第3話 いいか悪党

 ボロボロの事務所を飛び出した三人はブライトシティを全力疾走していた。

「ど、どこに向かってるんですか!」

 二人に置いていかれないように必死で走るスクルトにマックスはスピードを緩めずに答える。

「サンビールド駅! 脱走した殺人犯が人質取って立てこもってるんだと!」

 サンビールド駅は紅蓮探偵事務所から五キロ離れた地下鉄の駅だ。二人はそこまで走って行こうとしているらしい。しかし、それよりもその依頼の内容にスクルトは思わず声を上げてしまう。もっと軽い依頼だと思っていたがとんでもない大仕事だ。

 普通に暮らしいている分にはスクルトの持つ能力のこともあり、事件事故は街ごと崩壊レベルのことがない限りあまり気にならない。だが、自分で何とかしなければならないとなると話は違う。恐ろしい超常を前に逃げることも隠れることもできないのはスクルトにとって充分に厄介で難度が高いことだった。

「というか、それって探偵の仕事なんですか⁉︎」

「ウチは手広くやってんだ! 殺人犯くらいどうってことない!」

 交差点のド真ん中を三人は構わず突っ切る。急ブレーキとクラクション、衝突の轟音と爆発が騒がしい。その中の一台がスクルトに突っ込んだがスクルトは無傷のまま、車の方がぐちゃぐちゃに変形し爆発する。爆炎を無視してそのまま走る。

「すごいなスクルトっ! モロに突っ込まれても無傷か!」

 マックスは傷ひとつないスクルトを見て嬉しそうにはしゃいでいる。その顔には汗一つ浮かんでいない。

「このために交差点突っ込んだんですか!」

「最短ルートさ!」

 笑うマックスとは反対にジークは顔色ひとつ変えていない。マックス同様、その表情には苦悶のくの字もない。

「すごい異能だ、これは要検証だな」

 二人のスピードについていけなくなり転びそうになったスクルトをジークが小脇に抱える。

「少し急ぐぞ」

 そう言うと二人は倍以上の速さに加速した。どうやらスクルトに合わせて走っていたらしい。

 ジークの小脇に抱えられながら、スクルトは聞こえるか聞こえないかわからないほどの小さな声で呟いた。

「僕は嫌いです。この異能」

 二人はさらにスピードを上げた。



 サンビールド駅の入口は既に警察によって封鎖されていた。その数はかなりのもので中には人間の体より二回り大きい機械で武装したものもいる。

「お疲れ様です!」

 警察の一人がジークたちの姿を確認するなりピシッと敬礼をした。マックスは「お疲れさん」と警察官の肩を軽く叩くと地下への階段を降りていく。その足取りは先ほどとは違い緩やかだ。二人もマックスの後に続いて階段を降りる。

 一人ソワソワしていたスクルトだったが直後、すぐにそんな心配は掻き消されることになる。

 突然、ジークがスクルトに殴りかかったからだ。炎を纏った大きな拳がスクルトの眼前でギリギリと音を立てている。傷がつかないと分かっていても、ジークの迫力に思わず倒れ込んでしまう。しかし、ジークが構わずスクルトに拳を打ち込んでくる。

「な、何するんですか! 僕は殺人犯じゃないですよ⁉︎」

 スクルトの声など聴こえないとばかりにジークの拳打は加速していく。だが、スクルトには傷一つつかない。

 百発以上打ち込んだであろう後、ジークは少し溜めて、スクルトの足元に拳を打ち込む。

「まずいっ!」

 マックスが階段を駆け降りていく。何が何だかわからないでいると、スクルトの足元が赤く光を発する。

「『渦炎打かえんだ』」

 炎がスクルトを飲み込む。そのまま崩れた天井と砕かれた地面で階段は見る影もないほどボロボロになり、瓦礫で入口が塞がれてしまう。

「おいおい、やりすぎだろ……死んでたらどうするんだ」

 ジークはスクルトのいた場所を見上げたまま身動きを取らない。マックスは軽く息を吐くと同じように土煙が消えていくのを見守った。

 煙が消えると、スクルトが瓦礫の一つを椅子代わりにして座っていた。無傷だった。

「こりゃ本物だな……」

 スクルトは無言で降りてくると、二人追い越してぽつりと言った。

「行きましょう。いるんでしょう? 殺人犯が」

 どんどん離れていくスクルトの背中をマックスが慌てて追いかける。

「あ、ああ、そうだな! とっとと片付けてコーヒーでも飲もう!」

 その時、二人の背後からゴドンっと、鈍い音がした。振り返ると、その巨躯を目一杯小さくして土下座をしているジークがいた。今の音はジークが頭を地面に打ちつけた音だったのだ。その証拠にジークの頭の下の床が砕けている。

「すまなかった。お前の命を試すような真似をして」

 頭を上げようとしないジークにスクルトは怒った様子もなく、淡々と言った。

「頭上げてくださいジークさん。僕、分かってますから。ここはそういう街で、命が惜しいなら……あなたたちを探してここまで来てません」

 その言葉にマックスが嬉しそうに微笑んだ。ジークがゆっくりと顔を上げると、そこには穏やかな表情のスクルトがいた。

「お前は……強いな」

 差し伸べられた手にジークが手をかけるが、ジークの重さを支え切れず、逆にスクルトが体制を崩してしまう。

「しまらないな」

 マックスの言葉にスクルトは思わず笑ってしまう。

「なんか、思い出しちゃいました。昔のこと……」

「昔のこと?」

 ジークの問いにスクルトは少しだけ恥ずかしそうに頭を掻いた。

「ええ、ここに来る前のことを……」

 何か事情があるのか、スクルトの表情に影が落ちた。二人はそれを見逃さなかった。

「さぁ、早く行かないと! 殺人犯が待ってますよ!」

 三人は駅の奥へと進んだ。



 ⭐︎



 現場は武装した警察に取り囲まれていた。その中の一人、ベージュのトレンチコートを着た中年の男が二人を見て声をかけた。

「おお、ジーク、マックス。さっき妙な音がしたがお前らか?」

 刑事の問いにマックスが苦笑いで誤魔化す。どうやらジークとマックスとは知り合いのようだ。

「どうも、デカさん。状況は?」

 デカさんと呼ばれるその刑事は壁のように連なっている警官たちの方を指差す。

「依然、膠着状態だ。ヤツの要求は百万ドルと自分をこの街から無事に脱出させること、だそうだ。まいった、俺たちが外の人間である以上、人質を無視するわけにはいかんからなぁ」

 そこでスーツ姿の若い刑事が小さな手帳を片手に補足する。

「異能は傷口から血を操るというもので人質は既に外傷を負っています」

 中年刑事は大きなため息を吐いた。現場はそれなりの緊張感に包まれているが、この中年刑事だけはどこか気の抜けた様子だった。

「ったく、なんたってこの街は大陸のど真ん中にあるんだ。二世坊ちゃんどもめ……時間短縮とか言って突っ切らせやがって」

 中年刑事の話によれば、今まではブライトシティは警察の移動ルートには含まれないようになっていたのだが、上層部の総入れ替えとかで迂回するのは時間の無駄だと方針が変わったらしい。

「そして、この街での護送中に犯人に逃げられてしまったと」

 マックスの事実確認に近い結論に若い刑事が付け足す。

「はい。正確には護送車故障のため修理に出していたところ、修理屋の人間を皆殺しにして犯人逃亡、ですね」

 異能は使えないように捕縛していたんですがね……と残念そうにする刑事だった。

 そこで中年刑事がスクルトの存在に初めて気がつき、声をかけた。

「その小僧。新人か? それにしちゃ随分と……」

 スクルトには中年刑事が何を言いたいのかすぐに分かった。自分の見た目がこの街に似つかわしくないことは自覚しているし、慣れている。

「スクルト・アラタです。ええっと……」

 なんと自己紹介したらいいものか悩んでしまう。まだ、スクルトは紅蓮探偵社の一員ではない。依頼人でさえなく、現状は名前を知ってもらった程度の関係性だ。

 スクルトが悩んでいると、マックスが「見習い未満みたいなもんです」と軽く流してくれた。それを聞いた中年刑事は眉を顰めた。

「俺は大貫おおぬきダイゴロウだ。まぁ、お前らが選んだ人間なら何かあるんだろう。頑張れよ、スクルト」

 そこでようやく、その場の全員が犯人の方に意識を向けた。呑気すぎたように思えるが、誰も文句を言わなかったのはジークやマックスから常に余裕が感じられたからだ。実行すればすぐに解決できてしまう作戦でもあるかのようなその立ち振る舞いは強者のものだった。

「スクルト、ついてこい」

 ジークに呼ばれて驚いたスクルトがマックスの方を見ると、マックスは穏やかな表情で頷いた。

「殺すなよ」

 大貫の言葉にジークは振り返らずに腕を広げて親指を立てる。

 何やら拡声器で犯人とやり取りしていた武装集団を押しのけて、ジークが二歩前に出る。その背後に隠れるようにしてスクルトが立っていた。

 ジークの登場に敵も味方も騒然とする。無理もない。膠着状態の場によく知らない大男が乗り込んでくれば誰だってそうなる。

 スクルトはジークの影からそっと覗き込んで相手の姿を確認する。囚人は細身の白髪だった。人質は女性、首元に小さなナイフを突きつけられている。

「提案がある」

 ジークはもはや衝撃波に近い大声で提案を持ちかけようとする。囚人は驚いた様子で人質を抑えている力を強める。

 背後の警官が慌てた声でジークを静止しているが、ジークには届いていないようだった。

「人質を交換したい」

 そう言ってジークはスクルトに前へ出るように促した。

「え?」

 あまりの急展開にスクルトは思わず首を傾げてしまった。スクルトだけではない。警官、人質、囚人までもがポカンとした表情を浮かべている。少ししてようやくスクルトは驚くと言うリアクションを取ることができた。

「はぁぁぁぁぁ⁉︎  何言ってんですかジークさん! いくら僕がノーダメーぶぅふッ!」

 文句を言おうとしたスクルトの口をジークが掴んで無理矢理に塞いでしまう。スクルトは何かを喋りながらもがいている。

「何言ってんだ! するわけねぇだろ! どうせなんかの異能持ちだろうが殺すぞ!」

 相手はジークの提案に分かりやすく、刺激されていた。これでは何をしでかすか分からない。

「よく見てくれ、この少年を。ごくごく普通の少年だ。異能もない。神に誓う。交換したいのは女性に辛い思いをさせるのが忍びないからだ。お前もそうは思わないか?」

 スクルトのことなど気にせず、ベラベラと喋るジーク。だが、スクルトは気づいていた。ジークが少しずつ間合いを詰めていることに。ほんの少しずつだが、着実に。もがくのをやめてジークの横顔を見ると、距離を測っているようにも、何かを図っているようにも見えた。

 囚人はジークの巨体と迫力、この状況にあって感じる余裕に気圧されていた。

「くっ、うるせぇ! この女殺すぞ!」

 女性の首にナイフが押し当てられ、一筋の血が伝う。それを見た背後の警官たちが一層騒がしくなる。突撃という単語もちらほらと聞こえ始めた。

「頼む! 女性だけは傷つけないでくれ! この少年なら死なない程度になら好きにしてくれていい」

 懇願するジークだが、相手がその提案を受け入れる様子はない。当然だ、こんな提案相手からはリスクしかない。

 しかし、ジークは引き下がるどころかスクルトの体を片手で持ち上げて囚人に向けて掲げてみせた。わざわざ目が合うように持ち替えて。そのおかげで殺人鬼の血走った目がよく見える。

「よく見ろ、この少年を。この若さ、この儚さ、この未熟さ。人質にはピッタリだろう」

「てめぇ、オレをバカにしてんのか……!」

 囚人の怒りがピークに達しようとしたその瞬間。

 ――ジークはスクルトの体を囚人に向けて、とんでもない速度で投げつけた。

「ハァァァァァァァァァッァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ⁉︎」

 人を投げるというのがありえないのに加えて、モーションがかなり早かったため、投げられた本人でさえ不意をつかれた。

 一瞬、困惑と投げつけられた人間に対する対処で処理落ちした囚人の隙をついて、人質の女性が肘打ちを喰らわせる。拘束が解かれた瞬間、しゃがみこんだ女性は目に止まらぬ速度で警官たちの元へ飛び込んだ。警官は女性を受け止めきれずに吹き飛ばされてしまう。

 女性は『加速』の異能を持っていた。

「てめぇ…………くッッッ⁉︎」

 投げつけられたスクルトと正面から衝突した囚人はそのまま体制を崩す。

 激怒した囚人はすぐさまスクルトをナイフで切りつけて殺そうとしたが――傷はつかない。

 そして、既に目の前の男は動いていた。囚人とスクルトが着地すらしていないその刹那。

 ジークの拳は炎を纏っていた。



「――――いいか、悪党」



 ジークは先程までの余裕のあるオーラとは違い、囚人など比べ物にならないほど荒々しい、鋭く凶暴な闘気を全身に纏っていた。

「この街には命よりも重要なものがある。故に人質など無駄だ」

「コイツ、人質ごと……ッッッ!」

 ジークの拳から放たれた炎は恐ろしい勢いで二人の視界を飲み込む。

「紅く、緋く、赫く、倫理に仇なす者を喰らい尽くせ。『紅蓮咬炎拳イグニスグランデ』」

 炎は凄まじい轟音と共に囚人を燃やし尽くす。囚人の悲鳴が地下鉄内に響いた。

「残念だったな、この街に神はいない」

 あまりの光景に武装警官が一歩も動けない中、大貫がジークの隣で煙草を取り出した。

 すると、豪炎から飛んでいる小さなが火の粉がタバコにつくなり何倍も大きな火種となった。

「いいのか。あの小僧」

 大貫の問いにジークは口元を緩ませた。

「はて、なんのことでしょう」

 ジークの答えに大貫が眉を顰める。その答えは一瞬で鎮火した炎の中にあった。

「はー怖かった……やっと治まった」

 大貫が目にしたのは全身大火傷になりながらもなんとか姿形を保っている囚人とまったくの無傷でケロッとしているスクルトの姿だった。

 スクルトはすぐ隣の囚人の姿を見て驚いている。

「なるほど……そういうことか」

 笑みを浮かべる大貫とジークの元にスクルトが駆け寄ってくる。それと入れ替わるように警官たちが囚人を確保した。

「脈、かろうじてあります!」

 警官たちは揃って大歓声を上げた。

「ジークさん……階段でのこと。実戦想定の耐久テストだったんですね。ここで、使えるかどうかの」

 照れ臭そうに笑うスクルトにジークは少し気の緩んだ表情を見せた。

「理由は関係ない。俺がお前にしたことは何も変わらない」

「それでも、ジークさんの行動の意味が分かって、なんかよかったです。それにあれくらい受けられないとこの街では……いえ、紅蓮探偵社ではやっていけませんよね!」

 意気込むスクルトに大貫とジークが大笑いする。

「こいつの技、正面からくらえるやつなんて、この街でもお前くらいだぞ!」

 大貫の言葉にジークも頷く。それを聞いて、自分がかなり危険な状況にいたことにスクルトはようやく青ざめた。

「何楽しそうにしてんだ三人とも」

 マックスも加えて、楽しそうに話す四人の姿を遠目に見ていた若い刑事は呆れた様子で呟いた。

「ついていけないな、ここの人たちには」



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