第2話 見習いにしてください

 少年は半年間、ある人間を探していた。人間、あるいは組織、あるいは別の何か。すぐに見つかると思い込んでいた少年の見当ははずれ、半年もの間、この危険な街で過ごすことになった。気づけばすっかり街の住人である。

「いかにも俺が紅蓮探偵ジークだ」

 大男は黒のコートに腰辺りまである赤い外套、ハンチングのような帽子を被っていた。

 スクルト・アラタはこの男を探していたのだ。依頼すれば、どんな無理難題でも達成してくれる。万能の、無敵の探偵。

 スクルトはジークと名乗るその男の前で土下座をした。プライドはこの街に来たときに捨てた。プライドだけではない。必要のないものは半年前に全て街の外へ捨ててきた。

 頭を地面に擦り付けたそのままの姿勢でスクルトは懇願した。

「僕を! 紅蓮探偵社で雇ってください!」

 ジークの返事を待たず、続けて話す。それはもはや叫びに近いものだった。

「いえ、見習い、雑用、捨て石でも、なんでもやります。だから、紅蓮探偵社に僕を置いてください」

 スクルトの必死の懇願にジークは少しだけ喉を鳴らした後、冷静に言い放った。

「追加人員は募集していない。悪いな」

 もっとも恐れた類の返答にスクルトが顔を上げると、ジークは膝を曲げてしゃがみ込むような姿勢をとっていた。足の裏側に炎がチカチカしている。

 それが跳躍の姿勢であることを直感で理解したスクルトはジークの腰に勢いよくしがみついた。

「待てっこの!」

 これ以上ない絶妙なタイミングだった。跳躍は中断されることなく、二人は空中に飛び上がった。

「何してんだ、お前!」

 驚くジークにスクルトは再び懇願した。

「僕を置いてください! なんでもやります! お願いします……僕は――」

 落ちないように必死にしがみついているスクルトの腕に一層力が入るのをジークは感じた。

「僕は! そのためにこの街に来たんだ!」

 その時、二人の体が巨大な影に包まれる。気づいた時にはビルがすぐ目の前にあった。

「くっ!」

 ジークはスクルトを庇うようにビルのワンフロアに突っ込んだ。突然の来訪者に中は騒然とする。

 そんなことは気にせずジークはスクルトの胸ぐらを掴み上げた。

「どういうつもりだ。お前は俺のことを聖人か何かだと勘違いしてるのか? この街でこんなことをしてタダで済むと思っているのか。それにまず、今ので死んでたかもしれないんだぞ」

 スクルトはまったく動じず、真っ直ぐにジークの目を見て言った。

「僕は死にません。この程度じゃ、絶対に」

 その言葉に少しの間、睨み合った。が、先にジークが折れて、スクルトを下ろした。

「一つだけ聞かせろ。お前の目的は、紅蓮探偵社に入ることか? それともその先にある何かか?」

 ジークの質問にスクルトは真っ直ぐに答えた。

「その先です。僕にはやらなきゃいけないことがあります」

 ジークは埃を払うとポツリと呟いた。

「足掛かりというわけか……面白い」

 ジークはポケットから携帯を取り出すと、フロア全体に響く大声で話し始めた。

「そういうことだ、今から一人、客人を連れて行く。いいなマックス」

 電話の相手、マックスと呼ばれたその人はスピーカー越しにもわかる陽気さだった。

『オッケー、コーヒーでも淹れて待ってるよ!』

 電話が切れると、フロアに静寂が訪れる。よく理解できずにいるスクルトにジークが手を差し出した。

「あ……え」

 困惑するスクルトにジークは端的に言った。

「とりあえずだが、ウチへ招待しよう。まずは客人として。少年……」

 そこで自分が名乗ってすらいないことに気がついたスクルトは慌てて、しかしはっきりと間違いないように自分の名を口にした。

「スクルト。スクルト・アラタです!」

 ジークは「よろしく」と一言の後、自分の腰を指さした。

「スクルト、さっきと同じように腰にしがみつくんだ」

 スクルトは迷いなく、全力でしがみついた。嬉しさを爆発させるように。しかし、ジークは気にした様子もなく、先ほどと同じ、跳躍の姿勢をとった。

「振り落とされるなよ」

 フロアに轟音と突風、火炎が撒き散らされ、二人は再び空を舞った。



「いやー、よく来てくれたね。ジークの客人なんて、明日は何人死ぬんだろう?」

 笑いながらコーヒーを淹れる男は白のTシャツに短パンと随分ラフな格好をしている。男は緊張した様子で座っているスクルトに笑顔で声をかけた。

「そう畏まらないで。これから仲間になるかもしれないんだから。それに君たちが来る前に比べたらここも随分気安くなったさ。な、ジーク」

 窓の外を見つめてコーヒーを嗜んでいるのは紅蓮探偵社のジークだ。ジークは何も答えずにズズズとコーヒーを啜る音を響かせる。

 ほんの十数分前、スクルトを連れたジークは自ら探偵社のある建物へ突っ込み、事務所を半壊させてしまっていた。そのせいで事務所は屋根が半分ない、完全な吹き抜けだった。床に転がった瓦礫を簡単に片付けると、マックスと呼ばれる男はスクルトの正面のソファに座った。

「改めて……僕の名前はマックス・G・アスキンだ。マックスって呼んでくれ。あっちに座ってる大男がジーク田中」

 スクルトはジークの大きな背中を見てポツリと呟いた。

「田中さん……」

「ジークと呼んでくれ」

 スクルトの言葉はすぐさま訂正されてしまった。

「他にも二人いるんだけど外してるんだ。ああ、大丈夫。君の名前は聞いたから」

 マックスの様子からさっきのジークとの会話が全て聞かれていたことを悟る。それが分かると、妙なことを言っていなかったかとスクルトは不安になった。

「それで、色々聞きたいんだけど……まず、なんでウチなの? ウチってあんまり自分から入りたいって言うようなところじゃないんだけど……」

 マックスの問いにスクルトは自分のことを思い出す。自分がここにきたきっかけ、その原点を。

「亡くなった兄から紅蓮探偵の話をよく聞いてたんです」

 少しだけスクルトの表情が曇る。思い出されるのは眩しい、過去の記憶だった。

「兄はブライトシティに一度だけ観光で来たことがあるんですが、その時に紅蓮探偵さんに無くし物と友人を見つけていただいて、命も助けてもらったと」

 話しているスクルトはどことなく寂しそうだった。

「本当に、目をキラキラさせて話してました。毎日のように。今の目的を見つけて、でも、当てなんてなかったときに兄の話を思い出したんです。すごい、探偵の話を」

 マックスは少し納得した様子を見せた後、二度目の質問をした。

「それは光栄だね。けど、色々と疑問がある。君の服、それこの街のものだね。買ってすぐのものじゃない、ほつれがある。見た目はかなり若いがどうもおかしい。君くらいの外から来た子なら数日と経たずに行方不明になってるもんだ。君は目的の僕たちに会いにも来ないでどれくらいこの街にいたんだい?」

 スクルトは疑われていた。紅蓮探偵社に会いにこの街へ来たのに、この街で過ごしていたのはなぜか。そして、見た目だけで言えば普通の若者であるスクルトがこの街で長期滞在している可能性がある。だとしたら、その意味は何か。

「半年です。僕はこの街で半年間、あなた達を探していました。そして、今日やっと会えた」

 そのスクルトの言葉にマックスが声を出して驚く。ジークの後ろ姿が少しだけ揺れた。

「半年っ……言っちゃあ悪いが君みたいに普通の少年がこの街で半年生きているのか! それも五体満足で!」

 マックスがスクルトの体をパンパンと叩いて確認する。どうやら本当に生身か調べているらしい。マックスはすぐに満足した様子でソファにどかっと座り込んだ。

「いやぁ、すごい。本当だ。でも、じゃあどうしてすぐに来なかったんだ。僕たちならいつでもあらゆる場所にいたのに」

 苦い表情のスクルトがこの半年間を思い出す。その中に紅蓮探偵の二人の姿はない。事務所の場所を聞き、法外な見返りを求められ、やっと辿り着いた先は瓦礫の山、廃墟、人違い。紅蓮探偵のことは誰も彼もが知っているのに、目撃情報はあるのに、なぜか出会えない。まるで運命が邪魔しているかのように。おかげですぐに会う予定だったスクルトは紅蓮探偵を見つけるまで、この街で暮らすことを余儀なくされ、その日暮らしのバイト生活となった。

「あちゃー……度重なる事務所破壊によることとはいえ、やっぱり移転すべきではなかったか。おい、ジーク、移転は今回で最後にしよう。大事な客を逃してしまう」

 どうやら移転は今回で最後らしく、もう出会っているのにホッとした。スクルトは出されたコーヒーをようやく口にする。スクルトの舌には理解できない苦味だった。

「じゃあ、スクルトくん、そろそろ教えてくれ。君のとここに来た目的を」

 それはごくごく自然な会話の流れだった。スクルトのような普通の人間がこの街で生きているのには理由がある。そう言った非現実のほとんどは異能が関係している。

「僕の異能は無傷、あらゆるダメージを無効にすることです」

 マックスは何食わぬ様子で飲んでいたマグカップをスクルトに放り投げた。しかし、マグカップも中に入っていたコーヒーも見えない壁に当たったようにして、スクルトに到達することはなかった。

「聞いたことのない異能だなぁ」

 そう言うとマックスはポケットからナイフを取り出すとスクルトの脳天めがけて放った。しかし、それも先ほどと同じ結果になった。

「こりゃすごい! これまでの人生で傷を負ったことは?」

「ありません。一度も」

 顔を輝かせるマックスは事務所内にあるものを片っ端から投げつけるが、いずれも結果は同じだった。

「おい、ジーク! お前殴ってみろよ! お前でも無理かもしれんぞ!」

 もはや楽しそうに息を切らしているマックスとは反対にジークは相変わらず窓の外を眺めたまま、静かに言った。

「それで、スクルト。お前の目的は一体なんなんだ」

 ジークの言葉にスクルトは息を飲み込んだ。まだ、誰にも言ったことのない馬鹿げた目的を、とうとう打ち明ける。緊張で手が震えた。

「僕の目的は……異能の謎を解き明かすことです。そして、もし異能を発現させた元凶がいるのならそいつをぶん殴る」

 スクルトはジークの背中を見て強く言い放った。吹き抜けの事務所内に静寂が訪れる。

「異能の謎って、それ本気で言ってるのか?」

 マックスは少し声のトーンを落として聞いてきた。馬鹿げた目的だとはスクルト自身もわかっていた。

「異能の謎なんて一五〇年前から何もわかってない。未だに世界は異能を禁止するしないで揉めてるし、戦争だって起こってる。そんなの研究者でもない一市民の君じゃ……」

「分かってます! 分かってるんです! 十分理解しています……自分がどれだけ無謀で、馬鹿げたことを言っているのか」

 スクルトは強く拳を握り締める。

「だけど、この街で……あらゆる非現実が交わるこの街で、兄が尊敬した人たちの……その仕事を通してなら見つけられるとそう思ったんです」

 マックスが納得した様子で自分の顎を撫で回す。

「なるほどねぇ、だから依頼ではなく雇用か。だけど、そんなのウチにいても無理……」

「――スクルト」

 ジークは飲み終わったであろうマグカップをテーブルに置くと、その鋭い目で真っ直ぐにスクルトを見据えた。

「最後だ。お前はなぜ異能の謎を解き明かしたいんだ?」

 そこで初めてスクルトは言葉に詰まった。何を言えばいいのか迷ったのではない。ただ、思い出したくない記憶が重くのしかかっただけだ。赤く、残酷なあの記憶が。

「あ……え」

 そこでちょうど事務所の電話が鳴った。マックスが素早く電話を取る。

「はい、紅蓮探偵。ああ、デカさん! それは大変ですね、わかりましたすぐに向かいます」

 受話器を置くとマックスが先ほどとは違った真剣な表情で言った。

「ジーク行くぞ。依頼だ」

 目にも留まらない早さで格子柄のスーツに着替えるとマックスは事務所を飛び出していった。どうしていいかわからずにいるスクルトにジークが冷静に言った。

「そこでじっとしていても目的は果たされないぞ」

 その言葉の意味に気づくのに一瞬かかったが、スクルトは慌てて、ジークの腰に飛びついた。

「今回は自分で歩け……」

 マックスに少し遅れて、二人は事務所を飛び出した。

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