素直になれない大人の都合

横山佳美

素直になれない大人の都合

 「お母さん、もうお腹いっぱいで全部食べられない。」と

小学2年生の息子が駄々をこねるように言った。


キッチンで息子に背を向けたまま、無意識にチッと舌打ちしてしまった。

だって、食べられない理由は知っている。


『夕食の前だから、お菓子は食べるんじゃないよ』とあれだけ言ったのに、

隠れてお菓子を食べたからじゃないの。


こうなることは私の想定内の出来事なのにイライラする。私はお腹が空いているんだ。私は、昨日から断食中で自分が食事ができないにもかかわらず、

家族を思って、こんなにたくさんの料理を作ったのに、私の気持ちを完全に無視された苛立ちと母親としての意地で息子にこう言った。


「世界中には、ご飯を食べたくても食べられない子がたくさんいるのよ。

残すのはもったいないんじゃない?あと少しだから頑張って食べたら?」と、

少し返答を考えた割に当たり障りのない典型的な母親が言いそうなことを、

いかにも機嫌が悪そうに言った。


息子は納得していない様子だったが、母親を怒らせてはいけないレーダーが働いたのか、不貞腐れるように食べ続けた。

そして、息子は、「あれ?お母さんは一緒に食べないの?」と聞いてきた。


『いやいや、昨日も今日も丸二日間、一度も一緒に食事していませんでしたが、

今さら気付いたんですか?』とイラッとしたが、この正直な気持ちにそっと蓋をして、「お母さん、今ダイエット中だからご飯食べないの。」とサラッとクールに大人らしく言った。


その瞬間、昨日見た中世ヨーロッパを舞台にした海外ドラマのワンシーンが思い出された。

豪邸に住むお嬢様が、豪華なテーブルに乗り切らない程のご馳走が用意されている事には目もくれず不貞腐れた表情でただ座っているだけの場面。

そのお嬢様とダイエット中の私が重なって見えた。

セレブとはかけ離れすぎた地味でお金の節約ばかり考えている主婦の私が、

綺麗にセットされた金髪の巻髪のカツラを被り、フワフワの煌びやかなドレスを着ている姿で、目の前の豪華な食事を拒否している。

まさに、その姿はセレブの悪遊びに思えて『ふっ』と不気味な笑いが出た。

息子には、『食べられない子供がたくさんいる』のだと私の知識をひけらかすように教え、食べることを強制したにも関わらず、私は食べないということを選択している。やっぱり私は矛盾している。


そう、大人が生活しやすいように作られた勝手なルールは大抵矛盾しているのだ。


 私は、40代に片足突っ込んだ普通の主婦。

家事も子育ても無難にこなせる。得意でも不得意でもないし、好きでも嫌いでもない。見た目も普通。子供を3人出産して見事におばさん体型が完成したが、

街を歩いても周りと一体化できるほど、どこにでも馴染む見た目だ。

周りに自慢できるような特技や趣味もないけれど、手先は不器用ではないし、運動神経も悪い方ではない。普通に何でもこなせてしまう。

この世の中、普通が一番生きやすいとさえ思っている。

この暮らしに不満を感じることはよくあるが、生きていく上で困ったことはない。

一般的には今の生活でも十分すぎる幸せを手にしているのに、一個人の人生として考えると満足感や達成感は全くない。今は自由な時間もお金もないし、才能もやりたいことさえないが、ここ最近、自分の存在価値について悩み、苦しくなる。


 日曜日、幼稚園生の娘とお絵描きをしていると、『大きくなったら絵を描くお仕事をする』と、既に決まっている未来の事かのようにキラキラした目で私に教えてくれた。

そこにタイミング悪く、反抗期真っ盛りの中学生の長男が来てボソッと

「なれるわけないだろ」と言って通り過ぎようとしたのを私は見逃さなかった。

この天使のような娘に何てことを言うのだと瞬間的な苛立ちから

「じゃあ、あなたの将来の夢は何?」と火に油を注ぐような質問を思わずしてしまった。「そんなのない。」と息子はいつも通り機嫌が悪そうに答えた。


黙れ私と頭をよぎるも、私の苛立ちは治らない。

「お母さんが、子供の頃は将来の夢見て頑張ってたけどなぁ。」と思わず口走ってしまった。その瞬間に気付いた、この展開はヤバいぞと。聞かれたく無いことを聞かれてしまうと焦る。


「じゃあ、お母さんがやっている今の仕事は子供の頃の夢だったの?」と

長男はいつも痛いとこをついてくる。

「大人は大人の都合があって、今のお母さんの夢は家族が幸せでいることかな。」

なんて、無難な返事をする始末。

長男は、そんなことどうでもいいと背中で訴えながら去っていった。


私の言葉が息子の心に響かないのは当たり前だ。


純粋な子供は、大人の当たり障りのない返答に敏感である。

40年も生きてきたのに、母親なのに、

生まれてきた目的や才能がまだ見つかっていないとは言い難い立場な事を

わかって欲しいなんて素直に言えない。


私は、自由に夢を描く素直な子供を横目に、

素直になれない大人の都合を、大人の勝手な矛盾の色で塗りつぶす。

今の私にはそれしかできない。






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素直になれない大人の都合 横山佳美 @yoshimi11

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