シジの怒号に地響きが重なった。

 村を囲む周囲の山を、獣じみた鳴き声が埋め尽くす。

 対処の仕方を誤ると、聖者様ですら死を伴うアモウステラ。もっともやってはいけない行為が、頭部を飛ばす事だ。

 知能が低い割に、自らを最強の存在だと思っているあの魔物は、脅威を知らない故に、脅威に対しとことん。自身に死が迫っている事を理解すると、体内で頭部の下にぶら下がる声帯器官から、大音量の音を張り上げ、他の魔物を呼び込むのだ。

 案の定、周囲から数百はくだらない足音が聞こえてきて、シジは真っ青な顔でハウズリットを揺さぶった。


「貴様はどうしてそう短絡的なんだ!!」

「ウルセェな! 上お得意様の祈りだ、派手にやんのが筋だろ。キャンキャン騒いでる暇があるなら、さっさと他の神官と共に村から出てろウスノロ!」

「誰がウスノロだはっ倒すぞ!」


 時間的猶予が無い。シジは呆然としたままのニコリスの腕を掴み、失礼を詫びつつ立ち上がらせた。


「ニコ、気をしっかり。君が養父母様を連れて行ってください」

「……あ……」


 ニコリスの目が、揺らいだ。紫色に変色した唇を震わせ、首を左右に振る。

 

「でも、そうだ、……僕……なんてこと……」


 今更、我を忘れて魔力を行使した事を後悔しているのだろう。ハウズリットが止めに入らなければ、彼があのまま、養父母を殺していたのは事実だ。

 戸惑い、泣き叫びそうに表情を歪めた彼を、暖かな両手が包み込む。


「ニコちゃん!」

「ニコ……!」


 いつの間にか救出されていた養父母が、ニコリスを抱きしめた。目を見開く聖霊王は、徐々に少年の成りへ変化しつつ、身を強ばらせる。


「おか……さ……」

「ああ、よかった。無事でよかった。いなくなって心配したのよ。……私たちを守ってくれていたのね、ありがとう」

「あ……ぅあ……おかあ、さん、おとう、さん、……ごめ、ごめんなさい、ぼく、ぼく、悪いこと、しました、ごめんなさい、ごめんなさい……!」

「謝る事は無い、お前がいて助かったよ。ありがとうニコ」


 聖霊王が視認できる肉体を維持し続けるためには、魔力の波長を寄り添い、慈しんでくれる存在が必要不可欠だ。涙を浮かべる養父母の瞳に、怯えは無い。そこにあるのはただ、一人の我が子の無事を祈り続けた、父と母の顔があった。

 優しい養父母に宥められ、ニコリスがしゃくりあげる。彼が二人を助けたいと願った祈りは、確かに聞き届けられたのだろう。

 シジは口角を緩ませ、ニコリスの方を優しく叩く。


「さぁニコ。養父母様と村の外へ。危険ではないが、見て良いものでも無いから」

「っ魔物の気配が、かなりあります。シジ様、僕もお力に……!」

「いや、大丈夫……というか、この先はハウズリットの独壇場だ。……誰も手伝えないし、手を出せないんですよ」


 疑問符を浮かべる三人を促し、意識を取り戻した村人たちと、村外に移動させる。その間も次々と魔物たちが、頭部を失ったアモウステラの元へ集結し始めていた。

 しかし、魔物は村民や神官たちへ目もくれない。まるで姿が映っていないように、横をすり抜けていた。敵対する聖霊王ですら、眼中にない。


「……え、これ、どうして……?」

「我々には、聖者ハウズリットの加護があります。……祈ったでしょう、村を助けて欲しいと」


 悲鳴が聞こえた。シジが振り返ったと同時、未だアモウステラの傍にいるハウズリットが、心底愉快げな声で大きく笑う。


「ぎゃはははッ! ザマァねーな、隣国の雑魚聖者よぉ! お得意の聖魔法で蹴散らしたらいいんじゃねーの!?」

「うそうそうそ、やめて、やめて、やめてぇッ! 兵士はどうしたのよ、なんでみんな瀕死なのよおおおッ!?」


 被害に遭っているのは、隣国の聖者様と神官だけだ。ハウズリットが空へ磔刑にした兵士らは、地面に転がっているものの、すっかり疫病が回ったようで虫の息である。

 サリエが金切り声を上げつつ魔法を行使するも、激昂したアモウステラの瘴気に阻まれ、他の魔物まで効いていない。アストラルのみならず、モンスターまで襲い掛かり、手足を食われている人間すら出始めていた。

 何の被害も受けずに笑って眺めていたハウズリットが、サリエに近寄りつつ首を傾ける。

 

「おいクソ雑魚。聖魔法で疫病を治したら、この状況も打破されるんじゃねーのか? 神官どもを盾にやってみたらいいんじゃねーの?」

「そ……それ、は」

「それは? ……ハッ、出来ねぇよなぁ、それは。自分の魔力で作った病原体は、自分で打ち消すことが出来ない。気がついた時には、後の祭りだったってか」


 ハウズリットの言葉に、サリエが声を詰まらせる。


「聖者っつー強い魔力を扱う人間が作った病原体だ。町医者に治せるわけがねぇ。それと同じく、病原体を作った本人も治癒魔法を使えない。それは根幹が同じ魔力で出来ているからだ。……ニコリスの父ちゃんと母ちゃんにアモウステラが住み着いたのは、そりゃ当然だろうよ。神から授かった力のある病原体だぜ?涎が出るほど甘いだろうな」


 サリエの前で彼は立ち止まった。彼女は唇を戦慄かせ、杖を両手で握りしめる。表情は恐怖に固まり、反論も言い訳も、もはや口から出てこない。

 シジは漸く理解した。

 サリエが村人を救わなかったのは、病原体の経過観察のためではない。アモウステラがこんな平和な村に出現するのも不可解で、まったく魔法が効いていないのも違和感があった。

 根幹が同じ魔力は同調する。サリエがどの魔法を行使しても、病原体は威力を増すばかりで、対処出来無くなってしまった。

 彼女ができるのは、空気感染しないように空気を浄化する事だけ。接触感染しないように、掴んだ皮膚に僅かに隙間をあける事だけ。

 そして餌に吸い寄せられたアモウステラが取り込んだ事により、サリエの病原体は更に脅威をまとい、生成したサリエの魔力を超えたのだ。

 聖者の魔力を越えるなど、誰も手出しができなくなったと言っても、過言ではない。

 

「──キャァッ!」


 サリエの片足に魔物が噛みつき、両膝から倒れ込んだ。傷口から血が噴き出し、病原体に感染して黒ずんでいく。彼女は攻撃魔法で振り払い、即座に治癒魔法を使うが、それは病原体の活性化を助長させるだけだった。

 瘴気によって更に強力な病原体に感染したモンスターが、次々と他の神官に襲い掛かる。活動する心臓を数える方が早いだろう。サリエはあまりの恐怖に顔を引き攣らせ、美しいはずの髪を振り乱し、ハウズリットの足にしがみついた。


「痛い、やだ、助けて、やだやだ、助けてぇ! 死にたくないぃ!」

「へぇ……、俺に懺悔するのか?」

「助けて、お願い、ごめんなさい、ごめんなさい、自分の力を試したかったの、ごめんなさい!」


 懇願する彼女に、聖者様としての威厳はもはやない。

 聖痕が現れたばかりのサリエは、有頂天になっていた。隣国の王族のみならず、貴族ら重鎮たちに必要とされ、己の力の天井を知らなかった。

 彼女が行ったのは、病原体の生成と運用。この村を実験台及び媒介とした。底知れない魔力は無尽蔵に使いたい放題で、完成された悪意は国相手の売買へ発展する。

 自由自在に病原体を生成できれば、それだけで他国への脅威となる。隣国は昔から、複数の国と大小少なかれ戦争をしているので、病原体を兵器として欲しがった。

 所属する教会を通してサリエには、莫大な富と揺るぎない名声が手に入り、彼女は聖者の力に夢中になったのだ。

 ハウズリットは血の止まった両手を一瞥し、緩慢な動作で膝を曲げてその場に屈む。


「そんで? 俺様に助けて欲しいってか?」

「お願い、お願いよ、助けて、ちゃんと罪は償うから、自分の力を過信してたの、ごめんなさい、助けて、お願い、助けて……!」

「いいぜ? この俺様に献金しな」

「…………へ……?」


 彼はニンマリと笑って、絶望に色を染めるサリエの顔を見下ろした


「献金だよ、献金。俺様を働かせるなら、相応の額じゃねーとな。それこそ、聖霊王が支払った金額の倍くらいよ」

「…………っ、わ、わかった、払う、払うわ! だから助けて……!」

「おいおい、何言ってやがる。献金ってのは、奉仕の後にするものじゃないぜ?」

「なっ、は、払うって言ってるじゃない!! 万でも億でも払うわよ!! だから助けてよ、お願い、わたし死んじゃうわ……!!」

「へぇ、死んだらいいんじゃねーの? そうやって、この村も見捨てたんだろ?」


 冷めた瞳に射抜かれ、サリエは絶句する。

 ハウズリットは溜め息混じりの息を吐いて、立ち上がった。縋る彼女の手を払い除け、踵を返す。


「安心しな、。存分に


 悲鳴か、咆哮か、誰が上げたナキゴエかも、もはや分からない。

 シジは悠々とした足取りで戻ってくるハウズリットを見ながら、片手を額に当てて長く息を吐き出した。


 


 


 


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