参
ガルシアは、よくぞ聞いてくれた、と言わんばかりに、
「海津さんなら予想はついていると思いますが。2026年に消えたのはステファニーではないんです。もちろん、肉体が消えたのはステファニーです」
「なるほど。意識を無線のように飛ばす研究をした甲斐があったというわけですね」
「悔しいがミスター・海津。わたしはあなたほど優秀ではなく、意識を過去に飛ばすことは出来なかった。しかし、同時代の自分に飛ばすことには成功した。正直に申し上げましょう。あの時わたしは死を覚悟して薬を飲みました。幸い賭には勝ったというわけです。ステファニーに宿っていたわたしの意識と記憶はアンソニーに移行された」
さあ、もう十分でしょう。そんな顔をしてガルシアは後ろの二人を振り返った。二人のボディガードは懐から銃を抜いた。銃口をこちらに向けた。なんらためらいなく引き金を引くはずだったが、ガルシアが話はじめ、その動作が止まった。
「すでにワクチンの副反応のおかげで二十五億人が減りました。地球は劇的な回復を見せています。残りの四十五億人が漸次減ることにより地球と人類は救われます。あなたたちにその邪魔をさせるわけにはいきません」
ガルシアがふと視線を落とした時、銃声が激しく鳴った。一発ではなく何発も一カ所からではなく。
狭い室内が甲高い爆発音で満ちる。銃声が止み部屋に静寂が戻る。硝煙の匂いが漂う。僕の尖った意識が平常に戻る。撃たれた、と思って体に感覚を集中するが痛みがない。辺りを見まわす。倒れているのは二人のボディガードだった。二人とも頭に銃弾を喰らい顔面を鮮血に染めていた。
ガルシアは一瞬何が起こったのか分からないかのような戸惑いを見せた。が、カッと目を見開くと手にしていた小瓶を高く振りかぶる。再び木霊する銃声に彼の行動は阻まれる。小瓶を振りかぶったまま膝から崩れる。抑える太ももからは止めどなく血が流れていた。
部屋の隅から男と女、一人ずつ人影が現れた。
「十年前のやつらだ。十年たって鈍ったんじゃないか? 何回こいつらに殺されたことか。お前もこいつらに殺されたことがあるんだぜ」
義章さんはそう言うと、もう一発ずつ死体の顔に銃弾を撃ち込んだ。
「どうりで憎たらしいと思った」
小柄な体に似合わぬ大口径の銃を構えるのは高橋由奈だった。
何が起きているのか混乱している僕とは違い、海津はガルシアが落とした小瓶を拾い上げると由奈に渡す。
ガルシアは倒れたまま、目だをぎょろりと動かし、
「ミスター・海津。これがあなたの答えですか。あなたの策略だったのですね。しかしなぜ、わざわざこのような危険を冒すのです。その薬を秘匿して飲めばそれで済むはずなのに、わたしをおびき寄せた」
「それはね」と高橋由奈は海津から小瓶を受け取りながら、「あなたの話を聞くため。あなたがなにをしたかったのか、達也さんや海津さんをどうするのか、それを確かめるため」
倒れた老人に向けて言葉を紡ぐ彼女は、僕が知っている彼女ではなかった。裕二と心中を試みた陰鬱で臆病な女ではなく、試合に挑むアスリートのような気を放っていた。
義章さんはそんな由奈に、
「じゃあな由奈。未来を、おまえに託す」
「なにそれ。格好良すぎる」
「おまえが昔僕たちに言ったんだぜ」
この二人はどういう関係なのだろうか。
「緊張しちゃうよね。人類の運命を背負ってるなんて。でも、これで何も起きなかったら笑っちゃうよね。間抜けすぎ」
などとにこにこしながらスクリューキャップを開け、高橋由奈は瓶の中身を一気に飲み干した。
瓶の中身を飲み干し、一呼吸置くと瓶を落とした。苦しそうに胸を押さえる。床に倒れ、ほんの数秒のたうちピタリと動かなくなる。それは明らかに抜け殻だった。高橋由奈の体から中身が抜けて、ただの物体になったのが見てとれた。それよりも驚いたのは、空気が変わった。いや、世界が変わってきている。僕たちは普段三次元を生きている。そこに、もう一次元、四次元が現れたのを、僕ははっきりと感じていた。
「なんだよ、これ」
僕は呟く。
頭が混乱している僕と違い、海津も義章さんも落ち着いたものだった。
海津は虚空に向かって言う。
「実験は成功した」
「成功しなきゃ、洒落にならないでしょ」義章さんはその目に四次元を浮かべていた。僕をチラリとみると嬉しそうに、「頑張ったな僕も」
と言う。その声音に言い知れぬ親しみを覚える。
「どういうこと?」
義章さんは秘密を打ち明ける子どものように、
「アンソニー・ガルシアが2035年から1963年のステファニー・ガルシアに移ったように、僕も2031年から2021年の裕二の体に乗り移った。つまり、僕は十年後の達也、君だということ。2021年で何度もこいつらに殺されて、2021年の僕ではどうすることもできないと悟った。それで、今日まで生き延びることにした」
義章さんは未来からきた僕? だとしたら、もともといた義章さんは誰?
義章さんの姿をした僕は、やはり僕なのだろうか、僕の疑問に答える。
「知ってる通り、裕二の体に入った僕と由奈は謀って、裕二が死んだことにした。もちろん、ガルシアどもは簡単には信じない。これも実は数回やり直している」
「義章さんは?」
未来から来たという義章さんの形をした僕は続ける。
「義章さんはガルシアショックの前に、ワクチンの副反応で亡くなった。そのことを知っていた僕は、海津の病院に義章さんを入れて、義章さんに成り代わった。裕二と義章さんは年齢も変わらない、背格好もほとんど同じだったから、顔を整形すれば見た目では誰にも分からなかった。しかも、義章さんは身内がいない。唯一の身内と呼べるのは住職だけ。だから僕は住職だけ騙せればよかった。退院してボロが出る前に、修行をやり直したいと願い出て九州の寺を紹介してもらった。細かい記憶違いはコロナ後遺症のせいにしてね。そして、弟の命日、この日に僕は寺を訪れる。ガルシアを誘き寄せるには、僕自身と海津が行動を共にすることが一番確実だ」
目の前の義章さんは、裕二の体に乗り移った未来の僕? 体は裕二のもので、顔を義章さんに整形して、中身は僕?
「この傷、覚えてるだろ?」
義章さんは袖をめくって前腕の傷を示した。その傷は、小学校の頃、工事現場で遊んでいて、足を滑らせて転落した裕二が飛び出した針金で深い切り傷を負ったものだった。
義章さんは義章さんではなく裕二の体。その中身が僕。
「なかなかそう簡単に納得出来ないかも知れないけど、とりあえず、ここまでは上手くいった」
義章さんは海津と目を合わせる。
僕には新たな疑問が生じる。
「ここまで?」
「ああ。問題はこの先。彼女が過去に戻ってうまくやれるかどうか」
「高橋由奈が?」
僕は足元に転がる彼女の体を指す。それはまさに体であり空っぽの存在。
海津が僕の隣に来て、
「高橋由奈は今過去へ向かって飛び立っている。2009年の姉の元へ。やっぱり時間軸は世界に二つはなかったんだ。常に一つで、上書きされた瞬間にこれまで構築された世界は消去される。理論通りだ。彼女が過去にたどり着いた時点で、この時間軸は消滅する。彼女のタイムリープを起点とした新しい時間軸が世界となる」
そんな海津の独白を耳にしているうちに、世界はみるみる姿を変えていく。
四次元が五次元になり、多次元が入り乱れて溶けていく。
僕自身もその中へ溶けていき、意識と世界が一体化していく。
全ての人々、全ての存在と意識が一つになるような味わったことのない快感。
恍惚。
―2031年―
「ご飯できたよ」
と理恵が僕の体を揺すった。
いつの間にかソファで眠ってしまった。テーブルの上には夕飯が湯気をあげている。
「ぐっすり眠ってたね。疲れてるの?」
「いや、別に疲れることやってないはずなんだけど」
とても、とても長い夢を見ていた気がする。
「どのくらい寝てた?」
「時間にしたら大したことないんじゃない。三十分くらいだったかな?」
三十分。時間の感覚とは不思議なものだ。
「ほら、見て、玲奈さん出てるよ」
理恵が慌ててテレビを指す。
2031年のノーベル物理学賞の授賞式の様子が流れていた。
嬉し恥ずかしそうに舞台に上がり盾を手にする。
「すごいね、日本人最年少らしいよ」
彼女とは一度弟の結婚式で会った。間違いなく国民的出世頭だった。いや、世界的な出世頭だ。彼女の研究と活動によって地球の環境は劇的に改善した。一部では地球を滅亡から救ったヒーローと呼ばれている。
「よくやったな、由奈」
と僕は呟いていた。
理恵は笑いながら、
「やだ、由奈ちゃんじゃないよ」
テレビに映る彼女は弟の妻である由奈の双子の姉だ。そんなこと分かりきっているし、今まで一度も間違えたことなどなかったのに、僕は何を言っているのだろう。自分で自分の失言に笑ってしまった。
僕はモバイルを手に取り弟へ電話をかけた。
しかし、出たのは由奈だった。
「あれ、裕二は?」
「今お風呂入ってて」
「ま、いいや。おめでとう。お姉さんすごね」
「ありがとうございます。裕二と姉にも伝えておきます」
「まさに天才とは彼女のこと」
電話の向こうで由奈が笑うのがわかった。
「わたしとは大違いです。双子なのに、知識量とか全然違うんです」
「そういうのを天才って言うんだろうね」
「でも、以前わたしが、『お姉ちゃんは天才だからね』って言ったら、『数え切れないくらいやり直してるからね』ですって。意味わかります?」
「あはは。わからない」
と答えたものの、僕はなんとなくわかるような気がした。もちろん、説明することなどできないけれど。
電話を切り、シュトーレンを肴にワインを傾ける。僕は理恵にプレゼントを渡す。結婚十周年。ダイヤモンドのネックレス。
「うそ、高かったんじゃない?」
「実は貴重な清代の一面持ってたんだ」
「えっ、売っちゃったの? 大事にしてたのに。っていうか、あんな石くれ、お金になるんだ?」
「なるよ。そんなこと言ったら、ダイヤだって石くれ」
また、達也はロマンがないね。
などと言いながら、彼女は首に飾って見せた。
妻は綺麗だった。やっと渡せた。そんな達成感を、僕はなぜだか覚えた。
「テレビ消して。もっと達也と話がしたいな。結婚して十年経つんだよ」
と彼女は言う。
僕はテレビを消すためにリモコンを手にする。ちょうどテレビは、いま中国で流行っている新型ウイルスが、初めて日本に入ってきた、そんなニュースを流していた。
「僕だって話したいこと、たくさんあるよ」
テレビが消え、夜のしじまの中、僕と理恵は出会ってから今日までの話をした。
僕は今が一番幸せだと感じた。 完
君打ちたもうこと勿れ @hoshi
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