おれは目に見えないものを手に入れた
・
「宝の持ち腐れ」という作品が、東京都立新宿美術館で人気を博しているらしい。
おれは作者として、それを観に来た。
大きなホールの一角に、その作品はある。
それは、大きなガラスケースの中に入れられた、一人の太った青年だ。
彼の両手にはブランド物のバッグやら、現金やら、靴やら、とにかく色々な物がくっついて、身動きが完全に封じられている。信号機まで体にくっつけている有様だ。
おれと出会った頃とは、まるで別人になった。
ケースの周りでは、大勢の見物客が彼の様子を見ている。
見物客が持っていたバッグが、いくつか彼に引き寄せられ、悲鳴があがった。
おれは、人だかりにできた僅かな空間を縫うように進み、最前列に出た。
「おい! 爺さん、これはどういうことだよ!」
彼はおれを見つけるなり、ガラスを食い破る勢いで叫んだ。
「ここは美術館だぞ。静かにせんか」
「俺のこと助けてくれるんじゃなかったのかよ!」
「だからこうして、作品として飾ることで、お前を助けているんだ。欲に飲まれた今のお前は、ここで作品として生きる他、道は無い」
「はっ、何言ってんだ? 頭おかしいだろお前」
「いや、おれは本気で言っている。お前は、おれにとって最後の希望なのだ」
おれは、今年で七十になる。
勤めていた会社が四十のときに潰れ、無職となった。
ちょうどその頃から日本は、後に「失われた三十年」と言われる時代に突入し、同時におれの就職活動も失敗が続いた。借金漬けになり、挙げ句の果てに、住んでいたアパートを出る羽目になった。
それから今までホームレス生活が続いている。
家の無い生活は、常に死を身近に感じる。凍死寸前の日もあれば、熱中症になりそうな日もある。
最近はベンチのある公園から追い出されることが増え、いよいよ生きる場所が無くなった。
多分そろそろ死ぬだろう。
実際、自ら死を選ぼうとしたことが何度もある。
しかしその度に、こんな世の中に何か一つでも自分の生きた爪痕を残したいと思い、踏みとどまった。
その夢を実現できる手段を模索し続け、最終的に芸術という結論に至った。
一つのきっかけで転落してしまうのが人生なら、一つのきっかけで逆転するのも人生だと信じた。
しかし一向に日の目を見ず、時間だけが過ぎ、焦りが募る。
そんな中でも、おれは自分の成功した姿を想像し、作品を作り続けた。
そして今年の冬、おれに転機が訪れた。例の手袋を手に入れたのだ。
高架下で寝ていたおれが目を覚ましたとき、頭の横に置いてあった。
誰が落としたのか知らないが、おれへのクリスマスプレゼントだと思った。
しかし手袋だけでは寒さを凌げない。おれはカイロが欲しいと思った。
すると、おれの近くをたまたま通りかかった人の持っていたカイロが、次の瞬間にはおれの手元にあった。信じられなかった。試しに他の物に対して手袋を使ってみたが、当たり前のように引き寄せることができた。
これでおれも裕福な暮らしができると、一瞬だけおれの中に欲が芽生えた。
だが、どうせおれはすぐに死ぬ。今さら欲を満たしたところで、何の得にもならない。
金も食事も無くていい。その代わり、おれはただ自分の夢の実現を望んだ。
「……どうして俺なんだよ。俺、何にも悪いことしてないだろ?」
さっきまで獣のように俺を威嚇していた彼は、一転して泣き崩れた。
「理由はない」
「え?」
「おれは芸術家として、ただ、自分の夢を叶えたかっただけだ。寒さを凌ぐため、手袋をはめて、その手をポケットに突っ込み、次はどんな作品を作ろうかと、考えていただけだ。そこに、たまたまお前が通りかかった」
「……じゃあまさか!」
「おれがお前を、引き寄せたのだ」
作品となった青年は、がっくりと項垂れた。
「全部偶然だった。お前が、無差別に女を引き寄せたように」
「クソ!」彼はガラスに額をぶつけようとした。
しかし身動きが取れず、それすら出来ない。
「お前がおれの目の前に現れたとき、おれは閃いたのだ。人を作品にしてみたら、面白いのではないだろうかと。だからお前に、手袋を渡した。再びおれの元に戻ってきたお前の姿を見て、おれは感動した。まるで人の醜さを体現したように、両手にガラクタを引っ付けて、身動きが取れなくなっていたのだから。やはり、人間というのは、つくづく面白い生き物だ」
「なあ爺さん! 俺をここから出してくれ」
「鍵をかけているわけじゃない。だから、出ようと思えば出られる」
「本当か?」
「ああ。お前が、自分の欲に打ち克てたらな。しかし、欲というのは難しいものだ。抑制しようとすればするほど、かえって大きくなる。引き寄せたくない結果ほど、強く引き寄せてしまう」
「どういうことだ?」
おれはその質問には答えず、ガラスケースに背を向けて歩き出す。
また様子を見に来ることを誓って、美術館を後にした。
その後、おれの作品は、全国のニュースにも取り上げられて話題になった。
今ではすっかり、新宿美術館で一番の目玉展示になっている。日に日に客の数も増えているらしい。
「人を作品にしてガラスケースの中に閉じ込めるなんて、倫理観どうなってんだ」
「人生の負け組が嫉妬の塊みたいな作品作ってて草生える」
「まじで趣味悪い。こういうことをする人がいるから犯罪が増えるんだ」
「子供の教育に悪いから、今すぐ展示を取りやめてほしい」
といった、たくさんの批判的な声が寄せられているらしい。新宿のビルの大きなビジョンが毎朝ニュースを流すので、高架下から見て、一応チェックはしている。
だが、おれはスマホを持っていないから、ネット上で交わされている意見を全部知ることはできない。ましてや、「草生える」の意味も知らない。
作品が美術館に飾られても、手元に金が入るわけじゃない。
例えばオークションに出て落札され、買い手がついたりしたら話は別だが、可能性は低い。今のホームレス暮らしはこれからも続くだろう。
今回おれの作品を美術館で飾ってもらえたのも、結局ただの偶然だ。
一般的に言えば、おれみたいな男は負け組の筆頭だろう。おれがそれを認めなくても、世間はそういうレッテルを勝手に貼ってくる。
それに、もう先が長くないおれの芸術家人生が、これから好転するかは分からない。
芸術というものの本質も、素人のおれにはさっぱり分からない。
だが、別にそれでもいいと思っている。
そもそも人生には、勝ちも負けも成功も失敗も無い。
自己満足で生きればいい。
それは、おれが長年ホームレス生活をしているなかで学んだことだった。
人と比べたところで、結局不幸になるだけだ。
世の中に爪痕を残す、とまではいかなかったが、おれの名前がニュースに載ったから良しとしよう。
自分の夢を叶えることができて、おれは満足している。
ただ、「目に見えないものを引き寄せることもできる」と彼に言わなかったことは、謝らなければいけないな。
新宿美術館からいつもの高架下への帰り道。ビルの大きなビジョンに映るニュースでは、また新宿美術館についての特集が放送されている。
今日は気分がいい。奮発して、コンビニで大きめのワンカップ焼酎を買って帰ろう。いつも買うのより、ひと回り大きいやつだ。きっと、いつもより身体に沁みるだろう。
〈了〉
夢を引き寄せた男 石花うめ @umimei_over
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます