オトギソウの恋

くろいゆに

オトギソウの恋

 オトギソウの恋

              くろいゆに


「女王の凱旋だ!」


 メインストリートは人々で溢れかえり、その中心には女王と騎士達の通り道が自然と出来ていた。そう、今日は勝利の日。人々を虐殺せし大魔女モルディが女王によって打たれた勝利の日である。


「女王様万歳! 騎士団万歳!」

「今宵は美味い酒が飲めるぞ!」

「これで安心して暮らせるわ!」

「女王様万歳‼︎ 騎士団万歳‼︎」


 歓喜に溢れた民衆の真ん中を鎧をまっとった屈強な騎士達が誇らしげに目的地である領主邸へと歩みを進める。そこに居る誰もが心から勝利と大魔女モルディの死を喜んでいた。ただ一人、女王ヘテナ・カレンを除いて。


 勝利の宴は始まる。普段は厳格な騎士達も今宵ばかりは羽目を外して酒を呷る。楽しそうに歓談するもの、静かに噛み締めるように酒を飲むもの、勝利の噛み締め方はそれぞれだ。そんな中、女王カレンは慣れぬ酒の場から逃れるように人目を忍んでテラスで夜風に当たっていた。


「陛下、皆がお待ちです。このような所に一人で如何しましたか?」


 一人の騎士がカレンへ問い掛ける。


「ケイト……あなたはモルディのことをどう思う?」

「どう思うと申しますと?」

「私は殺すべきではなかったと思うの。彼女とは話し合うべきだったと」


 ケイトと呼ばれた騎士はカレンの表情を伺いながら慎重に言葉を選ぶ。


「陛下は優しすぎます。モルディは民を己の快楽のみで虐殺した。話し合いで解決できるような者ではございません。あなたも対峙してそれは分かっているはず」


「そう、なのかしら……」


 俯きながら考え込むカレン。


「顔を上げてください。我々は今日、勝利したのです。あなたは邪を打ちこの国に再び平和をもたらした」


 ケイトの言葉にカレンは少し表情を緩める。


「そうね、皆が勝利を喜んでる。私ばっかりウジウジしてる訳にもいかないわよね!

あーあ、悩んでるのも馬鹿らしくなってきた。今日は私もとことん飲むわよー」


 空元気だ、ケイトはそう思っても口には出さなかった。


「お供いたします」




 始まりがあれば終わりもる。華やかな宴も幕を閉じ、疲れと酒が回った騎士達は深い眠りへと付く。その時だった———

 凄まじい爆発音と共に領主邸内に炎が燃え広がる。カレンは剣を掴み寝室から飛び出し、爆発音のする方へと走る。


(何が起こっているの?)


 かつて無いほどの胸騒ぎをカレンは感じていた。


(何かがおかしい。)


「陛下! ご無事ですか!」


 聞き馴染みのあるケイトの声にカレンは少し安堵する。どうやら彼も事の発端を知らないようだ。


「私は無事よ、あっちから音がしたみたい。とにかく事態を把握しないと!」

「はっ! 音はホールの方から聞こえ——」

「ホールって……皆が寝泊まりしている所じゃない!」


 カレンはホールへと走り出す。


(急がないと……嫌な予感がする)


 ホールの前に着くとカレンは勢いよく扉を開け放つ。


「なっ……」


 目の前に広がる光景にカレンは言葉を失う。そこにはつい先刻まで共に酒を交わしていた仲間達の無残な屍があった。


「これは……なんてことだ。」


 ケイトもまた言葉を失い、二人は呆然と立ち尽くす。爆発音の割に周囲の炎は少なく、倒れた騎士達の傷は明らかに鋭い刃物で切り付けられたもので、明確な殺意がそこにはあった。

 先に我に返ったのはカレンの方だった。


「周囲に警戒を!」


 その言葉にケイトもはっと我に返る。


「まだ邸内に敵がいるかもしれない。ケイトは生存者の確認を! 私は敵を探すわ!」

「お待ちください! お一人では危険です!」

「そんなことは分かっているわ! 分かったうえで言っているのよ!」


 そう言うとカレンは風のように走り出す。


「陛下‼︎ ……っ!」


 言いようの無い感情を押し殺してケイトは地面に勢いよく両掌を付ける。同時に仄青い光と共に魔法陣が浮かび上がる。しばらくすると、ケイトは力なく項垂れる。


「此処のどこに、生き残った者がいると言うのですか……」


 騎士であるケイトの魔力量であれば、邸内全体の索敵など容易な事だった。此処には自分とカレン以外の生体反応がない。それは即ち生存者も犯人と思われる人物も、もうこの邸内には居ないということだ。

 邸内を走るカレンの元にケイトからの魔法通信が入る。


「陛下、邸内の索敵が完了しました」


 その声色でカレンは全てを理解したが、走る足を止める事はしない。


「我々以外の生体反応は確認できませんでした」


 その言葉を聞いてようやく、彼女の足は少しずつ速度を落としていく。


「そう、分かったわ」


      *   *   *


九年後———


 大魔女モルディの虐殺が無くなったとはいえ、魔獣による人間狩が無くなった訳ではない。騎士達は魔獣討伐に駆り出される日々を送っていた。

 元々は魔獣討伐の為に作られた騎士団である為、討伐自体はお手の物だが十年前の事件でほとんどの精鋭を失った今はそれすらままならない状態が続いていた。

 騎士団長のケイトですら新米騎士の育成と度重なる出陣で疲れが見える。


「ケイト、少しは休んだらどうなの?」


 最近発見された魔獣の住処へと向かう道中、カレンは馬に揺られながら心配そうにケイトの顔を覗き込む。

 そういう彼女にも少し疲れが見て取れる。


「いえ、そう言う訳には参りません。陛下こそお疲れでしょう。たまには休まれては如何でしょうか。」

「そうね、流石に疲れたわ。でもそんなことも言ってられないの……っよ‼︎」


 金属と金属がぶつかり合う激しい音。突きつけられた槍をカレンは盾で受け止めるが、衝撃で馬から放り出される。くるりと身を翻して着地するとキッと空を睨みつける。

 そこには槍に座り空から彼女を見下ろす青年の姿があった。


「流石ですね、今のを受け止めるなんて」


 無表情で抑揚のない声で青年は言う。


「あんたね! 何度言えばわかるのかしら! 私は女王なのよ!

 いい加減ふらっと殺しに来んじゃないわよ‼︎」


 空に向かってカレンが怒鳴る。


「嫌です」


 こてんと首を傾げ、怒られている意味がわかっていないのか青年は槍をくるくると手持ち無沙汰に回し始める。


「陛下……」


 いつものことなのか、呆れ声でケイトはじっとカレンを見つめる。


「分かってるわよ。先に行ってて頂戴。私達も後で追いつくから」

「承知しました」


 カレンを置いて騎士達は魔獣の住処へと歩みを進める。それを見た青年はふよふよと地上へと降り立つ。


「今日はあんまし時間ないから軽く相手してあげる!」


 そう言うとカレンは勢いよく剣を抜き、青年に斬りかかる。


「俺は時間有り余ってるんですけど」

「知るか! こっちは政務に魔獣討伐にで忙しいうえに、あんたの相手までさせられて休む間もないっての!」


 激しく打ち合う金属音があたりに響き渡る。

 しばらく打ち合うと、カレンは剣を鞘にしまう。


「もう今日は良いでしょ?」

「良くないです。まだ貴女を殺せてません」

「バカ言わないの。この先に魔獣の住処がるわ。満足したならあんたも手伝いなさい」

「はぁ……」

「何よその気の抜けた返事は!」


 だるそうに青年はカレンから目を逸らす。


「まぁ、良いですけど」

「決まりね。ほら、さっさと向かうわよ」


 そう言うとカレンは青年の持つ槍に手をかける。


「………」


「何してるのよ。さっさと飛びなさいよ」

「……ちゃんと掴まってて下さいよ」


 ふわりと二人を乗せた槍は空を舞うと、魔獣の住処へと飛んでいく。



  無事に魔獣の住処を制圧し政務室で書類整理をしながらカレンは頭を抱えていた。


「ケイト、あなたはミナトの事どう思う?」

「そうですね…」


 ケイトは考え込む。シンファ・ミナト、女王であるカレンを軽率に殺しにくるあの青年をどう思うかなど決まっている。


「不敬ですね」

「そうよねぇ」

「「………」」


 はぁ〜と二人は大きなため息を付く。


「ですが、あの者の実力は本物です。現に此度の魔獣討伐も彼の助力によるところも大きい。問題としましては……」


 気まずそうにケイトは言葉を濁らす。


「分かってるわ。問題は私を殺そうとしてるってことよね……」

「はい、大問題です」


 再びため息をつく二人。大魔女モルディを討伐してからというのも、彼女を一方的に信仰していた者による叛逆でカレンはよく命を狙われるようになっていた。ミナトもその一人で九年ほど前からふらっと現れては軽率にカレンの命を狙ってくる。だが、他の叛逆者と決定的に違うのは


「でも、あいつからは殺意を感じないの」

「そうですね。現に彼は貴女を殺すどころか我々と手を組み魔獣の討伐すら行う。一体何が目的なのでしょう」

「わからないわ。確かにあいつの攻撃は容赦ないし、本気で殺そうと槍を振るっているのもわかるの。ただ、なんて言ったら良いのかしら……。本気で殺そうとはしているけど、殺すことに対して無関心というか……」


 再び二人は黙り込む。


「とにかく! またあいつが私を殺しに来たときにスカウトしてみましょ!」

「なっ……スカウトと申されますと?」

「スカウトはスカウトよ。我が騎士団に入団するようにスカウトするのよ。

 野放しにするには惜しい実力だし、問題ないでしょ?」

「実力には問題ないかと思いますが……その他の問題は山積みでは?」

「細かいことは気にしないの!」


 そういうとカレンは鼻歌まじりに政務に取り掛かる。ケイトも少し戸惑いながらも、いつもより上機嫌なカレンを見て少し安堵する。


(ここ数年は激務が続いてどうなることかと思いましたが、また貴女がそうやって笑ってくれるだけで心が安らぐ)


 ふっと微笑むとケイトも山のようにデスクに積み上げられた資料に目を通すのであった。

 



「づっかれたぁ〜。もう、ほんとしんじらんないこの書類の量!」


 机にだらしなく突っ伏し、一人で悪態をつくカレン。政務室には自分一人。少しぐらいだらしない格好をしたって良いじゃない、と来客用のソファに寝そべる。


(新米騎士達もある程度は育ってきた。モルディ信者による叛逆者達も一部落ち着きつつある。人材の確保もなんとか目処が立ってきた。後、問題があるとすれば……)


 ソファに寝そべってしまったせいか、カレンは急な眠気に襲われる。薄れていく意識の中でもう一度頭の中を整理しようと思考を巡らせる。


(そう、あと問題があるとすれば———)


「ミナト……」

「はい?」


 聞き覚えのある声にガバッと勢いよくカレンは飛び起きる。そこにはいつの間に入ってきたのかミナトが向かいのソファに腰掛けていた。


「なっ、え? ……は??」


 まだおぼろげな意識の中カレンはどうにか状況を理解しようと思考を巡らせる。


「どうしてここにいるのよ!」


 巡りに巡った思考から出た言葉は、純粋なものだった。


「殺しに来ました」


 さも当然のことかのようにミナトは言ってのける。


「来たんですけど、貴女寝てたので起きるのを待っていました」


 相変わらずの無表情で抑揚のない声で話す。

 その言葉を聞いて再びカレンはソファに寝そべる。


「あっそ、ならもう一度寝るから。それと、起きたらあんたに大事な話があるから大人しく待ってなさい」

「はい」

「あと、私が寝てる間にあんたみたいなお馬鹿さんが入ってきたらサクッと追い返しといて」

「お馬鹿さんですか?」

「そうよ、お馬鹿さん。女王である私の命を狙ってくるお馬鹿さん」

「わかりました。殺しておきます」

「そこまでしなくていいわよ」

「はい」


 カレンはいつの間にか掛けられていた毛布に身を包むと目を閉じる。


「それと、毛布ありがと」

「……はい。」


 ミナトがいるから安心して眠れるのはなぜだろうか。そんなことを考えているうちに意識は薄れ、カレンは再び深い眠りへと落ちていくのであった。



 再び目を覚ますと、空には高々と太陽が昇っていた。ソファで眠ってしまったからだろうか、少し体が硬くなっている気がしてカレンはおもいっきり伸びをする。


「ん〜〜〜」

「おはようございます」

「ほわぁ‼︎」


 向かいのソファで寝そべっていたミナトがむくりと起き上がる。あまり寝ていないのかその顔にはクマがはっきりと見て取れる。


「あなた、まだ居たの?」

「はい」


 すくっと起き上がると、カレンは大きく伸びをする。その姿をじっとミナトは見つめる。


「俺がいるのに無防備じゃないですか?」

「なんであんたに対して警戒しなきゃいけないのよ」

「俺は貴女を殺そうとしてるんですよ」

「殺そうと思ってるなら昨日の夜寝込みを襲ってるでしょ?」

「………」

「まぁいいわ。貴方に折り入って話があるんだけど……あなた酷い隈ね」

「そうですか?」

「そうよ……もしかして、寝ずに見張りをしてくれたの?」

「まぁ、はい」

「……そう、ありがと」


「「………」」


「とりあえず今日は帰ります。眠いんで」

「えっ、ちょっ、、」


 ソファから立ち上がり窓から身を乗り出すミナトの裾にカレンは思わず手を伸ばす。


「なんですか」


 裾を引かれたミナトは珍しく驚いた表情を浮かべる。


「えっと、その……」


 掴んだ裾から手を離すことなくカレンはしばらく黙り込む。痺れを切らしたミナトが再び窓辺に手を掛けると、より強い力でカレンは裾を引く。


「ちょっと、なんなんですか」

「……あなたに話があるんだってば」

「知ってます。大事な話なんですよね」


 カレンは黙って頷く。


「なら尚更一眠りした後でも良いですか」


 いつもより少し優しい口調でミナトは言う。


「………」

「あの、離してもらっても——」

「一眠りするぐらいなら……ここでしてけば良いじゃない」

「………本気で言ってます?」


 俯き黙り込むカレン。軽く掴まれていた裾にぎゅっと強く力が入る。

 長く垂れた髪で俯いたカレンの表情は全く見えない。ミナトはゆっくりとカレンの髪に手を伸ばす。その隠れた表情を暴きたい。


「やっぱ今のなし‼︎」


 俯いたままミナトを窓辺に押し出すと、半ば強引に外へと放り出す。


「なっ」

「話はまた今度でいいから!」


 バタン! と勢いよく窓を閉めるとカレンは素早くカーテンを閉める。


「何なんですか……」


 ひとり外に放り出されたミナトはポツリとつぶやく。



「バカバカバカバカバカ‼︎ 何してるのよいったい‼︎」


 ミナトが去ったのを確認したカレンはひとり政務室を落ち着きなく歩き回る。


「一眠りぐらいここでしていけば、なんてなんて事言っちゃってんのよ‼︎」


 ボスっとソファに勢いよく飛び込む。


「ほんと、何言ってんだか……バカみたい」


 クッションに顔を埋めて足をバタつかせる。自分が言ったことを思い出すだけで顔が熱くなっていくのを感じる。


コンコンコン


 ノックの音でカレンは我に返る。


「陛下、お目覚めでしょうか」


 いつも通りのケイトの挨拶。なぜだか今はそれが安心する。

 ああ、また一日が始まる。カレンは大きくひとつ深呼吸をする。


「起きてるわよ、今行くわ」


 今日も忙しい一日が始まる。女王として国を支える者としてやるべきこと、課題は山積みであるが後回しにすることはできない。


「気持ちを切り替えなさいカレン。貴女はこの国の女王なのだから」


 声に出して自分に言い聞かせる。そこには先ほどとは打って変わって自信に溢れたひとりの王の姿があった。



 ミナトの一日はバターコーヒーと共に始まる。熱々のコーヒーの中にバターを落とし、スプーンで軽くかき混ぜる。そこに冷たいミルクを注げばミナト好みのぬるいバターコーヒーの完成だ。コーヒーを飲み干すと身支度を整え、いつもならカレンを探しに行くのだが今日のミナトは違っていた。昨日からずっと頭の中は別れ際のカレンのことでいっぱいで何をしても集中できずイラつきを覚える。


「何なんですかあの人はいったい……」


 今一度別れ際のカレンを思い出す。いつもは凛として威厳ある彼女が少し顔を赤らめて焦りを露わにしていた。そんな姿を見たことは一度だってない。

 気持ちを落ち着けようと街へと足を運ぶ。行き先も買う物もいつも決まっている。さっと買い物を済ませて噴水前のベンチに腰を下ろす。街は活気で溢れ、行き交う者の表情は皆明るい。平和な街。一歩でも街の外に出れば魔獣が闊歩しているなどど誰が想像できるだろうか。この街もまた彼女が作り上げた国そのものなのだろう。命の危機のない平和な国の女王の命をなぜ自分は狙わなければならないのだろうか。ふとそんな思考が頭をよぎるが、すぐにその考えは思考の彼方へ消えていく。

 殺さなければならない。自分が自分であるなら、そうしなければならないのだろう。

九年、自分は何を悩んでいるのだろうか。



「ケリをつけましょう」




 パチパチと心地よい音と共に暖炉の火が室内を優しく暖める。部屋には薪の燃える音と筆が紙の上を滑る音のみがあった。


「一旦休憩にしましょうか」


 カレンは筆を置くとケイトに片付いた書類を渡す。


「そうですね、お茶の用意をさせます」

「ありがとう。でも、クッキーの量は少なめでお願い。最近めっきり動いてないもん

だから食べ過ぎには注意しないとね」

「承知致しました」


 窓の外には雪が深々と降り続け、城下には少しずつ雪の絨毯が敷かれていく。カレンは冬が好きだった。雪景色は美しく、空気は澄み渡り、何と言っても魔獣が冬眠するため騎士達にとっても冬は安息の季節だ。


コンコンコン


「失礼致します」


 メイドがティーセットを手際よくテーブルに並べる。政務室は香ばしい焼き菓子の香りと紅茶の香りで満たされる。


「ありがとう、頂くわ」

「後は私が」


 メイドは一礼すると部屋を後にしていった。


「そういえばケイト、この後空いているかしら?」

「はい、如何されましたか」

「少し運動に付き合って欲しいのよ。このままだと剣が鈍っちゃうでしょ」

「お戯を。少しは体を休めてください。先日も騎士達の訓練で大暴れされたそうで」

「もう十分休まってるわよ。毎日のように魔獣討伐に駆り出してたんだもの。それに最近はどっかのお馬鹿さんもめっきり顔を出さなくなったし……」

「確かに、以前の彼なら年中お構いなしに陛下の命を狙いに来ていましたが、ついに諦めたのでしょうか」

「どうかしらね」


 カレンは紅茶を一気に飲み干す。


「さて、休憩もこれくらいにして仕事に戻るわよ」

「はい、私は午後から訓練に参加なので陛下はくれぐれも政務に集中してくださいね。くれぐれも、訓練に乱入してくることの無いようお願いします」

「分かってるわよ!」

「では失礼致します」


 ひとり政務室に残されたカレンは椅子に腰掛け窓の外をぼんやり眺める。あの日から半年間、毎日のようにカレンを殺しに来ていたミナトは突然姿を現さなくなっていた。


「冬眠でもしてるのかしら……」


 最後にあった日を思い出し、カレンは何かを頭の中から放り出すかのように横に大きく頭を振る。


「来ない方が良いに決まってるじゃない。あいつは私を殺そうとしてるんだから……」


 これ以上余計なことは考えたくない、カレンは政務に没頭することで自らの想いに蓋をする。


寂しいなどと、また逢いたいなどと

想ってはいけない


      ※   ※   ※


「さあ、急いで! 廊下の飾り付けがまだ終わってないわ!」

「肉と魚、メインディッシュは結局どっちになったんだ? 早く作業に取り掛からないと。」

「雪下ろしは済んで? 早くしないと間に合わなくなっちゃうわ!」


 国中が忙しく祝いの準備に追われる。何と言っても明日は平和の日。大魔女モルディから平和を勝ち取った日なのだから。

 国中がお祭り騒ぎで賑わう。皆、心から明日という日を楽しみにしてきた。

 一年で一番喜ばしく祝福された一日。


「女王様万歳‼︎ 騎士団万歳‼︎」


 ケイトは慌ただしく城内を走り回る。


「ケイト様、こちら準備完了です」

「こちらも完了です」

「助かる。あとは私がやっておくから、お前たちも明日に備え今日はもう休むと良い」

「いえ、自分達もお手伝い致します」

「問題ない、大方やることは終わっている。羽を伸ばして来るといい。くれぐれも、羽目は外し過ぎないようにな」

「はっ!」


 そう言って去っていく騎士の後ろ姿をケイトは少し寂しそうに見つめる。


「お前達がいれば俺も明日という日を心から祝福できたのだろうか」


 呟いた言葉にケイトは自分でも驚く。まだ、あの日に自分は取り残されたままなのだろうか。今この国にあの日のことを知っているのは自分とカレンだけ。国民も、騎士達もあの日、あの場所で何があったのか真実を知るものはいない。


「余計な憎しみを作る必要はないわ。皆が戦ってくれたから今日という祝福の日を迎えることが出来たの。だから、この事は秘匿とするのよ」


 あの日のカレンの言葉を思い出す。祝福の日とする、決して追悼の日にはしない。

 確かに、彼らなら、自分自身もそれを望むだろう。



「ですが私には、この祝いの日は少々騒がしい……」




 早朝、カレンはひとり身支度を整える。

 深々と雪の積もった山道をひとり一歩、また一歩と歩みを進める。また、この日がやってきた。一年で一番大切で、一番自分が嫌になるこの日が。

 この道をひとり歩くのは今日で九回目。

 今もあの日のことを鮮明に覚えている。何度も何度も繰り返し夢に見る。皆の笑顔も、こんな日があっても良いと思えたあの時の気持ちも全部、全部覚えている。

 あの時こうしていれば、今とは違った結末を迎えていただろうか?


 何が間違っていたのか?


 どこから間違っていたのか?


 わからない。


 答えはもう何処にもない。

 後悔しても、もうどうすることもできない、取り戻すことは永遠にできない。

 獣道を抜けると徐々に小さな街跡が見えてくる。その中心にはかつての領主邸が静かにあった。


 カレンは決して目を逸らす事なく真っ直ぐにそこへと歩みを進める。

 深々と積もった雪を掻き分けて邸内へと入ると、真っ先にホールへと向かう。大きなホールのドアの前でその歩みは止まる。静かに息を吐くと重たいそのドアをカレンは開ける。


 ステンドグラス越しに眩しいほど光が反射してホールを照らす。ゆっくり中心へとカレンは歩き出す。なんて美しい場所だろうか。かつてこの場所で悲惨な事件が起こったとは思えない程に、この場所は美しかった。

 中心まで来るとカレンは膝をつき祈りを捧げる。かつての友への冥福と誉れ高き騎士への賞賛を。


カチャ、


 不意な物音にカレンは素早く振り返る。そこには何もない。


「誰⁉︎」


 ホールにカレンの声が響き渡る。返事は返ってこない。


「そこにいるんでしょ。出てきなさい!」


 開け放たれたホールのドアに向かってカレンは問う。ドアの影から確かに何者かの気配があるが、カレンが投げかけた問に対して返答はない。腰に下げた剣にゆっくりと手を添える。


「見つかっちゃいましたか」


 ひょっこりと姿を現したのはミナトだった。


「あなた、私を付けてきたの?」


 相手がミナトだと知りカレンは剣に添えられた手を離す。


「いいえ、今日此処に貴女が来るだろうと思って待ち伏せしてました」



ドクンッ



 無意識にカレンは剣に手を伸ばし構える。呼吸がし難いうえに、やたらと心臓は脈を打ち始める。何か言わないとと分かっていても、余計なことが頭を埋め尽くして思考がまとまらない。


「暫く姿を見せないと思ったら急にこんな辺境の地で待ち伏せってわけ?」


(違う、こんなことを聞きたい訳じゃない)


「はい」


 一歩、また一歩後ずさるカレンに対して、ミナトは一歩ずつ歩みを進める。


「どうして私が、どうして、なんで、此処にいるって……」


(お願いお願いお願いお願い、偶然だと言って知らないって、分からないって、たまたまだって、お願いだから……)


「十年前の今日此処で

「やめて‼︎ 言わないで‼︎」


 後ずさるカレンの背は既にホールの壁に付いていた。それでもミナトは足を止める事なく一歩ずつカレンへと歩みを進める。

 二人の距離は徐々に近づく。


「こないで!」


 カレンの悲鳴に近い声に、ミナトはようやくその歩みを止める。


「俺が貴女を殺す理由。まだ伝えてなかったですよね」

「………」

「育ての親でした。モルディは俺の」


 その言葉だけで全てを知るには十分だった。


「身寄りのない俺をモルディは拾ってくれました。

この名前もあの人がくれたものです。他の家族を知らないのであれですが、俺は恵まれた環境で育ったと思います。

言葉も知識も魔法もあの人は、俺が望むものを何でも教えてくれましたし与えてくれました。俺もあの人が外で何をしてるのか知っていました。知ってて止めることもなく、ただ見ていました。そこに貴女達が来ました」


 落ち着きを取り戻したカレンは真っ直ぐにミナトを見つめる。カレンとしてではなく、王としての彼女がそこにはいた。


「あっけないものでした。貴女との一騎討ちであの人は呆気なく死んだ」

「………」

「力の差は歴然でした。貴女は強い。むしろ今まであの人を野放しにして来たことが不思議なくらいに」

「………」

「貴女が何度も手紙をよこしていたのは知っています。そんなことをしてもあの人の考えを変える事なんかできないのに……。それなのに貴女は何度も何度も……」


 ミナトの声に力がこもって行く。


「結局、愚かなあの人は無謀にも貴女に挑んで呆気なく殺された!」


 ミナトの殺気で空気が震える。カレンが初めて感じた、ミナトからの明確な殺意だった。


「「………」」


 真っ直ぐにお互い見つめ合う。


「だから殺しました」


 いつもの抑揚のない声でミナトは言う。そこには先ほどまでの殺気は全く感じられない。


「貴女に恨みはありませんが、一応育ての親を殺されたので仇をと、貴女の仲間を殺しました」


 一瞬、揺らぐ気持ちを必死でカレンは押し殺す。


「仇を取るなら、今みたいに私を直接殺しに来れば良いじゃない」

「それではダメなんですよ」

「ダメって……何を言ってるの」

「貴女は優しいから、俺だけが貴女を殺す理由があっても本気で殺し合ってくれないでしょう?」

「本気で殺し合いたい。それで皆を殺して私と本気でやり合おうってわけ?」

「そうですよ。やっとやる気出してくれましたか?」


 ミナトは鋭く槍を構える。


「いいわ、お望み通り殺してあげる!」


 カレンは剣を抜くと素早くミナトの懐に入り斬りかかる。槍で受け止めるも本気のカレンの一撃を受けてミナトは後ろに吹き飛ぶ。体制を整えきる前にカレンの次の攻撃がミナトを襲う。お互いに一歩も譲る事なく、ただ相手を殺すためだけの攻撃が繰り返される。

 広いホールに剣と槍のぶつかり合う金属音が反響する。

 どれくらい打ち合っただろうか。二人の息は上がり、動きも鈍くキレがなくなっていく。

 それでも互いに攻撃の手を緩めることはしない。カレンの剣がミナトの槍を真っ二つに切る。その衝撃で剣は砕け散る。ミナトはその瞬間を見逃さなかった。短く切られた槍で素早く突く。


「ぐっ……」


 槍はカレンの左脇腹に突き刺さる。痛みに顔を歪めながらカレンはミナトの顔に蹴りを入れる。床に叩きつけられるもミナトは直ぐに立ち上がり、短くなった槍をぎこちなく構え直す。カレンの傷口からは血が溢れ出しているが、怯むことなくミナトに殴りかかる。素手で槍を上手くいなし、ミナトを押し倒して馬乗りになるとカレンは勢いよく拳を振りかざす。


バキッ‼︎


 凄まじい音と同時にミナトの顔面脇にカレンの拳は落とされる。床のタイルは粉々に砕け散る。

 一瞬の沈黙。


「どうして、どうして止めを刺さないんですか⁉︎」


 荒々しくミナトがカレンに吼える。


「貴方だって! なんで殺さないのよ‼︎」


 ミナトの槍先はカレンの喉元で止められていた。


「それは——っ!」


 カレンは体制を屈めて自ら槍先に喉を差し出すが、ミナトは素早く槍を引き抜き投げ飛ばす。


「何してるんですか!」

「あんたこそ何してんのよ!」

「何って!」

「何よ!」


 互いに上がりきった息を整える。



「「………」」



「殺しなさい。覚悟はできてるわ」


 先に沈黙を破ったのはカレンだった。


「貴女こそ、俺を殺すなら今が好機ですよ」


「「………」」


 再び広いホールに沈黙が流れる。


「何か言ってくれませんか? 黙られると——」

「無理よ」


 自分に馬乗りになったままのカレンの顔をミナトは真っ直ぐ見つめる。そこには今にも泣き出しそうないつものカレンの姿があった。


「私にあんたは殺せない。だって私、あんたのこと好——っ」


 言い終わる前にカレンの口をミナトは右手で塞ぐ。左手に力を入れて何とか体制を起こすと、カレンを抱えたまま座り込む。


「このタイミングで言います? それ?」


 口を塞がれたまま怒りと恥ずかしさで顔を真っ赤にしたカレンが必死でうーうー何かを言おうともがいてる。その姿をミナトは愛おしそうに見つめると、カレンの口を塞いでいた右手を話す。


「何で最後ま———っ」


 再びカレンは言葉を遮られるが、今度は手ではなく唇で優しく口を塞がれる。ゆっくりと唇を離すとミナトはカレンの顔を見て吹き出す。


「ふふ、何ですかその間抜けな顔は」

「な、何って! あんた今私に! そのキ、キ、キスし」


 からかう様にミナトはもう一度カレンに唇を重ねる。


「はい、キスしました」

「だっ、だから何で⁉︎」

「好きだからです」

「ふぁ⁉︎」

「貴方が好きだからキスしました」

「なっ⁉︎」

「な?」

「そーいうのは順番ってもんがあってね! とゆうか、今そんな状況じゃないでしょうが!」

「それ貴女が言います?」

「そーだけど!」

「貴女が先に言いそうだったんで、焦りました。でも、俺が先に言えて良かったです」

「良かったです。って良くない‼︎ いっつ……」


 横腹に空いた刺し傷からは絶えず出血が続いている。緊張の糸が解けたのか再び痛みがカレンに襲いかかる。


「これを飲んで下さい」


 ミナトはポケットから小瓶を取り出す。


「何よそれ」

「回復薬です。あの人が作ったものですが。ちゃんと傷は治りますよ」

「そう、ありがとう」


 カレンが小瓶を受け取ろうとすると、ミナトはヒョイっとその手をかわす。


「ちょっと!」


 奪い取ろうとするカレンの手をまたもミナトはかわす。傷口を庇いながら最小限の動きで小瓶を奪おうとするも、元々の体格差もありカレンは小瓶をなかなか奪えない。


「もぉ〜、何なのよ!」

「すみません、可愛かったのでいじめてみました」

「かわっ……! さっさと寄こしなさい!」

「俺が飲ましてあげます」


 小瓶の蓋を取るとカレンの口元へと持っていく。


「自分で飲めるからっ!」

「ダメです。俺が付けた傷なんで俺が回復薬を飲ませます」

「……は、恥ずかしいから……自分で飲ませて。」


 真っ赤な顔でカレンは俯く。


「あんまりわがまま言うと口移しで飲ませますよ」

「わかったわ! わかったわよ! さっさと飲ませなさい‼︎」

「はいはい、仰せのままに」


      ※   ※   ※


「ほんとに治っちゃった……」


 回復薬を飲んでから数分、カレンの傷は完全に治っていた。


「信じてなかったんですか?」

「正直、此処まで完治するとは思ってなかったわ」

「そうですか」


「「………」」


 沈黙が気まずくカレンはモジモジと居心地悪そうに身を動かす。


「何ですか? かわやですか?」

「違うわよ!」


 すくっとカレンは弾みをつけて立ち上がる。


「今後のことだけど……貴方はどーするつもりなの?」

「どーするとは?」

「私を殺し損ねたのよ⁉︎ だから、その、どーするのよ。ってかどーしたいのよ」

「俺は、貴女と一緒にいたいです」

「んなっ! 私だって、そりゃあ、そうだけども……」


 ミナトがやった事は国家に対する反逆行為。カレンの命を狙っただけならまだしも、多くの騎士達の命を奪った。寿命こそ無くとも害を及ぼされれば人は簡単に死ぬ。そして出生率は数十年に一人といった具合に少ない。故に、殺人は何よりも重たい罪なのである。


「人の命は何よりも尊く、貴重なもの。だから貴方を反逆罪で殺めるなんて事はこの国では出来ない。それは、貴方でなくとも同じこと。だけど、私はモルディを殺した。私がこの国を収めてから108年、殺人を犯したものは三人。モルディと私、そして貴方よミナト。私たちは同じ大罪を背負った者同士、誰かに恨まれながらも生き続けなければならないの」

「貴女は俺を許せるんですか。仲間を殺した俺を」

「私は貴方を許せる立場じゃないわ」


 ふうっと小さくカレンは息を吐く。


「私は王として失格ね……」


 その声はミナトには聞こえていなかった。


「貴方のことはケイトには伝えさせてもらうわ。

 多少刻まれても文句は言わないように! でも、それでお終い!」

「ケイトにだけですか?」

「そーよ、ケイトにだけ。十年前のことを知ってるのも彼だけだから。

 一騎討ちの末に、私がモルディに止めを刺したことを知ってるのも彼だけ。だからそれでお終い!」

「そうですか……」

「その代わり! あんたには我が騎士団に入ってもらって、じゃんじゃん働いてもらうから覚悟しておきなさい!」


 ポカンとするミナトを他所にカレンは続ける。


「人を殺めるのは魔獣だけで十分よ。だから、この罪を背負うのは私たちで最後にしましょう」


 カレンはミナトに手を差し出す。


「はい」


 差し出された手をミナトは確かに掴む。

 二人の共犯者の物語はこうして幕を上げた。

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オトギソウの恋 くろいゆに @yuniruna

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