『生徒』と『先生』の新しい関係を求めよ③
「シア・イグナス。彼女なんだろ、セレナ君に勝った連合生徒会の元役員っていうのは」
「……ユフィール学長ですね」
セレナが息を吐く。
そして、遠くの方でエルシアたちベレッタの生徒が死んだ魔物を解体するのを見ながら、ひと房垂れた髪を耳にかける。
「もう隠しても無駄ですね。そうです、私は全敗して生徒会長になった落ちこぼれで役立たず。
報道委員会の言葉を借りるなら『孤高の生徒会長』、ってところでしょうか」
自嘲するように、ふ、とセレナは笑った。
「落ちこぼれって、そこまで言わなくても」
「……見ていただけばわかりますよ」
そういったセレナは手首の
それは先ほど、この距離から魔物を打ち倒したシア・イグナスと同じ初級の魔力砲撃魔法。
「
控えめに呟かれたトリガーワードに従い、魔力は
シアのもとのは比べるまでもない。頼りなくて、弱い薄光。
「見ての通り魔法が下手なんです、私」
セレナが杖を持った手を下ろして、膝を抱えてうずくまった。
「特に攻撃魔法の方が絶望的でして。入学したての一年生でも使えるような初級の魔法ですら満足に使えないんです」
視線は前に、魔物から目をそらさず連合生徒会長としての役割を手放さない。
けれど何かに耐えるように、自分の体をぎゅっと抱く。
「連合生徒会は信任性でして。本人の意志と学校からの推薦があればそれでなれるんです。
今年はいろいろあって希望者が私しかおらずこういう形になりましたが……今では、私に連合生徒会の役員が務まるなんて思い上がりだったかも、なんて思ってしまいますね」
言いつつ、セレナは自身の宝石が散りばめられたような髪をひと房触って、ふ、と困ったように笑った。
「私にこの髪が見かけ倒しじゃない実力があったら、良かったんですけどね。
そうすれば私は『孤高の生徒会長』じゃなかったのかも」
「……セレナ君のせい、とつなげるには少し早計かもしれないよ」
ユフィは一応何故他の学園が連合生徒会に参加するのをやめたのかはわからないって言ってたし。
あの秘密主義者の言うことなのでイマイチ信じ切れないところはあるけれど。
だが、セレナは困ったようにふるふると首を振った。
「かもしれません。でも、そうじゃないかもしれません」
「それは……」
連合生徒会に五人役員が揃ったのは最初の顔合わせの一回だけ。
その後魔法戦が行われ、セレナは全敗し、そして一人になったわけで。
今では去って行った元役員たちの真意はわからない。
でも、セレナが自分の力で連合生徒会長の立場を勝ち取っていたら、違う未来もあったのかもしれない。
「どうしたらいいんでしょうね、私は」
自分を抱くようにしゃがみ込んだまま、目だけを動かしてセレナは俺を見る。
「……それとも、先生なら、その答えがわかったりするんですか」
「それは……」
「いえ、いいです。冗談ですから。わかってますから、もう全部遅いって」
ふ、とまた頬を緩めてあからさまな作り笑い。
それはあの日、雨に濡れて座り込んでいたあの女の子と同じ顔で。
もう全ては遅いという彼女に、俺は何を言ってあげられるだろうか。
『先生』の俺だから、『生徒』の彼女に言ってあげられることとは、なんだろう。
……なに言ってんだか、『魔導師』じゃない上に悪徳教師の俺に何が言えるってんだ。
「会長さーん! こっちの方の処理終わりましたーっ! 確認お願いしまーす!」
「……終わったみたいですね。行きましょう」
すっくとセレナは立ちあがると、こちらに手をぶんぶんと振っていたエルシアのもとまで歩いていく。
「会長さん、こちらグレイドラゴンの死体です。コアは抜き取って、他の部分は焼却処理するつもりです」
「はい、それで問題ないと思います。コアに関してはカンナギ学舎の飼育委員会に頼むこともできますが……」
「あ、それに関してはウチでやることになってるので!」
「そうですか。では―――」
淡々と仕事を処理していくセレナは、先ほど見せた寂しそうな顔の横顔はない。
でも、さっき話した「どうしたらいいかわからない」という言葉は、セレナの正直な気持ちなのは間違いない。
だからきっと、俺がセレナに言えることは―――
「―――?」
不意にセレナが沈黙したグレイドラゴンの死体に目を向けた。
「会長さん?」
「あの、エルシアさん。何かあのグレイドラゴンの死体、変な感じがしませんか?」
「変な感じ?」
「はい。なんとなく、魔力が揺らいでいるような……」
セレナの言葉につられる様にベレッタの生徒たちも目を向ける。
―――その刹那、世界が色を失った。
透き通る空も、流れる雲も、果てまで広がる草原も、隣のセレナも、俺自身すら色彩を失った。
全ての色はグレイドラゴンの死体―――その中から現れる黒い影に吸い込まれる。
影はずるり、と手をグレイドラゴンの死体に手をかけて自らの身体を裏から引っ張り出すように引き上げる。
そして現れたソレは、外界の大気、否、魔力素を吸い込むと、吼える。
『―――ァ、ァアアアアアグワアアッ!』
咆哮と共に世界に色が戻る。
「う、そ……『成った』?」
影は大きく翼を広げると、空から俺たち人間を静かに見下ろす。
セレナはその姿を目に捉えると言葉を失う。
まるで夜そのものを固めたかのような黒い体と、妖しく輝く赤い瞳。
禍々しく広げた翼、狩りではなく殺しを目的とするかのような鋭利な牙と爪。
全てを憎み、遍くを破壊し、生命を否定する魔物の筆頭。
先の人魔大戦においては最も多く人の命を奪った魔王の尖兵となった種族。
人にとっての死の恐怖の具現。それこそがドラゴン。
その魔竜が、何の変哲もない中級の魔物の体の中から現れた。
「しら、ない……あんな魔物……」
セレナ君がぽつりと呟く。
「体の中からなんて、あんなの書いてあるなら覚えないはずないのに」
セレナ君でも知らないなら、恐らくこの魔物はこの学園都市にとって完全な未知の魔物だ。
それに、今の顕現の雰囲気からして……あれはおそらく……。
「変異個体、だね。まさか、こんなところでかち合うなんて」
つつ、とエルシアの頬に汗が流れる。
「生徒会長さん、あの魔物見たことある?」
「……残念ですがありません。ですが……逃げるべきです。明らかにこの魔物は、私たち学生が対処できる領分を越えてます」
「で、でもこいつこのままにしたら学園都市に来ちゃうんじゃ……」
「あそこにはユフィール学長もいます。あの人なら―――」
セレナとエルシアが素早くこれからの方針を立てるが、話せたのはそこまでだった。
現れた魔物は、じろりと俺たちを睥睨するとぎりぎりと口の中に魔力の炎を収束する。
ま、ずいっ!
「お前ら前に飛べッ! お前もだセレナ君ッ!」
「え、きゃっ!」
生徒たちが前に転がるように飛行魔法を使うのと、先ほどまで俺たちがいた場所を炎が薙ぎ払っていくのはほとんど同時だった。
逃げ遅れそうだったセレナだけは襟首掴んでぶん投げたが……ギリギリだったな。
「先生、何も投げなくても―――……え」
セレナは投げられたことに物申すように顔を上げ、サッと顔色を変える。
「エルシアさんっ!」
ふと、背後で聞えた叫びに振り返ると、そこには
エルシアがふらつく体で、あからさまに無理した笑顔を浮かべた。
「あは、なんか、ごめんね。この子が、さっきの咆哮で気を失っちゃったみたいで。守ろうとしたんだけど、ちょっと魔力、足りなくて……ごめん、ちょっと私のことは置いていって、その子だけでも……」
「馬鹿野郎んなことするか! おい、俺が気を失った方を抱えるからエルシアに誰か肩貸してやれ! お前ら全員全力で学園都市に走れ!」
「は、はいっ! でも、飛行魔法を使えば……」
「やめておけ。相手は竜だ。こと飛ぶことに関しては上級の魔導師以上だ」
しかも、変性固体。相手の能力がわからない以上、学生程度の飛行魔法じゃ的にされるだけだ。シアの転位魔法でもあれば逃げ切れたかもしれないが、無い物ねだりしても仕方ない。
名も知らぬ魔竜はゆったりと地に足をつけ、俺たちを見据えながら低く唸る。
俺は竜の視線を受け止めるように、背中に生徒を庇う。
「―――」
いつ、どのタイミングで走り出す。
上手く魔竜の視線を切って、障害物に隠れながら走れればきっとすぐに死ぬことはない。
だが正直、学園都市まで全員で逃げ帰れる可能性は……。
「先生」
セレナ君?
「このままでは全員で逃げかえるのは難しい……いえ、むしろ全滅する可能性の方が高いです。竜と飛行勝負はしないにしても、走ると飛ぶではスピードが違いすぎます。
このまま逃げ切るには、あの魔物の動きを止めなければいけないと思います」
「……んなこと、わかってるけど。なら倒すか? あのわけのわからん魔物を」
「いえ。この場合は倒さなくてもいいはずです。必要なのは、逃げるための時間。
そうでしょう?」
……それは、まさか。
「私が囮になります。私、攻撃魔法は使えませんが飛行魔法なら人並みには使えます。
私が稼いだ時間で、みなさんは急いで学園都市まで戻ってください」
そう言って杖型のマギアを取り出したセレナ君は月が欠けるように薄く笑った。
「……先生、あとはお願いしますね。落ちこぼれの、誰にも期待されない私じゃこんなことしかできませんから」
「待てセレナ!」
俺はセレナ君の手を取って止めようとするが、もう飛行魔法を発動した彼女には届かず、伸ばした手は虚しく空を切った。
「……ほんとうに、やさしい人ですね。私なんかにそこまで本気になって」
最後に彼女は困ったように目を伏せて、飛行魔法で竜のいる方へと飛んでいく。
「こっちを―――
そして素早くドラゴンの脇を飛び抜けると、あのまともに使えない砲撃魔法を使ってドラゴンの腹部を撃った。
だが魔力はやっぱり途中でほどけてしまったが、それでもドラゴンの視線が俺たちからセレナの方へと移る。
連合生徒会長が―――セレナ・ステラレインが空を飛ぶ。
俺たちを、全て置き去りにするように。
その先にあるのは、きっと死だと知っていても。
否、きっと彼女は知っているからこそ、彼女は飛んだ。
「―――」
一瞬、セレナ君が俺の方を見て、何かを言った気がした。
でも俺はそれが聞き取れない。全てはドラゴンの咆哮に搔き消され、俺は彼女の最後の想いすら聞き取れなかった。
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