が梓月に問えば、うーんと明るい声色の返事が聞こえてくる。
「たぶんあと一周くらいかな〜」
「一!周?!」
まだそれほど残っているのかと千花の顔に絶望の色が浮かぶ。
皇の屋敷の敷地外を延々と走る千花はもう既に体力が限界に迫っていた。
皇と別れた後、鍛錬を始めるからと門の外に連れて行かれた千花は梓月から説明を受けた。
『鍛錬はランニングから始めるんだよ〜。その後に筋トレしたり武術を磨いたりするんだ〜。だからまずは走ろ〜う!』
レッツゴーという梓月の掛け声に合わせて澪と茜も走り出す。
三人よりワンテンポ遅れた千花はなんとか梓月に追いついたものの、ついていくのが精一杯だった。
先を行く茜と澪に何度か追い抜かされたが、その度に澪が頑張れと声をかけてくれた。
その都度千花のモチベーションはぐんと上がり、落ちかけた時に澪の掛け声でまた上がりを繰り返してきた。
ただひたすら走るだけなのも飽きてきた千花はまだ体力の残っている内に梓月に尋ねる。
『筋トレって具体的にどういうことやるの?』
『うーんと、毎日腹筋とか背筋とかの基礎を固めてから、週単位で出される目標を達成するために追加で自習トレーニングをこなす感じかな〜』
『週単位の目標?』
『そ〜。例えば〜、"反復横跳び3分で500回達成"とか"ダンベル30kg持てるようになる"とか〜』
(いや、めっっちゃ鬼畜)
千花が心の中で呟くと梓月は見透かしたようにカラカラと笑う。
『鬼畜だよね〜。それに達成しないとペナルティが課せられちゃうから、班のみんなで力を合わせないといけないんだよ〜』
『え、班での目標なの?」
『そうだよ〜。誰か一人でもクリアできないと連帯責任〜』
(組長様……おっしゃっていた話と違うのですが……?!)
青ざめる千花に梓月は大丈夫だよ〜と楽観的に言う。
『失敗しても誰も責めたりしないから〜。それにそーゆーのも面白いじゃん?』
梓月は能天気に親指を立てているが、千花は全くもって面白いとは思わない。
『……具体的にそのペナルティって何が課せられるの?』
『あ〜それは〜……』
千花は思い出すような顔をしている梓月の言葉の続きを待つ。
すると梓月はぺかーと花を咲かすように笑む。
『な、い、しょ〜。その時のお楽しみ〜』
『えぇ、教えてよ』
『やだ〜』
それから何度尋ねても梓月にはぐらかされてしまい話は進まなかった。
そんなことをしている間に千花の体力はどんどんとメーターが下がっていき、今に至る。
まだ聞きたいことは山々だが、口を開くことさえもだいぶしんどく感じる。
「それにしても千花ちゃんはすごいね〜。女の子なのに俺と同じペースじゃ〜ん」
「同じペースって、京極くん、全然、苦しそうじゃ、ない……」
テーマパークのような広さの土地の周りをひたすら走り続けているのに梓月はごく普通に呼吸している。
「うんまぁそうだけど、でもこのペースでついてこれるの男子でもそんな多くないよ〜」
「そ、そう、なんだ……」
普通に呼吸しているだけでなくなぜ走りながら喋れるのか千花には全く理解できない。
千花の瀕死しそうな顔に梓月は眉尻を下げる。
「千花ちゃん、一旦休憩する?初日でこのペースはさすがにきついと思うし〜」
不安気に千花の方を向く梓月の言葉に誘惑された千花が迷うことなく首を縦に振ろうとした時、横から風が吹く。
「お前まだこんなところにいたのかよ」
(げっ……)
風の主はあの腹黒王子だった。
「おー、あか速いじゃ〜ん。あれ、澪は〜?」
「あいつもうノルマ終えて追加で走ってる」
「うへぇ、やっぱり澪は体力おばけさんだね〜。ここに来る時も走ってきたのにあの体力はどうなってるの〜」
(一之瀬くんってそんなに凄いんだ……)
確かにいろんな部活の助っ人に駆り出されているのはよく見かけるが、まさかこれほどまでに体力があるとは。
さすがに口にするのは苦しくて心の中で思っていると、茜がこちらを向いて鼻で笑う。
「ま、せいぜい頑張れよ。"亀"さん」
茜は千花を一瞥した後そのまま通り越して行ってしまった。
千花は茜の言葉にピタリと立ち止まる。
「千花ちゃん……?」
いきなり止まった千花に気づいた梓月も足を止め顔を覗き込む。
千花の全身は徐々にわなわなと震えてだす。
そのこめかみには怒りマークを浮かんでいた。
千花は茜の去っていった方を睨みつける。
「あんにゃろぉ……絶対に負けないんだからぁ!」
うおおおおぉと瞳に炎を灯した千花は梓月に目もくれず茜の背を一心不乱に追う。
「ちょっと、千花ちゃん?!」
いきなりスピードをあげた千花に置いていかれた梓月は慌ててその後を追いかける。
どこに体力が残っていたのか、千花はどんどん遠ざかっていく。
「俺、いきなりのペース変更は無理なんだよぉ」
待ってよ〜と嘆く梓月の声だけが夕焼けに染まる道に響いた。
***
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