⑥
◆ ◆ ◆
数日後、隣国の聖者が不能になったとの記事が、王都の朝刊で取り上げられた。
魔物のスタンピードに襲われた村で、果敢に戦ったものの、錯乱したアモウステラに精神を侵され、今では屋敷に引き篭もり面会謝絶状態だという。村民は村の外に避難し全員無事で、それと対比するように兵士、神官、聖者様と全員が再起不能になったらしい。大きな怪我もなく、五体満足だったのが不幸中の幸いだとか。
教会の裏手、小川を飛び越えた井戸の近くで、魔法器具を用いて寝具の洗濯をしながら、シジは朝刊をたたんだ。疲れが祟り文字も霞んでいる。大きくあくびをして目を瞬かせた。
村民を避難させた後、どうなったかというと。
シジが大規模な転移魔法を展開し、王都の支部まで全員を移動させた。
あのままあそこにいる訳にもいかず、ひとまず炊き出しを行い、全員に暖かな食事を提供したのである。仮住まいも必要だろうと、ハウズリットが宿舎を魔法で手早く建設し、安心できる設備を整えた。
シジはその間、猛烈に働いた。隣国から村一つ消え、村民が一人残らず王都に吸収されたのだ。大神官に頭を下げ、あらゆるところに根回しし、王宮に出向いて国王に状況を伝え、兎にも角にも駆けずり回った。他の神官も同じく知恵熱を出しながら、ハウズリットが施した救済の後始末に奔走した。
とはいえ今回ばかりは、ハウズリットが村民に快く奉仕していたのが幸いである。全ての準備が終えた後、シジはひっくり返るように気を失ったのだった。
数日、寝たり起きたりを繰り返し、漸く意識は覚醒して現在に至る。
シジが眠っている間、ハウズリットが王都近隣の山を買い、そこを新たな村として整備しているのだという。
「おう、起きたか」
「シジ様!」
視線を上げれば、ハウズリットとニコリスが吊り橋を渡ってくるのが見えた。シジが立ち上がれば、少年は笑顔で駆け寄ってくる。
「ニコリス! 養父母様のお加減は大丈夫かい? 心配かけました」
「いいえ、先日はありがとうございました! 聖者様のお陰で、みんな元気になって! あっ、ちゃんとお礼も忘れてません!」
言葉遣いこそ成人のそれだが、にこにこと子供らしい笑顔の彼は、鬼気迫る気配がすっかりなりを潜め、見た目相応に快活である。ハウズリットがニルヴァライトの原石を抱えているので、本当に謝礼として持ってきたのだろう。
我が教会も安泰だなと内心安堵しつつ、シジはニコリスの頭を撫でた。
「聖者様も、本当にありがとうございました! 村が元通りに、……いいえ、もっと発展してからも、この御恩は忘れません」
「おう、殊勝で何より」
「………………うん? ニコリス、何を持っているんだ?」
ふと、ニコリスが片手に持つ紙が目に入る。少年は目を瞬かせ、シジの前に書面の表を広げてみせた。
「聖者様が村を整備して下さったので、もうすぐ僕らが住めそうなんです。それで、毎年教会に治める献金の領収書です。僕らの控えをいただきました」
「…………は?」
シジは活字を読み進め、記載された金額に目を疑った。
今どきの富裕層でも失神するような、王都に忠義を誓う各国が収める年貢の約三倍。ぼったくりもいいところの、法外な金額だ。
確かに聖霊王に愛されるその村は、楽園石の恩恵によって、これからますます発展していくだろう。王魔連とも直接取引できるようになり、資金繰りも豊かになることは、おそらく間違いない。
二の句が続かず思い切りハウズリットを見れば、彼はニンマリと笑う。
その顔は間違いなく、分かっている顔だった。
「向こうの国では、村単位で教会に献金したことなくて……、聖者様が大神官様に取り持って、お安くしてくれたと聞きました。何から何まで、お導き感謝いたします」
深々と頭を下げるのは、何も知らない、世間知らずなネギを背負ったカモである。
「心配すんな、ニコリス。上お得意様には、俺様がなんでもサービスしてやんよ。何かあったら神より先に、このハウズリット様に祈りな」
騙されている! とシジが訴えようとした声は、ハウズリットの魔法で喉の奥に仕舞われた。
* * *
教会の講堂に飾る為、大輪の花束を抱えた辺境伯に、シジは目を丸くしつつすれ違った。
先日、教会に泣きながら駆け込んできた時と違い、上機嫌で鼻歌すら歌いそうになっている。
「これはリギリンス辺境伯様……、いつも花束をありが」
「いやぁ、神官様のおっしゃる通りでしたよ! 我が領地の魔物は、すっかり居なくなりました! やはり聖者様は素晴らしい方だ。お布施も僅かばかりですが、大神官様より聖者様へお渡しいただきますよう、重ねて口添えください」
花束を綺麗に生け、深々と頭を下げてからスキップしていった辺境伯を見送り、シジは半笑いを浮かべた。
隣国を襲った魔物のスタンピード。やはり出どころは、一番領地が近い辺境伯の周囲だったらしい。まったくしっかりしているのやら、ちゃっかりしているのやら。意図して手を抜いていたのなら、相変わらず末恐ろしい。
シジは肩をすくめて穏やかに笑い、廊下を歩いていく。
背後の講堂ではステンドグラスに照らされた花が、穏やかな色彩に包まれていた。
裸足で逃げ出す聖者伝 向野こはる @koharun910
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