第47話 銀の鍵の門を超えて

 社会的に、紫翠の死を偽装するのは良いとして、当人に本当に死なれるのは、さすがに困る。

「俺ひとりが、個人的にどうこうというだけではないぞ」

 なにしろ近い将来「当代尖晶王殿下」には、オメガ皇帝として即位し、世継ぎを産んで貰わねばならぬのだ。

 それを理解していないわけではないにせよ、当の紫翠本人は、あまり深刻に気にするようでもなく、妙にのんびりと、

「さて、いま現在このように五体満足でいる以上、近日中にどうこうという事はございますまいが」

「青い光とやらに直撃されたら、通常は、御母堂や、『なんしゅう墳丘ふんきゅう遺跡いせきの匿名の記録者による発掘記』の著者、林方解が著書中で描写されたような姿のようにならざるを得ぬのが普通なのだな?」

「はい、それは直撃されたなら、間違いなくそうなるはずです」

「お前たちのように、逃げ出して直撃をまぬがれるなり、後から現場に身を置いた程度ならば問題ないということか?」

「いいえ、過去の事例のなかには直撃でなくとも、健康を害したり、体に不具合が生じたなどという例は多ございますゆえ、あのような鳥仮面装束を着るべしなどという掟が存在するわけで」

「ああ、そりゃそうか」

 ただ、似たような条件だったにもかかわらず、どういうわけか全くなんの健康被害もなかった例などもあるようで、一概には言えぬ模様。

 さらに言うなら、紫翠と王仁礼だけでなく、直後に同空間に身を置いた琅玕・菱陽起のふたりも、あのような姿になって苦しみぬいて死ぬやもしれぬ可能性はあるわけである。

「ですが今回の件に関しては、私たちにせよ閣下たちにせよ、命や健康の危険の可能性はゼロではないにしろ、おそらくそう高いものではないだろう―――と上の者たちは申しておりました」

「なんだかあやふやだな、当てになるのかそれは」

「もう少しわかりやすく申せば、たとえば、仮にも一軍を率いる兵部卿としてしばしば戦場に立つ閣下や、なんだかんだで荒仕事に及ぶことも多い密偵稼業の私などは、本業の方で命を落とす確率の方がよほど高いと思われます」

「ふん、なるほどな、そりゃそうか」

 確実なことはよくわからぬにしても、それでも、それなりに判断を下せる程度には、過去の事例の記録とやらが残っているらしい。

「いちど詳しく話を聞かせろ、と上の者共とやらに言っておけ」

 と琅玕は言うだけ言ったが、実のところ、本当に密偵どもの親玉クラスの連中と、そういう突っ込んだ話ができるとは、内心あまり期待はしていない。

「どうも話を聞いておると、お前たち密偵連中というのは、必ずしも雇主に忠実ではないと見える」

是的はい

 いわゆる権力者や為政者から、金でけ負った指令の内容そのものには、それはもう徹底して確実に仕遂しとげるとの評判だが、要は金で技術を売る職人のようなもので、通常の主従関係とはだいぶ感覚が違うらしい。すくなくとも累代の家臣のように、主人のために進んで自己犠牲をしたりはしない模様。任務の過程で知り得た情報なども、かならずしも全て雇主やといぬしに渡すとは限らず、場合によっては自分たちだけで抱え込んでしまうことも珍しくないようだ。

「そもそも今回の件などよりはるか昔から、お前たちはあれを―――「青い光」とやらを、ずっと追っていたとしか思えぬのだが」

「おそらくは、閣下の推察通りかと」

 紫翠本人は、例によって何も聞かされていないとのことだが、その紫翠も琅玕の憶測に賛同した。

「お前たちは…いや、お前自身は直接にはあまり関係ないのか。お前たち密偵どもの上の者共とやらいう連中は、あれ[#「あれ」に傍点]についてどの程度知っている?その上で、あれ[#「あれ」に傍点]を一体どう扱うつもりなのだ」

「実態らしい実態を、なにもわかっておらぬという意味では、お恥ずかしながらうちの上の者たちも、我々現場のいち密偵も、それこそ世間の人々の認識と大した違いはございませぬ」

 なにしろ、扉を開いてそれを直視するだけで失神、やがて死に至るようなシロモノである。そもそもあれ[#「あれ」に傍点]が一体なんであるのか、いつごろからあるのか、自然に発生したものなのかそれとも人工物なのか、この地上の何処に何ヶ所あるのか、来歴も実態も外見も正体もなにもかも不明。当然ながら「処分」のしかたも、それが可能なのかどうかもわからない。

 わかっているのは、ただ近寄るだけでもとにかく人体に多大な悪影響を及ぼすということだけで、

「世の中に、その存在がどの程度知られているのかも、さだかではないのですが」

 とはいえ、すくなくとも市井で普通に暮らしている一般人は、まずこんなことは知るまい。よしんば知っていたとしても、

「一例をあげるなら、それこそ玄牝観の極秘観宝の銀の鍵のごとく、実態の伴わない形で、ごくごくひそかに伝えられておるようなものがほとんどではないかと」

「つまり世間一般には、ほぼ知られておらぬも同然なわけだな」

 それはまあそうだろう。琅玕などは日ごろから、社会の底辺を這うごろつきどもに顔が効き、知ろうと思えばたいがいの流言風説のたぐいにアクセスできるはずだが、ほんの先日までは琅玕本人だけでなく、ごろつきどもを束ねる顔役の苑環とてもなにも知らずに居たのだ。

「そういえば、なんしゅう墳丘ふんきゅう遺跡いせき、好古家の林方解が命からがら逃げ出した墳墓の落盤事故は、お前の仲間が故意に起こしたものか?」

「いえ、あの落盤事故自体は自然現象とのこと」

 落盤による直接の死者や怪我人は出ておらず、これは純然たる運の良い(?)事故であったらしい。いまは完全に土砂に埋もれているから、人足を動員して掘り返しでもしなければ中には入れぬらしいが、それでも、放っておけば林方解のようなもの数寄ずきがまた寄り付かぬとも限らぬ。

「みだりに近寄る者が出ぬよう、現場には常に監視がついていると申しますゆえ、他所でもあれ[#「あれ」に傍点]を発見したならば、即刻に封印、その後はなんしゅう墳丘ふんきゅう遺跡いせきと同様、たれも近寄らぬよう監視―――と言うのが、上の者たちの思惑ではないかと」

「ま、本当にお前たちの上の者共とやらがそういう結論に行き着いておるなら、それはおそらく妥当な判断というもので、むしろ安心なのだが」

 やはり一度詳しく話を聞いてみたい、その結果如何いかんによっては、なんならあれ[#「あれ」に傍点]の管理をある程度任せても良いやもしれぬ、と琅玕は、彼なりに「上の者共とやら」の信用の仕方[#「信用の仕方」に傍点]を心得ている模様。得体のしれぬ者たちを頭ごなしに疑ったり排除したりはせぬあたり、さすがというか、苑環をはじめとして市中に巣食う破落戸どもを扱い慣れているだけのことはある。

 ただ、紫翠の方はいささか浮かぬ顔で、

「閣下が、あれ[#「あれ」に傍点]に関して詳しく知りたがるお気持ちは当然のことでございますれど、上の者たちはどうも昔から方針として、実態が伴おうが伴うまいが、あれ[#「あれ」に傍点]の存在を知る者は可能なかぎり、世間から減らしていくつもりでおる様子」

「は、減らすときたか」

 だとすれば、詳しく話など聞かせてはくれぬやも知れぬ。

「世の中に自信過剰の阿呆はいくらでもおりますゆえ、中には何をか勘違いをして、あれを有効活用しよう、自分ならそれができるなどとふざけた事を考える者が出ぬとも限りませぬ」

 もしそんな輩が出た日には、総力を挙げても徹底して阻止せねばならぬ。

「話を聞くどころか、うっかりしておると俺なども消されかねぬな」

「もし閣下が今回の件をそのへんで大声で吹聴ふいちょうなど始めたら、実際そうなりましょう」

「そういうことをすると思うか、俺が?」

「私は、思いは致しませぬが」

 周りに言いふらしたりしなくとも、あれ[#「あれ」に傍点]の存在をただ知るだけでも問題と解釈されて、琅玕本人に落ち度のあるなし関係なく、本当に人知れず“処分“されてしまうかもしれない。オメガ皇帝に世継ぎを産ませる種馬、もとい夫君殿下、あるいは連戦連勝の常勝将軍だったとしても、絶対に安全とは言いきれぬ。

「もし現実にそのような日がおとずれる事があれば、そのときは私が命にかけても閣下をお守りいたしまする」

 と、紫翠。

 琅玕は、あまりありがたそうでもなく、まるで他人事のように、

「そりゃお前、命令違反ではないのか。本来ならお前たちのような実働部隊は、処分対象を始末する方であろう、叛逆と取られかねぬぞ」

「構いませぬ」

 紫翠、断固とした表情で断言。

「そもそも、番のアルファの身の上に何事かあった場合、すでに契を交わしたオメガが、どんな手段を使ってでも番のアルファを守りたいと思ってなんの不思議がござりましょうや」

「お前、言っておることが俺と同じではないか。お互い考えていることは大して変わらぬというのに、それでなぜ俺に己を斬れなどと言い出すかな。お前とて、俺が自分から、己を殺せなどと言い出したら困らんのか」

「無論そんなお言葉には従えませぬが、それはそれ、理由はどうあれ、私が閣下をたばかっていたのは事実にございますれば」

 けじめというものはやはり必要だろう、などと糞真面目に言い、

「これを、お納めくださりませ」

 なにやら、手巾に包んだものを差し出した。

「なんだこれは」

 手巾をひらいて、さすがの琅玕も顔色を変えた。

「…銀の鍵か…」

 包まれていたのは黒錆くろさびで薄汚れた、銀製らしき一寸五分ほどの小さな鍵。これは本物か、と念を押す琅玕。本物です、と即座にがえんずる紫翠。

「上の者には、偽物を渡してあります」

 気づかれていない限り、本物が琅玕の手元にあることを知るのは自分と琅玕のふたりのみ、余人はいっさい知らぬはず、とのこと。

「その上で、閣下におかれましては、をご成敗されぬとなれば」

「してたまるか、阿呆あほう

「生かしおき下さるなら、お役に立ちます。この命に代えても」

「だから死なれたら困ると言うに」

 命に代えてもは止せ、と嫌そうに言う琅玕。

 言いつつ、ふと思いつくことがあり、

「お前、本気でものの役に立つ気があるなら、そうさな、お前たちの上の者共とやらに、本物の銀の鍵は俺に渡したむね、さっさと白状して来い」

「え⁈」

 思いもよらぬ事を言われ、紫翠は仰天。

 琅玕は、意にも介さず。

「で、お前らがはるか昔から追っかけておるというあれ[#「あれ」に傍点]、あの“青い光“に関する情報を俺にも寄越せ、とそう交渉して来るのだ」

 この鍵はその交渉材料にせよ、これがこちらの手の内にあるかぎり、向こうも多少は譲歩せざるを得まい。

「別に、あれについて俺が全権を握ろうとまでは思わぬ。それはさすがに俺ひとりの手には余ろうぞ。ただし今後、全く知らぬふりは出来ぬゆえ、いっちょ噛みぐらいはさせて貰う」

 なるほど、よくぞこの鍵を俺のところへ持ってきた、これが俺の手元にあるとないとでは話が全く違う、などと今度は、琅玕は紫翠を褒めちぎりはじめた。

 こんな展開を全く予測していなかった紫翠は、ぼう然としている。

「私は、せいぜいこれを閣下にお渡ししておけば、多少なりとも閣下の御身を守る役に立つ程度の認識だったのですが」

「なんだそれは。これを持っていたからと言って、なぜ俺の身が守れる」

「たとえばこの鍵をどこかに人知れず隠しておけば、その隠し場所を知る人間、この場合は閣下でございますが、うかつに殺してしまえば鍵の行方がわからなくなりましょう」

「ああなるほど、ひるがえって俺の身を狙う者は減る、そういう使い方もありか」

 無論たれにも知られぬ場所に隠しておくつもりだが、などとなおもごちゃごちゃ言っている琅玕の顔を、紫翠は暫時、ただ黙って眺めていた。

 が、やがて寝台上で平伏し、

「かしこまりました、ただちに上の者らに、閣下の御意志を伝えます」

「おっと、ただちになどと言って、いますぐこの場から飛び出していくんじゃないぞ」

 半年ぶりなのだ、ねやのつとめを果たして貰わねば困る、と琅玕。

「全ては、閣下の仰せのままに」

 …口でこそ、そんな殊勝なことを言っているが、実態はほとんどのことは紫翠の思惑通りになっているのではないか―――と琅玕は薄っすら思ったが、口には出さなかった。

(たとえ、全てこやつの言いなりであっても俺は困りはせぬ)

 紫翠いち個人と、密偵集団全体(というか、その親玉である「上の者共」)では、思惑のゆくさきが微妙に違っている模様。もしこれが“「上の者共」の言いなり“であるなら断固抵抗するところだが、紫翠の思惑の通りというなら、まあいいか、悪いようにはなるまい、とつい思ってしまうのが、結局は琅玕の偽らざる本音である。

(甘いな、我ながら)

 という、自虐じぎゃくとも自嘲じちょうともつかぬ自覚はあったが。

 

 

 

 

 

 

 紫翠はやがて琅玕との第一子をみごもった。

 長じてのちは王朝の太祖たいそ(初代皇帝)となり、中世に片足を突っ込んだままゆるゆると歩んでいたようなこの国に近代化をもたらしたとされる英雄・きん青帝せいてい、本名を群青ぐんじょうは、岐帝国最後の皇帝、生母・透輝とうきてい(岐紫翠)に生き写しのオメガであった、という。

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玄牝観の奇怪な事件 @ROKKAKUDOU

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