魔法乙女にループした

三屋城衣智子

魔法乙女にループした

 カタカタカタ

 カタカタカタカタ

 キーボードを打つ音が、定時を過ぎ残業時間も超過した事務所の中にこだまする。

 年の頃は四十近くであろうか。髪は今まで染めたこともないかのように艶やかに黒々としており、一本一本のキューティクルは「私健康!」と今にも叫び出しそうである。その黒髪は引っ詰めな上後ろで一つに纏められており、前髪が作られていない様を見るとどうやらワンレンのようだ。事務の制服をきっちりと着込んでいるあたり、生真面目そうな性格がうかがえた。

 顔には黒縁のややレンズの分厚い眼鏡をかけており、今はその表情はよく見えない。

「浅川さん、俺もう終わりますけどどうされますか、まだ仕事します?」

 どうやら同僚と思しき男性に声をかけられ、彼女――浅川あさがわ里梨子りりこは一旦キーボードを打っていた手を止め、声のした方を振り返った。

「ああ、もうちょっとだけ請求書まとめたら私も終わるけど、確か今日山田君デートだったでしょ? 鍵は閉めておくから、彼女のとこ行ってあげなさい」

「そうですが……すみませんありがとうございます。久しぶりのデートなんで、なるべく早く待ち合わせにつきたくて」

 言いながら同僚の山田は自身の言葉に自分で少し照れているようだ。両手がそわそわもみもみと動いていて、終業後の予定に思いを馳せているのがよくわかる。里梨子はその様子をさして興味なさそうに眺めながら返事をした。

「慌てて事故でもしたらいけないから、気をつけてね」

「はい! お先に失礼します」

「はい、お疲れ様」

 彼女に早めに会えることに、少し心が浮き足立っているのだろう。その気持ちを退勤の挨拶にのせて山田は少しウキウキ、というよりかは後もう少しでスキップでもするかのように、タイムカードを押すと出入り口のドアから出ていった。

「……はぁっ」

 金曜の会社に一人となった里梨子はそうなるなり体を伸ばし、次いで両腕を回しながら肩甲骨あたりの血流を穏やかに流れるようにと気遣った。

 コキリゴキッと疲れきった音がする。

 時計は午後八時を回っており、秒針のカチコチという音は吸収する者の減った空間に嫌に寂しげに響く。

 と、 ピポピポルン、ピポピポルン。何がしかの、警告音か着信音かのような音が里梨子の鞄あたりから鳴り響いた。

「げ」

 その音が、丸いピンクの豚のマスコットキーチェーンから鳴っている事を知る彼女は、一瞬固まった後この世の終わりかのような顔をしてパソコンのデータを保存し終わると、電源を切り椅子から立ち上がったのだった。



 ※ ※ ※



 とある街中。

「あなたの心にときめく力。魔法乙女☆リリコ、参りました!」

 年の頃は三十半ばだろうか。ヒラヒラと股下十センチと言った方が良いスカートは、薄ピンクのグラデーション。しかも三重。おへそがちらりと見えたトップスは、その年にしては頑張ったやはりピンクのノースリーブで背中には少し小ぶりの白い羽根がある。魔法と名乗るからだろうか、首周りにフードがついていた。胸元には大きなリボン。髪はツインテールの、やはりピンクと何やらこだわりがあるようだ。

「……ねぇ。この名乗りって本当にいるの? 重要性あるわけ? 変身はあんたの尻尾引っ張れば無詠唱でシュパンと秒で終わるのに、本当に必要?」

 彼女は名乗った後どこかへ向かって滔々とうとうと、不必要性を投げかけている。ふと見ると傍らに何かがふよふよと漂っているようだった。

 それは丸い豚だった。ピンクの色をして、ボールのような体をし、短いクルンと丸まった尻尾に大きな豚っ鼻。瞳はとてもちいちゃくて、けれどもしっかりと三本ほどのまつ毛が生えている。

「何言ってるのよ、名乗らなきゃただの不審者でしょうっ?!」


 豚は何やら少し怒っている。額に青筋まで立っている。

 それでも、眼鏡を今はしていないが先ほどの事務員――里梨子は食ってかかった。

「普通に自己紹介してもいいじゃないの。魔法を使ってあなたをお治しします、リリコです、とか、ってこれじゃ怪しい宗教か何かじゃない!」

「そうよ、わかるでしょ? 昨今の日本が怪しい物を一律うちっかわに入れない文化してんの。ま、今どき物騒だしねー」

「最後の言葉には同意だわ。おちおち夜道も歩けやしない」

「あんた、サラッと自分をモテる側に突っ込んだわね」

「……一応小学生の時にはラブレターはもらったわよ」

「あれでしょ、名前が書いてないやつ、本当は他の人のだったトカ?」

「なんで、わかったの」

「え、マジ?」

 豚は少々焦っているようだった。里梨子の地雷を踏んだ、と思ったようで青くなったり白くなったり黒くなったりと忙しい。ただフォローは諦めたようである。

「ま、まぁ兎に角! 困っている人はこの辺よ。隈無くまなく探してみましょ」

 彼女は豚に言われ、渋々とどこか仕方なさそうに困っている人を探し始めた。


 里梨子が魔法乙女になったのは三十四の頃だった。

 恥ずかしい衣装ではあったが顔体は五歳若返らせてもらえ、初めて変身した時は興奮して鏡の前でくるりと回ってみたものである。けれど月日が経つのは無情、当時なら五歳若ければ二十九だったが今となっては明日で四十。五歳引かれたからとて四十路よそじ間近なのは変わらなく、一律アラフォーである。現在は恐ろしい気持ちに鏡など見れなくなっていた。

「一体どこにいるっていうのよ」

 里梨子はぼやく。

「つべこべ言わずに探す!!」

 発破をかけるなら何か手立てを寄越せと思うだろう。だがこの豚口だけしか出さないのが常。

 魔法乙女と言っても、高い場所へ瞬時に登れたりはするが、ほぼ魔法をちょっとだけ使った、セラピーとか人助けとかが主な業務であり、また豚も特段とくだん何か特別な力でもって彼女を導いたりしたことがこれまでなかった。

 出会ったのは偶然だったのか。はたまた必然だったのか。何しろこの豚必要なことは、とんと彼女には説明がない。豚だけに。

 何はともあれ。困った人を一人と一匹がひたすらあてどもなく探す。都会の寒空に、ただ白い吐息だけが吸い込まれていった。


 その少し後。ひたすら探した該当者をみつけた魔法乙女と豚は、探し当てたちょっと疲れ過ぎた人をひたすら説得した。

「どうされましたか? お辛いことは、吐き出してみると少し楽になりますよ」

 道の端でうずくまり、丸まった相手の背中をさすりながらリリコは言う。手のひら越しに、豚から多分授かっているだろう、少しだけ楽しい気持ちや記憶を思い出す魔法をかけている。

 それを四、五回繰り返すとその日の業務はひとまず終わりのようだった。

 因みに疲れ過ぎた人をひたすら説得した日には、変身を解く場所までひたひたと二、三人ストーカーのようについてくる。犬に懐かれたと思うようにしているようだが、人の命を預かるほど重たいものはない、と里梨子はその現象によって気づかされている風だった。




 ※ ※ ※




「ね、あんた、さ。どうして私だったの? なんでこんなことしなきゃいけない訳?」

 思い出しの魔法以外唯一の能力とも言っていい高い場所に登る力を使って、この辺で一番上にある屋上にて里梨子は、休憩を挟むついでに、ピンクの、形だけは嫌にチャーミングな豚に向かって尋ねた。

「いきなりなあに? 里梨子ったらマジメくさってくれちゃって」

 豚は幾分か離れたところでふよふよと浮かびつつ里梨子を見返した。

「んーだって、もう五年よ? そろそろダメ元ワンチャンで婚活もしたいし、この役目に区切りとか目的があるなら知りたいなと思って」

「そう。ちょっとは考えるようになったのね、未来のこと。良いわ、教えてあ・げ・る」

「あやっぱいい」

 ピンクの豚がウインクしたのを見て、里梨子はこりゃダメだと思ったらしく前言を撤回した。

 慌てたのは豚である。その効果を狙ったわけではなかったようで、あわあわと彼女の周りをうろちょろしながら狼狽うろたえている。

「ちょ、諦めるの早すぎ!」

「しょうがないでしょう? 私ももう明日には四十よ。根気強さは若い子に譲るわ」

「ダメ、譲る、ダメ!!」

「なによもう、いつになく鬱陶うっとうしいったら。なんなの? 彼氏にでもフラれた?」

「カレピはいつだって優しいワ、じゃなくてっ! 今から依代っちゃうから有難いお話ちゃんときくのよっ?!」 

 言うなり豚は光った。神々しいという言葉がぴったりな具合に光り輝くと、先程とは違う声音で里梨子に語りかけた。

「我は神である」

「うわ、どうしよ一気に胡散うさん臭くなった」

「……まてまて。魔女な豚は良くて、何故神はならぬ」

「私宗教勧誘ノーサンキューなんで」

「あ、そっち?」

  豚の姿を借りた神は威厳を保つのを諦めフランクになる。

「もうそろそろ帰ってお風呂入って食事と晩酌したいから、手短にね」

 里梨子はまるで後輩を指導するかの様に神を宿した豚に延長条件を告げた。

「ああ、其方そなたの現状は把握しているから、そう時間は取らせんよ。ただお礼がしたかったのだ、其方にな」

「お礼? それなら私のこの行動をまず感謝されても良いくらいなんだけど、……新手の詐欺?」

「確かに労働力として力を貸してもろうた。だが訳があるのだ」

 そう言うと、豚の体を借りた神とやらは語り出す。


 神はいる、土着の神なぞそれこそ八百万やおよろず

 けれど今はもう見えぬ

 信仰がなされていないからな

 力がなければ顕現けんげんすらできん

 哀れなものよ

 足元しか見ぬ者も多くなった

 数多の星が頭上に輝こうとも、だれも上なぞかえり見ぬ

 神をただ人にしたのは人だ

 時の神ももはや力使い果たした

 我々はデジタルの波に飲まれたのだ

 皆がもう、〇と一で進む世界しか信じておらぬ

 昔はあった奇跡は、人が自ら失くしたのよ


 朗々と一編の詩の様にうたいあげると、豚の神、ではなく恐らく時の神であろう其れは里梨子に告げた。

「消える間際の最期に、せめてお礼がしたかったのだ。我もピンクのアレももうやがて消え去る運命さだめ。ならば最期に好き勝手してみたくて、な」

「私貴方達に何かした記憶なんてないんだけど」

「人の記憶なぞあてにしとらぬ。此奴こやつは知っておる、我もそれを知覚した。理由はそれで十二分さね」

「神様ってそんなもん?」

「ああ。そんなものだ」

「良くわからないけど貴方達の残り時間が少ないのは、わかったわ。期間限定ってんなら精一杯お勤めしましょーかね!」

其方そなたの御陰で力は溜まった。今日はあと一件助けなさい」

 言い切ったのか神はそれきり沈黙した。

「どう?! 有り難かったでしよ? 時間もないことだし、サクサク行くわよー!!」

「ぴんく、なんだか良くわかんないけど……ありがと。この五年なんだかんだ言ってあんたと一緒なのは楽しかったって、今思う」

「んなもん最後に言ってくんない? ばかっ! 行くわよ!!」

「はいはい」

「はいは一回! そんなで良く社会人してるわね、新人からやり直したら? ま、貫禄があり過ぎて教育係が可哀想ね!!」

 豚、もといぴんくは里梨子から距離を取りながら悪態をつく。しかしその言葉には何処か力がない様に響いた。




 ※ ※ ※




 その日の最後は、何だかとても生真面目そうな、三十五歳の青年を里梨子は助けた。彼は自殺しようとしていたので、彼女は豚と一緒に説得にあたる。

「自殺しようと思った理由、良ければ教えてくれない?」

 背中をさすりながら彼女は尋ねた。人の温もりは時に人を支える。いっときでも、それは大切なのではないかとこの五年の間に考えは変わっていた。

 勿論、手のひら越しに、少しだけ楽しい気持ちを思い出す魔法をかけるのも忘れない。

「俺、頑張ったんです。言われた通りにしてもしても言われる事が変わっていって……自分で考えろって言われて、考えて提案していって提案していって……もう、疲れました」

 どうやら彼はブラック企業でこき使われて、死のうとしていたようだ。里梨子は考えた、こういう時は現世への未練と次への叶いそうなスモールステップの展望だ。まずは当たり障りなく外堀から埋めていく。

「それは大変だったわね。こんな良い男捕まえてそんな無体を働くなんて先輩の嫉妬かしら? 私彼氏がいないから残念だわ、こんな素敵な人がこの世からいなくなってしまうなんて」

「え?」

「あなた、彼女は?」

「あ、いやいませんけど……」

「そう、勿体無いわね。ところで、その会社であなた、やりたい事でもあるの?」

「……やりたい事。前は、ありました。けど今は……」

「無くしてしまったのね……。なら次の会社見つけてそのやりたい事、やってみるのはどう? 会社って色々あるのよ。私のところも今募集してるし」

 あなたが求める仕事かはわからないけれど、と言いながらも押し付けに感じないよう緩やかに微笑むと、里梨子は彼の背中から手を離した。

 青年の瞳は、もう絶望していないと知っていたのだろう。軽く挨拶を済ませると、ピンクのちっちゃな豚と共にその場を去った。豚は何かを落としていく。

 それは明日への希望かそれとも――わかるのは未来の彼らだけだった。


 それからもぼちぼちと彼女はぴんくと業務をこなした。けれども彼らが言っていたように力が減ると共に段々と件数は先細りになり、今はもう豚のキーホルダーはまるで最初からなかったかのようにどこかへ紛失したようだった。


 彼女の元を過ぎ去っていった人達。

 彼ら彼女らにとって、里梨子は何かになれたのだろうか。それともただの霞のような、アルゴンのような、気付きすらしない存在で、あってもなくても変わらなかったんじゃないだろうか。

 けれどもうどうだっていい、彼女はそう思っていた。誰に必要でなくとも、少なくとも彼女にはその出会いが必要だった。

 五年前のあの日。いつか出会った青年のように、里梨子は擦り切れ絶望していた。当時いた会社の上司から朝に夕にと怒鳴られ時に身の危険を感じながらも働き、そして限界がきたのだ。

 以前神と話したあの場所は里梨子が一度命を捨てた場所である。しかしそれを助けたのが豚だ。豚――ぴんくと出会って文字通り魔法で生まれ変わり一緒に初めて人の哀しさを知った、愛しさを知った。最初に出会って治した人は愛する人を残して死ぬ事に泣いていた。哀しい愛、けれどとてつもない愛だった。次の人は働きたくて働きたくて、けれど体の一部を不慮の事故で失くした人だった。想像もつかない喪失だった、けれどどこかまだ諦めていなかった。称えるべき意志だった。

 そうして何度も何度も他人ひとの絶望と再生を目の当たりにして、里梨子は初めて、自分が酸素を吸って産声を上げた気がした。豚がある時言った。「生まれてくれてありがとう」と。

 里梨子はその時、ようやく自分も対象者であったのかもしれない、と気付いた。もしかしたら豚は私の為にも来たのかもしれないと。そう思うと恥ずかしくもあったが、楽しく、命のある五年間だったと里梨子は思った。 


 そんなことを振り返りながら過ごしていた、ある日。

「初めまして、越山こしやま涼馬りょうまです。営業としてこちらにお世話になることになりました。浅川さんに結婚を前提とした交際の申込みを兼ねて転職しています、よろしくお願いいたします!」

 会社に転職してきた人物がいた。神と出会った後に里梨子が豚と一緒に助けた青年である。彼の財布の中には豚の残した名刺が一枚、大事そうに入っていた。




※ ※ ※




 数年後。里梨子の苗字はとうに変わり、家のリビングの写真立てには幸せそうな笑顔の家族写真。その脇には、どこかで見たような古ぼけた年代もののピンクの時計。それは彼が里梨子の物入れから見つけ、独特なベルの音が可愛いのよと聞いて直してくれた物。

 今はもう話すことはないけれど、大事そうに飾られ、今日も元気に起きる時間を知らせている。




 ピポピポルン、ピポピポルン。



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魔法乙女にループした 三屋城衣智子 @katsuji-ichiko

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