おしゃべり鳥は黙らない

かかえ

「オイオマエ! イツマデネテルンダヨ!」

「あ、こら! しーっ」

 けたたましい声に呼ばれた気がして、セロはまぶたを持ち上げた。

 まず視界に映ったのは、見覚えのない天井だ。年季の入った板張りで、むき出しになった梁が間隔をあけて何本も並んでいる。

 ふぞろいな木目をぼんやりと眺めながら、彼はわずかに身をよじった。思考がうまく働かないが、どうやら寝台の上に横たわっているらしい。

 強張った首の筋肉を無理やり動かして真横を向くと、視線の先にはひとりの子どもが立っていた。ちょうど目が合い、飛び上がらんばかりに驚かれる。

「わあ、起きた!」

 両耳辺りで焦げ茶の髪をふたつくくりにした、幼い少女だ。まだ十歳にもなっていないだろう。きりりとした眉の下にある大きな瞳が、せわしなく幾度も瞬いている。

 少女はしばらく呆然と立ち尽くしていたが、やがて思い出したように声を上げた。

「待ってて、お母さん呼んでくる」

 横になったままのセロに背を向けて、少女はぱたぱたと部屋を出ていった。遠ざかる足音を扉越しに聞きながら、セロはぎこちない動きで辺りを見回してみる。

 せまい空間に寝台がひとつ、それから椅子と机。生活感はまるでない。宿屋か何かだろうか。そこまで考えたところで、はたと気がついた。

「そうだ、鳥かごは……!」

 勢い任せに半身を起こした途端、強烈なめまいに襲われて、寝台から派手に転げ落ちた。床にぶつかり痛みに悶えるセロのすぐそばで、少ししわがれた甲高い声が叫ぶ。

「バーカ、バーカ!」

 気の抜ける口調にどこか安堵を覚えつつ、セロは深々と息を吐いた。癖のある黒髪を雑に掻き上げてから、声のしたほうへおもむろに目を向ける。

 明るい光が差し込む窓の下には、丁寧にたたまれた旅用のマントとともに、アーチ型の鳥かごが置かれていた。中には長い尾羽を持つ大型の鳥が一匹。

 ただの鳥ではない。細枝が複雑に絡み合って形を為している、木製の鳥だ。

 木でつくられた鳥はまるで本物のように何度か首をかしげたあとで、突然かぎ針に似たくちばしをひらき、声高にわめいた。

「マヌケ! マヌケ!」

「……うるさい」

 思わず文句が出てしまったが、効果は期待していない。黙れと言って簡単に止まるような減らず口ではないのだ。半年も旅をともにしていればわかる。

 木の実でできた目玉をじとりと睨みつけているうちに、再び部屋の扉がひらいた。現れたのは、三十半ばくらいのほっそりとした女性だ。おそらく彼女が「お母さん」に違いない。眉毛の形が先ほどの少女とよく似ている。

 母親は床に落ちた状態のセロに気づくと、慌てた様子で駆け寄ってきた。

「あらやだ、ちょっと大丈夫? まだ無理に動こうとしちゃ駄目よ。二日も寝込んでたんだから」

「二日も?」

 聞き返した言葉に答えたのは、母親に続いて姿を見せた少女のほうだ。両手を腰に当て、誇らしそうに胸を張ってみせる。

「森の中で倒れてたの。トゥカとお母さんが見つけたんだよ」

 言われてようやく思い出した。旅の途中、森で野盗に襲われて、ほとんどの荷物を差し出すはめになったことを。

 命と鳥かごは奪われずに済んだものの、逃げているうちに道がわからなくなり、最後には体力が尽きて気を失った。しかし不幸中の幸いと言うべきか、人が通るところまではどうにかたどり着けていたらしい。

 助けを借りて寝台の上に腰を掛けてから、セロは正面に立つ母娘に目を向ける。

 意識のない人間を、しかもそれなりに筋肉のついた二十歳そこそこの男を、このふたりだけで運び込むのはどう考えても不可能だ。セロが目覚めるまでのあいだに、きっと色々な経緯があったのだろう。

「世話をかけたようだ。すまない」

 短く謝るセロに、トゥカという名前らしい少女がますます得意げな顔をした。隣で母親が軽く片手を振りながら笑う。

「いいのいいの。これも何かの縁だろうし、気にせずゆっくり休んでいくといいわ。うちは宿屋だけど、ほとんど食堂みたいなものだから。部屋ならいつでも余ってるの」

 やはり宿だったかと思いながら、セロは静かに言葉を返した。

「悪いが、金がない。野盗に出くわしたときに、荷物ごと持って行かれてしまったんだ。服にいくらか縫いつけてあるから、二日分の宿代くらいは払えると思うが」

 さらりと告げた境遇を聞き、母親は少なからず衝撃を受けたようだった。娘と同じ青い瞳に、戸惑いと同情の色が浮かんでいる。

 彼女はしばし黙り込んだあとで、静かに首を振った。

「お金なんていらないわよ、ただのお節介だもの。自分の家だと思って好きに使ってちょうだい」

「そういうわけには……」

 善意からくる提案だと理解はしていたが、命の恩人にそこまでさせるのは気が引ける。うまく断るための言葉はないものかと、セロが頭をめぐらせていたときだった。

 いきなり母親があっと声を上げ、表情を輝かせた。

「それなら、お金の代わりに何日か仕事を手伝ってくれない? この宿、私とトゥカしか働き手がいなくって。ちょっとした雑用だけでも任せられたらすごく助かるんだけど」

 いい考えだろうといわんばかりに、母親が前のめりになって尋ねてくる。セロは反射的に身を引きつつも、小さく頷いた。

 条件が甘過ぎるような気もするが、ただで泊めてもらうよりはいい。それに、無事だった路銀を使わずに済むのは正直ありがたかった。

「……わかった」

「契約成立ね。そうだ、お腹すいてるでしょう。何か持ってくるわ。トゥカ、大人しくしているのよ」

 はーい、と娘が返事をしたのを見届けてから、母親は軽い足取りで部屋を出ていった。扉が閉まったのとほぼ同時に、隣で手を振っていたトゥカがくるりとセロを振り返る。

「ねえねえ、お兄ちゃんって、魔法使い? この鳥どうやって動かしてるの?」

 喜々として詰め寄られ、セロはまたしても身を引いた。期待のこもった眼差しにどういう顔をすればいいのかわからないまま、彼は正直に答える。

「動かしてるのは、俺じゃない。それは先生がつくった鳥だ」

「先生?」

 トゥカはきょとんと目を丸くしたあとで、床に置かれた鳥かごを見下ろした。視線に気がついたのか、それまでめずらしく静かにしていた鳥が、木製の羽根を威嚇するように大きく広げてひと鳴きする。

「ジロジロミテンジャネェヨ!」

 いきなり暴言が飛び出したのがよほど面白かったのだろう。トゥカは子どもらしい弾けるような声を響かせて、けらけらと明るく笑った。


       *


「鳥の名前?」

 洗い終わったシーツを両手に広げて持ちながら、セロは首だけでうしろを振り返った。宿の裏手には小規模な庭が広がっていて、手入れの行き届いた菜園に、瑞々しい緑が茂っている。

 薪割り用の切り株に腰掛けるトゥカの足もとには、部屋から持ち出してきた鳥かごが置かれていた。セロからすれば口うるさくて面倒な存在でしかないのだが、彼女はこの鳥をいたく気に入っているらしい。

 セロは少しのあいだ視線を青空に向けてから、ぽつりと言った。

「考えたことがなかった。こちらから話し掛けることがほぼないから」

 それに、と彼は心の中で言葉を続ける。

 名前をつけても仕方がない。どうせいつかは手放すことになるのだ。そういう約束だ。

「そんなの可哀想だよ! トゥカが今から考えてあげる。ええっとね……」

 トゥカは鳥かごを目線の高さに持ち上げると、眉間にしわを寄せて真剣に悩み始めた。かと思えば、突然まぶたを跳ね上げて力強く言い放つ。

「目玉がぐりぐりしてるから、グリ!」

「タンジュンダナ!」

 足をばたつかせて無邪気に笑うトゥカを横目に、セロは小さく息をついた。別に反対する理由もない。好きに呼ばせておくことにする。

 洗濯を終えたことを母親に報告すると、続けて食堂で使うきのこの採取を頼まれた。案内してあげると言って聞かないトゥカを連れ、セロは宿を離れる。

 窓からの眺めで予想はついていたが、周りは驚くほどにのどかだ。舗装されていない砂の道。ぽつぽつと並ぶ石造りの家々。だだっ広い緑地で自由に草を食む、牛や羊の群れ。

 周りは森と山ばかりに囲まれていて、どちらに街があるかもわからない。旅人もなかなか立ち寄らないだろう。客室が常に余っているという話も頷ける。

 村の中心に伸びた道を歩みながら、セロは先頭をずんずん進むトゥカのつむじを見下ろしていた。彼女が未だに鳥かごを抱えたままでいるものだから、とにかく目立つ。あっという間に子どもたちの好奇の的だ。

「木でできてるのに動いてる! すげー!」

「これ魔法だよね、初めて見た!」

 鳥かごを夢中になって覗き込む子どもたちを眺めつつ、セロは黙って物思いに沈んでいた。

 半年前までセロが住んでいた王都では、角を曲がれば必ずぶつかると言われるくらい、魔法を使える者が多かった。国内唯一の魔法使い養成学校が存在し、才能を見込まれた子どもたちが、各地から半ば強制的に集められていたためだ。

 九年の学びを経て学校を卒業したのちは、それぞれ好きな道を選んで生きていく。城に仕えて国のために働く者。魔法とはまったく関係のない職業につく者。中には未知なる世界を求め、放浪の旅に出る者もいるという。

 故郷に戻って地元のために働く魔法使いも多い。これまでの旅で訪れてきた場所でも、そういう生き方を選んだ者が、必ずひとりふたりは定住していた。

 だがこの村には、子どもたちやトゥカの反応から察するに、魔法を使える者はいないようだ。

 初めての魔法に興味が尽きないのか、子どもたちはなかなか鳥かごから離れようとしない。

 騒ぎの中心で何故か得意げな顔をしているトゥカの腕の中で、とうとう黙っていられなくなったのか、グリがけたたましい声でわめく。

「アッチイケ! メザワリナンダヨ!」

 途端に子どもたちが悲鳴を上げて逃げ去った。トゥカはしばらくあんぐりと口を開けてから、鳥かごに額を押しつけて険しい顔をする。

「もう。グリってば、そんな言い方したらいけません。めっ!」

 けれどもグリは相変わらずのとぼけ顔だ。ちっとも反省している様子はない。

「お兄ちゃんも、ちゃんと怒ってあげてなくちゃ。飼い主でしょ」

「だからこれは俺じゃなくて、先生の……」

 とばっちりに眉をひそめながらそう言いかけて、セロは一旦言葉を切った。まず先生の説明をしたほうがいいのかもしれない。

「先生というのは、俺が旅に出る前に一緒に住んでた爺さんのことで……この鳥、グリをつくった人だ。口が悪いのは仕方ない。先生の魔法でできているから」

 そうだ。本当にやかましい爺さんだった。

 目を閉じると嫌でもまぶたの裏に浮かんでくる。常に眉間にしわを寄せていた、痩せぎすの老いた魔法使いの姿が。

 ぎりぎりの成績でどうにか魔法学校を卒業したものの、セロには他の者のように目指すものもなく、帰るべき故郷もなかった。路頭に迷うしかなかったセロの前にいきなり現れたのが、先生だ。

『おい、おまえ。そんなに暇そうにしてんなら、オレの手伝いでもしやがれ』

 彼は己のことを「先生」と呼ばせたが、魔法のたぐいは一切教えてくれなかった。セロは言われるままに家事や雑用をこなしつつ、住み込みで二年の時を過ごした。

 先生との日々は驚くほど早く過ぎ去った。

 彼が流行りの風邪をこじらせて、寝台から起き上がれなくなるのも、あっという間だった。

 セロは先生を看取る覚悟で世話を続けていたが、それは相手の望みではなかったらしい。あるとき彼の寝室を訪れると、机の上に見覚えのない鳥かごが出現していた。中には細枝が複雑に絡み合ってできた、魔法の鳥が一羽。

 先生は骨と皮だけになった腕をゆっくりと伸ばし、震える指で鳥かごを示す。

『いいか、そいつがオレの墓代わりだ。今すぐその鳥かごを持って旅に出ろ。ふさわしい場所を見つけたら、かごから鳥が外に出る。そこで一生オレを弔え』

 死に顔を見せるのが嫌なのだと、すぐに察した。セロはその日のうちに荷物をまとめ上げ、鳥かごとともに当てのない旅に出た。

「こいつが気に入る場所まで運んでいってやるのが、俺の役目だ。……飼い主どころか、ただの使いっ走りさ」

 あふれる記憶を苦い笑みに隠して、セロは簡単に事情を説明した。理解したのかしていないのか、トゥカはふうんと曖昧に相づちを打ってから、明るい声を出す。

「早く居場所が見つかるといいね、グリ」

 鳥に向けられたはずのその言葉が、何故かしばらく、セロの耳から離れなかった。


       *


 収穫したきのこを持って宿に戻ったのは、真昼を少し過ぎた頃だった。山盛りになったバスケットを手にしたトゥカが、正面の扉をあけて堂々と中に入る。

 一階部分で営んでいるこじんまりとした食堂では、農夫らしき風貌の客が何人か、杯を片手に談笑を楽しんでいた。トゥカに続いてセロが姿を現すと、賑やかだった店内が少しだけ静かになる。

 雰囲気の変化を気にすることもなく、トゥカは一直線に調理場のほうへ駆けていった。間仕切りの壁がないために、笑い合う母娘の様子が客席側からでもよく見える。

「あのね、お兄ちゃんすごいんだよ。食べられる草とかとっても詳しいの!」

「あらそうなの。それなら、明日は山菜採りもお願いしちゃおうかしら」

 そう言って母親が明るい表情をこちらに向けたので、セロはとっさに視線をそらした。褒められることには慣れていない。決まりの悪さに顔をしかめているうちに、そばに座っていた客のひとりが、会話を引き取るように大声を出す。

「いいねえ。ミラさんの山菜料理、たらふく食いてえなあ!」

 俺も俺もと次々に賛同の声が上がり、再び店内に賑やかさが戻った。セロが首をめぐらせると、そばにいた客がひげ面をにやりと歪ませた。

「おまえさん、動けるようになったんだな。森で倒れてるのを見たときは驚いたぜ。死んでるんじゃねえかって」

 その言葉に、相席していた男もしきりに頷いている。どうやら彼らが宿までセロを運んでくれたようだ。

「あのときは助かった。礼を言う」

 頭を下げるセロを見て、ひげ面の客は豪快に笑った。

「気にすんな! 困ったときはお互い様ってやつよ。それよりおまえさん、魔法使いなんだろ? どんな術が使えるんだい」

「自慢できるようなことは何も。物に魔力を移して、少し使いやすくしたりできるくらいだ」

 例えば薬草に力を込めて効能を高めたり、重い荷物を少しだけ地面から浮かせたり。長く学校に通った割りに、実力は並みだ。無から有を生み出す先生のような魔法使いには、到底届かない。

「それでも十分すげえよ。オレらにはそもそも素質がねえし。なあ?」

 ひげ面の客に話を振られ、相席の男が苦笑とともに肩をすくめる。

「この村からも何人か王都に呼ばれていったやつはいたが、ひとりも帰ってこなくてな。だから、魔法がなんなのかもあんまりわかってないんだ。よかったら詳しい話を聞かせてくれよ」

 言いながら近くの椅子を示されて、セロが対応に困っていたときだった。手にさげていた鳥かごから、間の抜けた声が響き渡った。

「ヤカマシイヤツラダナ!」

 一瞬の静寂ののち、食堂は爆笑の渦に包まれた。あまりの音量に食器や杯も小さく震えている。わんわんと共鳴する音を耳にしながら、セロは鳥かごを胸に抱くように持ちかえた。

「……部屋に置いてくる」

 早口で告げ、男たちに背を向ける。そのまま店内を突っ切って、階段に足をかけた。

 あまり長居はできないな、とセロは思う。気を抜いたら、この村の優しさに甘えてしまいそうだ。


       *


 宿で薬を売りたい。セロがそう言うと、母親はきょとんと目を丸くした。

「いいけど、どうして?」

「少しでも早く恩を返したいんだ。儲けは全部渡す。二日分の宿代として受け取ってくれ」

 きのこ採りの際に気づいたことだが、村の周りには薬にできそうな植物が豊富に茂っていた。

 派手な魔法は使えないセロでも、魔法薬造りだけはそれなりだという自負がある。先生が寝込んでいたときに、必死に試行錯誤を繰り返していたからだ。

「酪農の仕事で身体を痛めている住人も多いだろう。需要はあると思う」

 言葉の裏に隠した焦燥が、にじみ出ていたのかもしれない。母親は少し悲しそうな顔をしながらも、何も言わずに了承してくれた。

 セロの読み通り、薬はよく売れた。

 食堂に立ち寄った客へ試供品を渡すようにしていると、すぐに噂が広まった。食事よりも薬を求める客で店が賑わうようになり、三日目にして目標の額を越えた。

「セロちゃんのお薬はよく効くねえ。おかげでずいぶん楽になったよ。ありがとうね」

 この日最後の客を見送ってから、母親とともに息をつく。店のことで忙しいふたりに代わって、トゥカは洗濯の取り込みをしているところだ。

「びっくりするくらい好評ね。市場に持っていって売ったら、村の名物にできるかも」

 明るく話す母親に、セロは首を振って答えた。

「こんなの大した魔法じゃない。もっといい物を作れるやつはいくらでもいる」

「やあねえ。照れなくてもいいのよ」

「本当のことだ」

 はいはい、と呆れたように笑ったあとで、彼女は少し表情を引き締める。青い瞳に真っ直ぐセロを映して、静かに言った。

「たった数日だったけど、あなたがいてくれて助かったわ。トゥカの面倒もたくさん見てくれたし」

 はっきりと伝えたわけではないが、すでに彼女は察知しているのだろう。セロが今日にでもこの宿を出ていこうとしていることを。

 複雑な思いの入り交じった表情をごまかすように、母親はかすかに口角を上げた。

「裏口の鍵をあけておく。あの子には黙っておくから」

 部屋に戻って少し仮眠を取ってから、セロは旅の支度を調えた。といっても、荷物のほとんどは盗賊のところにある。残っているのは綺麗に洗われた黒いマントと、木製の鳥が入った鳥かごだけだ。

 忘れ物がないかと周りを見渡していたときだった。突然けたたましい声が響く。

「ヨワムシ!」

 びくりと肩を揺らしてしまってから、セロは視線を動かした。机の上に置かれた鳥かごの中で、グリが木の実でできた目をじっとこちらに向けている。

「どうした、急に」

「イクジナシ!」

 再び甲高い声が飛び出し、セロは慌てた。まだ時刻は夜明け前だ。他に宿泊している客はいないものの、一階で寝ているトゥカや母親に迷惑がかかっては困る。

「黙ってろ。下に聞こえる」

 しかし、そんな言葉でこの鳥が口をつぐむわけがない。グリはもう一度くちばしをひらき、声高に叫んだ。

「ヒネクレヤロウ!」

 セロは何かを言いかけたものの、すぐに口を閉じた。

 窓の向こうはほのかに白み始めている。セロは黙々とマントを身にまとい、ため息とともに鳥かごへ手を伸ばした。

「……ほら、行くぞ」


       *


 なるべく足音を立てないように階段を降りて、誰も居ない食堂を抜ける。

 調理場の奥にある裏口から外に出ると、柔らかな日差しがセロに降りそそいだ。霧のない、澄んだ朝だ。淡い色の空をなんとなく見上げたあとで、彼はゆっくりと歩き出した。

 露のきらめく菜園を横目に、裏庭を進む。背後で扉が軋む音を聞いたのはそのときだった。勢いよく振り返ったセロの目に、小さな子どもの影が映る。

「おまえ、どうして……」

 トゥカだ。寝間着姿のまま扉に半分身を隠し、固い表情でこちらを見つめている。セロは困惑しながらも、少しずつ彼女のほうへ近づいていった。母親は黙っておくと言っていたが、そもそもあの会話自体を聞かれていたのかもしれない。

 トゥカはそっと扉から身を離すと、言い訳するように口をひらいた。

「わかってるよ。グリの居場所を探さないといけないんだもんね。わがまま言ったら、だめなんだよね」

 声が震えている。あと数歩の距離がもどかしく思えて、セロは思わず手を伸ばした。

「トゥカ。すまな——」

 言いかけた言葉は途中で切れた。トゥカがいきなり飛びついてきたからだ。腹に顔をうずめて静かに泣いている彼女の髪に、ぎこちなく触れる。柔らかな感触に心が揺れた。

「やだ、やだよお。おにいちゃん、いっちゃやだ」

 セロは今度こそしっかりとトゥカの頭を抱き、深くうなだれた。

(ああ。俺は)

 この子も、母親も、他の住人たちも、ここでは誰もが暖かい。いつも自分を否定してばかりでいるセロに、ありがとうと、いかないでと言ってくれる。セロを必要としてくれる。

(俺は、ここが好きだ)

 胸のうちに思いが染み出したのとほぼ同時に、急に鳥かごの中がさわがしくなった。ふたりはぱっと身を離し、目を丸くして視線を下げる。

 見ると、グリが羽根を大きくばたつかせ、かごの内側で暴れ回っていた。

「どうしたの、グリ」

「アケロ! アケロ!」

 トゥカの声を掻き消すほどの音量で、グリがわめいている。その様子にただならぬ気配を感じ、セロはゆっくりと鳥かごを地面に置いた。それから言われるままに、檻の入り口をあけてやる。

 途端に静かになったグリが、木の実でできた瞳をセロに向けた。それから片足を交互に動かして、堂々とかごの外へ出る。

 ふたりが息を凝らして見守る中、グリは軽やかな足取りで地面を数歩歩き、やがて立ち止まった。その場で背筋をを伸ばしたかと思うと、かぎ針に似たくちばしを空へ突き上げる。

 瞬間、グリの身体を構成していた細枝がふわりと解け、再び絡み合って新しい形をつくり始めた。太く長く、天に向かうように。上にいくほど何本にも分かれて広がり、豊かな葉を茂らせる。

 見る間にグリの姿は、一本の立派な樹へと変貌した。

「すっごおい! 魔法だ、魔法だ!」

 飛び跳ねてはしゃぐトゥカの声をどこか遠くに聞きながら、セロは目の前に現れた樹を呆然と見上げる。

 ――ワルクネエナ!

 ざわざわと揺れる枝葉の中に耳慣れた声を聞いた気がして、彼は息を震わせた。



                    終

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おしゃべり鳥は黙らない かかえ @kakukakae

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