第9話 来訪者:異世界エレベーターの男
これは、異世界エレベーターに乗った話だ。
異世界エレベーターの話を知らない奴はいないと思うけど、いちおう説明しておくよ。いわゆるネット怪談の一種で、エレベーターを使って異世界に向かう方法。
で、エレベーターで異世界に行くにはいくつか手順があって、十階以上のエレベーターを使うとか、三階以下のやり方もあるとか、いろいろと面倒な手順を踏まないといけないらしい。
ただ俺の場合は、酔ってたからあんまり覚えてない。酒の勢いで「こんな手順だろ多分」って思いながらやってたから、実際にどういう挙動をしてたか覚えてないんだ。むしろ後になってから詳しいところを読んでみたけど目が滑っちまってダメだった。何したか覚えてないから読めてても無駄かもしれないんだけど。
本題に入ろう。
俺の家はマンションの十二階にあった。
そう言うと必ず広々とした高層マンションを想像されるが、実際は築四十年のワンルームマンションだったりする。まあ繁華街のど真ん中で、駅にも十分で行けるんだから古いとはいえかなりの破格物件だ。
とはいえ――三、四人も乗ると窮屈になる小さいやつだが――エレベーターもついていて、少なくとも十階以上のエレベーターには毎日乗ってる事になる。その日は酔っ払って帰って、早く自分とこの階に着かねーかなと思ってた。エレベーターに乗り込んだのは俺だけで、他には誰も乗ってなかった。ちゃんと十二階のボタンも押した気がする。
押したけどぜんぜん閉まらなくて、ぼーっとしながら閉まるボタンや、他の階数のボタンも押した。
それで待っていた。
エレベーターが到着した先は、見た事もないところだった。
不思議なもんで、そのときは酔ってたせいで見た事のない空間でも、「ここだっけ?」みたいな感じで降りちまったんだ。そこはどこかの洋館の廊下みたいなとこだった。俺はどうやら廊下の突き当たりから出てきたらしく、目の前にまっすぐ続いてたよ。
さすがに俺のマンションはそんなホテルみたいな作りにはなってない。確かに廊下にも壁はあるけど、カーペットが敷いてあるみたいな凝った作りじゃないから。だけど、そのときはどういうわけか降りちまって、自分の部屋を探し始めてしまった。
俺の部屋はエレベーターを降りて三つ目だ。その廊下にも扉がいくつかあったから、俺は三つ目の扉を開けようとした。俺はふらふらしながら鍵穴に鍵を突っ込んだ。ダメだった。当然だよな。
すっかり自分の家だと思い込んでたから、鍵が壊れたか、酔いすぎてて鍵が入らないと思っていた。なんで鍵が開かねぇんだよ、自分ちだぞ、と思いながらガチャガチャ鍵を回そうとして、ふと扉が開いてることに気付いたんだ。
あれっ、こりゃもしかして閉めるのを忘れていったか、まあいいや、なんて思いながら扉を開けた。
そうしたら――目の前にあったのは何だったと思う?
廃墟だよ。
空は紫色が広がっていた。
普通の紫じゃない。蛍光色みたいな紫色がぐるぐると渦巻いていた。
扉は外に繋がってたんだ。俺は土だか砂だかに沈みかけた扉から、外へ出た。吹き付けてくる冷たい風が酔いを覚ました。
――おい、どこだここは?
自分に問いかけてみたが、さっぱりわからねぇ。廃墟ったって、周囲の景色が同じかどうかなんてさっぱりわからないくらいだった。ひび割れたコンクリートの外側だけ残ってるような状態で、それも土に沈んで傾きかけてるような状態だったから。
俺はふらふらと外に出た。俺の家は、世界は、いったいどうなっちまったんだってな。
ゾンビがいるわけでもない。自分の肌の色も、空の光に照らされて紫色みたいに見えた。ちょうど夕暮れで赤く見えるみたいに。そのうちに思ったんだ。こいつは夕方でも夜でもなくて、昼間なんだとな。それだってのに、周囲は砂埃が舞っていて、紫色の太陽も滲んで見えた。
確かに人のいた形跡はある。でも、誰もいない。誰も歩いてない。声を出そうとして、出なかった。ふらふらと歩いて、ぞっとして……。
「お、おい、だれかいないのか」
叫ぼうとしたが、なんだか掠れたような声しか出なかった。
「おおい」
もう一度叫ぼうとしたが、とにかく恐ろしかった。
そりゃあな。
いくら異世界っていったって、そんなとこに行きたかったわけじゃない。
どれだけ歩いても人はいないし、残っている廃墟も一部だけ。あとはほとんど荒野みたいな砂地が広がっている。紫色の太陽が照りつけている。
とにかくなにか叫びながら、人間がいないかを探していた。一夜にしていったいどうなっちまったのか。一番近くに見えていた廃墟に入って、あたりに何かないか探してみた。でも全部風化してしまっていた。それこそ爆弾で何もかも跡形無く吹き飛んだか、それとも長い年月で風化したのかどっちかだ。
太陽は相変わらず紫色だった。
なにも見つからなかった。文字らしきものも風化しちまってて、まったく読めなかった。人の気配もなくて、その廃墟がなんなのかもわからない。
酔いが覚めたといっても、だんだん気持ち悪くなってきてな。
こんな世界、嘘だろうって。
だってどうしたらいいかわからなかったからな。
奇妙な砂だらけになりながら、廃墟の壁に背をつけて座り込んでいた。
しばらくそうやっていたと思う。これからどうすればいいのか、何も無い状態で何ができるのか。ぐるぐると考えあぐねて……、そのときだった。
「おい」
……って、微妙に不機嫌そうな声で呼ばれた。
人がいた。
スーツ姿の……オッサンってよりは普通に若い兄ちゃんだったな。髪は白っていうか灰色だった。だけど一部だけ黒い色だった。最初は老けてんのかと思ったよ。
よく見たら目が金色で、ちょっとぞっとした。
「うわ。酒飲んでるだろお前」
微妙に嫌そうな顔で言われてたのは覚えてる。
まあ酔いはほとんど吹き飛んでたといっても、だいぶ酒臭かったんだろう。俺はといえばもう何も聞けなくなってた。ああいうときってなにも言えなくなるんだな。
「こんなとこまで来やがってよぉ!? 面倒臭いったらありゃしねぇ」
男は髪を掻いて、本当に嫌そうな顔をしていた。
というか、なんでこんな世界でスーツなんだって、ちょっと思った。
「まあいいか。忘れるならちょうどいい」
男はそう言って、俺の首根っこを掴むようにして引っ張ろうとして――たぶんダメだったんだな。そのあと脇の下に腕をやって、そのままずるずるとどこかに連れていこうとした。もしもあれが幻覚なら、そんなとこまで忠実にならなくていいと思うんだけど。
俺はいつの間にか、最初にエレベーターを降りた場所にまで戻されていた。
もしかしたらここに人がいたのかも、と思ったけど、そいつは俺を廊下に戻したあと、まだ引きずっていった。
「だあーもう! 重い!」
とかいいながら。
どこまで連れて行かれるんだと思ったけど、たどり着いた先にとんでもないものが見えた。そこは、見慣れた小汚いエレベーターの中だったんだ。
どうやら俺の入ってきた扉は開けっぱなしになってたらしい。
「ったくもう……、二度と来るなよ!?」
そいつはまるで念押しするように言うと、扉のようなものを閉めた。
気がつけば俺は見慣れたエレベーターの中でぐったりとしていた。エレベーターの中に入ってきた他の階の住人が、「うわっ」て叫んだところで気付いたんだ。俺はもう嬉しいやらなんやらで、ここが現実なのかそいつに聞いてしまった。まあ絶対に酔ってたと思われただろうな……、あんまり顔を合わせたくない。
とにかく俺はそうやって元の世界に戻ってきた。
エレベーターで気絶していた時間もあるからわからないけど、数時間は経ってたかな。
とりあえず変な場所が無いか探してみたけど、一応は俺が生まれた世界で間違いないと思う。
……どうしてこれが現実なのかって言うとな。
あの世界で、たったひとつだけ持って帰ってきたものがあるんだ。
紫色の砂が、スーツや靴の中にたっぷり入りこんでたんだよ。部屋の中でようやくザリザリする足に気付いて、中の砂を捨ててぞっとした。
土なのか砂なのかわからない、紫色のなにか。
あれは夢なんかじゃなかったんだ。恐ろしくなって、掃き捨てちまったけどな。
だから信じてもらえなくてもいい。
いま思うと、あの男は時空のオッサンみたいな奴だったんだな。
異界に迷い込んだ奴を元の世界に戻すっていうんだっけ。時空のオッサンって作業服って書いてあったけど、もっと若い奴だとスーツなんだなぁって思ったよ。ああいうのって代替わりとかあるのかな。
それと、エレベーターで異世界に行こうってやつは、変な場所に行っちまうことを考慮した方がいいと思う。思えばごく普通に人間の生活跡だと思い込んでいたけど、よく考えたら人間が住んでた保証はないんだよな。
*
ウィルはため息をつきながら、例の「紫の異界」の扉の前に立つと、スーツやマントについた砂を片っ端から払って、異界の中に戻した。それから扉を入念に閉めてから、廊下の先に目をやる。
「おい、終わったぞ」
「おー。おつかれ!」
ひょっこりと曲がり角からカナリアが顔を出す。
「まったく、酔っ払いってのは全員ああなのか?」
「やー、でもウィルが来てからああいうのは任せられるからホント良かったぜ!」
「……」
何か言いたくなったが、確かに――少なくとも十三歳の女子供に任せるようなことでもない。
ウィルは話を変えることにした。
「……ところで、さっきの男が帰った先、鏡のある謎の空間があるだけなんだが。なんなんだあれは」
「あれはエレベーターだろ?」
「エレベーターって何だよ」
「ああいう箱に入ると、建物の上下を行き来できる機械な。エレベーターで異界に行ける、みたいな都市伝説があって、たまに試すやつがいるみたいだ」
「わけのわからん都市伝説を広めないでほしいものだな」
ウィルはもう一度ため息をつくと、廊下を歩き出した。
カナリアは自分を通り越したウィルを追って、隣を歩き出す。
「まあまあ。ゆっきーになんか気分が変わりそうなの出してもらおうぜ!」
廊下を二人で戻っていく。
その後ろで、エレベーターのあったはずの場所は、既にただの壁になっていた。
最果て迷宮の冬の魔術師【短編集】 冬野ゆな @unknown_winter
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。最果て迷宮の冬の魔術師【短編集】の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
関連小説
ネクスト掲載小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます