松浦さんside

第5話

 昼休憩が終わってから、真ん中一番前に座る仁藤君の様子がおかしい気がした。しきりに耳を塞いで胸を押さえている。大丈夫かな、何かあったのかな。


 話し掛けたいけど、仁藤君から「学校では話し掛けないで欲しい」と言われているので声を掛けられない。きっとわたしみたいなあんまり大人しくない奴と一緒にいるところを見られたくないのだろう。それでも放課後のあの公園では普通に話してくれるので、それならそれでいいかなと思うようにした。


 今日は梅雨らしくしっかりと雨が降っている。仁藤君の様子が気になりつつ聞くに聞けないジレンマを抱えながら、わたしは放課後になると早歩きで公園へ急いだ。


 途中、大きな水たまりに気付かず早歩きの勢いのまま靴をダイブさせてしまった。靴下に浸水するまでそう時間はかからないだろう。ここまで雨が降っていてはいずれにしても足元は濡れてしまうので、諦めることにする。それよりも仁藤君だ。


 公園の屋根付きテーブルに座っている仁藤君の後姿を捉えた。ジメジメとした湿気は息を整えるのには邪魔で、大きく息を吸えばむせてしまう。ゆっくり吸って吐いてを繰り返して近付いていくと、彼の両耳に白いワイヤレスイヤホンがついているのが見えた。


「仁藤君?」


 そっと肩を叩いて呼び掛けるが、反応がない。もっと強めに叩くが、それでも振り向いてくれなかった。どうして? いつもなら「待ってない」って言いながらイヤホンを外してくれるのに。


 そっと顔を覗き込むと、仁藤君は色のない瞳で虚空を見つめていた。瞬きもせず、生きる活力を失った魚のようにただジッとして何かに耐えている。どこを見ているのか、何を見ているのか、わたしには分からない。だから知りたくて、仁藤君の右耳のイヤホンをそっと取って自分の右耳に入れた。


 最初は何も聴こえなかった。「無音? なんだぁ騙された」と笑おうとして、突然バリバリッと何かが弾けるような音が聴こえてきた。え、何、雷? 辺りを見るがこの辺ではなさそうだった。でもどこかの空からゴロゴロという雷特有の音が聞こえてくる。そっと右耳を手で覆って、ハッとした。


 イヤホンから雷鳴と豪雨の音が響いていた。初めは本当の雨音と同化して分からなかったのだ。仁藤君の心が、泣いている。わたしは咄嗟にそう思った。


「仁藤君? どうしたの? 何かあったの?」


 揺さぶってみるが、仁藤君はどこも見ていない目で何を考えているかも分からない。どうしちゃったの。やっとイヤホンを外してわたしと会話してくれるようになったのに。靴下が濡れた感覚がし始めた。つま先が浸水して気持ち悪い。


 何度目かの呼びかけで、彼はようやくわたしと目を合わせた。しかし、その色は暗い。死神に魂を抜かれたような双眸で、仁藤君は口を開いた。


「ケンゴって、誰?」

「え、ケンゴ?」


 まさかの質問にオウム返しをしてしまった。今まで目を合わせてくれなかった仁藤君は、真っ直ぐわたしを見ている。ケンゴが彼にとってはキーパーソンなのだろう。わたしは素直に答えた。


「隣のクラスでわたしの幼馴染だよ。本名は剣崎吾郎けんざきごろう。ケンゴはあだ名」

「剣崎、吾郎……幼馴染……」

「うん。それ以上でもそれ以下でもないよ。ケンゴがどうかした? 何か嫌なことでもされた?」


 仁藤君の目に、色が戻ってきた。左耳のイヤホンを取り、軽く首を振る。


「いや……今日、松浦さんに教科書借りに来てたから、仲良いのかなって思って……」

「んー、まぁ、小学校から知ってる幼馴染だからね。あ、ケンゴのこと好きそうに見えた? いやぁそれはないな。あいつ彼女いるし、そもそも動物嫌いだからわたしとは合わないよ」


 答えながらどうして仁藤君がわたしとケンゴのことを気にするのか考えてしまって、都合の良い解釈が頭を掠めた瞬間、わたしは濡れたつま先をトントンと地面に打ち付けていた。


 いやいや、脳内お花畑かよわたし。恥ずかしくなって意味なく前髪をつまむ。仁藤君は「なんだ、そっか」と、どこか安心したような表情でイヤホンをカバンに仕舞った。


「あ、虹だ」


 ふいに仁藤君が前を指差す。それを目で追って「おお」と声が漏れた。


 さっきまであんなに雨が降っていたのに、いつの間にか眩しいほどの太陽が空から降り注ぎ、水溜りを照らしている。向こう側にはあの日見たような虹がくっきりと浮かび上がり、わたしたちの目の前にあった。


「犬と猫が仲良くしてる動画があったんだ。一緒に観ない?」


 いつもはわたしから誘うのに、今日は仁藤君がスマホをわたしに向けてくれた。隣に腰掛けて、一緒に画面を覗き込む。仁藤君のさっきまでの暗い表情は空高く飛んでいったのか、今はすごく穏やかな表情をしていて、ドキッとした。


 彼の心が晴れやかなら、わたしの心にも光が差す。反対に彼の心が泣いているなら、わたしの心も痛くなる。


 屋根からポタポタと雫が落ちる音がする。わたしが仁藤君の雨音になりたい。そう思う理由に、わたしは見当がついていた。


END.

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キミの心が晴れますように 小池 宮音 @otobuki

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