高空わたる風の口笛 🍭

上月くるを

高空わたる風の口笛 🍭





 物心ついてはじめて「さびしさ」を感じたときのこと、いまだによく覚えている。

 綿入れちゃんちゃんこで着膨れた幼児は、日当たりのいい縁側に座らされていた。


 ぴゅうっ、庭の土埃を巻き上げ、寒風が吹いて来たが、そばにだれもいなかった。

「かあさん、とうさん」呼びたくても声が出ない、はじめて独りぼっちを自覚した。


 二歳半か三歳ぐらいの経験ともいえない経験が、橙子さんの胸底に棲みついた。

 ふとしたときに、それがひょいと黒い頭をのぞかせるのだ、この歳になっても。


 


      🎞️(´;ω;`)ウゥゥ




 なんだか、さびしいなあ……そんな甘いこと、意識して思わないようにしている。

 ことに高空を雲の群れが渡ってゆく日は、風が吹き鳴らす口笛を聴かないように。



 宇宙の塵が吹き払われたように澄みきった冬青空。

 意外なほど眩しい陽光を存分に浴びる民家の白壁。

 ちりちりと細かくふるえつづける常緑樹の枝や葉。

 枯葉をちゃっかりわが根元に集めた落葉樹の並木。


 

 俳句のネタにしようと(笑)うっかりそんなものを見てしまった日はサイアクだ。

 心を病む人のように(病んでいるが 💦)家中をウロウロ歩きまわることになる。




      🖼️(ノД`)・゜・。




 だが、内面と対峙せねばならぬ年代に入った橙子さんを許さないのは、子どもたちが幼かったころは、もっとさびしい思いをさせて来たという確信めいた思いで……。


 仕事をしながらのワンオペ育児&家事で、理想の母親にはほど遠かった若き日々。

 そもそも橙子さんは、いわゆる母性本能と縁の深いタイプではなかったかも……。


 動物は出産の瞬間「スイッチオン」で母親になり、濡れた仔の身体を舐めまくる。

 でも、自分にあったのは慄きと戸惑いだったこと、橙子さんは認めざるを得ない。


 もちろん、産褥のベッドに連れて来られた赤ん坊は、惑溺するほどに愛しかった。

 だが、同時に思いもしたのだ、この小さな命を丸投げされてどうしたらいいの?


「壊れもの注意」めいた(笑)赤ん坊に途方に暮れたが、同室の女性たちはみんな、ごく自然に母になってゆく厳粛な事実を前に、自分はちがうとは言い出せなかった。


 だれからのサポートもなく、相談もできない数年間は毎日が試練だったが、仕事の軽減も許されない現実もあり、子どもたちには相当にさびしい思いをさせたと思う。


 しっかりした両親が揃っているふつうの家庭に生まれていたら、幼児期からの言い知れぬ不安を日常的に感じることはなかったろうと思うと、申し訳なくて、不憫で。


 唯一の救いの「子宝と讃えられる一方で、母親にとって子どもは煩悩の種であり、業でもある」という小説の一節をひそかなお守りにして、苦しい歳月を凌いで来た。




      🥯🎒🛍️👜




 風の夜、録画のテレビ番組を何気なく再生した橙子さんは思わず画面に見入った。

 イスラエルの社会学者・オルナドーナトさんの著書『母親になって後悔してる』。


 話題の本をきっかけに世界の女性たちが母性神話に疑問の声をあげ始めたという。

 出産と同時にすんなり母親スイッチが入る女性もいるが、そうでない女性もいる。


 生物としての当たり前が、科学的根拠のない社会通念に捻じ曲げられて来たのだと訴える若い女性たちの勇気は、橙子さんの長年の苦悶を宥めてくれる妙薬になった。


 いつの間にか目に涙を浮かべて正座していた橙子さんは、産まない選択への無言の圧力をふくめ、旧時代的な固定観念の打破の連鎖に繋がりますようにと祈っていた。





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