迷子の風船

汐海有真(白木犀)

迷子の風船

 ラティアは膝を抱えて座りながら、どこか茫然とした様子で空を眺めていた。青みがかった銀色の長髪は、所々が絡まって乱れていた。両頬は腫れぼったく赤みを帯びていて、その上に存在している青藍せいらんの瞳は、上空を漂う雲を微かに映し出していた。


 白い衣服から覗く腕と脚には、青く染まった痣が幾つも浮かんでいる。ラティアを包むように広がる紺色の花々は、物哀しそうに甘い香りを漂わせていた。


 ラティアの眉根が、ぴくりと動いた。水色の空の上に、赤い絵の具を一滴垂らしたような、不思議な円が浮かんでいた。彼女は少し逡巡した後で、それに向かって手を伸ばした。


 魔法の言葉ティレジンス語で、ラティアは〈来て〉と呟いた。空に場違いな赤色が、ラティアの右手に引き寄せられるように、移動してゆく。


 ――ああ、風船ですか。


 理解が追い付いてから間もなく、ラティアの細い指が真っ赤な風船の紐を掴んだ。近くで見るとより、鮮やかな色彩に感じられた。陽の光を反射して、きらきらと輝いている。


 ――迷子の風船、ですね。


 迷子。その単語を頭の中に思い浮かべて、ラティアは淡く口角を歪める。わたしと同じだ、と思う。


 ラティアは自身の腕、そして脚を眺める。痣だらけ。学校で行われた魔法の試験で、彼女は学年で三百三十六人中、五位だった。両親はラティアを責め立てた。一位でなかったことを叱責した。暴力を振るい、これは貴女のためなんだ、と口にした。


 ――どうしたらいいんですか。血の滲むような努力をしたのに、一番にはなれなかったんです。わたしはこれからも、成果をあげられなかったら、沢山傷付けられるんですか。そうなんですか……?


 ほのかに目を細めながら、ラティアは風船を慈しむように抱きしめた。それからもう一度、魔法の言葉を紡ぐ。〈どうか、壊れないで〉――


 ラティアは立ち上がって、満足そうな微笑みを零した。それからゆっくり、風船から手を離した。ふうわり、浮かび上がってゆく。


 ――誰かわたしの心にも、魔法をかけてください。絶対に壊れないような、魔法をかけてください……


 そう考えながら、ラティアは遠ざかっていく風船を見つめる。

 ふと、自由だ、と思った。


 風船はこれからも旅を続ける。誰にも支配されることなく、誰にも邪魔されることなく、誰にも殺されることなく――


「うらやま、しい」


 か細い声が、ラティアの口から漏れる。


「羨ましい……」


 青藍の瞳に涙が溜まる。そのまま落ちた雫は花の上をそっと転がって、弾けた。

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迷子の風船 汐海有真(白木犀) @tea_olive

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