番外編 青い宝石のゆくえ

 レオンから叩かれた頬の腫れは引き、痛めた腹部がすっかり治った頃。

 ティアンは黒の箱を開き……後悔する。

 黒い箱の中は、何もない。空っぽの台座があるだけ。

 ハロルドから受け取った、ティアンの瞳の色に合わせた宝石のネックレスがあった。


 壊れてしまわないように、大切に扱って手入れをしていた。

 


 宝石を彩る小さな粒のダイヤが青の宝石を際立たせ、チェーンは銀に輝いて、胸元を一層華やかにしてくれる。

 毎日飽きもしないで見続けていた。眼裏にはっきりと思い出せる大切なアクセサリー。


 ロメベル家の夜会でつけていったネックレスは、ティアンを美しく魅せて、レオンの手によってあっけなく砕けちった。

 無理に引っ張られ金具が千切れて壊れたチェーン。修復なんてとてもできない。乱暴に投げ捨てられた青い宝石は傷がついて、小さなダイヤがとれてしまったかもしれない。

 ティアンはネックレスの残骸をみていない。


 ハロルドからもらった大切な宝石を失って、婚約者の座も失ってもおかしくないのに、ハロルドはティアンを好いてくれる。

 その想いにちゃんと応えたい。

 なんとしても、無くしてしまった青い宝石をこの手に取り戻して、この箱に入れて大切にしたい。


 ロメベル家の屋敷はいま、入ることはできなくなっている。当主が貴族の出入りを禁じてしまっている。

 ロメベル家の騒動の後処理をハロルドが一手に引き受けてくれたこともあり、ネックレスの行方はいまだわかっていない。


 夜会の夜に起きた騒動によって、流れ星のように社交界に瞬く間に。嘘偽りなく真実だけが捻じ曲げられずに広がった。


 ほどなくしてレオンはラデリート家から勘当され、こちらは真実と嘘とがないまぜになって、これも社交界を瞬く間に広がっていった。


 動揺、納得、疑心、困惑。

 様々な思いがそれぞれの胸に宿るなか、ハロルドとライアンの評価は、令嬢たちの間でこれまで以上に高く上がった。

 


「ティアン様」

 返事を求めるように性急にドアが叩かれた。

「――――どうしたの、サリマ」

 パタリと箱を閉じて、落ち込む感情を無理やり明るくさせる。

「ハロルド様が、おみえになっています」

 約束はしていない。

 会わない選択肢はティアンにない。

「急いで着替えるわ。サリマ、手伝って」


 ◇


「ティアン」

 薄い紫色のドレスに着替え、サロンへ急ぎ向かうと、ハロルドは満面の笑みで迎えてくれた。

「突然で悪いね。仕事の合間だから、あまり時間がなくて」

 使用人がいる中、ハロルドは躊躇いなくティアンを引き寄せて、額に口づけをする。

「少しでも会えて嬉しいですわ」

 二週間ぶりに婚約者に会えて、ティアンは嬉しくて、彼にぎゅっと抱きついた。



 サロンの椅子に並んで座る。

 サリマがお菓子と紅茶をテーブルに置いていった。

「どうされたのです?」

 暗い気持ちを押し隠して、ティアンは平静を装って問いかける。

「渡したいものがあるんだ。なんだかわかる?」

「わかりませんわ」

 唐突すぎて、首をかしげた。

「ティアン、目をしっかりと閉じてくれる?」

 意地悪い笑みに少し不貞腐れながらも、目を閉じた。

 しばらくして、胸元に重みを感じる。

 目を開いて、見下ろして。

「………………え」

 ハロルドが以前贈ってくれた、青い宝石が胸元にあった。

 小さなダイヤも、銀のチェーンも変わらなく、ティアンが持っていたそのままに。

 探していた。

 ロメベル家へ直談判しようかと考えていた。

「探していた?」

 ティアンは強く何度もうなずく。

「遅くなってごめん。床に散らばったパーツ、拾うの結構苦労して。店に修理に出していて。ようやく今日、戻ってきたんだ」

「あり……ありが……と……ございます――」

 壊されてしまったネックレス。

 大切な宝石。

 嬉しくて。

 溢れた涙が止まらない。

「ここのところ、物憂げだった原因はなくなった?」

「はい。はい……ハロルド様!」

 飛びついて強く抱きついた。


  ◇


「もう、無くしませんわ。観賞用として、大切に保管しますわ」

「観賞にしてほしくないな。使ってくれないと困るよ。ティアンは僕のだって、夜会で見せびらかせないじゃない?」

「誰に見せるの」

 社交界に、ティアンの婚約は知れ渡っている。ティアンは婚約済みだと知らない貴族はいない。

「もちろん、すべての人に、ティアンは僕のだって知ってもらわないとね?」

 真剣な顔で、ハロルドはきっぱりと言う。

 すべてとは、どこまでのことを言っているのだろう。

 社交界だけじゃなく、まさか一般市民のことも含まれているのか。

 それとも、国だけじゃなく、他国も含まれているのか。

「決まっているじゃないか。自国も他国も。市民も、貴族も、王族も。全部だよ」

 耳を押さえて真っ赤になる。

 そんな壮大なこと考えてもいない。

「ばっ、ばかなの!?」

「男はみんなばかだよ? ティアン、学んで? キミはもうずっと僕のだから」

 ハロルドは耳をおさえるティアンの手をとり、指先を絡めた。

「ハロルド様も、わたくしのですわ」

 絡まった指が解けないように、ぎゅっと握り返す。

「あまり時間がないのに……」

 ハロルドがティアンを引き寄せて、顔を近づける。ティアンが応えるように瞼を閉じて――。

 ココン。サロンの入り口が叩かれる。

「ハロルド様、失礼します。司書官長から言伝です。“早く戻ってくるように”」

 恋人の睦あいを邪魔したくないが、言わなくてはならない。

 とても申し訳なさそうな声がサロンの外からした。

「戻らないと。仕事が休みの日にくるよ」

 名残惜しそうに顔を歪めて、椅子を立つ。

 仕事に戻らなくてはならないハロルドを、仕事にわずかな嫉妬をしてしまう。

 次はいつ会えるのだろう。

 この頃のハロルドは仕事に忙しくて、二人の時間があまりとれない。

 寂しさを、会えた嬉しさの中に隠す。

「ハロルド様」

 ティアンが背を伸ばして、油断したハロルドの頬に唇をあてた。

 名残惜しいのはハロルドだけじゃない。

 ようやく大切なアクセサリーを直してくれたお礼をもっと言いたい。

「いってらっしゃいませ」

 そのお返しとばかりに、ティアンは抱きしめられた。

「俺だって寂しいよ。ティアンが足りないから、もっとくれない?」

 覆い被さるハロルドの寂しい顔に、少し意地悪心が湧いた。

 唇を彼に寄せていって。

 唇が触れ合う前に、腕の中から抜け出した。

 きっとハロルドはこれだけじゃ済まなくなりそう。上官を困らせてはいけない。

「お仕事、頑張ってください」

 にっこりと意地悪く笑う。

「ハロルド様、早くお戻りを」

 上官の言伝を伝えにきた使者に急かされて、ハロルドは後ろ髪引かれながら仕事へ戻っていった。



 それから十日後。

 むりやり休みをもぎ取ったハロルドからの触れ合いにティアンは、意地悪したことを少し後悔した。けれど、寂しい心が十分すぎるくらいに満たされて、幸せが後悔よりも上回って、ハロルドに少しくらい意地悪してもいいかもと思ってしまったことは秘密。


 ――終――

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悪評の令息より兄友がいいです 柚希(水城磨菜) @yuzuki_12

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