「アモウステラ……」


 精神の魔物アストラルを束ねるリーダー格。五兄弟の末、アモウステラ。大きな戦争の後に現れたとされる、アストラルの上位種だ。見た目のグロテスクさも相まって、こんな辺境の村に居て良い魔物ではなかった。

 他の神官たちが、村民の方へ気を取られていてよかった。絶対に恐れ慄いて逃げ腰になる。シジとて逃げ出したかった。アレは死という概念そのもの。生きとし生けるもの、全てが平伏する存在なのだ。

 不快な笑い声を響かせるその魔物の下で、魔法陣を書き終えたらしい聖者様が振り返った。


「……何してるの。ここはわたし達に任せて、早く村を出て」


 澄んだ声の女は無表情に近しい顔で、小さく片手を振る。

 凍てつく氷を思わせる、白と水色が混じる長髪に、紫の瞳。洗練された魔力が、魔法陣と魔石を通し、彼女を淡く光らせている。

 周辺で術式を展開する神官も、彼女も、恐ろしく顔色が悪い。アモウステラを相手取り、村民の治癒まで手が回っていないのだ。指揮官の言葉は悪いが、忙しいと言うのは間違いではないのだろう。

 上位種との戦闘は、魔力の消耗が激しい。特にリーダー格は対処を間違えると、いくら聖者様のような偉大な魔法使いであっても、死に至る場合もある。

 シジは一歩前に出て、片手を胸に当てた。


「我らは聖教会セントレイト支部より参りました。お力になりたく」

「セントレイト?……って、もしかして、金に汚いあの?」


 それはハウズリットただ一人だ。

 ……と、叫びたい内心は隠す。身内の醜聞だと言わんばかりに肩をすくめて、困り顔で笑って見せた。うっとりするような笑みに、思わず隣国の聖者様の顔も赤らむ。

 しかしすぐに視線はハウズリットに移り、明らかな侮蔑を持って睨みつけた。


「そう、あなたが聖者ハウズリットね。お噂はかねがね。……わたしは、サリエ。この国の聖者よ。手伝ってくれるなら、早く詠唱をして援護に回って。最強なんでしょ、あんた。ちょうどいいわ。この汚い奴をどうにかしてよ」


 ぶつくさと指示を出す彼女は、どう考えても善意で奉仕しているように見えない。睨み上げる彼女の視線の先で、アモウステラは相変わらず笑みを浮かべていた。

 サリエは澄まし顔で言うが、状況が悪いのは火を見るより明らかだ。魔法陣は完成しているものの、アモウステラにはまるで効いていない。サリエが術式を口に出すと、傍目に見ても強力な浄化魔法が発動しているのに、神の末席とも言われる醜い魔物は、ゲラゲラと笑うばかりだった。

 舌打ちした彼女が、更に魔法を追加する。その刹那、倒れる男女が激しく呻いた。両手で胸を掻きむしり、地面に上体を擦る様は、あまりに強い魔法を浴びた事への反動だった。


「お母さん! お父さん!」


 ニコリスが駆け出し、魔法陣に踏み入れる。しかし弾き飛ばされ、地面に激突する前に、ハウズリットが魔法ですくい上げた。


「聖者サリエ! そのままでは、その方達が死んでしまう! まずは解放を!」

「冗談言わないで、ここで病原体を抑えこむの。当然でしょう?」

「お、抑えこむって」

「その為に出られない結界を貼ってるのに、解放だなんて馬鹿なこと言わないで。感染源は消滅させるのよ」


 サリエの言い分に、シジは耳を疑った。

 彼女はニコリスの両親を媒介に、アモウステラごと疫病を抑え込もうとしているのだ。

 地面に降り立ったニコリスは息を吸い込む。吐く息は白くけぶり、少年の柔らかなはずの瞳が、黄金に変色し苛烈に輝いた。魔力よりも神聖な揺らぎが周囲の温度を低下させ、地面に氷の花が咲いて散る。

 ニコリスの小さな体が、光を帯びた。従順であった人間の皮を捨てるかのように、外見は子供のまま、気配が子供らしさから脱却するように。

 驚くシジの腕をハウズリットが掴んで、自身の背後に下がらせた。


「──っふざけるな、お前達が持ち込んだくせに。僕の大切な夫婦を実験台に、感染症について研究していたくせに。知らないと思ったのか、気がつかれないと思ったのか、僕が、……僕の護ってきた村を、僕が何も分からないとでも思ったのか……!!」


 ニコリスの声に、低い男の声が被さって聞こえる。額の皮膚を突き破り現れたのは、鱗の生えた一角だ。冷気は隣国の聖者様や神官を飲み込み、アモウステラに襲いかかる。しかしかの魔物は笑うだけで、パキパキと凍りつく己の体すら、愉悦を感じているかのように卑下た笑みを浮かべていた。

 悲鳴が上がった。

 魔物ではなく、人間の。


「あ、ありえない、ありえない、ありえない! なんで聖霊王がこんな場所にいるの!? 待って待って、止まって、わたし達は魔法使いよ、あなたの味方、」

「黙れぇッ!!」


 隣国の聖者様の声が、地面から突き出す氷に阻まれる。

 ニコリスと名乗っていたソレは、赤く転じた白目と金の瞳を持ち、金色の一角を生やす、まごうことなき本物の聖霊王だった。

 聖霊は魔力の始祖。魔法使いが行使する魔力、全ての源だ。彼らの存在がなければ、魔法使いは魔法を行使出来ない。だが普通は実態がなく、姿を捉えることは叶わない存在だ。

 その中で、聖霊王と呼ばれる存在だけが、視認できる肉体を持つ。肉体を維持する為に、人間に紛れて暮らしているとは聞いたことがあったが、実際に確認するのはシジも初めてだった。

 だが。

 シジは目を細めて、唇を噛み締める。怒りで我を失っている聖霊王の攻撃は、人間ばかりを傷つけるだけで、アモウステラには全く害になっていない。

 聖霊王は魔力の根源だが、自身の力は魔物に及ばないのだ。

  

「ッ、ハウズリット、まずい、このままだと彼らは死ぬぞ……!」


 シジがハウズリットに叫ぶ。魔物の下には、生身の人間が二人もいるのだ。このまま濁流のような魔力を浴び続けたら、例え助かったとしても精神崩壊し廃人になってしまう。

 魔法使いは非力だ。聖霊王は魔物には勝てないが、魔法使いは聖霊王の魔力を防ぎ切ることは出来ない。それはたとえ、神の使徒である聖者様であっても。

 だからシジは、ハウズリットに祈るのだ。


「彼らを助けてやってくれ……!」


 蝋燭の炎が消えるように、吹き荒れていた全ての音が止む。

 呆気に取られた聖霊王が、呼吸をした次には、膝から地面に崩れ落ちた。氷漬けにされかけたサリエも、泣きながら尻餅をつく。他の神官達も同じく、地面に倒れ込んだ。状況が理解できず狼狽える面々の視線が、ハウズリットに注がれる。


「うっせぇな。オメーが俺に祈るんじゃねぇよ、シジ」

「いいから貴様は、職務を全うしろ」

「……まぁいいか、今回は。確かに俺もそろそろ、茶番に飽きたとこだったしよ。……おい、。俺様に祈るのは、お前の役目だ」


 聖霊王の真名を不躾に呼び、悠々とした動作で歩み寄る。小柄で少年のような聖霊王は、呆然とした顔でハウズリットを見上げた。


「……僕の名前、……知って……」

「当たり前だろーがよ。ニルヴァライトの原石を、人間が持って歩けるわけがねぇ。魔力の波長が合う存在なんざ、人間意外に決まってる。王魔連の奴らの詮索を黙らせるのに苦労したぜ、まったくよ」


 ハウズリットの冷めた視線に、聖霊王は怯えた表情を見せた。力の入らない膝は立ち上がることが出来ず、両手で衣服を握りしめる。


「さぁて、ニコリス。ここからは俺様へ、祈りの時間だ。──告白しろ」


 ひくりと、少年を模した王の喉が震えた。金の双眸からは透明な涙が溢れ、胸の前で両手の指を組み強く目蓋を閉じる。


「……っこの国の聖者は、自分の力がどれほどのモノか実験するために、自分で作り上げた病原体を、僕の養父と養母を誑かして感染させました。この村を実験台に、村人への感染状況や感染経路の把握をし、生成した病原体をどのように利用できるのか画策していたんです」

「ま、待って、違う、わたしは、ただ、ッ!!」


 ぼろぼろと涙する姿は、ただの小さな少年だ。そして告白する内容は、あまりに酷い。

 サリエが焦って口を挟もうとすれば、ハウズリットの魔法で声帯を塞がれ、喉の奥から掠れた息だけが漏れた。


「村人には理由が分からず、国へ訴えました。医者も呼びました。でも、聖者が作った病原体など、治療できる訳がない。それこそ同じ聖者でなければ、とても太刀打ちできない。善意で治療にきてくれた医者も、皆が感染し、皮膚は次第に壊死していき、高熱にうなされ、呼吸困難になり、……僕の愛する村は、死ぬのでしょうか。……死んでもよいと、いうことなのでしょうか……!」


 ハウズリットの両手に刻まれた聖痕から、地面に向かって赤い水滴が流れ落ちた。シジはそれを目に留める。そして真っ青な顔で口を開閉させるサリエを一瞥し、ひっそりと十字を切った。


「莫大な金さえ積めば、なんでも成し遂げてくださる、偉大な聖者様……!僕の養父母を助けてください、村の人々を助けてください、どうか、どうか、この村を救ってください。そして、……僕らを貶めた輩に、どうか最大限の慈悲なき罰を……!」


 ゴポ、と歪な水音を立てながら、聖痕から流れ落ちた血が、地面に吸い取られる。

 ハウズリットは、血まみれの両手の平を軽くかかげて、ニンマリと笑ってみせた。


「いいねぇ。献金額に相応しい、最高の祈りだぜ。この俺様に任せておきな」


 言う終わるやいなや、ハウズリットの魔力が激しく揺らめいた。


 パァンッ!


「──は?」


 破裂音が辺りに響き渡る。肉片が頭上から飛び散り、ところどころ凍りついた地面を、赤黒く汚した。蠢く肉片はすぐに自我を失い、瘴気となって空気に霧散する。

 突然の事態にハウズリット以外の全員が、ポカンと口を開けて上を見た。

 そこには頭を吹き飛ばされたアモウステラが、同様に状況に理解が追いつかず、細長い指で自身の顔を探す。そして数秒後、自分の頭が無い事実に至り、──心臓が止まるほど大きな咆哮が、地響きを伴って放たれた。


「他の魔物を呼びこむ奴がいるか愚か者が──ッ!!」

 


 


 

  

 

 

 

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