ぜんぶ、知っている。

 カフェのある通りの交差点。

 少し前に渡ったばかりの交差点だ。


 自然と君の手を握る力が強くなっていた。

 信号の色は、止まれの赤。


 僕はじっと君の顔を見つめる。


「え、何かついてる?」

「ん、あ、いや。その、いつも通り、かわいいよ」


 君は顔を紅くして、そっぽを向いてしまった。そのまま、ずっとそっぽ向いていてくれたら…………。

 いや、だめだ。それはいけない。


 僕は前を見た。

 目の前を右から左に、左から右に、排気ガスを撒き散らしながら通過していく。



――知っている。


 君はそこに飛び出すだろう。


 唾を飲んだ。息をゆっくり吸う。鼓動が全身を強く叩く。



――知っている。


 君はとてもやさしい。そんな君が好きになった。


 ゆっくり息を吐いた。運命が転がる。



――知っている。


 視界の端で、転がった先にが飛び出した。


 最期に君の手を握れて良かった。


「「あっ!!」」



――知っている。


 君はあの子を見殺しにできない。運命に躓いて転んでいるあの子を。


 指が解かれていく。



――ぜんぶ、ぜんぶ知っている。


 君がどんな服を着て来てくれるかも。

 昼、君がたくさん悩んだ末にナポリタンを選ぶことも。

 ポップコーンの好きな味も。

 君が話してくれることも。内容も。

 映画の結末も。

 そして、君が選ぶシーンも。


 ぜんぶ、ぜんぶ、知っていたんだ。




――知っている。


 君は命を擲ってあの子を助けてしまう。あの子は助かる。


 でも、あの子を助けた君は帰ってこない。帰ってこなかった。




 だから………。




 指先が離れた。もう触れられることはない。



「「危ないッ!!」」


 転んでいたあの子を車道から引き剥がす。両手で抱いたこの子の温もりが、君の温もりの残滓を守ってくれている気がした。


 全てを吹き飛ばしそうな悲鳴に近い轟音が響く。

 巨大な質量が迫る――迫る迫る迫る迫る。この子を抱いたまま歩道に戻ってると間に合わない。



――知っている。


 間に合わないことは知っている。

 だから、この子を放した。小さい子だったから、誰かが受け止めてくれさえすれば怪我もしないで済むだろう。ううん。誰かじゃない。だ。



――さようなら。


 世紀の大発明。エンジンで動く巨大な箱は止まらない。


 最期に、君の声が聞こえた気がした。

 ごめん。また、聞き取れなかったや。


――――声にはならなかった。


 ありがとう。

 君には笑顔でいてほしい。


――――ぜんぶ、知らない、こんなものは知らないと、わたしの悲鳴が世界をつんざいた。



――――


 


 

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――――私は、ぜんぶ知っている。 菟月 衒輝 @Togetsu_Genki

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