数人の神官と共に教会を出て向かった村は、本国と隣国の境目にある、小さな村だった。崖の上から見下ろせば、そこかしこに瘴気が立ち上っているのが見え、魔物の影響を受けている事が分かる。

 この世界に蔓延る魔物は、実態がある“モンスター”と、実態のない“アストラル”の二種類だ。

 アストラルは澱んだ空気が集合体となり、寄せ集まった霊体に近い存在である。今回のように原因不明の裂傷や疫病などが蔓延すると、アストラルに襲われたとして、モンスター討伐よりも多くの魔法使いが必要になった。

 というのもアストラルは、神官が数名で陣形をとり、魔力の波長を合わせて聖者様をサポートし、聖魔法で浄化しなければ、その場所に永遠に出現するからだ。かの魔物はモンスターより強力な輩が多く、魔法使い一人では太刀打ち出来ない事が多いのである。

 ニコリスに案内されて村に踏み入れると、その異様な光景にシジは足を止めた。


「……なんだ……これは……」


 隣国の兵士だろうか。甲冑を着た多くの兵が、朽ち果てた家屋から人を引きずり出している。遠くには、騎馬隊のような連中が数人、兵士に向かって指示を出していた。

 兵士には各々、甲冑に埋め込まれた魔石から魔力の波動を感じる。移動する箇所だけ空気が清浄になっているようで、おそらく浄化魔法が施されているのだろう。

 地面を引きずられる人に、正気はない。

 およそ人間を扱う動作ではなく、滑車の荷台へ人間を放り投げていく兵士に、ニコリスが悲鳴をあげて走り寄った。


「やめて! 村の人になにしてるの、やめてください!」

「なんだこの子供は。おい、摘み出せ!」

「お、お待ちください!」


 腕で払われたニコリスを支え、シジは兵士を睨み上げる。


「恐れながら、我々は聖教会セントレイト支部より、敬虔なる子羊ニコリスの便りを聞き届けるべく、参りました。この惨状は何事でしょうか」


 王都の中心教会の名を出せば、兵士たちは互いに顔を見合わせる。その後ろから騎馬隊の一人が、馬を操り近寄ってきた。

 他の連中と甲冑の質が違う。指揮官か。シジは険しい表情を隠さず、唖然とするニコリスを片腕に抱き、地面に片膝をついた。


「王都の教会こそ何用で来た。今現在、ここは我が国の聖者様が、浄化の作業を行っている。部外者は立ち去れ」

「聖者様が?」


 なるほど。瘴気が残っていてもアストラルが居ないのは、隣国の聖者様の影響のようだ。横目にニコリスを一瞥するれば、少年は青ざめた顔で視線を揺らす。そこには相対する兵士たちへの不信感が読み取れ、シジは小さな肩を優しく撫でた。


「……そうでしたか。しかし、それなら村人をあのように扱うのは……」

「彼らは疫病に感染している。この村から広がらぬよう、今から熱処理をするのだ」

「は?」


 立場も忘れて顔を顰めてしまった。

 熱処理とはどういうことかと問えば、指揮官は感染源であるこの村を、焼却処理するのだとのたまった。背後で他の神官たちが騒めく。

 聖者様がいながら、疫病を浄化できないとは何事かと。

 指揮官の方も胡乱げに眉を寄せ、首を傾ける。


「浅はかな知恵足らずどもめ。我らが聖者様は今、強敵を相手にお忙しいのだ。こんな辺境の村民など、我々の処置で十分だ」

「な、──っニコ!?」


 シジの静止を振り切り、ニコリスが再度悲鳴を上げて馬に掴みかかった。前足を上げて暴れる馬をいなし、指揮官が焦った声で叱責する。しかし少年は泣きながら甲冑の脚にしがみ付き、防具の留め具に噛み付いた。


「やめろ、村の人たちに酷いことをするな! 何もしてくれなかった癖に! 今まで僕らを見捨ててた癖に! 病気が広まってみんな死んだら、なかった事にするんだろう!!」


 ニコリスの声に、微かに低く澱んだ男の声が二重に聞こえる。蹴落とそうとする男の体をよじ登り、両足を指揮官の肩にかけて乗り上げると、甲冑の間に両手を差し込んで首を締め上げた。

 凄まじい怒りが、空気を震わせる。およそ子供が纏って良い殺気ではなかった。少年は指揮官の腰骨を折らんばかりに体重をかけ、親指で強く喉仏を凹ませる。

 シジは少年の変わりように呆気に取られ、すぐさま引き離そうと動いた矢先。ニコリスの体が宙に浮いた。

 驚いた少年の両手が緩んだ瞬間、指揮官が抜刀した剣が彼に当たる前に、全ての防具が粉々に砕け散る。甲冑に限らず、頭を保護する布や、馬具。背中に背負う盾など、本当に文字通り全てが一瞬で機能を停止した。

 あり得ない事態に、男も悲鳴をあげる。


「なんだ、どうしたんだ、一体私に何が、っ」


 周辺から同じく野太い悲鳴が上がった。周辺の騎馬隊や兵士の防具も、次々に壊れていく。それは浄化魔法の恩恵も等しく粉砕し、皆が散り散りに逃げ惑った。反応を見るあたり、疫病は感染症らしい。折り重なるように人間が積まれた滑車の傍にいた兵士が、空気感染して皮膚が黒く変色していく。

 相変わらず宙に浮いたままのニコリスが、肩越しに振り返った。


「せ……聖者様……?」


 シジが追った視線の先には、これ以上ないほど怒りを沸たぎらせるハウズリットが、無言のまま聖魔法を行使していた。

 村から逃げ出そうとする兵士らは、見えない壁に阻まれ、村領から一歩も外に出られない。助けを求めて兵士が指揮官に群がり、馬の上で丸腰にされた指揮官は真っ青な顔でハウズリットを睨みつけた。


「貴様、何をしている! 重罰だぞ、早く魔法を」

「何をしているはこっちの台詞だ、このウスノロクズ馬鹿野郎!! 俺のの邪魔すんじゃねぇ、退けろ!!」


 呆気に取られるシジやニコリスの前で、その場にいる兵士たちの体が宙に浮く。次々と空に張り付けられていくそれは、まるで磔刑のようだ。ピクリとも動けなくなった兵士ら、およそ数十名。話すことすら出来ず、目を白黒させてこちらを見下ろしていた。

 ハウズリットは滑車を見遣り、倒れる人々を魔法で地面に下ろし寝かせていく。即座にかけられた人体蘇生魔法は、一秒もかからずに人々を癒し、村民たちの胸は緩やかに上下し始めた。

 相変わらず規格外にめちゃくちゃな魔法で、且つ、精密で素早い。シジは息を吐き出し、他の神官たちに村民の様子を見るよう指示を出した。我に帰った仲間がそれぞれ行動するのを見届け、宙に浮いたままのニコリスを引き寄せる。

 ハウズリットは金に卑しいが、本人が納得する額を手に入れれば、仕事はする人間だ。ニコリスを地面に下ろして、大股で歩き始めた聖者様を追いかけ、隣に並んで頭上を指差す。


「おい、ハウズリット。上の兵士はどうするんだ」

「俺様の稼ぎを邪魔しやがった奴らは、一人残らずブチのめす」

「聖者が言っていい内容じゃない」

「せ、聖者様、あの、村のみんなは助かるんですか!?」


 大人の歩幅に合わせて走るニコリスに、ハウズリットは前を向いたまま、口角を吊り上げて笑う。


「心配すんなって言ってんだろ? 俺に出来ない事は何もねぇ。オメーはただ、俺に祈りな」


 ふと、吐き出す息が白くけぶって、シジは足を止めた。

 村の広場だろうか。脆く崩れた井戸の前に、10名ほどの神官が円陣を組んでいる。朗々と響く詠唱が空気に光を灯し、足元から円状に輝いて見えた。

 その中央には、井戸へ寄りかかるように、男女が地面に座り込んでいる。血色の悪い肌は黒く爛れ、しかし辛うじて肩が上下する様は、命の灯火が焼き切れようとしているように見てとれた。

 男女の前で詠唱を唱える小柄な女が、長い杖で地面に魔法陣を描いている。おそらく隣国の聖者様なのだろう。立ち上る魔力が、他と一線を画していた。

 倒れている女の方が、僅かに目を開き、視線を彷徨わせる。そしてニコリスを目に留めると、ハッとして表情を歪めた。


「……ニ、コちゃん……!」

「お母さん!……っえ、なんで、離してくださいシジ様!! どうして!?」


 走り寄ろうとするニコリスを、シジは慌てて掴み止める。何事かと振り返る少年に首を振り、冷や汗を流しながら、ニコリスの両親らしき男女の後ろへ、井戸の上へ目を向けた。

 焼け爛れた肌に、三つの空洞が開いた顔。井戸へ縫いとめるように男女へ絡みつく腕は、幾重にもなり、腐敗臭が空気を汚して漂ってくる。

 造形は人間の上半身に近く、けれども人間と非なる巨大なソレは、聖者様と神官を一瞥してゲラゲラと笑った。


 



 

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