告死の鴉に黒薔薇を

由希

告死の鴉に黒薔薇を

 瞬く星灯りを掻き消す人工の光も落ち着き、静まり返った深夜。

 打ち捨てられた廃ビルの中に、一組の男女がいた。二人は共に黒を基調とした服を身に付けていたが、街中を歩いていても違和感のないコーディネートの男に対し、女はまるでこれからパーティーにでも出席するかのような華やかなデザインのドレスを身に纏っている。


「……まさか堂々と目の前に姿を現すとは思わなかったが、『黒薔薇姫』」


 男が口を開く。目にかけられたゴーグルのせいで、その表情は上手く読み取れない。


「貴方こそ。あの、決して誰にも姿を見せないと言われる『鴉』が、まさか真正面から私を出迎えるなんて」


 結い上げた黒髪から微かに垂れた横髪を耳にかけながら、女もまた口を開く。白い首筋を彩るのは、厚手の黒いチョーカーだ。


「お前相手に下手に隠れようとしても、逆に追い詰められ、仕留められるのがオチだ。だから最初から隠れるのを止めた」

「奇遇ね。私も同じ事を考えてたわ。隠れる事が有利なのは、見つからないという前提の上でだけ。どうせ見つかるのなら、最初から隠れない方がマシだわ」

「考える事は同じという訳か。さすが、最強の殺し屋の一角に数えられるだけの事はある」

「皮肉かしら? 貴方もそう呼ばれているでしょうに」


 内容はともかく傍目には気軽に話をしているようにしか見えない二人だが、実際のところ、そこに隙は全くない。相手が動けばいつでも反応出来るよう、互いに神経を張り詰めさせている。

 裏社会において、最強の殺し屋について語られる時。そこには必ず、この二人の名が挙げられる。


 『鴉』。決して相手に存在を悟られず、その命を奪う殺し屋。

 『黒薔薇姫』。華やかな姿とは裏腹に、どこまでも相手を追い詰め逃がさない執念深さを持つ殺し屋。


 この二人に命を狙われ、生き延びた者はいまだに存在しない。故に最強の名を冠され、日陰に生きる者達に恐れられている。

 そんな二人が、ここにいる理由。それはもちろん、仕事の為に他ならない。


 『鴉』は『黒薔薇姫』を。『黒薔薇姫』は『鴉』を。

 殺せと命じられ、自らも命を狙われていると知り。それ故に、二人は、互いの前に姿を現したのだ。


「……さて、お喋りはここまでにしておきましょうか」


 先にそう言い、嗤ったのは『黒薔薇姫』だった。そしてゆっくりとした動作で、剥き出しの右太腿に装着されたナイフに手を伸ばす。

 一方の『鴉』は、それに指一本動かす事はない。彼女の動作が己を挑発する為のものだと、理解しているが故に。

 そして。


「……ふっ!」


 太腿のナイフには手を触れないまま、『黒薔薇姫』が一気に『鴉』との距離を詰めた。そのままスカートをフワリと翻し、『鴉』の右首筋目がけて回し蹴りを放つ。

 黒革の編み上げブーツの爪先に光るのは、鋭い仕込み刃。始めから、本命はこちらだったのだ。

 注意をナイフに向けさせてからの、流れるような不意打ち。普通ならば、これで決まるはずだった。


「……甘い」


 しかし『鴉』はそれを予測していたかのように、即座に後ろに飛び退くと同時に懐の拳銃を抜いた。そして銃口を『黒薔薇姫』に向けると、立て続けに二発の弾丸を放つ。

 『黒薔薇姫』はそれを体を強引に捻り、床に沈める事でかわした。だが『鴉』の銃口は、なおも彼女を狙い続ける。


「……終わりだ」


 再び拳銃が火花を散らす。サイレンサーが付いているのか、上がる銃声は小さい。

 だが弾丸が『黒薔薇姫』に届くより前に、彼女の体は地面に着いた手を軸に一回転した。その動きに弾丸はすり抜け、『黒薔薇姫』は軽やかに地面に着地する。


「!!」


 その時『鴉』が微かに顔を強張らせ、銃声を鳴らした。直後に響いたのは、鋭く大きい金属音。

 それは『鴉』の弾丸が、『黒薔薇姫』が回転と同時に投擲していたナイフを撃ち落とした音だった。


「……さすがね。普通の人間なら、ここまでに二回殺せているわよ」


 優雅にドレスの埃を払いながら、『黒薔薇姫』が立ち上がる。あれほどの動きを見せながら、息一つ乱れた様子はない。


「それはこっちの台詞だ。普通の人間が、あれほど身軽に銃弾をかわせるものか」


 それに『鴉』は、銃口を『黒薔薇姫』から外さないまま答える。静かな声だが、そこには僅かな焦りが滲み出ている。

 事実、『鴉』は焦っていた。装填なしで撃てる弾は、銃槍にある二発のみ。

 残り二発。それを使い切る前に、ケリを着けなければならない。


「でも、今のであなたの実力は解ったわ。次は——外さない」


 そう言って『黒薔薇姫』が、首のチョーカーを弄る。『鴉』は無言で、己のゴーグルに触れた。

 次に動けば、総てが終わる——二人共が、そう強く確信していた。

 辺りが静まり返る。互いの息遣いだけが、僅かに聞こえる静寂。

 それを破ったのは、どちらが立てたのかも解らぬ砂利を踏む音だった。

 『黒薔薇姫』が動く。それと同時に、『鴉』が引き金を引く。

 しかしその弾丸は、『黒薔薇姫』のチョーカーを抉っただけだった。衝撃で吹き飛んだチョーカーには目もくれず、『黒薔薇姫』は『鴉』の眼前に拳を突き出す。

 手袋に覆われたその手の甲から飛び出すのは、ブーツ同様の仕込み刃。その冷たい輝きは、一直線に『鴉』の眉間へと吸い込まれていく。


「っ!」


 だが刃が眉間に触れるその直前、『鴉』が大きく頭を後ろに反らした。それでも完全には交わしきれず、繋ぎ目を切り裂かれたゴーグルが地面に落ち、割れる。

 生き永らえた『鴉』だが、それもほんの一刻だ。上半身は今や完全に無防備で、首が後ろに反れた状態では目の前の『黒薔薇姫』をハッキリと視認する事も叶わない。

 だと言うのに、『鴉』は確かに嗤った。それはこの時『鴉』が浮かべる、初めての笑みだった。

 拳銃のグリップを握る手に、『鴉』が力を込める。そして——その顔と手を、突然あらぬ方向に向けた。

 火花が散る。『鴉』が、残された最後の一発を虚空に放つ。


「がっ……」


 それは暗闇を越え、物陰から二人の戦いを窺っていた一人の男の脳天を貫いた。男は自分が絶命した事すらも理解していないような顔で、ゆっくりと後ろに倒れていく。

 重いものが倒れる音が、立て続けに響いた。一つではない。確かに、二つ。

 『鴉』が体勢を整え、背後を振り返る。すると少し離れた場所に、眉間からナイフの柄を生やした男が倒れているのが見えた。


「……上手く、いったらしいな」

「ええ」


 再び、『鴉』と『黒薔薇姫』が向かい合う。少し穏やかな目をした二人には、もう殺気はなかった。



 最強の殺し屋と呼ばれる二人は、常に監視を受けていた。

 その類稀なる殺しの才能を、絶対に無駄にさせない為に。いついかなる時も小型の爆弾を身に付けさせられ、意のままに操られてきた。

 だが二人は、決して好んで殺しをしている訳ではなかった。二人は互いに、自由を望んでいた。


 ——故に、二人は、自分と互角にやり合えるだけの実力を持つ互いを利用する事にしたのである。



「貴方が死なないでくれて良かったわ。おかげで、私の望みは叶えられた」

「全くだ。本気で殺り合うのでなければ、監視の目を欺けなかったからな」

「でもまさか、貴方が私と同じ事を考えていたなんて。裏社会なんて、どこもそんなものなのね」

「弱者を踏み躙り、強者を利用出来るものだけが生き残るのさ。この世界ではな」


 手を合わせた瞬間、二人は互いに、相手が自分を使って何かをするつもりなのに気が付いた。

 だから可能性に賭け、伝えた。自らの枷の場所を。

 『鴉』はゴーグル。『黒薔薇姫』はチョーカー。

 そして、命を奪うと見せかけて、二人は互いの枷を破壊したのである。


「貴方はこれからどうするの? 『鴉』」


 床に落ちたナイフを回収しながら、『黒薔薇姫』が問いかける。どこか優しさを感じる表情は、彼女本来のものなのかもしれない。


「追手が完全にいなくなってから考えるさ。連中が俺の始末を、簡単に諦める訳がないからな」

「なら……しばらく私と組まない?」


 その言葉に、『鴉』が驚いた顔で振り返る。『黒薔薇姫』はそれを見て、可笑しそうに笑った。


「別におかしな提案じゃないでしょう? 私も貴方と同じ立場だもの。私達が組めば、生存率は大きく上がるわ」

「……それだけか?」

「そうね……強いて言うなら、貴方自身にも少し興味が沸いたかも」


 『黒薔薇姫』が『鴉』に近付き、頬を撫でる。妖艶でありながら、瞳には慈愛が満ちていた。


「……いいだろう。だがいざとなったら、俺はお前を見捨てるぞ」

「ご自由に。貴方こそ、私に見限られないようにね?」

「言ってくれる」


 『鴉』の口元に、小さな笑みが浮かぶ。それは少し幼い、安心したような笑みだった。


「そうだ、なら本名を伝えておくか。俺は——」



 奪われた自由は、もうすぐそこに。






fin

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