その塾、動物の楽園につき

月本 招

その塾、動物の楽園につき

 俺の名前は月本つきもとまねき

 もちろん偽名だ。


 今は社畜の俺だけど、こんな俺にも大学生をやっていた時期がある。

 今回はその頃のお話。



 俺はこう見えて、大学の時に塾の講師をした事がある。

 時給の高さにつられて応募しまくっていたら、Fラン大学に片足を突っ込んでいる学校に通っている俺を、とある塾が採用してくれたのだった。


 大学2年の夏。俺は浮かれていた。

 塾の講師なんて、合コンでさらりと口にしたら女の子にちょっと賢そうに思われそうだし、何といっても実入り(時給)の高さが他のバイトと比べても段違い。


 これで俺も勝ち組確定かぁ。


 欲しかった服も買えるなぁ。

 女の子を洒落たレストランにも誘えるなぁ。

 ワンチャン、車とかバイクも買えちゃうかも。


 妄想は尽き果てない。



 そうこうしているうちに塾講師のバイトの初日を迎え、俺はスタッフルームなる所へ塾長に挨拶しに訪れた。



「今日からお世話になります月本です。ヨロシクお願いします!」



 俺が元気よく挨拶すると、白髪のオールバックで色付きの眼鏡をかけた、ちょい悪風のどう見ても塾のオーナーとは思えない塾長はにこやかな笑顔で出迎えてくれた。



「おぅ、こちらこそヨロシク頼むわ。分からない事があったら他の先生方に何でも聞いてくれていいからな」


 そう言って塾長は色付きの液体が入った高そうな透明のグラスを挨拶代わりに高く持ち上げた。



(おいおい、この塾大丈夫か。あれって酒だよな?)



 そんなことを思うが、何といっても塾の初日である。俺の妄想が現実のものになるかどうかはこの怪しいおっさんにかかっているのだ。


 俺は疑いの目を向けそうになるのを堪えて、「ありがとうございます」とやや引きつった笑顔を作った。



 俺の心境などお構いなしに、塾長は続けざまに、「それじゃ早速今日から授業に出てもらうよ」と予想外の言葉を投げかけてきた。


「へ? きょ、今日からいきなり授業ですか? 事前講習とか業務の説明も無しで?」


 思わず変な声が出てしまう。



「大丈夫だよ、今日から一週間は他の先生についてもらって、授業をサポートしながら仕事を覚えてくれればいいから」



 塾長はあっさりとした口調で言ったが、こちとらもちろん不安である。


 何せ頭の出来を褒められた記憶がほとんどない人生を送ってきたのだ。急に俺なんかに塾の講師が務まるか、不安が一気に押し寄せてくる。



「はぁ、そんなもんスか……じゃあ、はい。今日から頑張らせていただきます」



 不安は隠せなかったがここまで来たらもちろんやるしかない。何て言っても高時給。金のためならある程度のことは我慢でき――



「じゃあ名前をつけなきゃな」


「は、はい? 俺の名前は月本ですけど……」



 塾長の言った意味が理解できなかった俺は、普通に返してしまう。



「ハハハ! ウチはウチのルールがあってね。ここの先生たちには【動物の名前】をつけて授業に出てもらうことになっているんだよ」


(なににぃ!? そういえば、このスタッフルームに人の名前なんてどこにも存在していない……。出勤表らしきモノには、「うさぎ」とか「おさる」とか書いてあるし……)



「ん? あぁ、出勤表に気づいたかね? 凄いだろう。あの名前は全部私が付けたものなんだよ。そうだなぁ、じゃあキミは……タレ目だから【パンダ先生】にしよう!」


「ッ!? な、何だと!? あ、あのですね……まさかとは思いますがそれってもう決定ってことは……?」


「気に入ってくれたかね? じゃあ、そろそろ授業が始まるから行ってくれたまえ。え~っと、あ、いたいた。きりん先生!」



 塾長に【きりん】と呼ばれたバイトっぽい講師が俺たちの元へとやってきた。



「はい? なんですか?」


「今日から入ってもらったパンダ先生だ。まずはこの後のキミの授業のサポートをしてもらうことになったから」


「わかりました。よろしくパンダ先生(あっさり)」


「お、おぉ。こちらこそヨロシク……」



 俺をきりんに紹介すると、塾長は満足げな表情を浮かべて酒をぐいっと煽り、笑いながら自分の部屋へと戻っていった。

 

 おいおい、この塾何かヤベー匂いしかしないんだけど。


 不安に駆られた俺は、授業の準備をしている時にこっそり「きりん」に聞いてみる。



「ねぇねぇ、あのさ。この塾っておかしくない?」


「あぁ名前のこと? そうだねぇ、僕も最初はおかしいと思ったけど、小学生相手の塾だし、授業中は違和感無いからすぐに慣れると思うよ」


「そうなんだ……てかさ、この名前はどうにもならないの?」


「うん、塾長は一度決めたら決定を覆したことが無いらしいよ。前に、【コブラ】って命名された女の人がいたんだけどさ。せめて他の名前にして欲しいってホントに必死に涙目でお願いしたんだけど、『私の決めた事に不満があるならもう来なくていい』って、その場でクビになっちゃったんだ」


 おいおいマジか! 何たる理不尽ッ!

 そんなことが今のこの日本でまかり通っていていいのか!?

 

 それは、一度決めたら絶対に覆らない鉄の掟!



 ――いや、なぜ俺は今まで気が付かなかったんだ!?


 この塾って……確か……募集広告やwebページに不自然なほどこれでもかってくらいの動物の絵が載ってたよな……?


 少しは疑って掛かってみるべきだった……

 浮かれていないで少しでも口コミとかリサーチしておくんだった……


 でも、面接は応接間でやったから全然分からなかったよ……

 いずれにしても、俺みたいなのが受かるくらいだからロクなもんじゃねぇ……



 俺が自分の浅はかさを後悔していると、授業の支度を終えたきりんが俺に声を向けた。



「僕だって、背が高くて首が少し長いからってだけで、【きりん】にされたと思うんだ」


「そりゃまぁ絶対にそうだろうな……」


「でも、子供達には好評だから方針は変えたりしないだろうね。あっ、そうだ。お面も作らないといけないね」


「!!? 何だってッ!?」


「先生は全員、授業中はこのお面を頭に被るんだ。ほら見て、僕のはコレだよ」



 そう言って、きりんは幼稚園の時にお遊戯会で頭に被るような、ダンボール紙で作ったお面を見せてくれた。推定185㎝はあろうかと言うきりんがさらに首の長いきりんのお面をつけると軽く2mは超えるだろう。



「もう……言葉がねぇよ……。てか、親もよくこんな塾に子供を入れようと思うよな……」


「大丈夫だって、すぐに慣れるから」


「いや、どう考えても慣れちゃダメなやつだろ……」




 今日は初日だったのでお面は免除(要は間に合わなかっただけ)され、俺はきりんの授業についていった。



 最初の授業は4年生の国語だった。



【ガララッ】と、きりんが元気よく教室のドアを引く。



きりん:はい、みんな~! 席に着いて~


ガキ共:ガヤガヤ……


ガキA:おー、なんだオマエッ! 誰だッ? 名を名乗れ~


俺  :クッ……こいつぁムカつくわ……


きりん:みんな~、今日からみんなを教えてくれる新しい先生が入りました


    「パンダ先生」で~す


    じゃあパンダ先生、みんなに一言


俺  :何だと!? そんなもん聞いてねェぞ(困ったなぁ……)


    え~っと、今日からみんなと一緒にお勉強する事になったパンダ先生です(一体何を言ってんだ俺はーッ!!泣)


    あ……、楽しくお勉強していきましょう……


きりん:はい、みなさん拍手~!



 パチパチパチ……



俺  :おい! なぁ、きりん! こんなんでいいのか?


きりん:え、うん。大丈夫だと思うよ


    みんなー。はい、それじゃ授業始めるよ~



 こうして最初の授業は始まった。

 この塾は1コマ50分で、俺は基本的に夕方から2~3コマを担当することになっていた。

 この日は結局、2コマの授業を行い、9時頃には帰り支度をしていた。




俺  :はぁ~あ……


きりん:どうしたの? パンダ先生?


俺  :俺は月本だッ!

    授業以外はパンダ呼ばわりするんじゃねぇッ!


きりん:あ、うん。分かったよ

    それで月本くんどうしたのさ? 疲れたの?


俺  :おぉ……何か精神的に来るモノがあってな……

    大切なものを失ってしまったような気がしていて……


きりん:最初は慣れない職場だからしょうがないよ


俺  :いや……そういう問題じゃないんだけど……


きりん:じゃあ飲みにでも行こうよ。話聞くよ


俺  :別に話したところで問題は全く解決しないのだが……まぁいいか


きりん:じゃあ、誰か誘おうか?


俺  :そうだな

    あ! そういや、ここには女の先生はいないのかな?


きりん:いるけど、今日は来てないみたいだね


俺  :来てないって……何人いんの?


きりん:3人だよ


俺  :なんだ、結構いるじゃん

(この塾の先生は出勤表を見る限りだと7人だった)


きりん:女の先生は週末の出勤が多いからね、平日はあんまり来ないんだよね


俺  :そっかぁ……そいつは残念……


きりん:あっ、高浜くん



 その時、きりんがスタッフルームに入ってきた男に声を掛けた。



高浜 :あぁ、おつかれ


きりん:高浜くんは初めてだったよね?

    こちら今日からのパンダ……


俺  :アタッ!(きりんの首筋にチョップ)


きりん:あイタッ! いや……、あの……月本くんだよ


俺  :ヨロシクー


高浜 :うん、ヨロシクね


きりん:高浜くんも終わりだよね?

    僕らこれから飲みに行こうと思うんだけど一緒に行かない?


高浜 :おー、いいねぇ。行こう行こう!


俺  :おーし、初日の俺のストレスをぶちまけてやるぜぇ


高浜 :月本くんって先生っぽくなくて良い感じじゃん


俺  :ん? あぁ、ガラじゃないのだが、時給につられてねぇ


高浜 :みんなそうだよ

    じゃなかったら、こんなピエロ演じてられないっしょ?


俺  :激しく同意だぜ……



 そして俺たち3人は飲み屋に移動。塾の最寄駅はいわゆるターミナル駅で、駅周辺には歩いてすぐのところに繁華街もあったのだ。


 大学生である俺たちは、分相応な激安居酒屋チェーンに入って案内された席に腰を下ろすと、3人ともおしぼりでガシガシと顔を拭いた。



一同 :かんぱ~い!


高浜 :どーよ? さっそくだけど月本くんはウチでやって行けそう?


俺  :いきなりスゲェ難しい質問じゃんか……

    そうだなぁ、時給があと100円でも安かったら速攻辞めてるわ


高浜 :100円は大きいモンなぁ


きりん:僕はすっかり慣れたよ。もう全く気にならない


俺  :たぶん俺とキミじゃ人種が違うからな


高浜 :天職なんじゃん?


きりん:そうだね、子供達も懐いてくれてるし


俺  :小バカにされてんだよ


きりん:何だよー。自分が子供に人気無いからって僻んじゃってさ

    いきなり子供泣かしちゃダメだって


俺  :あれはその……

    俺をパンダ呼ばわりするのがたまらなくムカついたのでつい……


きりん:だってそれが名前なんだし……



 ここで高浜が突然声を荒げてカットイン。



高浜 :いやいや、パンダなんて全然マシだって!


俺  :え? どうした急に?

    そう言えば、高浜くんはもしかしてもっとヤバいんか?


きりん:あぁ、そこ聞いちゃう?


高浜 :いや、聞いてくれよ……

    俺なんかさぁ……前髪を立ててただけで……























    【カブトムシ先生】


    になっちゃったんだぜッ!!


俺  :ぎゃはははははははははは!!


    てか、動物じゃねーし! 完全に虫じゃねーか!!


きりん:あーはははははは!!


高浜 :はぁ、さすがにありえねぇよなぁ……

    塾長には「クワガタとどっちがいい?」って言われたけど


    『か、カブトムシでいいです……』


    って、思わず言っちゃったよ……




 いやー、笑ったけど、実際惨い話である……。

 なんか、『パンダでありがとう』って気になってくるのは気のせいだろうか。



 ちなみに、この他には【ピラニア先生】や【アンコウ先生】と言った魚類。


 動物だけどひどいヤツだと、【ブタ先生】や【ブルドック先生】と名付けられた人もいた。


 てか、ブルドックって犬種だけど、動物の名前はどこに行った?

 それに魚類って……動物縛りなのは気のせいだったのか。


 あと、一人可愛い女の先生がいたのだが、その人はしっかりと【チューリップ先生】と言う花の名前が付けられていたのも謎である。


 塾長……アンタ自由過ぎるぜ。



 この謎の塾で、俺は1年近くパンダを演じ続けたが、掛け持ちしていたもっと時給の良いバイトが忙しくなってきたので、そこで辞めることになった。

 

 1年近くパンダと呼ばれ続けていると、不思議と違和感はなくなってきていたので、もし他のバイトが忙しくなかったら、たぶんその後も続けていたと思う。



 俺のお手製のパンダのお面も意外と好評だったし、まぁ今思えば気のいい仲間に囲まれて意外と楽しく過ごせていた。



 てなワケで、これが俺が体験したちょっと変わった塾のお話である。

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