◆ ◆ ◆


 少年は自らをニコリスと名乗った。

 王都より遠く、国境すら超えた隣国から、一人でこの教会までやってきたのだという。彼の両親や村人は疫病に侵されていて、どんな治療を施しても治らず、ついに貯蓄が尽き果ててしまい、困り果てて救いを求めに来たのだ。

 シジは応接室に通し、暖かな紅茶を淹れてやり、綺麗なカップをニコリスの目の前に置く。


「そうだったのか……。辛かったね、もう大丈夫だ。我らが神は、けして君たち家族を見離さない」

「はい!」


 安心して紅茶を飲むニコリスの身なりは、到着した当初と見違えるほど綺麗になっていた。

 くすんだ金色ながらも柔らかな髪に、子供らしい丸い緑の目が印象的だ。汚れや怪我をした体は綺麗になり、ボロきれのようだった衣服は、王都一の洋品店でも平伏する上等な織物に変わっている。

 全てハウズリットが、聖魔法で身綺麗に整えたものだ。

 シジは、ニコリスに対するあまりの高待遇に、薄ら寒さすら感じて身震いする。

 ハウズリットは基本的に、教徒を顧みない。教徒は金を落とす存在としか見ていない節があり、このように魔法を施すなど、今まであった試しがなかった。というか、人体の修復魔法があまりに高度な領域すぎて、もはやキューティクルさえ再生しているようである。

 しばらく少年と話をしていると、ハウズリットが鼻歌混じりに扉を開けた。


「おう、ニコ! オメーの母ちゃんは天才だな。俺に任せておきな、死体だって生き返らせてやるからよ!」

「な、なんだ、なんなんだハウズリット。持って行った石はどうした、なんでそんな気持ちが悪いほど機嫌がいいんだ」


 相変わらず意味不明に上機嫌なハウズリットに、シジは引き気味に訪ねる。彼はニコリスの隣、三人掛けのソファーに陣取ると、少年のために用意したクッキーを一枚摘み上げた。


「石は王魔連おうまれんの連中に売っ払ってきた」

「は?」

「ほらニコ、腹へっただろ? 食えって。なんでも用意してやるぜ?」


 ポカンと口を開けるシジなど眼中になく、彼は空中に様々な食べ物を出現させる。その摩訶不思議な光景に目を輝かせたニコリスは、ハッとしてハウズリットに視線を向けた。


「ぼっ、ぼくの、お母さん、お父さん、助けてくれますか!?」

「だーから、俺に任せとけって言っただろ? 上お得意様にはサービスしてやるのが、客商売ってもんだ」

「……待て待て待て、教会は客商売じゃない! ちゃんと説明しろハウズリット!」


 ハウズリットがクッキーを手ずから少年に食べさせる様子に、慌てて間に割って入ったシジに、聖者様は面倒そうに双眸を眇める。しかし自分の分のクッキーを口内に放り込むと、音を立てて咀嚼しながら肘置きに片肘をのせ、頬杖をついた。


「あの石は、ニルヴァライトの原石だ」


 楽園石ニルヴァライト。魔法使いが、自らの魔力を変換させる為に使用する魔石の中で、最も価値ある宝石だ。貴重種故に高値で取引される事が多く、小石一つで家が立つと言われている。

 ニルヴァライトが貴重なのは、ひとえに採取の難しさに由来する。あの宝石は魔力の波長が合う人間しか受け付けず、持ち上げる事ができないのだ。だからシジや他の神官には重く感じ、微動だに出来なかったのである。

 ニコリスが抱えていた石は、魔石として加工する前のニルヴァライトだという。あれ一つで貴重魔石が百近く採取でき、取引価格はまさに国家予算ほど。

 王魔連──正式名称、王立財団法人錬成魔法連合会は、世界中の魔石の採掘、加工、流通を一手に引き受ける組織だ。何かと聖教会と対立する組織だが、ハウズリットが売買を持ちかけた原石を見るや否や、普段は引き篭もっている組織トップのじいも出てきたらしい。

 これほど大きな貴重魔石の原石であれば、組織の年間予算全てを投げ打ってでも、倍にして回収できる。双方の利益が一致し、快く売り払ってきたと聖者様は言った。

 シジは卒倒しかけて踏みとどまった。


贋物がんぶつでは!?」

「王魔連の研究屋に、あれこれ査定させてきた証明書もあんぞ。この俺様が、偽物掴まされるわきゃねーだろ、ぶっ飛ばすぞ」


 確かにハウズリットは、金銀財宝の目利きに関しては、巷の専門家より詳しい。これに関してかなり勉強したそうだ。理由は単純で、偽物は金にならないからだと。

 つまり彼の言う通り、ニコリスは教会の資金運営の救世主であった。

 宙に現れた保証書と、領収書を受け取ったシジの目に、人生で一度もお目にかかった事のない金額が飛び込んできて、今度こそ一瞬、失神した。


「そんで? 俺に何を祈る?」


 小さな少年の頭を軽く叩きつつ、彼は問う。お菓子を頬張っていたニコリスは、慌ててナプキンで口を拭くと、姿勢を正しハウズリットを見上げた。


「聖者様、ぼくのお母さんとお父さんの、病気をなおしてください」

「他には?」

「へ? ……ええと、病気の元を、なくしてください」

「あとは?」

「え? えっと、村の人たちも健康にしてください!」

「それから?」


 矢継ぎで聞かれる要望に、流石のニコリスも不安に思ったのか、困り顔でハウズリットを見る。聖者様は息を吐き出し、極めて面倒そうにクッキーを一枚、頬張った。


「オメーの祈りに必死さが込められてねぇ。上お得意様を困らせる疫病なんぞ、根元から殲滅してやんよ。……いいかニコ。俺様は神の代行者だ。天上に居座って救いもしねぇ神の前に、俺様に祈りな。お前の祈りはなんだ?」

「ぼくの……祈り……?」


 言われている内容が分からないのか、少年は首を傾げ、考え込んでしまう。ハウズリットも応えを急いでいるわけではないようで、腕を伸ばしてからソファーを立った。


「まぁいい、今はな。……おら、クソ神官! 出立の用意だ!」

「私は貴様の召使いじゃない!」


 片手を振って応接室を出ていくハウズリットに唾を吐き、シジは片手を額に押し付け息を吐き出す。まったく頭痛が止むことを知らない。

 ソファーを降りて隣に来たニコリスは、おずおずとした様子で神官を見上げてきた。


「……あの……あの石って、高く売れるんですか?」

「あ、ああ、そのようだよ」

「ぼくの村、あの石、たくさんあるんです! 村のみんなが良くなったら、お父さんのお手伝いしながら、もっとお礼します!」


 シジの返答を聞きパッと表情を明るくするニコリスに、シジは胸を撃たれ、思わず小さな少年を抱きしめる。次いで、ニルヴァライトの原石がたくさんあるという事実に、もしや、と嫌な予感が駆け巡ったが、頭痛が再来して考えることをやめた。

 


 



 


 

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