『先生』と『生徒』の新たな関係を求めよ④



 憧れた人に、もう一度誉めてほしかった。


 あの日、絶望という夜に支配されたセレナは、空の瞳の『魔法使い』に救われた。


 正直な話、あの日助けてくれた人の顔も声ももう覚えてない。

 目を覚ました時にはその人はもういなくなっていたせいで、名前だって聞き損ねてしまった。


 だから、覚えているのは私の絶望よるを斬り拓いた白い魔力の光と、頭を撫でてくれた時に見えた澄んだ空のような青い瞳だけ。


 そんな曖昧なものだけを頼りに良くもここまで憧れられるものだ。冷静になって自分を見つめなおすと笑えて来る。


 でも、綺麗だった。憧れてしまった。

 あんな風に誰かを助けられるような人になれたなら、こんな自分でも生きていていいんじゃないかって思える気がした。


 だから、セレナ・ステラレインは魔法に憧れたのだ。


『グアアアアアッ!』


「―――い、っ!」


 竜の爪がセレナの腕をかすめていった。

 エルビス学院の制服は優秀だから、こうした魔物の攻撃に対する耐性をある程度持っている。

 でも、威力全てを殺し切ることなんて出来なくて空から叩き落されてしまう。


「はあはあ……つっ……う、うう……」


 痛い。熱い。血だって出てる。

 なんで、わざわざこんなことやっちゃったんだろう、とセレナは自問する。


 しかし、その答えは既にわかっている。

 落ちこぼれの自分でも、誰からも必要とされない自分でも、誰かの役に立つって思いたかったのだ。


 それができれば、自分が『あの人』に近づける気がした。


『―――グ、グググルル』


 ずしん、と魔竜が地に足をつけて、地面に伏せるセレナを見下ろした。

 そして空気中の魔力素を吸い集め、口の中に魔力として収束していく。


 あれが開かれ炎の息吹となったとき、きっとセレナは死ぬだろう。

 結局、最後まで『連合生徒会長』としての役割を果たすことはできず、昼が終わり夜がやってくるように、セレナ・ステラレインという人間の人生は終わる。


 魔法は憧れだった。でも、セレナはなりたい自分になることはできなかった。

 連合生徒会に入れたことは誇りだった。でも、セレナは連合生徒会にいるべき人間じゃない。

 学園都市でやりたいことがあった。でも、もう自分が何をしたいかもわからない。


「私は、どうしたら良かったんでしょうね、先生」


 セレナはそう口にして、最後に『あの人』への質問が口をついたことに自分で驚いてしまった。


(可笑しいな。あんなだらしなくて、誰にでもやさしい人なんて嫌いなのに、最後にはあの人のことを思い出すなんて)


 もしかしたらこの気持ちは『嫌い』じゃないのか。もっと違う名前がある感情だったのか。


「でも、そんなもの考えても意味ないよね」


 だってほら、もう竜が口を開く。


『――――アアアッ!』


(ああ、これで私の人生終わりだ。ほんとうに、何も意味を生み出せなかった人生だった)


 そうして放たれた全てを無にする炎は彼女を一瞬で――――――


「──たく、自己犠牲なんて今日び流行んねえぞ」


 ―――焼き尽くす前に、突然現れた人が竜の炎を


「え……」


 その人をセレナは知っている。

 癖のある黒い髪に、眼鏡越しに見える細い目に、薄く煙草の香りがするワイシャツとゆるめられたネクタイ。

 自分を『魔導師』じゃないという、彼女の学校の新任教師。


「せん、せい……?」


 あの日、雨の日彼女を拾った彼が―――アドレー・ウルが、剣を手にしてそこにいた。


「先生、なんでこんなところに、いえ、そうじゃなくて……」


「とりあえず距離取るぞセレナ君! 失礼!」


「距離って、きゃあっ」


 困惑するセレナの質問には取り合わず、アドレーは素早くセレナを横抱きにする。

 そして、自分のブレスが塞がれたことに苛立つ魔竜の爪の薙ぎ払いを掻い潜って、地を駆ける。


 トットトト、と加速して数歩。距離を取ると、アドレーは汗をぬぐいつつ息を吐く。


「ふー、やっぱり、空を飛べるってそれだけで相当アドだよなぁ。こんなふうに走って逃げなくていいんだもんな」


「ちょ、せんせっ、へぶっ!」


「お、かわいい声が出たな」


「な、先生のせいじゃないですか!」


 ぽい、と地面に下ろされた拍子に出たセレナのうめき声にアドレーがからからと笑う。

 セレナはよっぽど文句を言おうとしたが、今自分たちが魔竜に目を点けられていることを思い出すと表情を硬いものへと変える。


「先生、どうやってここまで、というかベレッタの生徒の皆さんは」


「ベレッタの生徒たちならちゃんと安全なところまで運んできた。というか、こっちでセレナがひきつけてくれてるならあいつら飛んで帰れるしな」


「じゃ、じゃあなんで先生がこんなところに」


 セレナがそう聞くと、アドレーが「ハア?」と心底呆れたように声を漏らす。

 そして、眼鏡を指で持ち上げつつ「あのなあ」とセレナと目を合わせる。


「そんなの俺の生徒が危ないことしてるから連れ戻しに来たに決まってんだろ」


「連れ戻しに、わたし、を?」


「何を当たり前のこと言ってんだ。お前は俺の生徒だぞ」


 そう言って、ちらりとセレナの様子を伺う。


 いつもならしわ一つない白い制服は、今では竜の爪を食らいぼろぼろになっていた。

 そしてその制服の裂け目からのぞく肌に痛々しい赤い傷跡が覗いている。


(あの生徒たちを守るためにここまでやるかね)


 とりあえず、アドレーはセレナの頭に手を置いてわしわしと撫でた。


「わしわし」


「な、何をするんですか! 急に頭を撫でるなんてセクハラですよ!」


「いや、うん、頑張った子は褒めてやりたくなってな」


「頑張ったって、私は―――」


 言いかけたセレナの頭をぽん、と叩いて黙らせる。


「いいや、よく頑張った。あの時泣いてた子が、本当に強くなった」


「何を言―――――え」


 軽く肩を回して、アドレーは眼鏡を外してポケットに入れる。


「だから、あとは俺がやる」


 アドレーはエルシアから借りた魔法制御端末マギアを再び剣へと変える。


 そしてセレナの名も知らぬ魔竜へと、一歩踏み出した。

 まるでセレナを守るように―――否、魔竜と戦うことを決めたように。


「ま、まさか戦う気なんですか!? 先生相手は魔物で、魔導師でなきゃ倒せない存在で―――」


「あー、うん。大丈夫。ちゃんと知ってるよ。知りすぎてるくらいに」


「どういう……?」


「こいつ変性固体、『ノクス』だよ。カースとかと違ってあんま有名じゃないって言うか……まあ、ぶっちゃけ東の方でマッドな魔族がちょっと生み出しただけのマイナーなやつでな」


 そう語るアドレーの口ぶりに気負いはない。

 まるで同窓会で久々に会った友人を紹介するかのような、そんな口ぶり。


『グルルル……アアァァァッ!』


 だが魔竜はそんなこと知らないとばかりに咆哮し、羽搏いた。

 そしてその勢いそのままに、呪詛の篭った爪で目の前の不遜な人間を切り刻まんと迫る。


 まともに食らえば人間なんて触れただけでミンチにしまうような一撃だ。


 だが、後ろには怪我した生徒がいるせいでかわせない。

 借り物のマギアは盾ではなく剣なので武器で受け止めるのも難しい。

 加えて言うなら相手は魔物の頂点『竜』である故に、生半な魔法は装甲を抜けない。


 あまりに絶望的な状況。


―――。


「―――《b》ハンデには十分すぎる《/b》」


 深呼吸を一つ。目を開いて魔力を通す。

 視界が澄み渡り、瞳が淡い青に―――空の青に染まる。

 軽く肩を回して、拳を握る。


「―――強化ブースト。よい、しょっと!」


 そしてアドレーは、


 ズ、と大気が震え全長10メートル近くあるドラゴンが殴り負けて、地面に足をついてたたらを踏む。


 それは異様な光景だった。

 サイズ比で言えば鼠とライオンほども差があるアドレーとドラゴンが殴り合い、アドレーが打ち勝った。


「へ?」


 セレナが間の抜けたような声を出す。

 そして、そんなセレナを背に、アドレーは不敵に笑った。


「さて、講義を始めようか。先生らしく、な」


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