第4話

 2月25日

 寺島進に似た呂宋海るそんうみに、巨大ヤクザ組織への潜入指令が下る。目的は「麻薬ルート」の解明。組織の幹部に近づくために、身分を偽り、刑務所に服役する。そこで信頼を得た呂宋は、出所後組織に入り、徐々にその最深部へと近づいていき、ついに組織壊滅に繋がる大きな取引を目前にする。


 しかし、その時呂宋の前に、かつて同僚の刑事を殺害した強盗殺人犯郡上ぐじょうが、麻薬の仲介人として現れる。郡上は豊原功補に似ていた。動揺する呂宋は、自分を慕う残間を利用し、郡上を尾行をさせる。その不用意な行動が、自身の潜入任務に危機をもたらす。


 同じ頃、菜奈は芥川組長の死因はヒ素の大量摂取であることを突き止めた。


 2月28日 - 事件発生。

午後11時50分頃、被疑者の頭師文吉(71歳)は、清水駅前の路上で、自宅近くに住む66歳の女性整体師、遠藤景子と口論となった末に胸などをサバイバルナイフで数回刺した。景子は病院に搬送されるが午前3時15分頃に死亡が確認された。静岡県警は殺人事件で捜査を開始。被疑者は現場近くに凶器のナイフを捨てて逃走するも、事件発生から約8時間後に清水区郊外の雑木林で発見、竜崎刑事は頭師を殺人の疑いで逮捕。

 逮捕後の取調べのなかで、頭師は口論になった原因について「被害者の家族の人間がバイクを方向転換する際に、被疑者宅の前を通り、そのとき設置しているペットボトルを倒したため」と供述した。


 3月3日

 非番の菜奈は清水駅周辺を散策することにした。

 清水駅は島式ホーム1面2線を持つ地上駅。ホームに接する線路が本線で、その両側にホームのない副本線(待避線)がある。上り副本線側に保線基地、下り副本線側に保線車両の車庫が設置されている。構内の東西を結ぶ自由通路に接して橋上駅舎を備える。


 駅長・駅員配置駅(直営駅)である。管理駅として、興津駅・草薙駅を管理している。駅舎内にはJR全線きっぷうりばや自動改札機、自動券売機などがある。

 清水駅前銀座商店街という清水駅西口の南西に所在する商店街にやってきた。

 清水駅西口のロータリーの南側に、南北に400m以上に渡って形成されているアーケード式の商店街。

 戦後の闇市から出発し、1959年(昭和34年)に「清水駅前銀座」が発足、1967年(昭和42年)に初代のアーケードが完成した。

 てっちこ(焼き鳥)で昼飯にした。

 100円広場(100円ショップ)、丸善(制服、作業服)、くつしたの店 LOVELOVE、靴の上野屋 駅前銀座アーケード店、角屋(玩具)などを散策した。


 「清水駅前銀座」の東隣り、線路との間には「清水グルメ通り」があり、様々な飲食店やビジネスホテルなどが軒を連ねている。


「清水駅前銀座」アーケードの南口を出て、立体交差する道路のガード下をくぐって「銀座」地区に出た向かいには、「清水中央銀座」と呼ばれる商業エリアがあり、そこを西へと道なりに曲がっていくと、東海道と合流する「清水銀座」と呼ばれる通りへと出る。


「清水銀座」へ行く手前で、南東へと線路を渡って「巴町」地区に入り、南下して行くと、静岡鉄道の新清水駅があるが、その一帯には商業店舗は多くない。


 その後、清水港にやって来た。

 神戸港・長崎港と共に「日本三大美港」の一つ。

 清水港は、富士山を仰ぎ、三保の松原に囲まれた美しい港で外国船員の人気も高く、長崎、神戸とともに日本三大美港の一つに数えられている。このためクルーズ客船の寄港も多い。また、その景観を活かして近年は「市民の憩いの場」、および「観光の場」として公園やヨットハーバー及び大型観光商業施設等の施設整備、さらに「みなと色彩計画」により、富士山など周囲の景観に調和する青を基調とした港湾整備も進められている。「清水港・みなと色彩計画」は、国土交通省手づくり郷土賞平成18年度(地域活動部門)を受賞している。平成27年には同賞大賞を受賞。


 日の出埠頭付近には城壁をイメージした自然石の回廊を配した公園も整備されている。貿易一辺倒の港から観光港としての比重が高まっている。


 現在、横浜港、名古屋港といった国内一、二を争う大港湾に挟まれ厳しい競争にさらされている。これに対し、海外定期航路の更なる誘致、コンテナターミナルの拡充・整備をしつつ、24時間荷役体制、港湾利用料金を五大港以下とするなどの努力により荷主の利用拡大を図っている。また、内陸や日本海側に通じる中部横断自動車道の整備が進められているため、山梨県、長野県方面の荷主の獲得を目指している。

 

 663年、「やまとの国の救将 廬原君臣 健児(兵士)万余を率いて(清水湊を出て)海を越えて百済くだらに至らむ(=朝鮮白村江の戦い)」。これが清水港が史書(『日本書紀』)に出てくる最初である。


 戦国時代の16世紀には駿河に侵攻した武田氏の水軍基地となり、その後、徳川家康も水軍の拠点とした。また、駿府城の築城や補修の資材が清水湊から巴川を遡り運搬された。江戸時代に入ると、駿河をはじめ甲斐(現在の山梨県)、信濃(現在の長野県)の江戸幕府領地からの年貢が富士川沿いの鰍沢河岸、岩淵河岸に集められ、ここから清水湊に送られ、大型船に積み替えられて江戸へ回送された。また赤穂の塩など西国から江戸への物資の中継基地でもあった。 明治に入り、幕府より許可されていた廻船問屋42軒の特権が剥奪されると一旦は寂れるが、1899年に開港場に指定されると、茶を扱う外国商社が多く置かれ、第二次世界大戦前は茶の主要輸出港として栄える。


 戦後の1952年(昭和27年)に特定重要港湾(現・国際拠点港湾)の指定を受けると共に、静岡県の産業発展を背景に清水港も規模を拡大し、現在では二輪自動車・自動車部品・機械類などの輸出港として、またボーキサイト(アルミの原鉱)・液化天然ガス等の輸入港として国際貿易港としては中枢国際港湾に次ぐ位置を占める。紅茶の輸入量は日本一である。


 1984年(昭和59年)4月1日に廃線となった国鉄清水港線の清水港駅跡地に、官民共同のウォーターフロント再開発事業の一環として、1999年(平成11年)10月8日に「エスパルスドリームプラザ」が開業、同時に隣接した沿岸部には「清水マリンパーク」が整備される。その後、周囲は段階的に拡張整備が行われている。


 密かに菜奈の命を狙っている者がいた。

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闇に叫べ!1 清水殺人事件 鷹山トシキ @1982

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