第4話 命よりも大事なもの
事件が解決し、薄暗い帰り道を三人はのんびり歩いていた。
「腹減ったな、なんか食べてくか?」
他愛のない会話をする二人を見て、今日のような出来事は当たり前の日常に違いないとスクルトは思った。ブライトシティに来て半年、外ではありえないような超常には慣れたが、その解決に取り組むことなど一度もなかった。
「僕、知らなかったんです。自分が異能持ちだって」
唐突なスクルトの言葉に二人は足を止める。
「別に外だと不思議なことじゃないですよね。家族からは頑丈なやつだーって笑われてました。僕もそう思っていた」
スクルトは少しだけ苦い表情で、しかし声色を変えることなく続ける。
「一年前、父の運転で家族旅行に行っていた時でした。嫌な破壊音と共に楽しい雰囲気も盛り上がっていた会話も愛おしい人たちも……全部消えました」
スクルトは立ち止まり、俯いた。
「異能持ち同士の戦闘があったみたいでした。そこまではよくある異能絡みの事故なんですけど、違ったのは――僕が無傷だったことです」
全員即死だった。最後の言葉さえも交わすことなく、変わり果てた家族を前にスクルトは初めて、自分が『異能』持ちだと理解した。
「僕は……この異能が嫌いです。自分のことしか守れないこの役立たずな能力が」
スクルトは強く拳を握るとジークとマックスの目を真っ直ぐに見つめた。
「僕は異能の謎を解き明かさないといけないんです。そして、僕のような人間が生き残ってしまった意味を知る。それが唯一の存在理由なんです」
背負いきれない大きな負の感情と挫折を前にしたあの日から半年後、それでもスクルトは前に進むと決めた。自分の生と家族の死がなかったかのように忘れ去られて、消えないように。
マックスはスクルトの肩にそっと手を置いた。
「よく話してくれた。ウチは探偵だが、今日みたいな仕事はよくある。少しずつでいいから慣れていこう」
「え?」
突然の説明にスクルトがポカンとしているとマックスはわざとらしく咳払いをして手を差し出した。
「合格だ。よろしく、スクルト。君はもう俺たちの仲間だ」
そこでようやく意味を理解したスクルトはジークの方を見た。ジークは何も言わず一度だけ深く頷く。
スクルトは差し出された手を強く握った。
「ありがとうございます……! 二人の足を引っ張らないように頑張ります!」
ブライトシティに来て半年、スクルト・アラタはようやく目的の第一歩を踏み出す。まだこれは彼の大いなる目的の初歩の初歩に過ぎない。
「よし、そうと決まったら歓迎会だ! みんなで同じ釜の飯をつつこうじゃないか!」
明るい雰囲気に戻ったマックスの声を聞くと、緊張が解けたのか急にお腹が鳴り始める。
「何か食べたいものはあるか? 二人とも」
「毒以外なら……」
マックスがジークにも意見を聞くとジークは少しも疲れを感じさせない表情で言った。
「悪いマックス。事務所に忘れ物をした。先に店へ行っててくれ。すぐ追いつく」
一瞬訝しんだマックスだったがすぐに了承して店探しを再開する。
「スクルトも来てくれ」
「え?」
事務所は昼間と変わらず屋根がぶち抜かれていて、半日留守にしただけで廃屋の様相を醸し出していた。近くまでは帰ってきていたので、このまますぐにマックスと合流できそうだ。
スクルトは、あまり忘れ物などしなさそうなジークがどんなものを忘れたのか、少しだけ気になった。
しかし、ジークは物を探す素振りなど見せず、なぜか空を見上げた。
「スクルト。お前の兄はどんな人だった?」
ジークの質問に戸惑いと共に少しだけ息を詰まらせる。兄との思い出は眩しく、いつだって勇気をくれる。しかし、光を追えば、それは必ず大きな影を落とし、悪夢となる。
「兄は……太陽みたいな人でした。あの人の明るさが周りを照らしてました。いつも真っ直ぐで……みんなも、僕も大好きでした」
思い出の中の人が眩しければ眩しいほど、現実のスクルトに深い影がさす。
「そうだな……この混沌とした世の中で、彼は間違いなく善人だった」
「え?」
ジークは自分の机に向かうと、引き出しから小さな黒い箱を取り出した。
「随分と仕舞い込んだままだった。オレが使うにはあまりに脆く、美しかったからだ」
箱から取り出したのは銀の懐中時計だった。
「それは――」
その懐中時計にスクルトは見覚えがあった。そんなはずはないと、そっくりな別物だと、頭の中に浮かんだ考えを慌てて振り払う。
しかし、ジークの口から出た言葉は振り払った考えを確実なものにする。
「これは――お前の兄から譲り受けたものだ」
スクルトの呼吸が荒くなる。一気に片隅の曖昧な記憶が鮮明に浮かび上がる。
「なんで……それを」
それはスクルトが家族と過ごした最後の誕生日に兄から貰ったものと同じものだった。
しかし、スクルトのものは事故の日、跡形もなく砕けている。
「お前の兄、スカラベ・アラタははぐれてしまった友人と無くしたものの捜索でウチへ依頼に来た。危なっかしかったから、ついでに街の外まで護衛して返した」
半壊した事務所に月明かりが差し込む。
「金はいらんと言ったんだがな。どうしてもと、これを渡された。これはオレよりお前が持っているべきものだ」
ジークから懐中時計を手渡される。月明かりに照らされて、表面が光っている。
そういえば、これをプレゼントしてくれた時、自分の分はないのかと尋ねた僕に兄は、自分の分は無くしてしまった、と言っていた。あの時の時計はジークの手に渡っていたのだ。
「お前の兄の話を聞いた時、スカラベの弟だとわかった――兄に似て、真っ直ぐな目をしている」
ジークの言葉にスクルトは懐中時計を抱き抱えるようにして崩れ落ちる。思い出したのは誇らしい兄のこと、思い知らされたのは情けない自分のことだった。
「そんな――僕は違います……っ! 兄と違って、生きていても意味のない人間です……。あの時、生き残るべきだったのは僕以外の家族だったんです。僕は自分だけを守って生き残ったクズ野郎なんです」
もう流さないと決めたはずなのに、涙が溢れてくる。
「スクルト」
ジークはスクルトの肩に手を置くと、穏やかに、しかしはっきりと言った。
「この街で生きていると、命の価値を見失いやすい。多くの超常が人間としての感覚を鈍らせるからだ」
スクルトはぐちゃぐちゃに顔を濡らしながらもジークの言葉に顔を上げた。
「オレだって仲間の死は辛い。乗り越えなければならないと分かっていても、それは重くのしかかる」
だからこそ、と、
「死なないというのはオレたちにとって何よりありがたく、安心できる存在だ。だから自分を責めるな。お前が死なないでいてくれるだけで、それだけでいい」
ジークは立ち上がると、スクルトに手を差し伸べた。握り締められていた懐中時計がチェーンにぶら下がる。
「スクルト、これからよろしく頼む」
スクルトはこれまでよりも強く、強く、差し伸べられた手を取った。
「死ぬなよ――スクルト」
「はい……っ、はい……っ!」
一年前に止まった時計の針が動き出した。
同じ頃、ブライトシティ南西の橋。ブライトシティを背に走る車の一台に二人の刑事はいた。助手席に座る中年刑事がタバコを吸い始めると、若い刑事が窓を全開にした。
「車内禁煙です」
中年刑事は「細けぇなぁ」と呟いた後、タバコを窓から投げ捨てた。若い刑事は少しだけ唸るが諦めた様子でため息を吐いた。
「一つだけ聞いてもいいですか?」
窓枠に肘をついてつまらなそうにしている中年刑事が肯定か否定かもわからないような返事をする。若い刑事は質問を続けた。
「あの街は危険すぎる。遊びにしても度胸試しにしても、何にしたって命がいくらあっても足りない。なのに、毎年一定数があの街に移住して、そのほぼ全てが行方不明。この事実は周知のはずなのに。一体何があるって言うんです、あの街に。そこまでして行く理由って」
わからない、と吐き捨てる。その行動だけを見れば命を無駄にしているようで、若い刑事は少しだけ腹が立った。
「そりゃあ、お前。そこまでの危険犯して行く理由なんか一つ、あの街に行くバカはみんなそうだ」
中年刑事は外を見たまま言った。
「――命よりも大事なモン、探しに行ってんだよ」
到底理解できない価値観を若い刑事は一蹴する。
「そんなもの、あるわけがない」
中年刑事はぼんやりと自らの過去を思い出していた。記憶の中の若い刑事はブライトシティにいた。
「さぁな、俺は知らねぇ」
二人の乗る車が橋を渡り切った。
紅蓮探偵 大石 陽太 @oishiama
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