ワイフロイド

結騎 了

#365日ショートショート 347

 離婚届はあっさり受理された。

 拳を握りしめ、意を決して役所に入ったものの、思いのほか機械的な対応だった。ふぅん、こんなものなのか。

 結婚三年目、男は妻と無事に離婚した。特に直近の一年は、妻に怒られてばかりだった。彼女は、よく分からない全く脈略のないタイミングで、それもとっくに終わったはずの過去の出来事を思い出したように、理不尽に怒った。ひどく機嫌が悪い日もあれば、驚くほどニコニコとしている日もある。

 分からない。これは妻のことが分からないのか。あるいは女という生き物が分からないのか。どちらにせよ、その理解不能で非論理的な生態に振り回され、次第に精神がすり減り、やがて男は自ら離婚を申し出たのだ。

 とはいえ、このままでは生活が不便だ。男はそれなりに稼ぎがあったため、妻には専業主婦として家のことをやってもらっていた。彼女がいなくなれば困るのは間違いない。このままでは、爪切りの場所ひとつ分からないだろう。燃えるゴミを出せる曜日だって知らない。

『あなたのご自宅に、高性能AIの妻を』

 数日後。ネットで見た売り文句に惹かれ、男はある店を訪れていた。ワイフロイドという商品を販売している店だった。決して安くはないが、専業主婦として家事全般の働きを満足にこなしてくれるアンドロイドだ。見た目は人工皮膚によりまるで本物の人間のようであり、顔つきは「たぬき顔」「欧米風」「エキゾチック」などのバリエーションから選べるときた。おまけに、あっちのお世話まで事細かにインプットされているらしい。至れり尽くせりである。

 商談のテーブルにて、販売員はカラー印刷された見積書を提示した。

「お客様がご希望のオプションは、この通り全て付けております。決してお安くはありませんが、絶対に後悔はさせません。最高の奥様として、きっとお客様の人生を豊かにすることでしょう」

 指を指し、ひとつひとつ確認しながら、男好みのワイフロイドの条件を読み合わせていく。つい、そわそわしてしまう。これなら理不尽に怒られることはない。なんたって高性能のAIなのだから。感情に身を任せるような振る舞いは無いはずだ。

「……最後に、お客様」。販売員がテーブルの側から一枚のチラシを取り出した。「こちら、特におすすめしているオプションで、今なら特別にお安くなっておりますが、いかがでしょうか。キゲンシステム、と申します」

「きげん、ですか」

「そうです、機嫌です。AI搭載とはいえ、あくまでうちの商品は奥様です。ただのお手伝いロボットではありません。黙々と家事をこなすだけでなく、共に生きていくパートナーとして、お客様の生活に抑揚と彩りを加えるのが目的となります」

 なるほど一理ある。確かに、ただ寡黙に料理や洗濯をするだけでは、家電のようなものだ。それではワイフロイドの名が廃るというもの。

「そこでこのキゲンシステムです。こちらをオプションで搭載しますと、ワイフロイドはまるで人間のような機微を得ます。具体的には、あるポイントをイベントによって上下させ、数値が高いと優しく、低いと厳しく接してきます」

 販売員はチラシを裏返し、裏面の詳細な説明欄を指差した。

「ポイントがゼロになってしまうと、ワイフロイドは怒り出します。お客様にきつい言葉を浴びせることもあるでしょう。そして、ポイントが下がる要因は様々です。些細なこと、例えばその日の気圧が低いと下がることもあります。そのため、お客様は常にポイントを加算しておく必要があるのです。ある日突然下がっても、ゼロにならないように」

「それは、どうすれば加算できるんだい」

 なんだか新手のシミュレーションゲームのようだ。男はつい、身を乗り出す。

「なぁに、簡単なことです。なんでもない日の仕事帰りに花を買って帰る。これで1ポイント。ワイフロイドが休んでいる隙に皿を洗う。これは3ポイントです。こういったポイントを日頃から積み重ねておくと、突然の下落に耐えれるかもしれません。そしてこのキゲンシステムの面白いところは、今現在どの程度のポイントが貯まっているか、お客様に開示されないという点です。それを知る術がありません。ですから、常にワイフロイドに貯められたポイントを予測して立ち回ることが求められます。……いかがでしょう、日常に小さな緩急と刺激を。これこそがコミュニケーション、これこそがパートナーなのです。そこらのただのロボットと暮らしては味わえない生活ですよ」

 少しばかり、しこりのようなものが頭をよぎった。いや、気のせいだろう。面白いじゃないか。

 男は契約書に押印した。

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ワイフロイド 結騎 了 @slinky_dog_s11

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