人は夜斬る彼を『夜叉』と呼んだ
「さて、講義を始めようか。先生らしく、な」
そしてぐ、と体を沈み込ませると膝のばねを使って加速、アドレーは魔竜の腹の下まで潜り込んだ。
『――――!』
が、ドラゴンはそれよりも早く羽ばたいて空へと逃げようとする。
空へと逃げれば、もう一度自分のペースに戻せるはず、とそう思ったのか、それとも魔物の頂点たる魔竜の本能がそうさせたのか。
「―――
だが魔竜の身体が浮かびきる直前、アドレーが指を鳴らすと、あらかじめマギアに展開待機させておいた拘束魔法を発動。浮かびかけた巨体を魔力の鎖で絡めとる。
アドレーはその生み出した鎖の先を握ると、ニッと笑った。
「おいおい、どこに行くんだよ―――っと!」
そして、そのままぐいっと鎖を引っ張ってもう一度ドラゴンを地面に叩き落した。
『グ、オァアアアアアッ!』
三度、竜は吼える。
世界を侵す『魔物』としての己の存在を示すように、魔力を口の中に収束し、全てを焼き尽くす炎を放とうとする。
だが、それは一手遅い。
瞳に魔力を流した今のアドレーには、夜を固めたかのような鱗、体表の奥にある魔物の心臓ともいえるコアの位置も見えている。
あれを破壊することができれば、魔物は死ぬ。そういうものだと、アドレー・ウルはずっと昔から知っている。
「ったく、随分俺の生徒をいじめて怖がらせてくれたみたいだな」
こいつのせいで使いたくもない魔法をまた使わされた。
こいつのせいで自分にあるのはこういう暴力だけだって思い出させられた。
そして何より、こいつのせいで
それはもう、こいつを斬るのに十分な理由。
「悪いが、
アドレーは手にした剣型のマギアを握り、構える。
「
足元に真白の魔方陣が展開される。
吹き荒れるように生み出された魔力が収束される。
エネルギー臨界点に至った魔力は世界を塗りつくす光と変わり、
「―――『
ばき、と白い剣が魔竜の体を両断し、そのままコアを叩き壊した。
瞬間、あたりに絶叫が響いた。
『ア、アアアアアアアアアァァァ―――……』
「うるさっ。死ぬ時くらい静かに消えていけってんだ」
やれやれ、とアドレーが肩をすくめると手の中のマギアがスパークを起こす。
「ふー……って、うおっ、マギア壊れちゃった」
ぼしゅっとマギアが砕けて壊れてしまう。
借り物であるから返す約束をしていたことを思い出しそうになって、アドレーはそれを忘れることにした。
大人は時に、こうして嫌な現実から目を背けるの大切だ。
「よ、終わったよ。セレナ君」
飄々とした様子でアドレーが手を挙げると、セレナが呆気にとられたように、でも問いかけずにはいられないように口を開いた。
「先生、魔法が使えたんですか……いえでも、魔導師じゃないって言っていたのに……」
「……嘘をついたわけじゃないんだ。でも、そういう受け取り方をされてるのがわかってても、訂正はしなかったのは、うん、事実だ」
「どういう……?」
へたり込んだセレナの呟きに、アドレーは苦笑いを浮かべつつ頭をかく。
「俺は『魔導師』じゃなくて『騎士』なんだ。いや、正確にはだった、かな」
―――魔導師とは、『空を飛ぶ魔法使い』のことだ。
対して、騎士というのは『空を飛べない魔法使い』のことを言う。
魔物は強くなればなるほど、『空』という舞台へと進む。
故にこそ、次第に『飛行魔法』を使えることこそが魔法使いの絶対条件へと変わり、飛行魔法を使えない騎士たちはほとんど絶滅して行った。
空を支配する魔物と戦う上で、地を這う騎士よりも、空翔ける魔導師が必要とされるのは道理だった。
「俺はそんな滅びた『騎士』の生き残り。カビの生えた一昔前の骨董品。それが俺だ」
困ったようにそう言って、アドレーは頭をかいた。
そんな彼に、セレナは震える声で問いかける。
今アドレーはいつもつけてる眼鏡を外していて、そのおかげでいつもはよく見えない目がよく見えていた。
かつてセレナが幼いころに見た『空の瞳』そのものの、青い瞳を。
「もしかして、先生があの時の、私を助けてくれたあの人なんですか……」
セレナが体を震わせて、すがるようにそれを見上げる。
迷子の子どもが大人にそうするように、縋るように。
ほろり、とセレナの深く澄んだ瞳の端に滴が溜まった。
最初は堪えていたようだったが、だが一度流れた涙は止められない。
海に波が打ち寄せるように、止まることなく頬を伝い、流れていく。
「私は、ずっと、ずっとあなたに会いたくて―――」
「悪かった」
「え?」
そして、アドレーはそんな彼女の言葉を遮るように頭を下げる。
「……ほんとうは、セレナがあのとき助けた子どもだっていうのは、ちょっと前から気づいていたんだ」
でも、アドレーはそれをセレナには言わなかった。いや、言えなかった。
「俺は、君が憧れるような人間じゃない。
確かに昔セレナを助けたのは俺だけど、でも今の俺は時代遅れの『騎士』で、『魔導師』のセレナに教えられるようなことがあるとは思えなかった」
自分の光が憧れだと、また会うことが目標なんだという彼女に、自身の姿を見せることが恐ろしかった。
(だって俺にはセレナが『連合生徒会長』に相応しいとは思えなかったんだ)
責任感を感じすぎて、自分に厳しくて、魔法だってうまく使えない。
連合生徒会という居場所にいることが、セレナ自身の幸せを奪っているように思えた。
生徒会の顧問というアドレーの存在はそんな彼女を連合生徒会に縛り付けてしまうんじゃないのかと思った。
「……俺は、生徒を信じられない教師だった。だから、俺は、やっぱり君の言うように悪徳教師で……だから、憧れてもらえるような立派な人間じゃないんだ」
だから、すまない、とアドレーは頭を下げる。
それしか今の自分がすべきことが思いつかなかった。
でも、言うべきことが一つだけ残っていた。
アドレーは膝をついてセレナと目を合わせると、彼女の瞳の涙を一滴拭ってやってから薄く笑んだ。
「セレナは自分は落ちこぼれだって言っていたけど、それは違うよ」
魔竜が現れた時、セレナは他の生徒たちを守るために誰よりも先に動いた。
勝てるはずのない魔物だというのはわかっていたはずだ。死ぬかもしれないとも、思っていたはずだ。
でも、それでも立ち向かおうとした。
「きっとセレナ君は、誰かのために戦おうという意志を持っているんだな。
それは、きっと騎士に―――いや、魔導師にとっても、何よりも必要な気持ちなんだ」
騎士は飛べない魔法使いだ。
魔導師は飛べる魔法使いだ。
違いはたったそれだけで、故にこそ根本の『人を守る』という役目は変わらない。
ならあの時、ベレッタの生徒たちを守ろうと自分の身を賭して戦おうとした彼女は、誰よりも『魔導師』として必要なものがあるんだと、アドレーはそう思う。
怪我したセレナの腕に治癒魔法をかけてやりながら、アドレーは語る。
「きっと君は強くなれる。誰よりも魔導師に必要な心を持っている君だから、きっと」
「―――」
セレナが一瞬、言葉を失ったように黙り込んだ。
そしてふ、とかけた月のように僅かに頬を緩めた。
「―――そんなの、はじめて言われました」
「そうか? 俺は心底そう思うんだけどな。だからさ俺じゃなくて他の―――」
「なら、先生が教えてくれるんですか? 私の目指すべき先を」
今度はアドレーが言葉に詰まる番だった。
「え、いや俺? なんで……」
「だって、貴方は私の『先生』なんでしょう? 悪徳でも、情けなくても……貴方は私の先生です。
困ったときに先生を頼れって言ったのは、貴方でしょう?」
―――ま、そういう時は適当に大人にでも頼ればいいさ。
―――それこそきみは学生なんだから、教師なんて頼り放題じゃないか。それが仕事だ。
「は、はは! はははは、参った! そう来たか! はは、確かにそうだな。俺は『先生』なんだもんな」
「な、なんで笑うんですか! 私は真面目に―――」
「いやわかってるけど、くく、あー、そう来たかあ」
それは、あの雨の日にセレナへとアドレーが言った言葉だった。
アドレーにとってはなんて事のない言葉で、本当に気休めでしかない言葉だったのに。
まさか自分に帰ってくるなんて思いもしなかった。
なんだかそれがたまらなく面白くて、笑みがこぼれた。
ひとしきり笑って、アドレーは再びセレナに向き直った。
セレナの海のように深い青の瞳は、初めて出会ったあの雨の日から変わらない。
ならばもう、あの初めて会った雨の日に、運命は決まっていたのかもしれない。
「なあ、セレナ君はさ、どうすればいいかわからないって言っていたな」
あの時は合わなかった目を今は正面から見つめながら、アドレーは『先生としての言葉』を語る。
あの日、名前も知らなかった他人の頃では、きっと伝えられなかった言葉を。
「なあセレナ、セレナが負けた連合生徒会の役員って確かあと四人だったよな。
副会長、会計、書記、庶務で」
「え、あ、はい、そうですけど……」
急に何を、と言いたげに眉をハの字に曲げるセレナ。
そんな彼女にアドレーはニッと笑って見せる。
「じゃあ、俺がそいつら全員に勝てるくらいに強くしてやるよ」
「……へ?」
セレナの海の瞳が丸くなる。
「自分の生き方はきっといつだって自分で決めなきゃいけないんだ。
わからないことも、迷うことも、間違うことも全部人生には必要なことだ」
大人が代わりに子どもの悩みを解決してやることはできない。
大人が代わりに子どもの生き方を決めてやることもできない。
誰だってそうだし、アドレーとセレナだって、そうだ。
「だから俺はセレナが胸を張って『私は連合生徒会長だ』って言えるくらいに強くする。
そして、セレナは強くなっていく中で、セレナ自身の『やりたいこと』を見つければいいさ」
アドレーは飛べない騎士だ。もういまの時代からは取り残された骨董品で、絶滅寸前で、時代遅れの古臭い騎士。
いつかは技術も、経験も、存在さえも忘れ去られる時が来る。
でも、それはきっと今じゃない。
「だからせめて、俺は俺のできることで、セレナを強くする手助けをするよ」
それが『先生』だと、セレナに教えられた気がするから。
だからちょっとだけ頑張ってみようと、アドレーはそう決めた。
アドレーの提案に、セレナがぽつりとつぶやいた。
「なんで、私にやさしくしてくれるんですか」
「セレナ君が俺の生徒だからだよ。それ以外に理由いるか?」
「―――ずるいひとですね」
しばらくセレナは何も言わなかった。けれどやがて、涙をぬぐうと微笑んだ。
「私、生徒会役員から見放される期待外れの生徒会長です」
「俺も時代遅れの騎士だからなあ。ちょうどいいかもな」
「そもそも本当に私なんかを強くできるんですか。私のセンスのなさ、かなりのものですよ?」
「セレナ君は強くなるよ。俺が保証する。ほら、俺の強さ見たろ?」
「……生徒会顧問らしく、立派な人になってくれますか」
「おっとなんか関係ない条件が付け足されている気がするな~」
視線を合わせて、どちらからともなく小さく笑った。
「……さて」
古き騎士は立ちあがり、まだ座り込んだままの落ちこぼれの魔導師に手を差し出す。
「もしセレナが望むなら、途中で泣き出したってお前を強くしてやるよ。泣き虫の会長さん」
泣き虫と言われて、セレナが慌ててごしごしと目を拭う。
「先生の―――アドレー先生のそういう、嫌わせてくれないところ、やっぱり嫌いです、私」
「……さよで」
そして、一瞬で強がりと分かるぐしゃぐしゃの笑顔を浮かべると、アドレーの手を取って立ち上がった。
―――ここは、学園都市『アウロラ』。
魔物と戦うための『魔導師』を育てるために若き才能が集まる場所。
そんな場所で、俺を嫌う泣き虫の連合生徒会長を一人前に育てること。
飛べない魔法使いが、空飛ぶ魔法使いの卵を孵してやること。
それが、今日からの俺の仕事になった。
◆
「―――元王国第一騎士団筆頭騎士アドレー・ウル」
エルビス学院の校長室で、一人の女がその名を呼ぶ。
「絶滅した騎士、その『最後の英雄』。かつて『魔王』と戦った
絶望という夜を斬り、希望と変える姿を、人は『夜叉』と呼んだ」
まるで、恋する少女のように、寝所で睦言を囁く女のように、熱に浮かされたように。
「戦っておくれよ、君が望むままに。それが見たくて、私は君をここに呼んだんだ」
虹色の虹彩を細め、遥か遠くで感じた懐かしい魔力の揺らぎに、蠱惑的に微笑んだ。
「―――嗚呼、またその白い光を見られるなんて。私の、私だけの英雄」
拾った美少女が「貴方が嫌いです」ってツンツンしながら世話焼いてくる 世嗣 @huhanazekakanai
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