僕の犬十戒

満月光

僕の犬十戒

僕の名前は、高村祐一。

高校の2年生だ。

今の僕は、いつも胸が痛い。

なぜかと言うと、実は恋してしまった相手がいるからだ。

相手は天羽真琴。

同じクラスの女子だ。

なぜ彼女を好きになってしまったのかと問われても、それは返答不能だ。

彼女の姿を授業中に背後から眺めているだけで、いつも胸の高鳴りが抑えられない。

そもそも恋って、そういうものなんじゃないのかな?

彼女を一言で表現すれば、月の女神アルテミスだ。

華奢な容姿だが、いつもその理知的な瞳に吸い込まれるような気がする。

しかも勉学も優秀だ。

僕も成績は上位という自信はあるが、毎回のテスト結果公表の時には、常に彼女の後塵を拝している。

でも成績とかそんなんじゃなく、僕の中では彼女の存在はずば抜けている。

何がって.....?。

いやいや、全てにおいて彼女は最高なんだ。

その想いを、ある時親友の健太郎に打ち明けて、相談してみた。

「天羽真琴...?。祐一お前、厄介な相手に、恋しちまったな。」

「どういう意味だ?」

「天羽真琴を、お前がアルテミスに例えるのは、俺も分かる。でもな...。お前、アルテミス神の本性って知ってるのか?」

「いや..是非教えてくれ。」

「アルテミスっていうのはな...。最高神の一員アポロンを、女にしたような女神だ。」

 そんな話を始めて聞いた僕は、健太郎の言葉に耳を傾けた。

「とてつもなく潔癖で、男嫌いだ。その程度は、俺たちの年代の女子が、父親の靴下の匂いを嫌う以上に、そばに男が寄り付くのを嫌う。神話によると、水浴を覗き見した男に、アルテミスは、水をぶっかけて鹿にしてしまったという。なんで、そんな女子に恋しちゃったのかねぇ。お前だったら、そばに寄って来る女子なんて星の数程いるだろう? まぁ、俺に言わせりゃ贅沢な欲求だな...。」

健太郎の言葉が気になった僕は、思わず尋ねた。

「彼女は、アルテミスと同じように男嫌いなのか?」

「そんなのは俺にも分からん。でもな、天羽真琴に交際を申し込んで、手酷く拒否された相手は、何人もいるそうだ。お前も、その二の舞、三の舞になりたいのか?」

そうか....やはり彼女には、僕の前に何人もがアプローチをしていたのだな。

当然だ。

あんなに魅力的なんだもの。

これは...。乗り遅れるわけには行かない。

ある朝、思い切って、彼女への手紙を下駄箱に投函した。

朝に登校して手紙を見てくれてるなら、何らか反応があっても良い筈なのだが、彼女には何の変化もない。

もしかして、何かがあって、手紙が届いていないのでは...。

様々な事を考えながら、授業終了を迎えて下駄箱を開けた時、そこには一通の手紙があった。

胸の高鳴りを沈めながら、手紙を開いた僕は、その直後どん底に突き落とされた。

彼女からの手紙の内容は、実に丁寧なものだった。

僕が手紙を出した事へのお礼が先に記され、その後には、お付き合いは出来ません...とはっきりと気持ちが表明されていた。

「私には、一番心に留める相手が既にいます。ごめんなさい。その相手の事が、私はいつも一番気になるのです。」

誰だ、そいつは....。もう彼女の心を射止めてしまった奴がいたのか。

目の前が真っ暗になった気がした。

僕は、自分の失恋を健太郎に伝えた。

「やっぱり駄目だったか...。アルテミスに突っかかって行った奴の末路は、やはりこんなもんか。それにしても、あのアルテミスに男がいるとは...。それも妙だな。アルテミスを気にしてる男は多い。そんな相手がいれば、誰か気付く筈なんだが...。それにしてもお前、落ち込みすぎだぞ。もう周囲の女子が噂してるぞ。あの高村を振った相手は、一体誰なのかってな。大丈夫なのか?」

周囲の噂など、どうでも良い。

今の僕は、彼女の心を射止めたその相手が誰なのか、そればかりが気になった。

僕が納得出来る相手なら、それは仕方ない。

その時には、潔く諦めよう。

しかし、彼女の相手って、一体誰なんだ? 

思い倦ねた結果、僕は彼女の親友である女子に思い切って尋ねることにした。

有村優里は、僕の問いかけにあっさり答えた。

「それって、きっとライルの事ね。」

まさか自分の恋敵が、犬とは想像も付かなかった。

やはり、アルテミスは男嫌いだったのか....。

そう思うと同時に、健太郎が話してくれたアルテミスの逸話が頭をよぎった。

アルテミスの水浴を覗き見した男は、鹿に変えられた後に...。そうだ.....アルテミスの飼っている犬の群れに喰い殺されたんだ....。

背筋に、冷たいものが走った。

僕の顔色が蒼くなるのを見て、有村優里が僕の顔を覗き込んだ。

「どうしたの? 言って置くけど、真琴は別に男嫌いでも何でもないわよ。ただ今は、いつもそばに寄り添ってくれてるライルへの想いが突出してるだけ。あなたの真琴への想いが、一時的な物じゃなくて本物なら、ちょっと時間をおいたら....。その間にあなたも自分の気持を再確認出来るし、その後の気持ちも決まるんじゃない?」

さすがに、我がアルテミスの親友だ。

確かに、僕は焦りすぎていたのかもしれない。

暫くは彼女の様子を見ながら、自分の気持ちも再確認するとしよう。

そう心に誓って、3ケ月が過ぎた。

それで分かった。

僕の彼女への気持ちは、決して一時的な物ではないと。

それが分かって、改めて有村優里に相談を持ちかけた。

「ふうん...。今でも真琴への想いは変わらないのね。」

そう言った彼女は、僕にある事を教えてくれた。

「それなら、一つ。真琴の最近について、大切な情報を教えてあげる。真琴の家に、新しい子犬が来たわ。ビーグル犬で、キッシュって名付けたそうよ。」

「何で?彼女は、ライル一筋だったんじゃ...」

「そうね。その理由は、あなた自身で考えなさい。それとね...真琴はね。犬の気持ちには敏感だけど、人の心の機微には結構鈍感なの。私に言えるのは、ここまでよ。」

優里さんに言われたことを、三日三晩考えても答えは見つけ出せなかった。

その答えを改めて尋ねようとしても、優里さんにはそっぽを向かれた。

途方に暮れながら考え続けた結果、ある思いが閃いた。

「僕は犬を飼った事がなかった..。だから彼女のライルへの想いも、今回のキッシュの件も、理解出来ないんだ....」

それならば....と決心して、両親に告げた。

「犬を飼いたい。世話は全部僕がするから...」

飼い始めたビーグルには、スタッシュという名前を付けた。

なぜビーグルを選んだかと言うと、キッシュと同じ犬種だったからだ。

それを理由に、どこかで真琴さんと会話するきっかけになるかもしれない、という下心も絶対にあった。

スタッシュは、最初こそ手間が掛かったが、やがて、我が家全員のアイドルとなった。

犬を飼うということは、こういう事だったんだと初めて知った。


ある日、有村優里が、話しかけて来た。

「一応、君には知らせておいた方が良いと思って...。ライルが、昨晩亡くなったそうよ。眠るように天国に行ったって。でも言っておく。今がチャンスだなんて思わないで。今の真琴には、時間が必要なの。今余計な事をしたら、絶対に許さないよ。」

言われなくても分かってる。

僕も今はスタッシュの主人だ。

そうか.....愛犬が逝ってしまったのか.....。

今は既に、進路を決めなくてはならない時期だ。

彼女は大丈夫なんだろうか? 

ライルが居なくなって、何も考えられなくなってるなんて事は....。

ある日、噂話を聞いた。

「知ってるか...。天羽真琴は、獣医学部志望らしいぜ。やっぱり、あいつは男嫌いだったって事だな。男よりも動物相手が良いんだよ。」

いや、違う。

彼女はライルとの絆を通じて、自分の進路を決めたんだ。

僕は、彼女の後を追う事を決めた。

僕の進路変更に、両親はびっくりした。

「獣医学部....? お前、裁判官になるんじゃなかったのか?」

僕の父も母も、弁護士だ。

弁護するだけの枠組では限界だと思い、裁判官を目指そうと思った事があるのは事実だ。

でも、スタッシュとの生活を通じて、理屈っぽい事ばかりに囚われる仕事に疑問を感じ始めていた。

そして、今思ってる。

人の諍いに関わるより、動物の心に寄り添う方が楽しい。

「お前の人生の選択に、私もお母さんも介入するつもりはない。それは、お前自身で選び取るべき事だ。でも今まで目指した道を、方向転換するんだ。絶対に後悔しないと、もう一度自分の心と相談しなさい。」

気が付いているのかな、僕のアルテミスへの想いを...。

でも、もう僕は後ろは向かない。

それから1ケ月をかけて考え、僕は受験先を獣医学部と決めた。

父も母も反対はせず、頑張れよと言ってくれた。

そして自分の決心を、有村優里にも伝えた。

「そう...。獣医を目指すか。でも真琴には、まだ言わない方が良いわね。真琴とあなたが、晴れて一緒に獣医学部に入学出来た時に、改めて気持ちを伝えたら良いいんじゃない。」

優里さんに話をして、気持のモヤモヤが無くなった。

優里さんから離れた後、直ぐに健太郎が話しかけて来た。

「お前、有村優里とは懇意なんだな。それじゃ、頼みがある。俺...実は..彼女と交際したいんだが....」

優里さんに健太郎の想いを伝えた時、彼女は最初は僕をののしった。

「はぁ....? 今の自分の気持ちを真琴に伝えられてないあなたが、なんで他人の事に首を突っ込むのよ。」

「いや、その....。でも、健太郎は、凄くいい奴なんだ。僕が保証する。」

「あなたに保証されたって、どこが当てになるの?」

そう言った後で、優里さんは笑い出した。

「健太郎君の事は、実は私も前から気になってたの。良いわよ。是非お付き合いしましょうって、彼に伝えてくれる。」

数週間の後に、健太郎が僕に話しかけて来た。

「アルテミスとは、その後に進展はあるのか?」

「いや...。全ては、二人揃って獣医学部に合格した時がスタートだ。しかし、お前と優里さんは良いよなぁ。今ではいつもいっしょにいられて...。」

「お前のお陰だ。感謝してるんだぞ。彼女は、なんて言うか、常に俺の心を察してくれる....。俺には過ぎた女性だ。」

それは、ご馳走様。

やれやれ、僕の想いは、どうすれば成就するのかなぁ。


大学受験の結果発表の日、自分の合格を確認すると、すぐに彼女の受験番号を探した。

あった...。

これで先に進める。

その時、天羽真琴の姿が見えた。

受験番号が合格欄にある事を確認すると、小さくうなずいていた。

大学での初めての授業の日、思い切って彼女の隣の席に座った。

彼女は、ちょっとびっくりした表情を浮かべた。

「高村くんよね...? あなたも獣医になるの...?」

その後、僕は授業の時には必ず彼女の隣の席を選んだ。

そして、授業が終わった後に、色々な話をした。

僕が今、スタッシュを飼っていることも。

そして遂にある日、僕は彼女に二度目の告白をした。

「一度拒否された事はわかってる。でも、今でも僕は君と交際したいと思ってる。」

彼女は、僕の顔を覗き込んで口を開いた。

「ねぇ、高村君。これって、絶対に反則だよね...。」

反則....?。僕は、何かまずいことをしたのか? 

動揺する僕の手の上に、彼女はそっと掌を重ねた。

「優里と健太郎君から、全部聞いた。でも、これは反則よ。スタッシュの事も、あなたが今ここで一緒に授業を受けてる事も...。」

僕は、息を止めて次の彼女の言葉を待った。

「そこまで想われちゃったら、もう絶対に拒否なんて出来ないじゃない。喜んで申し出お受けします。」

真琴が僕を受け入れてくれた事を、健太郎は自分の事のように喜んでくれた。

「そうか。遂にアルテミスを陥落させたか。でも、これから焦るなよ。なんせ、水浴を覗き見されただけで、相手の男を鹿にして殺すような相手だ。焦って肩など抱こうなどとしたら、何をされるか分からんぞ。」

「彼女は、そんな女性じゃない。凄く感受性が豊かなのは事実だが...。」

「分かってるさ。ようやくお前と真琴さんが付き合うようになった事、優里も喜んでる。」


ある日、僕は真琴に問いかけた。

「ねぇ真琴。ちょっと聞きづらい事を聞いてもいいかな。勿論、答えたくなければ何も言わなくてもいい。」

「何なの?」

「君が、ライルを天国に見送った時の事だ。辛い思い出だとは思うが、今後獣医として学んで行く為にも、そういう時の主人の気持ちを聞いてみたいと思ったんだ...。」

真琴はちょっと宙を見上げて、心の奥を探るように考えた後に僕に向き直った。

「そりゃぁ、辛かったわよ。自分の半身を引き裂かれる思いって、ああいう事だと思った。でもね。それを和らげてくれたのは、キッシュの他に、ライル自身だったの。」

「キッシュがそうだというのは、なんとなく分かる。でも、亡くなったライル自身が、君の気持ちを和らげたって…。それはどういう意味?」

すると、真琴は遠くを見る眼になった。

「あのキッシュはね....。ライルが、私のそばに自ら呼び寄せた...。そんな気がするの。」

「ライルが、キッシュを君のそばに呼び寄せた....?」

「そう。キッシュを迎える事を言い出したのは父だったんだけど、今考えると、ライルが父を使って、私の元にキッシュを連れてきてくれた..。そんな気がしてならない。私の父は、昔から、私以上にライルの気持ちを察することが出来ていた人だった。ライルは、そんな父を使って、私の元にキッシュを送ってくれたのよ。」

真琴は、遠くに行ってしまったライルを思い起こすように言葉をつなげた。

「あの時父は言ったわ。自分が死んだ後の私の事を、ライルが一番心配してくれてるって...。だから、自分の代わりになれる存在を求めてるって...。そんな事あり得ないって、最初は思った。でも、キッシュを家に迎えた後のライルの対応は、父が言う通りだったと思わざるを得なかったの。その時思った。ライルの愛情の奥深さ、幅広さには、私なんか到底敵わないって...。」


ある日、真琴が、お願い事を口にした。

「お願いがあるんだけど...。今度スタッシュを連れて、私の家に来てくれない...」

彼女の家を訪問....。

それって、彼女のご両親にも顔を合わせるって事だよね。

いきなり心臓の鼓動が高まるのがわかった。

僕の動揺を知ってか知らずか、彼女は、普段通りの口調であっさり言った。

「スタッシュに、キッシュとお友達になって貰いたいの。」

その理由を尋ねると、真琴は真剣な眼を僕に向けた。

「キッシュは、私達家族とライルの恩人なの。そのキッシュが、ずっと元気がないのが気になってるの。」

「キッシュが恩人?」

「キッシュは、ライルの晩年に、私や家族が居ない時ずっとライルに付き添ってくれてたわ。そのお陰で、私も家族も安心して外出が出来たのよ。」

「なるほど、それで恩人か。しかし、キッシュが元気がない事に、どうしてスタッシュが薬になるんだい? 」

「キッシュが、元気がなくなったのは、ライルが逝ってしまった後からなの。私達家族は、キッシュには同じように接してるし、私達に対するキッシュの態度も変わらないの。それでも元気がないのは何年も変わらない。考えられる理由は、いつも一緒にいたライルが居なくなってしまった事。同じ犬同士じゃなきゃ、分からないこともあるんでしょうね。だからお願いしてるの。」

「分かったけど...。でも...君のご両親は、僕の事を知ってるの?」

それを聞いた真琴は、ぽかんとした表情を見せた。

「何それ? 両親はもうとっくに、あなたと私との交際は知ってるわよ。顔を合わせる良い機会だとも言ってるわよ。」

嬉しいと言って良いのか...これは...。

真琴は、既にご両親に僕の事を話してくれてたのか。 

嬉しいけど...これはまずい。

僕は、まだ父にも母にも、真琴の事は話してない。

別に隠す事ではないのだが、あの急な進路変更もあって、言いそびれていたのだ。

彼女の家にスタッシュを連れて行った時、すぐにスタッシュとキッシュは仲良しとなった。

その様子を見て、真琴が安堵した。

「これからは、スタッシュが頻繁にお前の元に来てくれるよ。よかったね。」

真琴のご両親とも僕は初めて顔を合わせたのだが、お二人とも歓待してくれた。

「祐一さん。これからもよろしくお願いしますね。」

嬉しい言葉だ。

でも、やはり僕は出遅れている。

ようやく、真琴を両親に引き合わせた日、父も母も満面の笑みで彼女を迎えた。

「やっと、祐一のアルテミスにお会い出来たわ。本当に可憐なお嬢さん。」

「アルテミスって....なんでそんな事知ってるの...」

すると、母がくすくす笑いを漏らした。

「あらあなた。いつも机の上に、アルテミスの彫像を飾ってるでしょ。しかも その像の台座の下には、ずっと真琴さんの写真を潜ませてたじゃない。本当に分かりやすい人ね。」


どうしても気になる事があって、ある日彼女に尋ねた。

「最近、君はいつも手袋をしてるよね。どうしてなの?」

「御免、やっぱり気になるよね。触診の時に指先の感覚が鈍らないように、普段はこうしてるんだ。最近は、家で水仕事をする事もなくなったの。だからあなたに、今は新しい料理を作ってあげる事も出来なくなって。ごめんね。でもその代わり、今手編みのセーターを編んでるの。」

真琴の触診技術は、同期生でも群を抜いている。

ハムスターのような小さな生き物でも、彼女が触ると、瞬時に異常があるかどうかを見極める。

そのレベルは、教授さえも感嘆させている。

その裏では、そんな気遣いまでしていたんだ。

でも、手編みセーターって、何?。

「手編みってね。手術の時の糸技術に通じるの。教室に通い始めてから、ハマっちゃって。完成のプレゼント、楽しみにしててね。」

やはり僕は、今でも彼女には敵わない。

そんな事まで考えていたんだ....。

その話を聞いてから、通信教育で彫刻講座を受講し始めた。

これなら、僕も手指の鍛錬になる筈だ。

最初は、真琴が通っている編み物教室に一緒に行こうとも考えたが、周囲の眼を考えると、それはさすがに気恥ずかしい。

真琴からは、スタッシュとキッシュが寄り添う姿をいつか彫って見せてね、と言われた。


僕と真琴との交際は、その後も順調に進んだ。

健太郎も、優里さんとの良好な関係が、続いている。

時々は、4人で会って食事なんかもした。

ある日僕は、思い切って彼女に切り出した。

「僕は、ライルの代わりになれるかな?」

「何、それ?どう言う意味?」

「いや、その....。ライルに代わって、君のそばでずっと一緒にいる存在として、僕は相応しいと思ってくれるかな?そういう意味だ。」

すると真琴は、首を横に振った。

「それは、ちょっと違うわね。」

「僕では、ライルの代わりにはなれないと言うことなのか?」

「ライルはライル。あなたはあなた。どちらも私には、かけがえのない存在なの。それを比べるのが変と言ってるの。」

そう言うと、彼女は僕の胸にそっと寄り添った。

「じゃぁ、ずっと僕と一緒にいてくれるんだね。」

それに彼女は、僕の身体に回した手の力を強めて応えた。


ある日、優里さんから電話があった。

「真琴がね。最近お母さんに、また料理を習いはじめたそうよ。以前は、水仕事をすると指先の感覚が鈍るって言ってたのにね。誰の為に真琴がそんな事してるか、分かるよね。でも、それだけで連絡したんじゃないよ。真琴のお母さんが言ってた。昔の真琴の料理は、とにかくレシピに忠実で、型通りのものを完璧に仕上げる事を目指してたんだって....。」

「昔は...?。今は違うのかい?」

「真琴のお母さんが言ってた。今の真琴の料理って、とにかく時短なんだって....。でも、それでいながら昔より、味わいが優しくなってるって。料理に愛情を込める事が分かったんじゃないかって....。高村君、ちゃんと聴いてる?何で真琴の料理が変わったのか、分かるよね。今も、そしておそらくこれからもずっと、あなたに真琴がどんな料理を作るのか....。」

優里さんは、周囲の人達の変化にとても敏感だ。

それで、どうしても今の真琴の料理について、僕に知らせたいと思ったのだろう。

翌日、僕は真琴に言った。

「結婚したら、料理や家事は二人で互いに分担制にしよう。今後ずっと同じ仕事をする者同士だ。僕にも、愛情を込められる料理というのを、これから徐々に教えて欲しい。」

「何それ?。もしかして、私の母から何か言われたの?」

「そうじゃない。本来パートナーとは、そういうものだと思う。唯一つ、我儘を聞いて貰えるなら....。」

「それは何?」

「一緒になった後、絶対に僕よりも先に死なないで欲しい。僕は君ほど強くない。だから....」

その先の言葉を、真琴は二つの指を僕の唇に当てて遮った。

「昔の歌のセリフの様なお願いね。でも...。駄目。これは反則よ。そんな先の未来、誰も分からないわ。」

 そう言った真琴は、そっと僕に寄り添った。

「あなたと私のどちらかが、間違いなく先に死んでしまう状況が来たとするなら、私はきっとライルの事を思い出すわ。その時のライルの気持ちを、もう一度胸に問いかけるでしょうね。でも、そんな時が来たとしても、その時迄どれだけ二人で精一杯想いを分かち合ったかが大事だと思うの。」

参った。ぐうの根も出ない。

やはり、僕は真琴には敵わない。

おそらく、これから先もずっと。


ある日、健太郎が僕に尋ねた。

「なぁお前は、真琴さんといつ正式に結婚するんだ?」

「なぜそんな事を聞く? お前と優里さんだって、同じ状況だろう。」

 すると健太郎は、しみじみとした口調で言った。

「いや....。俺たちは、二人共ラッキーだったよな、と思って....。良い相手に巡り合えた。真琴さんも、優里も、世間で言う『あげまん』の典型だと思ってる。つまり、俺たちに良い運気を齎らしてくれる存在だ。」

「ふうん...あげまん....?」

 僕は、その言葉の意味が良く分からなかった。

 すると、健太郎が呆れたような顔を見せた。

「お前、そんな言葉も知らないのか? あげまんの『まん』を卑猥な意味で捉えてる奴もいるが、『まん』と言うのは、『間』の事で、元々は人生の潮目や運気を指す言葉なんだ。難しい事は置くとして、真琴さんと優里は、親友同士だけあって、共通する生き方を持っている。それが、俺たち二人には、ドンピシャリだったって事だ。」

「あの二人に共通する生き方...?お前は、どう思うんだ?」

「二人共、自己が確立された女性だって事だ。自分の意志をしっかり持ってる。だから、過剰な他人依存はしない。俺もお前も、ある意味面倒くさがり屋の所がある。だから、必要以上に依存されると逃げ出したくなる。あの二人にはそんな所はない。人に対する接し方も絶妙だ。気持ちを察して気配りはするけど、決して出しゃばらない。相談には快く乗るけど、必要に応じては突き放す...。」

そう言って、健太郎は最後に結論を述べた。

「お互いに、そんな相手に巡り合えたのがラッキーだったと、そう言ってるんだ。」

驚いた。健太郎は、大学では心理学を学んでいる。

でも健太郎が学んでるのは、単なる机上学問じゃない。

ちゃんと自分の生き方にも、それを生かしている。

健太郎に言われて、改めて交際を始めてからの真琴との関係を思い巡らせた。

確かに、健太郎の言う通りだ。

真琴が、今迄以上に愛おしく思えた。

そしてようやく僕は、真琴を妻として迎える事が出来た。

ほぼ同じ時期に、健太郎も優里さんとゴールインした。

新居に遊びに来た二人の周囲に、6匹の子犬がじゃれついた。

スタッシュとキッシュの間に産まれた仔達だ。

その仔達と遊んでいた優里さんが、僕達に言った。

「ねぇ。この中の一人、私達の家に養子にくれない。寂しがらないように、頻繁に遊びに連れて来るから。ねぇ、お願い。」

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